第22話

「王妃様の勅令とは言え、一緒に暮らすことになるなんてねぇ……」

 はーっと息を吐くのは炉吏子の友人だ。やっぱりインパクトのある事柄だったのか、食堂はいつもより炉吏子に向けてじろじろ眼が走っている。昨日の上級生たちもいた。疎ましげな視線には覇気がない。まだ屈み気味と言うことは腹を庇っているんだろう、あの腕力を二発、しかも手加減なしで準備もなしで食らったのなら、食事を戻すぐらいしたのかもしれない。だがそれは彼女たちが選んだ道なので、俺はどうこういうつもりはない。

 炉吏子は口元の絆創膏が取れたが、傷は傷のままなのでやはり痛ましい。湿布で腫れていた頬は随分良くなっているようだが、朝食の際には熱いスープでちょっと顔をしかめていたので、口内炎はあるのかもしれない。それでも食欲は旺盛だが。東洋の食事はヘルシーで良いのかもしれない。否。でもその紙で巻いた春雨の入った揚げ物は熱いんじゃないだろうか。揚げ物だし。それでもぱくーっと食って行く様は、何と言うか、逞しいものを感じさせた。

 んっくん、喉を鳴らして水を一気飲みした炉吏子は、はーっと息を吐いてからそうなのよ、と標準語で言った。悪目立ちしないよう、眼を付けられないよう、そうすることにしたんだろう。地声がでかいのでその方が良いとは思う、俺も。そしてラーメンが伸びそうなのに啜る技術を持たない俺はフォークとレンゲを使ってそれに対処している。無限に伸びる。おおおお。まだ汁を吸った麺がこんなに。昼中に食いきれるのか俺。


「大分強引な方だったのね、王妃様ってば。理詰めで逃げられなくされてからの問い掛けって、決まった答えに誘導しているようなものじゃない。逃げられなくって今日からロイヤルファミリーのおまけよ、私」

「正確には昨日からだがな。シェフが慌ててアレルギーの有無を確認したりして、大変そうだった。王家の献立は一週間単位で作ってるから、材料も予備は少ないんだ。全員に満足できる食事を、と頑張らせてしまった。今朝は軽くパン・ペルデュだったが、今頃シェフたちが仕入れの注文に大忙しだろうな」

「やっぱ悪い事した気がするわ……」

「誰も使っていない客室を毎日掃除する財力がある、一国の王城だぞ。あまり見縊るな。シェフたちに逆に失礼だぞ」

「そ、そっかなあ」

 しょぼんとしながらも箸は止めない炉吏子に、隣に座っていたその友人がくすくす笑いながらビーフシチューを嗜んでいる。学食のビーフシチューは肉が小さいと思うが、それは贅沢者の意見なのだろうか。でもスプーンの半分にもならない肉を、下手すると入っていないこともある肉を煮込むなら、寄付を増やして肉の大きさも倍にして欲しい。高い不味い遅いじゃあんまりだ。

 否、学食は平民の生徒にも平等に渡るように安いし、パンとライスはお代わり自由なのだが。それでも、それでもだ。成長期としては肉が欲しい。

「そう思っておいた方が良いわよ、ローリィ。それでそのお城って、私みたいなただの友達でも遊びに行っていいものなのかしら。今までみたいに寮の部屋だったら、課題も訊くことが出来たんだけれど」

「へえ、宿題一緒にやってたのか」

 レンゲに乗せた麺をちゅるっと吸うと、まあね、と炉吏子に返される。

「ならこれからは、放課後にみんなで図書室行かねーか? 課題の教え合いは効率的だぜ。何せ俺はすでに算数が分からなくなりつつある。筆算がもう訳解らん。来年には割り算も出ると聞いて震えあがっている」

「お前本当バカだよな、体育以外」

「失礼な! 国語も出来る!」

「自国語が出来なかったら致命傷だ」


 るるーと泣く友人にくふっと笑ってから、俺はやっとラーメンの麺を全部食い終えた。残しておいたチャーシューは汁を吸ってるし脂身もふよふよだし、これで作業めいた食事から一気にご褒美だと思うと、ほうっと息を吐いてしまう。麺も伸びるまでは美味かったんだ。箸の使い方を覚えよう、炉吏子みたいに。

