第28話

 城の図書室でぴぃぴぃ泣き付かれた炉吏子は、呆れながらもしょうがないなぁと言う体で友人たちに基礎を叩きこんでいった。辞書を引く癖さえつけば大丈夫、公式は暗記するしかないけれどそれも問題に特徴があるから大丈夫。数直線は上下に開いてみると解り易いと言う裏技まで。こっちは、これは、と、ここぞとばかりに炉吏子に頼りまくる二人はどこまで演技なんだろう。

 まあ、ローリィ先生は真摯に向き合い、確認テストが解決したら大いに褒めてくれるので、生徒としても楽しいのはあった。学校じゃあマンツーマンでこんなに和気あいあいと教えられることはない。強いて言えば放課後の学園の図書室だが、そこでもこんなに活発に意見交換するところではなかった。

 二人も分からない所を徹底的に調べ込んで来たんだろう。重箱の隅をつつくような展開が繰り返されている。俺ならうんざりするところだ。だが炉吏子は嫌がる素振りもなく、学友たちを生徒にしている。


 嫌にならないのか、と思わず訊いてみると。

「うちは子供の頃からこんな感じやってん、別に面倒はないで。先生に失望されたよーな溜息吐かれる方が恐ろしかったし、おとんにその連絡されて怒られるのも嫌やったし。それに比べたら教える方に回るのなんて楽しいぐらいや。うちの知識でどこまで行けるかは解らんけど、結構好きやってんで、この時間」

 とのことだった。

 恐ろしかった、とうのは多分本音だったんだろう。緊張状態が続けば入ってくるものも入って来ない。その上授業態度は伯に報告される。怒られる。怒るだけの気持ちはあったのか、ツォベール伯。それも駒として使うのに必要な事だったからだろうか。それでも今は要らないからと追い出した。もしかしたら永遠にそうなのかもしれない。炉吏子はそれに怯えない。ひるまない。悲しまない。表面的には。

 その内側の心って言うのはどうなっているんだろうとは、今回俺たちが揺さぶらないといけない所なんだろう。


 巨大な木のてっぺんで、こいつは背を向けながら立っている。それをずり落としてやる。受け止めてやる。俺達で。俺達の力で、ちゃんとこいつを、受け止める。俺達では危うくても。それでも今の内にこいつに頼るべきところを教えておかなきゃ、崩れてしまう。頽れてしまう。いつか限界が来た時に、そうなってしまう。それは駄目だ。頼れるところがあるのだと叩きこまなければならない。そうしなければ、こいつは。こいつは、ぽっきり折れた木から真っ逆さまだ。くしゃりと割れる。卵のように。卵のままで死んでいく。心が、死んでいく。


 俺達はそれを止めたいのだ、何と言っても、友達なのだから。出来ればそこから発展したいと思っているんだから。少なくとも俺は。俺はこいつの、頼れる相手になりたい。恋、されてみたい。そしたらこいつも家族が出来る。家族が出来たら、危なっかしい所は少し減るだろう。浅はかな考えかも知れない。でも。でも、なんだ。

