七月 ブルー、結晶化する身体

 赤く染まった両手。はあはあと息があがる。額に浮き出た汗を手の甲で拭い、僕はもう一度大きく鉈を振り降ろした。


 "三番"とイエナが呼ぶ、その少年の解体には時間はそんなにかからなかった。殺すのも一瞬だった。ただ、鉈を使うのに体力がいる。ずっと寮の部屋に引きこもっていた僕の痩せた身体にはこの鉄の塊は重すぎた。


 眠っている三番の頭に鉈を振り下ろせば、うっという呻き声とともに、果物のように真っ二つに割れたその頭蓋からとくとくと赤い血液と、どろりとした脳漿が流れ落ちた。途端にひどい吐き気がして、トイレで嘔吐する。ぶちまけられた夕食と胃液の酸っぱい匂いにくらくらするけど、どうにか自分を落ち着けて、寝室に戻り、死体に向き合う。僕がたった今殺した死体。


 イエナから受け取った三番の写真には、茶色い髪を短く切った、目のぱっちりと輝いた少年のあどけなく笑う姿が写っていた。その目は今は光を失い、濁ったまま天井を見つめている。


 名前も、声も、なぜブルーを摂取するにあたったのかも全く知らない、僕と同い年ぐらいの少年に対して、なんの感情も興味も持たないようにと意識した。考えてしまえば止まらなくなる。ただ見つからないよう仕事を終えてイエナの元へと帰る、それだけを考えなければ。


 何度か振り下ろすと、傷口から青い光が溢れ出した。


 半分くらい結晶化した心臓を取り出し、麻袋にしまう。

手と顔を洗面所で洗い、血に塗れた上着を脱ぎ、部屋を出た。


 路地裏に止めた古びた青い小さな車のトランクを開けて麻袋や鉈、上着を放り込んで閉じる。まぶしさにふと、見上げると満月が僕を照らしていた。


 森へと車を走らせる。すれ違う車に乗った人たちは、いま僕が殺人を犯してきたなんて誰も思わないだろう。それなのに、胸はばくばくと脈打ち、冷たい汗が背中を伝う。


 なんとか森の近くまで来て、目立たない場所に車を停める。周りに誰もいないことを確認して、トランクから荷物を取りだし、イエナの元へと向かった。森の木にはよく見るとちいさな傷がつけられていて、それを目印にすると廃墟にたどり着けるようになっていた。夜の森は不気味にざわめき、鳥の声が僕を責めるように響いている。


 廃墟まで来ると僕は月明かりを頼りに螺旋階段の下へと向かう。そこには密かに隠された地下への道があり、コンクリートブロックのひとつを外すと現れる。その先の空間で僕たちは暮らしていた。


 階段を降り、現れる古ぼけた扉を開ける。僕はほっと息を吐く。


 「おかえり、ジュード」


 イエナはバスルームにいた。つめたいタイルの床に座り込んで、僕に微笑む彼女の右腕は、足元に転がるナイフでつけたであろう切り傷だらけで、赤い血がだらだらと流れていた。どうやら"儀式"の最中だったらしい。

 

 すえた匂いが充満したバスルーム。白いバスタブの中には白骨死体――イエナの"パパ"と腐った花々が真っ赤に染まったどろりとした液体に浸かっていた。その液体にイエナは血に染まった右腕を浸す。僕は麻袋からさっき回収した結晶化した心臓を取り出し、バスタブに投げ込む。結晶の青い光が一瞬バスルームを照らしたけれど、すぐに赤い水面に飲み込まれて見えなくなった。


 イエナのその儀式をはじめて見たときは動揺したけれど、彼女が言うにはパパへの忠誠を誓う行為であるらしいのだ。パパという存在が果たしてどんな人なのか、そもそも彼女の本当の父親なのかさえ、僕にはわからない。彼のためにイエナはブルーを集めている。僕がイエナを慕うように彼女も彼を慕っている。わかるのはそれだけだった。


 僕はバスルームの隣にあるシャワー室で身体と鉈を洗い、寝室に向かう。儀式を終えたイエナはベッドに腰掛けていた。その右腕はまだてらてらと赤く湿っていて、痛々しく見えた。


「イエナ、」


 僕はイエナを抱き寄せる。ひどくつめたく細い身体。イエナは黙って僕を見つめ、その陰った宝石のような瞳に僕は泣き出したいような気持ちになる。僕の、ひかり。僕の、かみさま。


 口付けを交わし、ベッドになだれ込む。イエナの首筋からは花の匂いがして、頭がくらくらする。絡み合う白い指先。合わさる吐息。彼女からは体温を感じない。唇を啄みながら、イエナがちいさく笑った気がした。


 クローゼットの暗闇の中で、母さんの喘ぎ声を聞いたのはいつだったか。母さんの客がやって来るたびに、僕はせまいクローゼットに隠されて、その中で耳を塞いだって聞こえてしまうその声や音に怯えていた。息を殺して、永遠に感じるようなその時間を僕は時々思い出す。

 

 イエナの下腹部には白い傷跡があって、それはパパが子供を産めないようにしてくれたの、といつか彼女は言った。


 白く豊かな乳房、細くなだらかな腰、すらりとした足。折れそうな手首には乾いた血液がこびりついている。長いまつげを伏せて、横たわるイエナの身体はまるで絵画のようにうつくしくて、僕はぼんやりとそれを眺めていた。行為が終わるたびになんとなく、死んでしまいたい気持ちになってしまうのは何故だろう。僕の欲望を受け入れた彼女は、いつの間にかちいさな寝息を立てて眠ってしまった。

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