第27話 Worlds end(1)
「八雲さん、今日は一緒に帰りませんか?」
伊月が帰り支度をしていると、凛音がそう声をかけてきた。席を立ち、スポルティングバッグを肩に担いでいた伊月は「え? うん、大丈夫だけど」と頷く。
凛音がこの高校に転校してきてからそれなりの月日も経ち、最初の頃のような混乱に近い状況は無くなっていた。それでも凛音が非常に人気のある生徒というのは変わりなく、注目の的であった。
その凛音が下校の誘いを伊月にかけてくるのは非常に珍しかったので思わず驚いてしまったが、伊月が頷いたのを見れば「ありがとうございます」と凛音は嬉しそうに微笑む。その微笑みで大抵の男は落とせるに違いない。
「珍しいね、雨宮さんから誘ってくれるなんて。途中までで良ければだけど」
「いえ、前々から八雲さんには尋ねたいことがありましたから。今日こうして誘ったのも、それを聞きたかったからなんです」
教室から廊下、そして生徒玄関で靴を履き替えて校門を一緒に通りながら、二人はそんな会話を交わす。伊月は「尋ねたいこと?」と思わず声に出していた。
「はい。まあ、それほど大したことではありませんが……」
(雨宮さんが私に聞きたいことって何だろう? 勉強……じゃないよね。雨宮さん、成績もトップだし)
と八雲が考えを巡らせていると凛音はクス、と悪戯っぽく笑った。そして隣を歩く伊月の顔を覗き込むようにしながら、凛音は伊月にこう質問した。
「単刀直入に聞きますが、八雲さんはシツツメさんに対して特別な感情を抱いていますね?」
「──あ、雨宮さん!? 一体全体、何を言っているのか分からないんだけど!?」
凛音の質問に対する伊月のその反応は、答えを言っているようなものだった。更に伊月の顔は赤くなっており、視線は見事なまでに泳いでいる。凛音は「分かりやすいですね」とおかしそうに笑った後、言葉を続けた。
「いえ、八雲さんをからかっているつもりはありません。八雲さんのシツツメさんに対する言動を見ていれば、特別な感情を抱いているというのは簡単に分かりましたから」
「か、簡単に……いや、でもそんなに分かりやすいのかな、私……」
真っ赤になった頬をむにむにと撫でながら、伊月は自分のシツツメに対する言動を思い返す。思い返してみて、確かに分かりやすいなと気づいた。となれば、自分の感情もシツツメにとっくにバレていると思ってもいい──伊月は無性に恥ずかしくなり、肌寒い季節になってきたというのに、体温が急激に上がっていくのを感じていた。
そんな中、伊月にある疑問が浮かんだ。それは何故、凛音がいきなりこんなことを質問したのか、ということだ。
(もしかして、雨宮さんも……? 雨宮さんがシツツメさんに興味を持っているのはダンジョン攻略のためだからで、恋愛感情とかそういうのじゃ……でもそれは、私の勝手な思い込みだとしたら……)
突然の出来事が重なりすぎて、伊月の頭は思考を巡らせすぎてクラクラとしていた。その伊月の様子を観察するように見ていた凛音は、「なるほど」と呟いた。その呟きは伊月の耳には届いていない。
「八雲さんにとって、シツツメさんは大切な人なんですね。でもそれは、シツツメさんにとってもそうだと私は思いますよ」
「あ、雨宮さん、今日はいきなりどうしたの? 私、色々ありすぎて混乱しかかっているんだけど」
「気にしないでください。それを確かめたかっただけですから。それに私がシツツメさんをどうこうしようということは無いので、ご安心を」
「何だかからかわれているだけのような気がするんだけど……」
伊月の呟きに対して、凛音は意味深に笑うだけだった。それがどういった感情での笑みなのか伊月には分からなかった。
そんなことをしている内に、一緒に下校をする時間は終わりを迎えた。伊月は自分が帰る方向を指差して、「じゃあ私はこっちだから」と凛音に言う。まだほんのりと頬が赤いままだ。
「はい、八雲さん。それではまた明日」
「ん、また明日ね。……今度一緒に帰る時は、こういう話題は無しね」
と伊月は釘を刺し、凛音とは別の道を歩いて行く。遠ざかっていく伊月の背中を眺めながら、凛音は懐からスマホを取り出した。それはいつも使用している凛音のスマホとは、別の機種であった。
「利用価値はありますね──やはり使うことにしましょうか。多少強引な手段になりますが、流石にシツツメさんも、重い腰を上げるでしょう」
凛音はぽつりと呟くと、そのスマホを操作して文字を打ち込んだ。その打ち込んだ文章が誰に対して送ろうとしているのかは定かではないが、こう記されていた。
「予定通りに。こちらからの連絡が無い限りは、八雲伊月に手を出すのを禁ずる」──と。
◇
「ちょっと寒くなってきたな……そろそろストーブを出す頃合いか?」
いつものように店内のカウンター奥にある椅子に座り、文庫本を読んでいたシツツメはその文庫本を閉じると、少し寒そうに両手を擦り合わせた。店内に客の姿が見えないのもいつも通りだが、この肌寒い中では余計に買い物をする気も起きなくなるだろう。
