第31話
「おそらく強い催眠を長期間に渡って受けていたと思われます。表面に出したことで本人がそれを自覚し解けることもあるでしょうが、陛下達には今しばらく別の寝室を使ってもらった方が良いかもしれません」
「そうか……ありがとう、下がってくれ」
「はい」
魔術師を下げた私室で残されたのは俺達家族とメイドが三人だけ。他のメイドは意識を無くした炉吏子の見張りとして、炉吏子の部屋の前に控えさせていた。勿論その部屋からはあらゆる刃物が撤去され、ペーパーナイフすら置いていない。ふぅ、と息を吐いた父上は、ソファーの背もたれに寄りかかって両眼を押さえた。母上はそんな父上に寄り添い。反対側の手を握っている。俺は向かいのソファーで、掌に爪を立てていた。
トート。死をほのめかす名前。あいつの目は無意識にそれを見付け、そして実行しようとしたんだろう。あぶり出しの殺意。ツォベール伯は炉吏子を、どうせなら国王を殺す刺客にでもしようと思ったようだ。自分に子供が出来て、要らなくなった養女ならば、そんな危険を犯す駒として使うのが良いと。炉吏子は流石にそこまで自分が追い詰められた状況にいるとは知らなかっただろう。刺客として使われそうになっていたなんて。否、実際使われていたのだ。うちの有能なメイド達がいなかったら、父上たちに何もなかったとは言い切れない。
今はそれよりも、憔悴している父上に対するケアが必要か。あー、と声を出して、父上はちょっとだらしない座り方をする。ずるるっと背中を滑らせて。
「まさか従兄弟に刺客を飛ばされるとは、思っていなかったなあ……子供が出来たことを祝福するのに何か贈ろうかとでも思っていたところだったのに、これはきつい。ツォベール、まだ物的証拠がないから動けないが、炉吏子ちゃんに届く手紙を検閲式に……否、もう手紙は送って来ないだろうな。私が暫くの間何事もなく政治に関わっていれば、自ずと失敗を知るだろう。その時の炉吏子ちゃんの扱いが問題だ。それこそ暗殺が疑われる……」
父上の言葉にゾッとする。
ツォベール伯はそこまでするつもりなのか?
ただ捨てるだけでなく、有効活用しようとして、それが出来なければ闇に葬る?
炉吏子を、なんだと、思って。
いや。
何とも思っていないから出来る事、か。
「ねぇヴォロージャ、やっぱり炉吏子ちゃんを王都にとどめておくって、あなたにしか出来ない事だと思うの。炉吏子ちゃんのナイトになってあげることは、出来ない?」
「あいつ自身が守ってるプライドなんですよ。それを壊すことは、多分俺には難しい。幸い今のところ表面上の生活は優等生で通っている。そこに過剰な防衛を与えることは、炉吏子のプライドを傷つける。しかも炉吏子は自分の傷には無頓着だ。血が流れていても平然としている。そう言う奴なんですよ、炉吏子は」
「そうか……強すぎるなあ、それは」
父上がまた息を吐く。
母上は流石に言葉が出ない。
俺だってどうにも出来ない。
父母を殺そうとしている少女と一緒に暮らしていることは、難しい。いくら俺がナイトになろうとしても、炉吏子もまたナイトなのだ。ツォベール伯の、ナイト。ナイト同士の合戦なんて先手必勝以外にないだろう。炉吏子を殺す? それは待って欲しい。炉吏子はまだ何も知らないんだ。知らない事が盾にならない。でも、と思ってしまう。炉吏子は。けらけら空っぽに笑って。その空洞に呪詛を詰め込まれて。辺境伯家との繋がりも断ち切られて、だけど操り糸は、切れていない。リンゴの匂いを嗅ぐたび思い出すのだろうか。その度に、刃物を持って城の中をふらふら歩くのか。解いてやりたい、その呪いを。俺は、お前を守りたいのだから。たとえナイトになれなくても。
――その為にはまず、駒を奪ってしまうしかないだろう。
「俺、炉吏子に話そうと思います」
「ヴォロージャ?」
