第27話

 ナイトの資格はないと言われたような俺の落ち込みは、地味に深かったらしい。泣き腫らした目が取れないまま学校に行くと。久し振りにヒソヒソされた。殿下何かあったのかしら。あの転校生の所為かしら。半ば当たっているが今は炉吏子の所為にして逃げる気にはならず、俺は城から持って来ていた氷嚢で朝から眼を押さえていた。ヴォロージャ、と気遣わしげな声が隣の席から聞こえる。本当ならこうなって良いのはお前の方なんだぞ、とは言えない。俺が勝手に干渉しただけだ。感傷しただけだ。ツォベール伯からの手紙には父上も目を顰めていたが、それでも俺達家族が関われることじゃない。炉吏子の家族の話なのだから。否、炉吏子は家族として勘定されていなかった。そう言う、話、なのだから。


「なんっだそりゃ。聞いててこっちが腹立つぞ」

「そうよ、まるでローリィを除け者にしているみたいじゃない。家族として見ていないなんて、そこまでして厄介払いがしたいなんて……ローリィを厄介者にしたいだなんて、おかしいわよ。辺境伯」


 休み時間、炉吏子が手洗いに行っている間に簡単な説明をすると、炉吏子の友達は憤ってくれたし、俺の悪友もムッとした様子だった。とは言え炉吏子の『特殊な事情』は教えていないので、あくまでただの家族の不和としての反応だ。これがもし本当に家族じゃないと知れたらどうなるだろう。言ってみたい気もしたが、止めておいた。俺だって王子と言う政治的な駒だ。駒の反乱を、キングは許すまい。

 ふんすっと鼻息を荒げたのは悪友だ。これで正義感が強い奴だから信用できる。炉吏子の友人もだ。一緒に過ごすようになってそろそろ三か月、性格は見えてきているしそれが信用に足る義憤であることも解る。素直に嬉しい。

 すっかり氷も解けて俺の目元の腫れも引いている。まさか炉吏子の家の事で俺が号泣したとは言えないが、まあそう思われても仕方のない事だろう。ふーっと息を漏らして怒気を逃す友人は、なあ、と俺ともう一人に提案をしてきた。

「今日か明日辺りから暫く、俺達も城で寝起きしねーか? ちょっとでもローリィちゃんのストレス除けるかもしんないからさ。ローリィちゃんも、自分が必要とされてるって解ったら、嬉しいんじゃねーかな」

「あなたにしては随分良いこと言うじゃない。ヴォロージャ君、私も賛成ですわ。ローリィをこのままにして置いたら、はち切れてしまう。いつかの寝言からも、ローリィにとって父親は特別な存在なんだと思いますの。ですから私たちが、三人揃えば、なんとかその代わりになれないかしら」

 本当、俺は良い友人に恵まれた。


 食事の準備の関係もあるので明日からとりあえず一週間と言うことで話を付けた頃、白いハンカチを持った炉吏子が帰って来る。と同時にチャイムも鳴ったので、俺達は散り散りになった。炉吏子が『何の話ししててん?』とこっそり聞いて来たが、ちょっと長い合宿の準備をな、と告げる。きょとんとした様子だった。期末テスト対策にはまだ早い。

 最近付いて行けない所がまたぽつぽつ出て来たらしい、と言えば、放課後で足りんの? と問われる。馬車をいつまでも待たせておくのはマナー違反だからな、と言うと、そんなのんか、と怪訝そうにされながらもなんとか頷かせた。そうだ、明日の馬車は二人も乗れるように少し大きな馬車にしないと。制服と私服と下着は持って来てもらって、まだ前回のままにしているあの四人部屋で眠ろう。

 それでもまだ炉吏子が父親の事で魘されるのだとしたら、俺達はどうしたら良いんだろうな。起こして覚醒させてしまった方が良いのかもしれない。助けて。その言葉を無碍には出来ない。出来ない、俺たち、なのだ。もっとも俺はすかすか眠っていたが。情けないぜ自分。


 図書室籠りが終わって城に戻って、メイドにシェフへの言付けを頼む。それから制服を着替えて、テラスに向かえばキイチゴのタルトを前に母がカップを温めていた。もうそろそろその下準備が要らない季節だと思うのだが、どうなんだろう。猫舌に拍車を掛けられる思いだ。制服だってそろそろ中間服になる。簡単に合宿の説明をすると、母上は嬉しそうに手を叩いた。