「ヴォロージャは解らんとこないのん?」

「産業革命の発端が分からん」

「って随分先まで予習しとるやん。進まずに復習していくことから積み重ねになるねんで。はいちょっと戻るー戻るー」

「戻りすぎじゃないか、類人猿は」

「おお、せやな。進むー進むー」

「この辺か?」

「せや、今がここ。前後五・六ページぐらいの予習復習やって、なんか疑問が出たら呼んでや。はい二人は小テスト終了ー」

「げっもう!?」

「ペース早いわよローリィ~、インクで手袋汚れちゃう」

「知らん知らん。大体そろそろ来るで」

「何が?」

「子供たちー、お茶の時間よー!」

「やっぱり来た」

 母上……バックアップなのか趣味なのか分からないことは止めてください……。


 お茶の時間を挟んでやっぱり六時まで勉強を続け、夕食では全員が揃って長いテーブルを囲んだ。友人たちは何とか父母に委縮しないように気張っていたが、それがすでに萎縮の姿だったと思う。場を和ます母上トーク。釣られて口の緩くなる友人たち。今日の夕飯はラムステーキ。やっぱり成長期は肉だ、肉。そして濃いソース。たまらん。舌が馬鹿になるわよ、と隣の炉吏子に呟かれたが、味を楽しむジュースより刺激を楽しむ炭酸水が好きなだけあって、俺にはこだわりが薄いのだ。シェフが聞いたら泣いてしまうだろうが。だから言わない。ごめんよ、俺が生まれる前から台所を切り盛りしているシェフたち。学食も内食も大して変わらないと思っていて。

「で、最初にローリィちゃんの剣の授業見た時に、そのままの返し俺に食らわしてきたんですよ、ヴォロージャってば」

「あら、型を見ただけで盗めるようになってたの? ヴォロージャったら。なんなら明日は体育の授業にしない? お母さん教師役頑張っちゃうわよ」

「止めて下さい母上。絶対何かやらかすこの人」

「ひどーい、だってテニスも良い試合出来たしー、剣も知っておきたいなーって思うの、お母さんの我が侭じゃないと思うなー」

「我が侭です。大体この一週間、ローリィは俺達の先生なんですからね。母上のおもちゃにしていたら俺達の成績がピンチだ。ローリィの知見が俺達には必要なんです」

「そうですよ、王妃様。せめてこの一週間は、私達にローリィの事を任せて下さいませ。悪いようには致しませんわ」

「そうそう、うんざりはさせるかもしれないけどな。と言うわけでローリィちゃん、シャワー終わったらもうちょっとだけ補修頼む……明日の板書当たってるんだ……」

「お前は本当に駄目な奴だな」

「清々しい駄目さ加減ね」

「良いけど最低限しか肝心な部分は教えないわよ。自分で考えるのを阻害したら人間駄目になるって聞いたことあるもの」

「駄目人間扱いはちょっとひどくない!?」

 あははははは。

 食卓に下品なぐらい笑い声が響くのを、メイド達も笑いながら見ていた。


「で、こっちに繰越して」

「くりこし……」

「辞書引いて辞書」

「うぁ、あい」

「そしたらこっちも解は出て、」

「あっほんとだ、出た出た! 解答ページとも合ってる! やったーローリィちゃん愛してるー!」

「ええからさっさとシャワー行く。ええか、繰越、ちゃんと調べたんだから次は躓かんようにするんやで」

「はーい!」

 自分の部屋でシャワーを終えた俺が戻ってくると、四人部屋では女子二人がシャワーを終え三人目が飛び込んで行く所だった。しかし簡単に愛を語れる友人が羨ましいな、と俺はぼんやり思う。俺は王子だし、そう言う事は父母以外には言えずに来た。誰かから愛していると言われることは多くても、自分からそうしたことはない。だから炉吏子に感じるそれが本当に愛なのかは分からない。友達以上であるのは確かだが、まだ友達でいたいのだ、俺は。もう少し成長するまで。せめて炉吏子が社交界デビューするだろう初等部卒業まで。

 俺は自制できるんだろうか。明日にでも公示して婚約者の位置付けを覆い被せてしまいたいと思っているぐらいだ。学園ではもうその方向で俺達は見られている。王子の特別。王族で王位継承権は四位。広大な土地を持つツォベール辺境伯の一人娘。勘違いして突っかかってくる奴は随分減った。炉吏子へのブラックレターも、俺へのラブレターも。屑籠一杯に届いてた好意は、結局ライバルの出現程度でなくなってしまう物だったのだ。

 友達から始めたければ、そうすれば良いだけだった。現に俺は炉吏子と友達から始めている。次第に恋人に、なれれば良いとは思っているが、無理強いはしない。炉吏子がどうしても城を出て行くと言うのなら、その時にこそ俺は彼女にプロポーズするだろう。

 九歳の頃から好きでした。

 そう言える自分がいれば、良いのだが。

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