第28話 Worlds end(2)

「異世界への道? ……訳が分からないな。俺に対しての冗談にもならない脅しといい、どうにかなったんじゃないのか、お前」


 シツツメはくだらないとばかりに、鼻で笑う。だが凛音は「いいえ」と首を横に振り、それを否定した。伊月をちらつかせたシツツメへの脅しも、それこそからかっているようにしか思えない異世界への道を繋ぐということも、凛音は真剣に言っているようだ。


「世界各地に存在しているダンジョン。そこに現れる怪物たちが、ただ単にダンジョン内で自然発生しているはずはありません。では彼らは、どこからやって来ているのかと考えれば……」

「異世界から来ているに違いない、か? 面白い考察だ、学会にでも発表した方が良いな」

「考察ではありません。というよりも、そう──私自身がこことは違う世界からやって来た、異邦人ですから」


 凛音は自分の胸に手を当て、シツツメを見上げながらそう告白した。自らこことは違う世界からやって来た異邦人だと言い放った凛音を、シツツメは冷めた目で見ている。そして盛大な溜息を吐けば、店の出入り口を指差した。


「今から病院に行って、心理カウンセラーにでも相談してこい。ついでにしばらく学校も休め。病気だ、お前は」

「まあ、信じては貰えないでしょうね。では証拠を見せましょうか」


 と凛音は言うと、右手の人差し指を立てて、シツツメの目の前に掲げて見せる。心底くだらなさそうにそれを見ていたシツツメだったが、すぐにその目には驚きの色が浮かぶ。

 凛音の人差し指の指先には、ゴルフボールほどの大きさの黒い球体が浮かび上がっていた。その真っ黒な球体は凛音が指先を動かせば、シツツメの眼前にまでふわりと浮かんだ。


「確かめようとして、触らないで下さいね? 削り取られますから」


 凛音は悪戯っぽく注意を促す。目の前に浮かぶ黒い球体は、シツツメの記憶が確かならば凛音の適応者ハイブリッドとしての能力で作り出されるものだ。だがその力はダンジョン内でなければ使用することはできないはずで、それは例外の無いルールのようなものだ。だが凛音はシツツメの前で、適応者ハイブリッドの能力を行使して見せた。

 これがトリックでも何でもないことを、シツツメはすぐに理解する。


「凛音、お前……どうしてダンジョンの外で能力を使える?」

「言ったでしょう? こことは違う世界からやって来た、異邦人だからですよ。元々私がいた世界では、この世界で適応者ハイブリッドと呼ばれている能力をダンジョンの外でも使用することが可能です。勿論、この世界で今みたいに使用したら大騒ぎになりますから、使うことはありませんが……シツツメさんに信じて貰うには、充分だったようですね」


 凛音は驚いたシツツメの表情を見て満足そうに頷き、ぱちんっと指を鳴らした。シツツメの目の前に浮かんでいた黒い球体はぱっと、跡形も無く消えてしまう。予想もしていなかったことに、シツツメは動揺を隠し切れてはいない。


「話を続けましょうか。私がいた世界は、この世界と非常に良く似ているんです。そもそも別の世界からやって来た私が、こうして何の違和感も無く過ごせているのですから。ですが、違うところがあるとすれば──私がいた世界はこの世界よりも発展し、そのせいで成長線の限界を導き出してしまったのです。科学や文化、人口に至るまで。後は衰退するのを待つだけの世界となりました」


 シツツメは凛音の言葉に、馬鹿にするような言葉を挟まなかった。それはシツツメがこの状況をどうするべきか、判断しかねているからだ。


「世界の限界に気づいてしまった私たちは、別の世界を見つけ、その世界に乗り込んでしまおうと考えたのです。言わば侵略ですね。突拍子もない計画だと思うでしょう? ですが私のいた世界には未踏の地は最早無く、ダンジョンすら全て攻略されていました。しかし、いくつかのダンジョンで、私たちの世界で作られたものと非常に酷似した道具や建造物が発見されていたのです」


 そこで凛音はシツツメをちらりと見て、笑いかける。


「もしかしたら、ダンジョンは別の世界に繋がりうる道なのではないか。そう考え、ありとあらゆる調査が行われましたが、その手掛かりは掴めませんでした。まるで何者かに阻まれているかのように。ですが私たちは総力を結集し、ある技術──手段と言っても良いかも知れませんね。それを開発したのです。それは或る限られたダンジョン、その最深部において歪みを発生させ、異世界への道を強制的に作り出すというものでした。言わば、転移と言ってもいいでしょうか。そしてその莫大な労力と時間をかけて開発された技術によって、一人の人間がこの世界に送り込まれた」

