ピリ辛ホットライン

オオツキ ナツキ

第1辛 シシトウへの愛情

 辛さは取り扱い注意である。そんな基本的なことさえピリカの頭からぽっかりと抜け落ちていた。究極的に突き抜けた辛さは、うっかり目に入れば失明、肌に触れただけでも炎症を起こす危険性がある。調理時にはゴーグルと厚手のゴム手袋が欠かせない代物しろものも世の中にはあるほどだ。


 もぎとったばかりのシシトウをピリカはそのまま手のひらに乗せて、優しく撫でてみたり、指で転がしてみたりして、丹精込めて育て上げたシシトウとの楽しいひと時を過ごしていた。


  春に植えてから数ヶ月。ようやく実ったものだった。見れば見るほどに可愛く思えてくる。市販のものよりも形はいびつで、ぷっくりと膨らんでいても関係ない。危険性なんてこんなシシトウごときにあるはずがない――と思っていた。


 お店で見かけるシシトウは、唐辛子に似た細長い形をしている。ピーマンのような緑色で、辛さよりも苦さを感じる点でもピーマンに近かった。色合いは地味だし辛さもいまいち物足りないけれど、まだまだその辛さには伸びしろがあるらしい。


 育てる過程でシシトウがストレスを感じると異常に辛くなる……とあったのだ。


 ピリカはシシトウの苗を手に入れて、陽のあまり当たらない裏庭の一角にシシトウを植えておいた。ここで実験してみよう。シシトウにストレスを与えてみるのだ。


「はぁ……」


 毎日わざとらしく溜め息をついてみる。


「バーカバーカ。中身空っぽー」


 思いつく悪口を浴びせてみる。馬鹿にした変な顔をしてみたり、わざと大きな物音を立ててみたり……。


 自分がされて嫌なことは相手にしてはいけない――実はあんなルール、誰も守っていないのだ。見えないところで好き勝手にやっている。それに相手は友達でも家族でもなく、そもそも人間でもない。お野菜だ。


 普通のシシトウだったらわざわざ育ててまで食べてみようなんて思わない。スーパーに並んでいるものを買ってもらえばいい。辛いからこそ食べてみたい。辛くなるからこそ数か月ものあいだ、じっくりと成長を見守ることにしたのだ。


 そんな欲望に駆られて始めたことだけれど、せっかく大きくなるのなら立派に辛く育ってほしいと願うようになった。

 手厳しくしているのは自分のためでもあるけどシシトウのためでもある。嫌がらせではなくて愛情だ。誰にも食べられなくてただ冬を待つシシトウに降り積もる雪――想像しただけで可哀そうだ。


 それらしい免罪符めんざいふがあると、心のどこかに抵抗があって踏み切れなかったハラスメントにも拍車がかかってくる。

 直接的に馬鹿にするような子供っぽい悪口から、もっと精神的に傷つくような大人なやり口へとエスカレートしていった。


 ピリカは近くでトマトを育てることにした。シシトウの目の届く範囲にわざわざプランターを置いて、毎日欠かさずに程よく、水を惜しむことなく与えた。もちろん優しい言葉もかけてあげた。陽も当たり、トマトは気持ちよさそうにすくすくと育っていった。


 その一方で、シシトウには「赤くならないあんたなんかにあげる水なんてないから」と薄ら笑いを浮かべながら吐き捨てて、目の前でジョウロに入った水をじゃばじゃばと捨てた。雨の日は不要になった父親の傘をそばに立ててやり、雨水も含めてほとんど水は与えなかった。地面はいつもひび割れていて、色褪せて落ちた葉が風で転がっていった。


 そうした並々ならぬ愛情ストレスを注がれたシシトウは、今にも落ちそうな縮こまった葉の影に、一つだけ深い緑色をした実をつけた。まったくツヤはなく、スーパーで売られているものに比べて小ぶりだけど丸みがあった。表面がよじれてできたくぼみが影を作り、ムンクの叫びのような恨めしそうな表情にも見えてくる。


 ハバネロの辛さを超えてくるかどうか、やっぱりシシトウ程度なのか……それは食べてみないと分からない。緑色のシシトウはそこまで辛くなさそうだ。


 キッチンの棚から背伸びをして取り出したミキサーは埃をかぶっていた。唐辛子入りのバナナジュースを作ったのは遠い昔である。

 軽く水ですすいでから、シシトウだけを入れてボタンを押す。ガガガと大きな機械音を立てて、刃が回転を始める。

 スイッチを押し続けるとシシトウは細切れにされていき、内部で跳ねるように舞っていた。


 スイッチから指を離してから蓋を開けて中を覗いてみると、熱気と湿度を含んだ湯気があがった。パサパサとした黒い粉末のようなものが壁面にへばり付いている。


 小指でそろりとその粉に触れてみると触れた皮膚がじんじんと温かくなってくる感覚があった。


 匂いを嗅いでみる。鼻につくような変わった刺激は特には感じない。


 そのまま、ぺろりと舐めてみた。


 バチンッ――


 舌先に指が当たったその瞬間に、全身に電流が駆け巡った。ピリカは力が抜けてしまい、すとんと膝から崩れ落ちる。


 あれ? 力が入らない……。


 視界が歪んでいく――目の前の色が滲んで溶けていった。


 びりびりと身体が痺れたように動けないまま、まぶたを開けることさえもできなくなり、そのまましばらく固い床に横たわっていた。


 お母さんが帰ってくるまでに早くと片付けないと。


 身体は言うことを聞かず、聞こえていた冷蔵庫の稼動音がどんどんと遠ざかっていった。


 ――次に目を開けたとき、そこはピリカの知らない世界だった。

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