第29話

 目が覚めたのは偶然だった。他の二人は炉吏子のスパルタレッスンが効いていたのか熟睡していて、金属音に目を覚ましたのは俺だけだったらしい。手洗いかと思ったが室内にあるそれではなく、廊下に繋がるドアに向かっていた。向かいのベッドに炉吏子はいない。

 寝付けなくて図書室にでも行ったのだろうか、ちょっと寝惚けた頭で俺は身体を起こし、スリッパを履いてそっとドアに向かった。炉吏子はもう大分把握している城の中を、すいすいと歩いて行く。


 辿り着いた先は父上たちの寝室だった。よく見れば炉吏子の手にはカッターナイフが握られている。それを鍵穴に突っ込もうとして、出来ないようだった。かちかち、かちかち。金属の鳴る音に俺は目を顰める。何をやっているんだろうと素直に疑問に思ったから、声を掛けようとした。ところで、ぽふっと口を上から押さえられる。

 メイドの一人だった。ふるふる、と頭を振った彼女の次に、またメイドが出てくる。彼女はそっと炉吏子の手に触れて、でも確かな力でその手を鍵穴から離させた。カッターナイフも取り上げられると、ぼうっとした炉吏子がこちらを見る。


 寝とぼけているような、茫洋とした顔つきだった。見た事のないそれに、俺は一瞬ぎょっとする。何をしていたのか聞きだしたかったが、それはメイドの手にしっかりと押さえられた顎で出来なかった。母上がいつか言っていた事を思い出す。戦闘用メイド。確かにこれは、そうなのかもしれない。

 炉吏子は裸足のまま俺の横を擦り抜けて行く。それをまた出てきたメイドの一人が送って行くように後を付けていった。ぷは、とやっと解放された俺は、メイドを見上げる。少し背が伸びて炉吏子と同じぐらいになった俺は、でもまだ成人女性の平均には届かない。膝を付いて跪き、メイドは御無礼を、とまずは謝ってくれた。構わない、と俺はそれを許す。儀礼的な仕種でも、メリハリをつけるには必要だった。それは俺達が王族で、彼女たちがメイドであると言う、絶対的な立場の差を一時でも忘れてしまわないようにするため。

「一体なんだ、あれは」

「……先日ローリィ様のお父上の手紙が届いてから、深夜によくなさる奇行でございます。ウラジーミル様」

「奇行?」

 刃物を持って寝室にやって来るのが、奇行?

 それは暗殺未遂と言わないか。思わずぞっとした後で、俺は訊ね返す。はい、とメイドは視線を伏せたまま言った。だから父上たちは別の部屋で眠っているのだと言う。流石の両親も金属音では起きるらしい。俺と同じだ。

「お医者様に掛かることをそれとなくお勧めしているのですが、ローリィ様は聞き入れて下さらず――こうして私達が寝ずの番を交代して現状を保っている状態です。ウラジーミル様からのお願いでしたら、もしかすると聞いて下さるかもしれません。一度、二度、三度でも、勧めてみては下さいませんでしょうか。城を、王族を守る立場にいる私達からは役立たずな言葉で申し訳ありませんが――」

「否、よく話してくれた。礼を言う。引き続き、父上たちを頼む」

「ではウラジーミル様」

「明日にでも話してみよう。新しい寝室を嗅ぎつけられた時の方が、厄介だ。それにあの顔――正気ではない」

「はい。申し訳ございません。ウラジーミル様」

「構わない。今までよくやってくれた。ありがとう」


 笑ってぽん、と肩を叩くと、メイドはクスリと笑いを漏らす。

 踵を返して俺は四人部屋に戻る。やっぱり二人は眠っていて、炉吏子もすぅすぅと息を漏らしていた。魘されている様子はない。それに少しばかり安堵してから、俺はベッドに座り込んでむうっと胡坐をかく。

 亡霊か何かのようだった炉吏子。何を切っ掛けにそんなことを? 何故、父上たちを狙う? 王位継承権四位。ツォベール伯は三位。父上と俺が死ねば、隠遁しているツォベール辺境伯の王位継承権を飛び越して、自動的に彼が王になるだろう。どうして殺さないの。家族だから殺さない。家族じゃないなら殺して良い。炉吏子にとって俺達は家族じゃない。炉吏子の家族はそれでも、ツォベール伯なのだ。あんな手紙を見せられても。手紙。