「それがお前だって言うのか? まるで御伽噺だ」

「ですが、事実です。現にシツツメさんの目の前で、この世界においてはダンジョンという限られた場所でしか使えない能力を、目の前で使って見せました。それが何よりの証拠となります」


 あらかた話し終えたのか、凛音はふっと息を吐いた。そしてこう告げる。


「つまりはシツツメさんには、私たちの世界のためにこの世界との道を繋いで貰いたいのです。その結果としてこの世界は形を変えてしまうかも知れませんが、まあ悪いことではないでしょう。より優れた世界に住む私たちが、シツツメさんたちのいる世界を支配するだけなのですから」

「そんなことを俺がすると思っているのか? 馬鹿げている」

「しないならしないで、八雲さんが犠牲になるだけのことです。この世界の情報を集めるに当たって、ダンジョン配信をしている中で、私のことを盲信する人間を多く集めることができました。その人間の何人かに八雲さんを見張らせています。私の命令ひとつで、人も殺せる素敵な方々です。もちろん、八雲さんを殺すなんてことは命令しませんが。そうですね、強姦をしてもらうぐらいに留めておきます」

「その命令をしたのがお前だと知れれば、どうなるか分からない訳じゃないだろう。お前が今まで得たものすべてが、水泡に帰すぞ」


 シツツメが冷え切った声色で凛音に言うも、凛音はそれに怯えることなく小悪魔のように微笑む。


「その方々が、私の名を口にすることはあり得ません。彼らと連絡を取るのに使用しているスマホは、用意してもらった飛ばしのスマホですから。それに私が死ねと言えば、その場で舌を噛み切るような人間たちです。……八雲さんも、とても可愛らしい方です。見ず知らずの男たちに襲われても、何ら不思議ではないでしょう? そしてシツツメさんは、それを無視できない優しい方です──違いますか?」


 凛音は首を傾げて見せる。その仕草だけ見れば、可愛らしいものだ。だがそこにあるのは、シツツメに向けられた悪意だけである。

 シツツメは何も言わず、ただ拳を握り締めていた。下唇をきゅっと噛み締め、考えを巡らせているようだった。

 そしてその考えが纏まったのか、握っていた拳からふっと力を抜く。


「……ダンジョンへはいつ向かう」

「今からです。早い方がいいですから。シツツメさんの気が変わる前に、済ませてしまいましょう」


 凛音は「分かって貰えて嬉しいです」と言えば、シツツメに頭を下げる。その白々しい対応にシツツメは文句のひとつも言わず、出入り口の戸を開けて外へと出た。


「約束しろ。伊月には絶対に手を出すな」

「私から連絡をしない限りは、八雲さんに手が出されることはありません。それに、私としてもそうしたいところです。八雲さんは、私の大切な友人ですから」

「どの口が言う」


 シツツメは吐き捨てるように、そう呟いた。



 ◇



「おーい、四季。いるかー?」


 スーツ姿の藤村がシツツメ商店の前に車を停め、そう言いながら店内へと入った。だがその声への応答はなく、店内にはシツツメの姿は無かった。ストーブが出されているものの動いておらず、ひんやりとした空気が漂っている。


「四季の奴、この時間には店にいるはずなんだけどな。連絡送っても、既読にすらなりゃしねえし。ダンジョンに入る予定は聞いていないから……おいおい、まさか女か?」


 藤村はテンション高めに独り言を口にしながら、スマホの画面に視線を落とす。そこには「今日の夜、久しぶりに飲もうぜ」という短いメッセージが、シツツメに送られていた。だがそれに対する反応が無いので、こうして店にまで足を運んでいたのだ。


「駅前に新しくオープンした店が良さそうだったから、誘いに来たんだけどなあ。四季には世話になりっぱなしだからな、こういうところで返していかないと……」


 藤村はしみじみと呟けば、戸を閉めて店内を後にした。カウンターの上には、シツツメが読んでいた文庫本がぽつんと置かれている。

 読み手を失った本は寂しげに、ただ時を刻むばかりだ。

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