 沈んでいる友人は放置して、ビーフシチューを食べ終えた向こう側の席ではぱっと顔を明るくする炉吏子の友人の顔が見えた。彼女も彼女で体育会系だったな、そう言えば。否、体育得意な奴が勉強苦手だとは思っていないが、文武両道が難しいのは俺だって知っている。そして炉吏子は今まで家庭教師とマンツーマンで勉強して来た実力もある。一緒に勉強するのは、理にかなった事だろう。

「じゃあ今日から図書室実習始めるか。ローリィ、お前は先生役で頼む」

「え、私!? なんで!?」

「多分俺らの中で一番頭が良くて進んでるのはお前だ」

 最後のエビを食べた炉吏子は、しょーがないなあと言って肩を竦め、了承してくれる。馬車は少し待たせてしまうことになるが、宿題程度なら大したことは無いだろう。今日は午後から体育と算数だ。体育の宿題はまず出ないだろうから、算数が脛だろう。二人とも。俺は取り敢えず今の所授業に付いて行っている。さらに予習までしているのが炉吏子である。

 こういう時だけ友達ぶるのも悪いよなあ、俺。否、ぶるも何も級友なんだけれど。

 でも本当は。

 予習は城で、一緒に教えてもらおう。


 長いテーブルに父と向かい合って座る。父の横には母が座り、俺の横では炉吏子がちょっと緊張気味に座っていた。流石に国王様と一緒☆ のディナーにはまだ慣れないらしい。俺にとっては間の抜けている父親でしかないので、それはちょっと珍しかった。父上は対外的には厳しい王で通っているので、家族だけの食卓ではそんな顔の片鱗も見せないようにしている。こっちが素だからだ。

 厳しい顔してるのも疲れる、なんて最近は言っている。三十路超えて少ししか経っていないのに、人は、王とはそれほどまでに疲れるものなのだろうか。牛百パーセントのハンバーグを食べながら、そんな事を考えつつ、炉吏子の完璧なマナーに驚いたりもする。

 こいつはとにかく食器の音を出さない。ナイフでもフォークでも。もしかしたら学食でもそうなのかもしれない、今度聞き耳を立ててみようかと思っていたら、かちっとナイフが皿を擦ってしまった。完璧には程遠い俺である。


「今日は帰りが幾分遅かったようだが、何かあったのかな? ヴォロージャ」

 くふっと笑って話しかけられ、はい、と俺は応える。

「級友たちと宿題と復習をしていたんですよ。自分が意外と馬鹿だと解りました」

「と言うと?」

「掛け算の筆算間違えて覚えてたんです。テスト前で良かった。板書も当たっていたので、どうにか恥を掻かなくて済みそうです」

「ローリィちゃんが教えてくれたのかな?」

「はい。食後は予習に付き合ってもらうことにしてます」

「城の図書室は明かりを点けても夜は暗いからな。ほどほどに付き合ってやってくれ、ローリィちゃん」

「は、はい、国王様」

「お父さんって呼んでくれても良いんだよ?」

 何言ってんだ父上。

「いえ、うちおとん居るので」

 即答だった。

「ツォベールに放った早馬の返事は早くても二週間後だろうからなあ。どうせなら久し振りに登城してくれれば良いのだが、身重の奥方を放置してはいられないか。生まれたら、一時帰郷でもするかい?」

「いえ、うちが行ったら邪魔なだけや思うんで、卒業までは王都にいる予定です」

「卒業……十年後ぐらいか? 一貫校だからな」

「その前に手に職付けて、お城はなるべく早く出ますんで」

「あら駄目よ炉吏子ちゃん!」

 母だけは忖度しない。平気で本名も呼ぶ。まあ控えているメイドはいつもの面子なので、今更隠しても仕方ないとは思うが。

「あなたは大事な王位継承者の一人なんだから、帝王学を学ぶ意味でもこの城にいた方が良いわ。それに学生のうちは学業に徹さなくちゃ、中途半端になってしまう。そのままの知識で外の世界に出るのは危険だわ。それにあなたには貴族としての社交も待っている。ドレスは買うより借りた方が楽よ。私のとか」

 やっぱり理詰めで来るんだよなあ、我が母上は。いつの間にか包囲されていて、逃げ出せなくなっている。あう、と言った炉吏子は、肩を落として小さく溜息を吐いた。すまん、うちの母が強引で。

「ではお言葉に甘えて、卒業まではお世話になります……」

 母はにっこり笑い、父は苦笑いをしているようだった。

 誰より母上の理詰めに慣れてるからな、父上。

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