シツツメは座っていた椅子から立ち上がり、いそいそとストーブを引っ張り出したものの、肝心の灯油を切らしていたことに気づいて、やれやれと溜息を吐いた。
「……仕方ない、ちょっと買いに出るか。こう冷えると、店内にいるのも辛いからな」
シツツメがジャケットに腕を通し、灯油の買出しに行こうと思った時、戸が開いて暖房の効いていない店内にやって来た人間がいた。シツツメが目をやると、そこには制服姿の凛音が立っていた。どうやら一人でシツツメの所にやって来たようだ。
「こんにちは、シツツメさん。……お店の中、少し寒くないですか? 客足も遠のきますよ」
「言われるでもなく、遠のいているんだよ。この店内にいる俺もしんどくなってきたから、今から灯油を買いに行こうとしたところだ」
凛音の言葉に、シツツメはストーブを指差しながら答えた。そのストーブにちらりと目をやった凛音は、店内を見渡す。自分の他に人がいないのを確認しているようにも見えた。
「ああ、客はお前だけだよ。今から俺もちょっと出るから、買い物ならその後にしてくれ」
「なるほど、私だけですか。なら丁度良かったですね」
「何が丁度良いって? ダンジョンの攻略の件なら、もう諦めたと思ったんだがな。しばらくそっちから言うことも無かったからな」
シツツメはそう口にする。凛音が転校して来て、そしてこの街のダンジョン攻略のため、シツツメに協力を仰いでいたが、ここしばらくは凛音からそのアプローチは無かった。シツツメ本人に、凛音に協力するつもりがまったく無いというのが大きいのだろう。それに関しては凛音の方でも理解しているはずだった。
だが凛音はそれを理解した上で、「諦めてはいませんよ」と笑った。その笑みがどこか悪意を感じられるものだったので、シツツメは思わず顔をしかめる。
「シツツメさんには何度もお願いをしましたが、頑として首を縦に振ることはありませんでしたからね。私としてはもっと別の方法……そうですね、例えば私の体を好きに使って、欲望のはけ口にして貰っても良かったのですが、シツツメさんはそんなことをする人ではないというのは、理解しています」
「……今日はもう帰れ。今の俺は機嫌が悪い」
その発言の通り、損なった機嫌を隠そうともせず、シツツメはそう言った。だが凛音はそう言われても尚、言葉を続ける。
「まあ聞いて下さい。シツツメさんがそういう人だったら、話は早かったのです。でもそういった手段が通じず、シツツメさんには私に協力するつもりは毛頭無い。このままでは悪戯に時間が過ぎていくだけで、私自身も何のためにこの街にやって来たのか分かりません」
「学生なんだから部活動なり、勉強なりしとけ。今のお前と話したくはない」
シツツメは吐き捨てるように言うと、凛音の隣を通って外へと出ようとした。そのシツツメに凛音が差し出したのは、スマホだ。画面が良く見えるような角度で、シツツメの前に差し出している。
怪訝そうにシツツメがそのスマホの画面に目をやると、そこに映っているのは伊月だった。恐らくは下校途中だろう、制服姿で道を歩く姿が撮影されていた。
「……伊月がどうしたんだ?」
「急に話は変わりますが──私、シツツメさんも知っての通り、人気がありまして。この私のためなら何でもするという人間たちが少なからずいるんですよ。それこそ拉致や誘拐、乱暴……その他諸々と」
スマホを引き込み、制服の懐に戻しながら凛音はシツツメに丁寧にそう言った。まるでこれから起こり得ることを説明、あるいは予言をするように。
いきなり伊月の姿が映った画像を見させられたシツツメだったが、凛音のそれを聞いて表情が一変する。シツツメの右手は硬く握り締められていた。
自分の言おうとしていることを理解したであろうシツツメに、凛音はこくりと頷く、
「シツツメさん。私も本当はこういった手段は取りたくは無いのですが、このまま平行線を辿るよりは……と思いまして。八雲さんとは仲良くさせてもらっていますし、心が痛むところではあるのですが……シツツメさんにその気が無いのですから、仕方がないですよね」
凛音はそう言うと、悲し気な面持ちで首を振る。芝居がかった凛音のその言動は、今の言葉が本心とはかけ離れているということを意味していた。
「お前一体、何を考えているんだ。冗談だとしたら性質が悪すぎるし、今の俺はそれを冗談で済ませられそうにはない」
「冗談でも何でも無いですよ。こうでもしなければ、シツツメさんは私のために動いてはくれないでしょう? シツツメさんはとても優しい方ですから」
凛音はシツツメを煽るように微笑み、自分を睨みつけるシツツメの顔を見上げる。そしてこう言い放った。
「私のために繋いでくれませんか? 異世界への道を」
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