第24話
勉強は六時まで続き、食卓は全員で囲んだ。俺の隣には炉吏子、逆隣りには友人二人。向かいには父上と、その横には母上。友人たちは畏まっているけれど、素の父上を見ているとぽかんとした様子になったのが分かった。ラジオなんかで議会の放送が流れる時の父上の声は、低く重い。それがこんなにぼけーっとしているとは思わなかったんだろう。
俺も父上がそんな姿を学友に見せるとは思っていなかったので、ちょっと驚く。父上、威厳威厳。忘れてる。あっスープに人参落とした。しょぼんとしてる。ぷっと思わず息を漏らしたのは炉吏子だ。釣られるように友人たちも笑う。父上は、いやはや、と頭を掻いて照れ隠しをした。こっちが素だと俺だって分かっているが、議会の様子を思い出したりすると、別人だよなあ。
「子供たちに笑われてるわよ、あなた」
「いや、人参が私に食べられたくないと言って」
「ません。苦手なだけでしょう、あなた。シェフだって少しでも食べやすいように可愛らしく飾り切りにしてくれるって言うのに。大体コンソメで煮込んでいるから甘いでしょうに」
「それとこれとはちょっと問題が違って……」
「昔ナマを食べちゃったんでしたっけ? せめてトマトなら良かったのに」
「あうー。分かっているんだ、人参は甘いしコンソメを吸って美味しい……でもあの時の土の味がどうしても忘れられない」
くすくす声が響く。父上の人参嫌いの所以は初めて聞いた事だった。俺でも知らない父上を、母上は知っている。何もかも知っている。それは幼稚部から大学部を出た頃までの積み重ねだ。そして夫婦として十年間暮らしてきたゆえの。
俺が炉吏子の事が分からないのなんて、当たり前だったのかな。転校してきてまだ二か月も経っていない。一緒に暮らし始めて一か月も経つかどうか。当然のように知らないことがあるのに、戸惑っていた。何でも知ってる家族としか暮らして来なかったんだから当然だろう。なんだか胸がホッとして、ジャガイモをスープに落とす。あ。やべ。両側から笑い声を浴びて、俺も赤くなる。
「ヴォロージャはジャガイモ大好きだものねー」
「あとソーセージ入ってるとご機嫌だよな」
「そうなの? ヴォロージャ君」
「まあ、うん、好き、です……」
「恥ずかしがらなくても良いでしょ。ヴォロージャも可愛い」
今日は殆ど標準語で過ごしている炉吏子である。いつもならわしゃわしゃと頭を撫でられている所なので、それがないのは助かる。ぷち、っとソーセージの皮にフォークを刺すと、肉汁がはねた。美味そうだ。一口に食べるといつもより良いものを使っていると見えて、シェフの張り切りぶりが伺えた。うまうま。思わずぺろっと舌なめずりをすると、行儀悪い、と炉吏子に言われてしまった。うう。マナー完璧、逆らえない。
アイントプフは家庭の味だと言うが、城ではシェフの技量を見せつける料理だった。友人二人ももっすもっすフォークとスプーンを進めている。俺はジャガイモを潰し、口の中に含んだ。こうするとまたコンソメ味が染みて良い。炉吏子はいつもの一定の速度で食べている。でもどこか嬉しそうだ。まさか城でこの四人が揃って夕食を共にするなんて、考えたこともなかっただろう。俺だってなかった。スープを飲んで、炭酸水で一気に流し込む。ふぅ、息を吐くと、父母の視線が微笑まし気で、ちょっと恥ずかしい。
「殿下、おかわりは?」
「その呼び方止めろローリィ。お前こそおかわりは?」
「私は味わって噛み締めましたので満腹ですわ。お二人は?」
「い、いや! そこまで迷惑かける気には!」
「そ、そうですわね! 美味しくてもうお腹いっぱいですわ!」
別に今更畏まったって仕方ないのになあ。思いながら俺は炭酸水のお代わりを頼む。炉吏子はいつの間にかそれも干していた。満腹感があるからそれで凌げるだろう。デザートも出るし。学食にはないメニューだ、甘いものは。東洋料理には特別に杏仁豆腐が付けられることもあるが、あれもそんなに甘いって程じゃない口直しだ。