「炉吏子に自分のした事を話してみようと思います。催眠を掛けられていることも、全部全部話してみようと思う。表面的にでも嫌悪感を植え付けてしまえば、あいつをツォベール伯の所からこっちにもぎ取れるかも知れない」
そうして真っ白になった駒を真っ黒に変えてやる。
蒼褪めた顔を赤くしてやる。
俺は。俺は。
ナイトじゃなく、王子なんだから。
それ以外の方法を、知らないのだから。
炉吏子の部屋に行くと、何人かのメイドがそのドアの前に並んでいた。目の下にクマを作っているのもいる。こく、っと頷くと、彼女たちは少し間隔をずらしてドアの前を空けてくれる。
部屋に入ると、ベッドの上の炉吏子は目を覚まして自分の髪をくるくると遊んでいた様子だった。声を掛けるとぼうっとした目がくるぅりとこちらを向く。意識が戻っているのか分からない所だった。
「炉吏子」
もう一度呼び掛ける。炉吏子は髪をくるくるさせることを止めない。そのうち、ぷつ、ぷつと糸の抜けるような音が響いているのに気付いた。慌ててベッドに近寄り手を離させる。
何本もの髪が、手首まで絡みついていた。いつからやっていたんだろう。幸い毛量が多いので目立たないが、続けていたら流石に禿が出来るだろう。抜毛症、と言う病があるのを俺は知っている。前髪を引っ張るのが癖の俺に、いつか母上が言っていた事だ。ストレスで髪を引き抜く、病。
やっぱりこいつは病にかかっているのだろうか。深い催眠。それはこいつを、損なっている。あの元気な様子が嘘ならば、この様子が本当なのだろうか。
「うちやってんなあ」
ぽつりと呟く言葉が、いやに広く響く。
「獅子身中の虫、ってのか。うち、おとんの言う事何でも聞いて、歯ぁ食いしばって生きてきたつもりやったけど、結局それがヴォロージャ達を殺すために仕込まれたことやってんなあ」
「炉吏子、お前記憶が残ってるのか」
「ばっちりやで。そう言うところもおとんの躾やってんけどな。何も忘れるな。王を殺せ。どうしようもないお前を使ってやる。使えないなら要らない。要らなくされとうなかったから、うちは必死で頷いて、必死で忘れた。それがどんな意味を持つのかも解らん頃から、そう言い聞かされて来た。本当に要らなくなったから王都に流されたんやな。うちの代わりはいるから、もううちは要らんかってんな。隣国との交渉も上々で、争いも特別大きなものは出ない。だったら危なっかしいうちを王都に流刑めいて遊学させ、王に近付かせた方が良い。そしてゆくゆくは。うち、昨日の夜も」
「もう良い。良いんだ炉吏子。お前は悪くない」
「実行犯のうちが一番悪いわ。おとんたちの所為にしたくても出来ひんのが現状やろ。証拠がない。うち一人を始末して――」
俺は炉吏子の口を塞ぐように、その色の薄い口唇にキスをした。
あんず色の両目が流石に大きく開いて、白い頬が真っ赤になる。
白から赤へ。舌を捻じ込んで父上秘蔵の恋愛小説にあったような絡め方をする。
ベッドがギシギシ鳴って、んー、んーっと炉吏子が慌てた。
でもそんなの、知った事じゃない。
ぬめりを持って来た唾液に、はふっと俺は口を離す。
「お前の家族になら、俺達がなる!」
「ヴォ、ロージャ」
「俺が、俺達がお前の家族だ! 一緒に暮らして食事をして、笑い合って! 今までと変わらない生活をお前にやる! 魘されるほどの勉強だってしなくて良い! 俺が、お前を家族にする!」
「何、言うて」
「だからお前は俺の婚約者になれ、炉吏子! ローリィ・ド・ツォベールでなく、浪花炉吏子として! 辺境伯家とはなんの関係もない、隣国の姫として、俺に嫁いで来い!」
九歳から好きでした。
まさかこんなに早く使うことになるとは。
「俺はお前を愛してる!」
炉吏子はぽろぽろ透明な涙をこぼして、俺を見ていた。
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