3

 青白い肌。気弱そうにうるんだ黒い瞳。同じ色のすこしはねた髪の毛。まだあどけなさの残る十二歳くらいの少年の顔。


「ハルはとってもかわいいわ!」


 モニカが渡してくれた鏡を覗き込むぼくの隣で、エデンがきらきらと笑う。いきなりほめられたので、照れてしまって顔が熱くなる。


「なにか思い出した?」


 モニカががさごそと別の部屋からなにかを運びながら尋ねて、ぼくは首を横に振る。


 鏡の中の自分に見覚えはなく、はじめて会ったような感覚だった。ぼくは小さくため息をつく。


「ハル、昔のこと、そのうち思い出すかもしれないし、思い出さなくても、せっかくエデンたち会えたんだから、一からいろんな思い出つくったらいいのよ。きっとそのほうがたのしいわ」


 落ち込むぼくを見て、エデンはぼくの髪を撫でながら、そう言って微笑んだ。エデンの言葉に胸がほわりとあたたかくなる。


「エデンの言う通りかもしれないね」


 モニカもそう言って微笑み、丸まった大きな紙を窓際の机に広げた。


ぼくとエデンは立ち上がって覗き込む。


「これがアエテルヌムで、ここがカエルレア教会」


 紙の正体は古びた地図だった。

大きく描かれた周りを海に囲まれた、いびつな菱形のような形をした島。モニカがなぞるその北の端、そこが僕たちのいる場所だった。


「アエテルヌムはおおまかに五つの区画にわけられていて、師匠…ツルギは四区の区長を務めてるの」


 名前を呼ばれて、窓際でぼんやりと煙草をふかしていたツルギはへらりと笑って手をあげる。

四区というのは教会の位置するすぐ下の地区らしい。


「そして、これが聖典。かみさまのことが書いてある」


 ちいさな、でも分厚い本をモニカが僕に手渡す。

深い青の表紙には無限を描くような形のリボンと花の模様が入っている。何度も読まれたのだろう擦り切れて、ところどころ色が変わっていた。


僕はぺらりとページをめくる。


『すべてのいのちは聖なる海から生まれ海に還る――死した魂は海の向こうでかみさまの手によってあたらしいいのちへと生まれ変わるのである――』


『かみさまはうつくしい少女の姿で、すべての傷や呪いを癒し、またあたらしいいのちを生み出す聖なる青い血液を持っている。かみさまは争いを嫌う。差別、侮蔑、虚言を嫌う。絶えず祈りを捧げ、水のように澄んだこころを持ちつづければ、かみさまに愛されたその魂はすべての罪を赦され、永遠に滅びることなく生き続けられるだろう――』


「ね、聖典のかみさまはエデンそのものでしょ」


 モニカが言う。ぼくはうなずく。

聖典を読んだ後だとエデンの姿は、より神聖なものに見えてぼくは目を細める。


「もう!違うってば!エデンはふつうの人間よ、ただ血が青いだけなのに…!」


 青い血を持つうつくしい少女――そのものであるエデンがそう叫んで、ツルギが笑い出す。


「ははは、ふつうの人間かあ」


煙草の煙を吐きながら、ツルギはぼくたちを見ながら言った。


「もしかしたら、かみさまがふたりいっしょに生まれ変わらせたのかもしれないな――エデンちゃんはきっとかみさまに特に愛されて、きっとかみさまとおそろいの青い血をプレゼントしてもらったんだ」


「そんなこと…」


モニカがなにか言いたげに口をつぐみ、困った顔をする。


「そうね、きっとそうだわ!」


 エデンはツルギにぴょんと抱きつき、うれしそうに笑う。ツルギはすこし照れくさそうに頭をかいて、そして真剣な顔をして言った。


「エデンちゃんがかみさまか、かみさまじゃないかはどちらでもいいさ。俺たちのすることは変わらない。ただ信じて、祈って、真っ直ぐ生きて死ぬだけだ。それに他の奴らにかみさまみたいな女の子がいることを知られちゃまずいだろ」


「それもそうね…ブルーのこともあるし…」


「その…ブルーっていうのはなんですか?」


 尋ねたぼくに、いい質問だ、と言わんばかりの顔をして、ツルギはにやりと笑った。


「ブルーっていうのは『かみさまの血液』とも言われている青い物質さ。結晶の形をしている。一種のドラッグのようなものだね。摂取すると傷の治りが早くなる、病気が治る、身体能力が上がる、とかいろいろ言われているけど詳細は不明。俺はそもそもそんなことあるはずもないと思っている」


白い煙を吐きながら、ツルギは続ける。


「そして変なことに、大人には効かないらしいんだ。だから最近だと、病気のこどもがいる親に高値でブルーを売りつけたり、あとはこどもにブルーを摂取させて、無敵の兵士――つまり、ちょっとやそっとじゃ傷つかない、犯罪行為をさせるためのこどもたちを作ろうとしている奴らがいるみたいなんだ」


「かみさまの血液、ってことはつまりエデンの存在を知られてしまったらその人たちに狙われるってことですか…?」


 そう言ったぼくに、ツルギは手を銃のような形にして言った。


「そう、そのとおり!だから、申し訳ないんだが教会の敷地外には出ないでくれよ、エデンちゃんはもちろん、ハルもしばらくは、な」


「はあい」


 エデンがつまらなそうに返事をしてベッドにたおれこむ。


「そういうことだから、ハルにはこれから、ここカエルレア教会で暮らしてもらうからよろしくね」


 モニカがスカートを広げて、ぺこりと頭を下げながら言う。


「あらためて、あたしは教会のシスターを務めるモニカ・シアン。よろしくね」


「四区の区長、司祭、あとはこの教会の管理とか孤児院とか…まあとにかくいろいろやってるツルギ・アナニア。いつもは四区にいるが、たまに教会に顔出すから覚えてくれよ」


 ツルギもそう続けて、手をあげる。


「教会の外に出れないのは退屈だけど、ハルがいるからこれからはたのしくなるわ!」


 エデンがそう言った。きゃっきゃっと高い声でうれしそうに笑いながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る