第26話 管理者(2)
「世界と世界の均衡を保つ管理者の資格……? 俺の
「ああ、君たちの世界ではそう呼ばれているのだね。他にも様々な名称で呼ばれているから、ごちゃごちゃしてしまうんだよ。何せ、同じような能力を持つ者たちが様々な世界にいるんだから」
少女は笑みをそのままに、シツツメの手に重ねた自分の手を動かしていた。ぞわりとした感覚を覚えたシツツメは、ばっと少女の手を振り払うと。少女はやや残念そうな表情を浮かべているが、そんなことはどうでも良かった。
「俺の能力はダンジョン内を繋ぎ、そこを渡るものだ。そんな馬鹿げた力は無い」
「それは君がまだ本質を理解していないだけさ。捉え方をもっと広げれば、君のその力は私と同様に異なる世界と世界を繋ぐことができる。今回に関して言えば、君が探索したダンジョンは他のダンジョンよりもずっと、他の世界との干渉が起こりやすい場所であり、最深部まで潜ったせいで、無意識の内に別世界に渡ったんだよ」
少女が「まあ正規の道を外れたようなものか」と付け足したところで、シツツメの頭にある考えが浮かんだ。少女には自分を殺すつもりはなく、むしろ殺されそうなところを助けてくれた恩人とも言える。だが何の理由も無しに助けることはしない──シツツメは、直感的にそう判断していた。
目の前にいる管理者と名乗った少女、そしてまだ完全に自分でも把握しきれていないこの能力。それらを踏まえた上で、シツツメは少女にこう聞いていた。
「お前──俺を次の管理者とやらにするつもりなんじゃないのか?」
「へえ、察しが良いね。でも、そうだね……半分正解と言っておこうか。まだ自分の能力を把握していない君じゃ管理者は務まらないし、そもそも私が任せることはない。君のことは一種の保険ということで考えているんだ」
「保険だと? 随分と人のことを、そっちの都合で考えているもんだな。助けてくれたことには素直に感謝しているが、面と向かってそんなことを言われれば、気分が悪くなる」
「ああ、怒らないでくれ、シツツメ君。その凛々しい顔が台無しだよ? 君のことを保険と言ったのはね、君が攻略しようとしていたダンジョンに関することなんだ」
自分のことを保険と表現され、きっと少女を睨んだシツツメだが、自分が命懸けで攻略を行っていたダンジョンに関することだと言われれば、喉から出かかっていた言葉を飲み込んだ。少女はくすりと悪戯っぽく笑い、シツツメのことを小さく指差す。
「君が住んでいる街にあるダンジョンは、他のダンジョンに比べても別世界との干渉が起こりやすい場所だ。そしてその干渉はひとつの世界だけではなく、無数の世界とも発生している。そうだね、蓋をした容器に水が入り込んでいるようなものか。その蓋は心許ないものだけど、水はどんどん入り込んできている。そしていつか、その蓋が外れれば溜まった水が一気に流れ出す」
「夜桜市のダンジョンが蓋をした容器で、入り込んでくる水が干渉しているっていう別世界か。その内にダンジョンから別世界の住人……例えば、俺を殺そうとしたような連中が俺たちのいる世界にやって来るってことか?」
「正解。だからシツツメ君には、あのダンジョンでそうならないように食い止めて欲しいんだ。本来ならば私がやらなきゃいけないんだけど、そこにかかりっきりっていう訳にもいかないからね。だけど不完全ながらも、私と似たようなことができるシツツメ君ならそれが可能ということさ」
保険と言ったのは、どうやらこのことだったらしい。管理者としてひとつの場所ばかり見ている訳にもいかない少女は、シツツメにそれを任せようと考えているようだ。
だがシツツメは当然ながら、すぐに「分かった。やろう」とは言わない。少し考えてから、少女に問いかける。
「食い止めるとは言ったが、具体的に何をすればいい?」
「そうだね……言うなれば、人助けかな。あのダンジョンで迷って、死にそうな人間を可能な限り救って欲しい。今回のシツツメ君のように、偶発的に別世界へと飛ばされてしまうことがあるからね。そうすれば当然、考えるし調べる訳だ。「こいつらはどこから来たんだ」、ってね」
