第25話 和食屋『翆』
最初に入れた棚と同じような規格で建具屋に追加注文しに来た。
イレイサーとの境の扉を開くと、部屋の中が見えることに微妙に抵抗を感じたので、棚で仕切って見えなくする所存。水道はないが、ホーローの小さな流しも付ける。
ダンジョン内の流しは排水に厚手の袋をつけて、ダンジョンの通路に袋ごと捨てる――らしい。1日すれば消えるからできる所業だ。
棚の運び込みで、筋肉痛再びな気配がそこはかとなくするが仕方がない。寝椅子と絨毯が後回しになったが仕方がない。酒用冷蔵庫が後回しになったが、おのれ……っ!
マアジと丸どりのおかげで、資金はどうにかなりそうだが、組み立てるための場所がな? 順番を間違えてはいけない。棚を組み立ててから、そのほかの家具だ。
建具屋と、家を建てた時に入れた建具の調整がいるかどうかなどの話しをしつつ、つい小さなラックを買う。これに茶葉を入れた瓶を並べたい、ダンジョンの中なら光うんぬんで劣化することもない。
浅い層は雨の日の外くらいの明るさなことが普通で、家のダンジョンも同じく。日の光に弱いものを、見えるように飾る場所としては、ダンジョン1部屋目は最適だ。
コーヒー豆がダンジョンでドロップしてくれるとなおいいが。ダンジョンで産出されるのは日本茶の茶葉が多く、そこから加工して緑茶、番茶、紅茶などが出回っている。
ダンジョンでドロップするものは、その地で馴染みがあったものになることが多いのだ。
新しく入れる棚には、納屋の2階の食器の中から適当に飾るつもりでいる。消えるかもしれないダンジョンなので、一緒に消えてもいい物。気に入ったものは、家に、売るか迷った物はダンジョンにだ。
昼は適当に外食。料理はとくに上手いわけでもないのだが、調味料を揃えているせいで家で作って食った方が美味い弊害が。リーズナブルな価格帯の店は一味足りないと感じるようになってしまった。
店の雰囲気も含めると、それでも外食したくなるのだが。さすがに毎度、高い店に通うのは無理だ。時々鷹見さんの仕事が羨ましくなるが、私に人との折衝はもっと無理だ。
そういえば、鷹見さんが紹介してくれるという店は、明日行くことになっている。楽しみにしておこう。
家に帰り、ダンジョン。アジはまだ復活していなかった……、復活は夜か。さっさと降りて11層。
黒っぽい水溜りから出てくるのは、赤黒い魚。種類を当てる難易度が高いのだが、もうそれは諦めた。それなりに大きな魚だ。
【幻影回避】と【隠形】を使いつつ、日本刀で倒す。苦無を強化する前は、サブ武器として支給品の日本刀を使っていたのだが、もう遥か昔の話だ。だが扱い方を習ったことは習ったので、反芻しながら太刀筋を矯正していく。
で、ドロップだが。
サバでした。『マサバ』『ゴマサバ』『秋サバ』『寒サバ』。いや、レアな顔してドロップしてるが、後半二つは獲れる季節であって、同じマサバではないのか?
色々納得がいかん部分はあるのだが、嬉しいのでよしとする。リトルコアは別として、魔物が落とすドロップは1種類から最大6種類。サバは多いほうか? 秋も寒も同じマサバ扱いなら少ない方だが。
新鮮な鯖だ。刺身もいけるか? 鯖缶というものが昔はたくさんあったらしいが、年長者に聞く限り、普通に水煮にしたものとはまたちょっと違うらしい。味噌煮というのもあるらしく、実は私の一度食べてみたいものランキング上位だ。
上機嫌で11層を進める。
イワシも出た。ドロップは『マイワシ』『カタクチイワシ』『ウルメイワシ』『
イワシは「梅雨の水を飲む魚」。入梅の頃が産卵前でよく太っているからとか、梅雨の雨で森の栄養が海に流れ込んでプランクトンが増えて餌が豊富だからとか、まあとにかく入梅の頃はイワシの一番美味しい季節らしい。
明日の店との顔合わせでは、マアジとアカアジ、ムロアジ、イワシとサバ各種を持ち込むことになりそうだ。
あ。クーラーボックスを買っておくべきだった。
慌ててダンジョンから出て、町のダンジョンへ向かう。すでに暗いが、平日は仕事帰りにダンジョンに寄る冒険者が多く、この時間が一番混み合う。普段は避ける時間だが、おかげでダンジョンの外の店も遅くまで営業している。
無事クーラーボックスと、氷を入れるための厚めの袋を購入。セーフ、セーフ。
そして翌日。鷹見さんとの待ち合わせはダンジョン。
昼に合わせ実際に料理をふるまってくれる話で、午後も仕事の鷹見さんには悪いがどうやら少し酒も出るようだ。
生産ブースでカードを【開封】し、クーラーボックスとビニール袋を抱えて、鷹見さんの車で移動。信号待ちを含めて5分かそこらの近さ。
ついた場所は、主要道路から少し中に入った場所。低めのビルに、できたての玄関。上はほかの会社の事務所がいくつかある感じだろうか? そちらとは出入口を独立させて作ったようだ。
鷹見さんはエリートらしい印象のイケメンなのに、卵と丸どりの入ったビニール袋を下げている。なんともミスマッチ。
まだ暖簾もかかっていない玄関に入ると、店名なのか「翠」と書かれた路地行灯が一つ。もう一つ引き戸を開けて、すぐにカウンター、奥は個室か? この間の天ぷら屋といい日本食系の店でよくある造りだ。
む、日本酒の並ぶ冷蔵庫発見。ラベルが見えるようにディスプレイ? いいな、中身ごと欲しい。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、お待ちしてました!」
鷹見さんが声をかけると、娘さんがにこやかに迎えに出てきた。まだ若いが子供ができたと言う娘さんだろうか? 明るい笑顔の人だ。そして後からのそりと仏頂面の親父が出てきた。
「……」
無言、眉間に皺。
「お父さん……っ」
「ああ、こんにちは。すまないな」
娘に肘でつつかれ、何か切り替えたのか挨拶してきた。
どうやらこの取引をあまり望んでいないけれど、仕方なく、のようだ。
「はーーーっ」
ため息を深くついて、背筋を伸ばしこちらに向き直る親父。
「すまん、今まで海で獲れた物を自分で目利きして入れたんでな。こっちに越してくることを選んだのは自分だってのに、嫌な態度をとった」
きっぱりと頭を下げてくる。
「いえ。一度、越してくる前の料理を食べたかったですね」
出てきた時はあれだったが、割と好印象。
それにしても天然物の刺身か。もちろん自然の物は育つ環境によって当たり外れがあるが、当たりの旬の魚はとても美味しい。私、やっぱり海辺に越すべきだったろうか……。いや、肉も好きなんだなこれが。
「
「
「滝月要です」
改めて挨拶しあう。
「他に姉の
娘さん改め、菜乃葉さんが説明してくれる。
「さてでは、肝心の魚を見ていただきましょう」
鷹見さんの言葉で本題に入る。
「どこに置けば?」
傷のない真新しいカウンターにクーラーボックスを置くのは躊躇われる。
「こちらに」
「運ぼう」
菜乃葉さんが先導し、はじめさん――親父でいいか――がクーラーボックスを持ってくれる。
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