 リンゴのようなさっぱりと甘い香り。あれがただの香水じゃなかったとしたらどうだろう。何かの合図で――それが俺達王家の人間を――駄目だ、最初に俺を殺さない理由にはならない。俺だけは違うのかとも思うが、それは驕りと言うものだろう。いくら一番傍にいるからって、そんなことはあり得ない。あり得たら良いけれど、それは無い。多分確実に。その程度で家族になれたら、朝晩を一緒にしている父上たちの立場がない。朝から夜まで一緒に居るだけ。


 否、それは炉吏子にとっては珍しい相手なのではないか? 地方での仕事の多い義父と、自分を認めてくれない義母と。躓くたびに手厳しい言葉しか送って来ない家庭教師たちも。炉吏子にとってはすべてがストレスで、だったらそれがなくなった王都での暮らしは楽しいものだったのではないか。誰もいないから何でもできる。言葉だって素の喋り方が出来るこっちの方が良いだろう。だから炉吏子は、隣の席の俺を、一日で一番長くいる俺を、意識してくれても良いだろう。

 意識。それで良い。意識だけでもしてくれているなら、俺のお願いは聞いてくれるかもしれない。好意だったらもっと良い。恋だったら、もっと良い。

 馬鹿な事を考えるな、ぐしゃぐしゃ頭を掻きむしって、俺はベッドに横たわる。三人分の寝息が聞こえる部屋。暗殺犯のような炉吏子。もしもそれに成功したら。多分彼女も命を絶つだろう。遺される王位継承者は、幼い王子と実力のある辺境伯。世界がどちらを選ぶのかは、目に見えている。どんなに継承権が高くても、俺は子供なのだ。

 或いは傀儡政権。そ知らぬふりをして有能な大臣たちを言いくるめ、国を私する。ツォベール伯はそんな人間だったか。どんな人間だって変わるだろう。まして父上とは城に遊びに来るほどの仲だったのだ。城と言うものが、王族と言うものが、どういうものか分かっている。憧れない訳が無いだろう。食事から着替えまで、なんでも揃っている。辺境にはない何もかもが、ここにはある。


 どっちにしても炉吏子は『無かった』ものにされる。やっと生まれる自分の子供に王位を授けたいと彼が願ったならば、その可能性は大いにあるのだ。リンゴの匂いがした封筒。父上はまだ取ってあるだろうか。非情の従兄弟伯に呆れて捨ててしまっただろうか。リンゴの匂い。明日までに用意しなければ。同じ状況を作れば、きっと炉吏子も自分がどうされているのか分かるはず。


 そして解ったら今度こそ辺境伯家を脱して、俺達の家族になってくれるかもしれない。一緒に暮らしてまだ二か月、出会ってからは三か月。まだまだそんな相手ではないかもしれない。でも、そうなってくれるだろう希望は捨てなくて良くなる。いつかきっと。そうとなれば今日はさっさと寝てしまおう。眠れなくても眼を閉じて横になっていれば疲れはある程度取れる。だが頭が考えるのを止めないので、どうにもそればっかりはどうしようもなかった。明日は寝不足になるかもしれない。泣き腫らした目で登校するのも嫌だったが、寝不足顔で登校するのも嫌だ。回転数を落とせ、俺の脳。

 とりあえず朝はまだ遠い。ゆっくりまだ温もりのある布団に抱かれていよう。それから少し早起きして、二人には二人だけで学校に行ってもらおう。明日はズル休みだ、俺も、炉吏子も。国王の暗殺未遂なんだから、それぐらい使ったって良いだろう。俺は王子、第一王位継承者。そして父母ある子供だ。あの両親を守るためなら、学校なんていくら休んだって良い。頭が悪いわけじゃないんだ、テストさえ受けられればいいだろう。今の優先事項は、炉吏子の事だ。炉吏子が何をされて来たかだ。この王都に、何をさせられに来たのか。遊学? 世間知? それとも、暗殺?

 従兄弟の子供と同い年なら、そんな機会もあるかもしれない。そう思っているのだろうか、ツォベール伯は。

 だが舐めるなよ。こっちだってただの九歳じゃない。

 俺は、王子なのだから。国民を背負う、王位継承者なのだから。

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