「俺たちがいる世界への手がかりを与えるな──そういうことか」
「冴えてるねぇ、シツツメ君。その通りだよ。まあ君の出来る範囲でいいし、君が死なない程度で抑えてもらいたい。君が死んでしまったら、元も子も無いからさ」
「あくまでも管理者として心配、か」
「勿論。あ、でも私は君のことは気に入っているよ。それを抜きにしてもね」
少女は「嬉しいかい?」と首を傾げるも、シツツメはそれに関しては反応しない。管理者としての少女に言われたことをどうするべきか考えていた。
まさかダンジョン攻略者として有名になろうとしていた自分が、こんなとてつもない事態に巻き込まれるとは想像もしていなかったからだ。夢として考えればなかなか面白いのだろうが、ここまで来てしまってはそんなことで結論を出せない。
しかしシツツメは他の人間がこのダンジョンに挑戦し、もし別世界に飛ばされてしまったらと考えた。シツツメのことは目の前の管理者という少女が助けてくれたが、少女の口振りからして手を貸すつもりはないらしい。シツツメにしかできないのだ。
それに今回のことを公表したとしても、信じて貰えるはずもない。そもそもの証拠が無いのだから。
そして大前提として、シツツメは本質的にお人好しであった。そのシツツメが断れる筈も無かった。
「……受けるよ、その話。俺がお前の保険になってやる」
「よし、決まりだね。シツツメ君なら引き受けてくれると思っていたけど。さて、それじゃあ君をダンジョンに戻してあげよう。一番上の階層で良かったかな?」
「そうしてもらえると助かる」
ある種の契約が成立したところで、少女は指を鳴らそうとしているのか右手の中指と親指の腹を擦り合わせていた。だが少女は指を鳴らす前に「あ、そうだ」と思い出したように声を上げる。
「シツツメ君さ、他の人間があのダンジョンを攻略しようとするのを手伝わない方がいいよ。もしくは、そういう話を持ち掛けられたら注意しな」
「ああ、わざわざ危険地帯に連れて行く必要なんて無いからな」
「それもそうなんだけど、いるんだよ。無理矢理にドアを開けて、なだれ込もうとする奴らが。そうなったら、すこぶる面倒だ。頭の片隅に入れておきなよ」
「分かった。世話になった……って言っておけばいいのか?」
「律儀だね、シツツメ君は。もしかしたらもう会うことはないかも知れないけど、達者でやりなよ」
それじゃあね、と少女はシツツメの目の前で手を振って、小気味よく指を鳴らした。
目を瞬いたシツツメは椅子には座っておらず、あの部屋ではなく足元が見えるように照明が設置され、一般にも開放されている夜桜市のダンジョン第一階層に戻っていた。周囲を見渡しても管理者という少女がいた部屋の名残を感じることはできず、全て極限状態で見た幻覚だったのではという気さえしてくる。
(頭がおかしくなっただけ……で済ませられれば良かったんだけどな)
とシツツメは苦笑すれば忘れていた疲労が一気に押し寄せてきて、歩くのも億劫になった体でダンジョンの出口へと向かった。これからやるべきことは山積みなのだが、兎にも角にもまずは風呂に入って寝たい──それしか考えていなかった。
ダンジョンの最深部まで辿り着いたという名誉と引き換えに、シツツメはただ一人秘密を抱えることになった。
◇
居眠りをしていたシツツメは目を覚ますと、一つ欠伸をしてから店の天井を見上げた。懐かしいと同時に、鮮明な夢を見たものだと思いながら、まだ少し重たい瞼を何度か瞬かせる。
(虫の知らせって訳でもあるまいし。それとも……)
考えたシツツメは、小さく首を振った。昔を思い出すなんてまるで老人のようじゃないかと、自分を戒める。
昔を懐かしむにはまだ早いし、何もしていないのだから。
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