第56話 素材
個人ブース区画の通路を行く。待ち合わせの場所はアイラさんのブース、この区画はそう広くないのですぐだ。
ツツジさんのブースは様々な物が出しっぱなしになっているため、集まることに向いていない。私のブースと違って、広いのだが。
一方アイラさんのブースは整然と、しかも綺麗に飾られている。皺になりやすい布は天井から下げられ、他は系統ごとに棚に。糸は小さく分けられた大きな棚で色のグラデーションを見せる。
どちらが落ち着くかと言われれば、カラフルで華やかなアイラさんのブースより断然ツツジさんのブースなのだが。
「お邪魔する」
ノックをしてドアを開く。
「だって、絶対ワイシャツ姿で生産をしているのよ? ネクタイはポケットに入れてるのかしら、肩にかけてるのかしら? それとも外して、ボタンも外してたり……」
「……」
開けたとたんツツジさんの大きな声が耳に飛び込んできた。
ブースの主の、アイラさんと目があったが扉を閉めた。
ノックして、返事があってから入るべきなのだが、今日のようにツツジさんが興奮気味に大きな声で話していることが多く、ノックが聞こえない――という理由で返事を待たずに開けてしまっていい許可を受けている。
そして時々、今日のようにしょうもない話を聞くはめになるのだ。防音がかかっているため、ドアの前で耳を澄ましても物音が聞こえないので、タイミングを見計らって入るということも難しい。
防音は外での防音と同じ物ではなく、個人ブースを囲むパネルに『付与』されているもの。構造的なものではなく、能力的なものだ。
中の音が漏れることも、外の音が中に入ることもない。例外が、ドアの『ノック』と、それに対する『返事』。うちのダンジョンとイレイサーのダンジョンをつなぐ扉と一緒だ。
「ごめんなさいね」
中からドアが開いて、アイラさんに招かれる。
ツツジさんはブース内で最大限に距離を取った物陰に配置している。なかなか穏やかなコミュニケーションを取ることが難しい人物だ。事務的なもの以外、取れなくとも困らんが。
すでに用意されていた3つ目のカップに、コーヒーが注がれる。
「コーヒー?」
「頂き物よ、お裾分け」
アイラさんが語尾にハートがつきそうな声で言って、ウィンク一つ。
鷹見さんかな? 私ももらったことがある。コーヒー豆は珍しく、結構値が張る物だ。気に入ってしまい買っているのだが、いつでも手に入るというものでもなく――ダンジョンででないかな?
「いい香りだ」
せっかくなのでしばしコーヒーを楽しむ。
アイラさんがツツジさんの分を運んで行った。もう私のそばに呼ぶことを諦めているらしい。
「さて。見せるのはあちらの机の上でいいか?」
広い作業台を目で指す。
おそらく生地を広げ、裁断などをする場所だ。
「ええ。どんな素材なのかしら? 楽しみだわ」
立ち上がって作業台のそばに移動。
ツツジさんも作業台の見える物陰に移動。そこで素材の判断ができるのか?
「アイラにはこちらを。ツツジにはこちらだ」
『平織りのロータス』『綾織のロータス』『朱子織りのロータス』『スーパーファインメリノウール』『17ミクロンのウール』『ダブルツイスト糸』『光のカシミア』『闇のカシミヤ』『風のカシミア』。この辺りは布と糸。
『光の角豚の皮』『闇の角豚の皮』『火炎鹿の皮』。こちらは皮。
「『火の角豚の皮』もあるが、確かこのダンジョンでも出たな?」
皮や革は市のダンジョンとドロップが被る物もあり、かつ、私のダンジョンはスライム以外は丸のまま落ちることが多いので、偏った。
「なにこれ……。ロータスなんて治癒の効果が上がる布じゃない? それにこの糸……」
生地を撫で、糸を触り、アイラさんが驚いている。
物陰で落ち着きのないツツジさんのために、私はコーヒーを飲んでいたテーブルに下がる。
ダッシュで作業台に行って、皮を確かめ始めるツツジさん。
「これ、かなりランクが高い! 45……いえ、もっと」
「46層と47層、鹿は50層だ」
コーヒーを飲みながら答える。
「いくら!? 全部買い取る! 『火の角豚』もあるなら、そっちも! ここのダンジョンの層より深い! 絶対品質もいい!」
「アタシも全部――といいたいところだけれど、これだけあるとすぐには用立てられないわ」
ツツジさんがまっとうな興奮の仕方をしている。
「今回、代金はいい。代わりに手が空いたら、もっと深い層に行ける装備をお願いしたい」
妙な感想を抱きながら答える。
「え? オオツキさんが狩って来たの?」
「ああ。二人の手が空くころには、運が良ければもう少しいい素材を提供できると思う」
ちゃんと皮をドロップしてくれれば。
ダンジョン内で解体すれば、能力を保ったままの皮が手に入るのだろうが……。さすがにそこまで自分で管理できんので、食材確保優先で行く。
「そういえば、その服もダンジョンの攻略を始めるから頼まれたんだったわね?」
「ここだけの話、どことは言わんがダンジョンができてな。面倒なのでそれは、ごく限られた人たちしか知らない。2人が知っている人物でいえば、知っているのは鷹見さんと藤田さんくらいだ」
限定しているように聞こえて、他にも知っている人がいることを匂わせる。
実際レンとユキのイレイサー2人、同じ協力者のテンコは知っているので嘘ではない。おそらく、その他の人物と一緒にダンジョンを攻略していると誤解するだろうが。
買えば手に入る
2人とも、こっちを見て話しながらも、生地と皮をずっと撫でてるので大丈夫なような気もする。
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