「そうね、それが良いわ。良い子ねヴォロージャ、良い案よ」

「言い出しっぺは友人の方ですけれどね」

「でも手配は引き受けたんでしょう? 前回は私達の方がホストだったけれど、今度のホストはあなた達三人よ。ちゃんと炉吏子ちゃんを、受け止めるのよ。そう言うのは大人の私達の立場からは何も出来ない事だから……」

「何の話ししてはりますのん?」

 ふひ、とコルセット付きのドレスで出てきた――相変わらず母上の趣味だ、フリルが過剰である――炉吏子は、ドアを開けてきょとんとしていた。俺の頭に手を置いてぺむぺむと叩いていた母は、炉吏子の方に向かい、ぎゅーっとハグをする。意味が分からないのか炉吏子はきょときょとしていたが、悪くはないような心地で、ふへっとちょっと鼻を鳴らして恥ずかしそうに笑った。よし。元気。

 別にずっと元気だった気もするが、それでもちょっと違って見えたのは、俺にしか分からない事なのだろうか。母上に『母』を求めている、そんな姿に和んでしまうのは。そう言えばツォベール伯の奥方は、炉吏子にどう接していたんだろう。今更気になったのでお茶会での話題に出してみると、ちょっと母上に睨まれた。今は良いでしょう、と言いたげだ。

 だが伯の態度に伯妃の態度が忖度されていないとも限らない。んー、と苦笑いして、炉吏子はミルクティーを飲んだ。俺もそうする。ミルクの所為か幾分飲みやすくなるので、これは好きだ。早くアイスティーに出来たアールグレイなんかも好みである。あれは一気に冷やさないと塊が出来てしまう。もっともそんな素人は、我らがメイド軍団にはいない。本当、それで戦えもするって、どう言う事だようちのメイド達。最近視線が怖いぞ。


「あんまり会ったことないねん、身体弱い人の上にうちみたいな『娘』押し付けられてたもんやからな。自分の子とちゃうのが許せなくて、発作起こすし……」

「そっか……」

「まあうちにはおとんとか家庭教師連中がいたから、寂しいってことはなかったんやけどな。だから今回本当にあの人に子供が授かったんやったら、あの手紙は当たり前の反応やねん。おとんも自分の血を引いてる子供がおった方が、後々ええやろし。やから心配しすぎて泣いたりしなくてもええんやで、ヴォロージャ」

 くつくつ笑われて、あらあらと母上は苦笑する。俺だってあそこまで悔し涙が出るとは思わなかったんだよちくしょーめっ。言いたい言葉はタルトで塞ぐ。いつもの香ばしいアーモンドプードルの感じが良い。明日からはちょっと取り分が減るが、まあ良いだろう。あいつらは愛すべき友人だ。隣人だ。

「別にお前の為に泣いたんじゃねーよ」

「せやったら何のため?」

「自分の為だ。地方領主の言葉一つで揺らいだ自分が格好悪かっただけだ」

「うちの実家だからってことでなしに?」

「そう言っている!」

「ヴォロージャは素直じゃないわねえ。認めてしまった方が男気あって格好良い事だってあるのに」

「泣き咽ぶのが男気なら、俺は要りません」

「本当、意固地やんなあ」

 女二人はけらけら笑い合う。ええい、友人二人はどうあっても俺の陣営に付かせなければ笑われる人数が増えるだけだぞ。頑張れ俺。本当に、泣いてる場合じゃない。


 母上と結託するのが、炉吏子の俺を泣いてる場合じゃなくさせる為の道化ならば、ちょっと格好悪いにも程があるが。

 取り敢えず炉吏子の魘される悪夢が少しでも良くなればと、思わずにはいられない。

 いっそ今日から一緒の部屋で寝るか誘ってみようかとも思ったが、さすがに男女一組ならツインの部屋にされてしまうだろう。もしくは身体が小さいからとダブル。それは良くない、けっして良くない。

 あくまで今は友人なのだ。俺は。そして友人を守れない男に女なんて扱えないだろうとも思う。これは俺にとっても、試練なんだろう。

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