カボチャ本来の甘さで作るカボチャケーキは美味しい。しっとりしてて甘い。昔から俺のお気に入りであった事は、父母も承知の上だ。そして出して来るんだから、俺がどこまで同級生の前で仏頂面していられるか試しているんだろう。心頭滅却、心頭滅却。ああ甘い。うまい。頬が綻びそうになるのを。父母と炉吏子のニヤニヤして視線で封じ込める。友人たちにも甘い、美味しいと好評だ。だが俺よ、笑うなよ。俺にも王子としてのプライドが、あ。
何かをざりっと嚙む。金平糖か? この甘さは。思わぬ硬さにちょっと歯が痛かったが、飲み込んでしまってから俺は父上の方を見る。
「何か金平糖みたいなのが当たったんですけれど」
「おや、当たりはヴォロージャか」
「当たり?」
「殿下、どうぞ」
後ろからシェフに差し出されたのは、小さなカボチャパイだった。
「あ、良いなヴォロージャ。普通ホストが当てるかそう言うオマケ」
「食うか?」
「そこまでいやしんぼじゃねーよ。でもちょっと羨ましいのは本気」
「四等分するか、ナイフで。それで平等だ」
「お、さすが未来の王様は発想が違うねえ。それぐらいなら食う」
「わ、私も良いの?」
「男を立てましょう、一応」
おどおどしている友人にどっしり腰を落ち着けた炉吏子が言って、俺達はパイとケーキを頂き、本当に満腹になった。
その様子を微笑ましげに見られるのはちょっとばかり恥ずかしかったが、満足したのは本当なので、下手な言い訳はすまい。突っ込まれるだけだ、きっと。ここ一番と言うところで意地の悪い人達だから。
皿が下げられてから口を拭き、俺達は立ち上がる。シャワーを浴びて、今日はちょっと夜更かしをするのだ。子供だから出来る事だと思えば、わくわくする。そう言えば。
「父上とツォベール伯は泊まりっことかしたんですか?」
「昔はあったよ。あいつも辺境伯家に帰るまでは王都に遊学してきていたものだし、その時は一緒の部屋で将来の事を語り合ったりしたものだ。懐かしいなあ。年単位で顔を合わせないのが普通になってしまうと、大人と言うのは本当に寂しい」
「そっか、今は当たり前でも、いつかはそれが遠くなっちゃうのね……」
炉吏子の友人がそう呟くのに、俺はちょっとだけ怖気づく。
この心地良い日常が無くなる日が必ず来るなんて、解り切っていたつもりだったのに。
炉吏子だって十数年もしたら出て行くんだと。でもその時辺境伯家に血統の世継ぎが擁立されていれば、なんて、俺は何て醜い事を考えたんだろう。
炉吏子の帰る家が無くなれば良いなんて、考えていた。
最低だ、俺って。
「ローリィちゃんって学園にはいつまで通う予定なんだ?」
頭を拭いた友人が座るのは俺の隣のベッドだ。向かいのベッドには炉吏子が座り、その隣には炉吏子の友達が長い髪を梳かしている。炉吏子は長い髪を三つ編みにしていた。寝しなの恰好なんて見たことがなかったので、ああやって朝の爆発髪を抑えているのは知らなかった。天パーって大変だ。俺はもう乾きかけの髪をもう一度乾いたタオルで拭く。水気は殆ど無い。
合宿が決まった時に父上が用意してくれた部屋は、元々ツインだ。小さめのベッドに替えて四人で眠れるようにしてくれた。やっぱり合宿と言えば夜の秘密トークだろう、とニヤニヤしていたのを母上のエルボーで黙らされ、お友達と仲良くなる方法はちゃんと見つけるのよ、と言われた。母上正しい。俺は好きな子とかそう言うトークは得意じゃないんだ。と言うか現在好きな子の筆頭にある奴を前に、そのトークは出来ない。いたたまれない。
「一応大学部までの資金は出してくれるって約束だから、それまでかな。だからあと十年ぐらいは、ここに厄介になるつもり」
「十三年ぐらいかしら。もう実家より部屋が馴染んでいる頃でしょうね、そうなると」
「でもいつかは出るって決まってるからなー。やっぱり仮住まいだよ。寮より広いし掃除完備で嬉しいけれど」
「それはそうね。でも、あっさりしてるのねローリィったら。そんなんじゃ恋も出来ないわよ」
だからその話題は。
「する気もないわ。一本立ちできるように勉強頑張らないと」
あはは、と笑う声。
何てがらんどうなんだろう、と、俺は自分の髪をちょっと引っ張った。
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