第23話

 次の週末は中間テスト対策と言うことで俺と炉吏子の友人たち二人が城を訪ねて来た。俺の意志で人を呼ぶのは大分珍しい事なので、案の定母上がきゃいきゃい言っていたが、無視して四人で図書室に向かう。歴史書、戦史、数学書などの中から子供向けの算数の本と社会の本を取り出して待ち構えて置く。天井まである本棚に囲まれたそこに、二人は驚いた様子で、わぁ、と嘆息した。

 本当はもっとあるらしいが、古すぎて歴史的価値しかない実用向きではないと言うことで、それらは地下の書庫にまとめて突っ込んである。暗くてじめッとしてて紙魚臭いのが苦手だから、俺はあまり行ったことがない。


 さてと、と教師役の炉吏子に本を渡すと、ふんふん言いながらぱらぱら読み進めていた。じゃなくて。お前の娯楽に渡したんじゃない。ぺけっと纏めた髪を手の甲で叩くと、おぅ、と返された。おぅじゃねーよ。

「まず算数からだな。小学校の基礎さえ理解できてれば、中等部で数学になった時も大丈夫だろう。二人とも国語はそこそこだし、理科も大丈夫だから、あとは暗記ものだけで大丈夫だと思う。公式とかは問題文に特徴があるから、どれを使えば良いのかさえ覚えておけば問題ない。素で数式出された時は迷う事もないだろうしな」

「へーへ、優等生様らしい考察だ。恥を忍んで前回のテスト結果出した甲斐があったわ」

「右に同じ、だわ。確かに暗記は苦手だから、公式を重点的に攻めれば何とかなる気がしてくる……」

「ふんふん」

「だから炉……ローリィ。お前はどんどん一人で先に進むんじゃない。足並み揃えて行くのが合宿だ」

「お泊り楽しみにしてたもんね」

「やってうち、友達とかおらんかったし砦に人呼ぶとかしたことなかったし……憧れとったんやもん」

 口の中をもごもご言わせながら、炉吏子は肩をすくめて本で顔を隠して見せる。赤い耳が見えた。こいつは多分勉強で誤魔化しておかないとすぐカードゲームだのチェスだのリバーシだのをやりたがるに違いない。司会進行俺、教師炉吏子。生徒二人。丁度良いだろう。算数のずっこけた所からやり直す二人を見守りつつ、炉吏子は自分の勉強も進めて行ってしまう。マルチタスク対応か。リソースが十二分にあるな、こいつも。まあ俺もちょっとは進んだ方をやっているが。


 炉吏子を王家の馬車で俺と共に送迎するようになってから、炉吏子への嫌がらせはすとんっと落ち着いた。俺の方にはラブレターが増えたが、一切無視していると段々減るようになって来た。代わりに噂話が増えた。あの転校生王子の婚約者なの? と言う、実に恋愛脳の小学生らしい噂だ。下らないと言うには俺も炉吏子を好いてはいるが、しかし炉吏子の方にそう言う感情は無いだろうことが分かっているので、ちょっと虚しかったりもする。

 婚約者ねえ。今の所母上の在学中のように文武両道、才色兼備してる炉吏子は、血統的にもその資格はあるのだ。かと言って強引にその座に据えることは出来ないだろう。ツォベール伯の意志もあるだろうし、何より炉吏子本人が嫌だと言っている。何で殺さないの。家族だからに決まってる。決まってることが、炉吏子には分からない。家族ってのが、多分炉吏子には与えられなかった概念だ。炉吏子とツォベール伯は一体、どんな関係だったのだろう。それは気になる、かもしれない。


「ローリィ先生! 出来ました!」

「あはは、何その言い方おもしろ。ん……ん、ん。ここ以外は全部合ってるかな。繰り上がり忘れとる」

「あっほんとだ」

「提出前に検算できるぐらいの余裕があると良いな。はいじゃあまた砂時計引っ繰り返すでー」

「ま、まって、私まだ終わってないっ」

「時間は無情や。次のページ行くで」

「あーん鬼、鬼教師!」

 くっくと笑いながらその姿を見つつ、俺も俺の分の検算を済ませる。あ、俺もここ間違ってら。方眼紙でないと繰り上がりは見逃しがちになるな。かと言ってあれは高いから常用したくないしなー。させたくもない。子供にはまだ早い。

