第58話 沢登り

 草取りをして、朝食を食べて、沢登り。運動である。


 沢登りといっても流れの中を行くわけではない、単に沢の脇を上に向かうだけである。大雨などで増水した時に削られたりで、岩だらけで足元は悪い。これを動かない、滑らない、崩れない場所を判断して進む。


 体重移動やら不規則な歩幅やら上下運動やらでいい運動になるし、体幹も鍛えられる――気がする。何より家で腹筋何回とかやるより、上まで行って戻るという明確な目標があった方が続ける気が起きる。


 山中を走るのでもいいんだが、沢のそばは涼しいのだ。


 ざあざあと水の流れる音。岩に勢いよくぶつかった水が、飛沫となって時々当たる距離。水に濡れた黒いシミが服にできることはないが、顔はしっとりする。


 一応水質検査をして、飲める水だしな。まあ、飲まんが。雨やらなにやらで、水質の変化もあるだろうし。でも汗をかいたら顔を洗い、口をすすぐくらいは。


 この山の中腹よりちょっと上から頂上までの土地は私のもの。それより下の果樹園や畑が作りやすい、少しなだらかな場所は柊さんと佐々木さんの土地。


 なんだが。


「おい、無茶すんな!」

「レン、滑るから!」

「平気、平気……っ、わあっ!」


 声がしたかと思ったら、山の斜面から人が沢まで滑り落ちてきた。足から滑り台のように斜めに滑り落ちて、沢の周囲の石を足場に止まったので、擦り傷以外の怪我はないと思うが。


「……」

何故ここにイレイサー。


「いたぁ」

尻をおさえるレン。


 ネットに残っていた画像より、少し変わっているがレン。女性、小柄、今は結んでポニーテールにしている胸までの黒髪。清楚で大人しい――という評価だったが、中身はどう見てもダンジョンで会ったまんまだな。


「おい大丈夫か!?」

心配顔で駆け降りてきた佐々木一馬。


 こちらはすでに遭遇済みというか、佐々木のおばあさんのお使いで、椿ともども私の家に来たことがある。


「レン、だから……っ。あ、すみません」

こちらも心配顔で降りてきたユキが、途中で私に気づき頭を下げる。


 ユキ。男性、背は小柄というほどでもないが、肩は細い。こちらの方が雰囲気清楚。顔はレンを繊細にした印象――たぶん表情のせいだが。


 ひいらぎ蓮花れんか、柊雪杜ゆきと。柊さんの双子の孫。初めまして、か?


「滝月さん」

レンに手を貸しながら、私の名を呼ぶ一馬。


「滝月? あ、ミチお婆ちゃんの家を買ってくれた人? ――初めまして、柊蓮花です、こんな格好でごめんなさい」

蓮花が草と泥を払いながら、後半少し声を変えて挨拶してくる。


 今更取り繕うとしても手遅れだが。


「初めまして、柊雪杜です。祖父がお世話になっています」

雪杜が丁寧に頭を下げる。こちらは態度が変わらず、一貫して丁寧。


「いえ。色々教えていただいて、私の方がお世話になっています」

私は対外的柔らか目の対応。


「あ。そうか、ここ滝月さんの土地! ごめんなさい、子供の頃遊んだ場所で懐かしくって入り込みました」

勢いよく頭を下げる蓮花。


 3人の子供の頃は、上から下まで親戚の土地。入り込んでも危ないことさえしなければ叱られず、いい遊び場だったのだろう。


「すみません。こいつら引っ越してきたばかりで、俺が気づいて止めるべきだった」

頭を下げる一馬。


 いや、あんたも私が越して来るずいぶん前から町で一人暮らししてなかったか? 女遊びもやめたようだし、もしかしてイレイサーに初恋でも拗らせてたのか? 


 イレイサーが幼い頃はここに住んでいたこと、柊家と佐々木家の距離的に、椿も合わせて幼馴染だよな? 年齢は揃ってないが、歩いていける範囲に他に家もないので、子供もいないだろうし。


 強いて言うなら、私が土地を譲ってもらった柊さんの妹一家があるが。


「いえ。一馬さんには草取りでお世話になりましたし、山歩きくらいご自由に」

山でデート……いや、雪杜もいるから違うか。


 そっと一馬を前面に立てる。草取りアドバイスの礼に、山歩きを許すのは一馬のお陰にしてやろう。ついでに、一馬が責任者ってことで。


 レンが秘密基地を作るとか言い出さん限りは、入ってもらっていいぞ。定期的な無料巡回人ゲットだと思えば。子供がフラフラしていたら事故った時に責任問題になるだろうが、この3人の年齢ならそれもないだろうし。


 無断山菜採り、無断狩猟の罠仕掛けとか話に聞くし。


「草取り?」

不思議そうな顔をして一馬を見る蓮花と雪杜。


「……草取り?」

一馬本人もピンときていない顔。


 私には大変有要なアドバイスだったのだが、草取りマスターにとっては何でもない一言だったようだ。


「まあ、ではお気をつけて。柊さんによろしくお伝えください」

あまり関わりになるのもあれなので、さっさと離れる。


「よくわからないけど、一馬の日頃のご近所付き合いのお陰だね!」

前向きな蓮花のまとめの声を背に、沢登りを再開。


 見えなくなるくらいまでは、散歩を装って歩いたが。3人に許可を出したことで、もしかしたら山の中で遭遇するかもしれなくなった。


 別に見られても構わんのだが、引きこもりの身としては、一人の時間に予期せず人に会うこと自体気が重い。暑くなるし、沢歩きは早朝にするか。だが、早朝は草取りの時間……。


 翌日、一馬が家に来た。草取りに。

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