 答えページの端的な解答と自分の回答を合わせて行く。よし、出来てる俺。何とはなしに隣に座る炉吏子を見る。やっと包帯の取れた指。傷は多分残らないとの事。無茶したせいで何度も開きかけたが、なんとかなっている白い指。

 少し胸がホッとする。自分の所為じゃなかったことに、やっと出来る気がした。悪かったのはあの女子だと、納得できる気がする。いかんいかんと頭を振って、俺は文章題に向かった。数学は読解力も求められるが、国語の成績が良い方の二人にはそこに気を付ける必要はないだろう。斜め読みさえしなければ。特に女子の方は慌てててちょっと心配だ。砂時計の砂が落ちる。はい、と炉吏子が手を叩く。

 ぐでっとした女子、溜息を吐く男子、前のページを開く俺に、授業何回分飛ばしてんだか分からない炉吏子。三時の鐘の音がボーン、ボーン、ボーン、と響く。同時に、図書室のドアが開いた。


「おやつの時間よー可愛い博士たち!」

「母上」

「お、王妃様!?」

「あっお、お久しぶりですご無沙汰していますっ!」

「まあ、かしこまらなくて良いのよー今日はシェフに無理難題言って作ってもらったレモンパイ! おばさんに進捗聞かせて頂戴な、ローリィちゃん、ヴォロージャ!」

皿を並べて紅茶を入れて、メイドに仕事させないなあと思いながら、俺は溜息を吐く。あら、と母上は目ざとくそれを見た。目を逸らす。じいいっと視線の圧を感じる。知らない。別に集中力途切れるとか言わない。お茶しか趣味のないような人なのだ。少しは構ってやっても良いだろう。息子の同級生が三人もいるのだから、楽しいに決まっている。学校での俺は無口でむっすりした孤高の王子様だから。

 その辺は父上の血が入ってるよなあ、と思う。対外的には厳しくも、身内には甘すぎるほど甘い。俺だって毎日を過ごすこの二人はもう懐に突っ込んでるようなものだし、同じ屋根の下に住む炉吏子だって同じだ。否、炉吏子は対外的には親戚でもあるし、俺自身もそれ以上の感情を持っている――持っている、んだろう、なあ。婚約者になる話を軽く出しただけで嫌だと即答され、傷付く程度には。でもそれだって分からない事だ。少なくともあと十年近くはここにいるんだから、その間に気が変わってくれるかもしれない。


 そしたら、もしかしたら弱味に付け込めるかもしれない。そう考えている俺ってのは大分鬼畜なのか。椅子を持ってこさせた母上がけらけらと笑っている。幼稚部の頃からの友人は、今や親友と呼んで良いぐらいにはなっている。炉吏子の友達だってそうだ。教養もちゃんとあるし、名のある貴族の出だったと思う。社交シーズンになったら炉吏子の手助けは大いにしてくれるだろう。裏切らない。そう言う性質だと、俺も知っている。

 では炉吏子は? 俺達は炉吏子のことをどれほど知っていると言えるのだろうか。辺境伯跡目。王位継承権第四位。文武両道。あけすけで明るい性格。自分の事は自分で片付けないと済まない、プライドの高さ。

 弱味は見せない。だから知らない。嫌いなものは何か。同情だ、多分。飢えているのは何か。多分、家族。家族的な、感情。友達。友人的な、感情。与えられなかった。ツォベール伯はそれを炉吏子に与えなかった。だからこいつはどこかがらんどうに笑うことがある。怒ることがある。知識でしか知らない感情で、こういう時はこうするのがベターだと思い、演技のような感情を見せる。その為なら王子の腹も殴る。そう言う、危ういところがある。上級生の腹にも食らわす、危なっかしい激情の真似事。暴力は暴力だ、と、俺は炉吏子の顔を見る。湿布ももう取れている。あら、と母上が俺の方を見た。やめて。何か言い出す気でしょう、やめて。

「ヴォロージャったら炉吏子ちゃんの方ばかり向いてるのね。こんなにお友達がいるのに」

「こんなにって、二人ですよ。勉強会としては小ぢんまりとしている方だ」

「そうかしら。私が学生だった頃は、夫と二人で頭をくっ付け合っていたものよ」

「たらしの父上を見張っていただけでしょう」

「あらよく分かってるじゃないの。ヴォロージャはそんな子に育たないでね。母泣いちゃうから」

「なりませんよ、まったく……」

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