第21話

 次の日は朝から学園は騒然としていた。俺が王家の馬車で炉吏子をエスコートした所為だろう。その顔に湿布を貼っていることもだろうし、友人たちですら呆気に取られていたし、女子は泣いているのもいるようだった。上級生すら覗き見に来る始末である。何がそんなに珍しいものか、という態度で俺はつーんとしていたが、炉吏子は学友たちに説明をするのに大忙しだった。折角できかけた友達を失うのは良くないからと、俺は突っ込みなしで朝に替えられたばかりの包帯の白い指先を見る。大分塞がって来てはいるが、まだ包帯は欠かせない。深い傷だったから。


「じゃあローリィさんってば、城に住んでいるの、今!?」

「うん、まあ私も王位継承権は四位だし。その方が良いって言われて、昨日からそう言うことになったの」


 運び込まれた炉吏子の荷物は本当に少なかった。パジャマは洗い替え用で二枚。私服も同。下着も三回分ぐらいだったと言う。身だしなみ道具も最低限、ドレスなんかはなかったし、本なんかも持っていなかった。教室に置いていた以外の教科書と本は予習復習がしっかりされており、生真面目なのかそう躾けられたのかが伺える。多分躾けられたんだろう。剣の腕も、きっと。大人相手にやってたのかもな。同い年の子供に慣れてない所もあるし。

 捨てられたのかもしれない、と薄々感づいていながら、それでも辺境伯家で覚えたことは王都での生活でも欠かしていない。学業が続く限りそうなんだろう。そして多分、ツォベール伯家の跡取りが健康に育ったら、こいつはどこかの貧乏貴族にでも口止め料の持参金付きで追いやられる。そして二度と、辺境には近づけられない生活になるだろう。


 年末年始でさえ帰郷が許されるかは微妙だ。その頃は向こうでも子供の準備で忙しいだろうし。かと言って城も行事でてんやわんやだ。炉吏子はその時間を、自室で静かに勉強しながら過ごすんだろう。

 俺も王子として出なければならない場があるだろうが、それ以外ではなるべくこいつと一緒にいてやりたい。否、これはただの俺の我が侭か。炉吏子も炉吏子で友人にパーティに呼ばれるかもしれない。その時の為のドレスには事欠かないが、問題は上級生がそれを主催した時だろうなあ。下級生は流石に喧嘩売って来る事はないだろうが、上級生はまだ分からない。昨日の事で分からせられたのだろうか。それが俺には心配である。


 って、俺が心配しても仕方ない事か。ふーっと息を吐いて教科書を出していると、なあおい、と近所の席に座っている友人にぐいっと首に腕を巻かれる。

「ローリィちゃん囲い始めたって事なのか? ヴォロージャ」

「どうしてそうなる。血縁なんだから一緒に生活しても良いだろうって母上が決めた事だ」

「王妃様相変わらず我が道を行くな……俺も初めて会った時から溜口で良いとか見張っててやってくれとか言われたけど、あの頃から変わんねーのか」

「むしろ相手が女子だからウキウキ指数が突き抜けてる。俺が自分で連れてきた初めての女子だからな。もっとも呼ぼうって言ったのは母上だから、結局そこは変わらないか」

「また高学年女子の反感買うんじゃねーの?」

「その時はその時で俺もどーにかするしローリィ自身にもどうにかしてもらう。それだけの腕っぷしはあるんだ、あいつ。母上の時みたいに剣やテニスで勝負申し込まれても何とかすると思う。自力で」

 はーっと息を吐く友人。

「すごい信頼だな」

「事実だ」

「でもお前にそう言わせるのがすげーんだよ。幼稚部の頃に仲のいい友達連れて来て、ってお前が言われた時に俺を選んだろ? あの時も俺結構パパママ軍団にひそひそやられたもんだけど、その時はお前泣きながら俺の事庇ってくれたじゃん」

「泣いてない。全ッ然泣いてない」

「自己完結しがちで自分の所為だって泣きながら俺に抱き着いて来たくせに」

「だから」

「ローリィちゃんの事は、信じられるんだなあ。なんかうらやましーぜ、ははっ」

 自己完結。俺はそう言うタイプなのだろうか、考えたこともなかった。でも、自分の所為にしがちな所はあるのかもしれない。それは国民を背負う立場として生まれて来たからだ。どんなことでも他人ごとにしてはならない。自分が国の中心だと考えろ。

 幼稚部の頃から教え込まれてきた、一種の帝王学なんだろう、これは。父は仕事の合間によく俺のとりとめのない話に付き合ってくれた。俺が息子で、かつ第一の国民だったからだろう。母上は一緒に立つ人だ。俺もやがては一人で立つことになる。その時隣には、となんとなく隣の席を見た。まだ友人たちと話している。


 母上と渡り合う程度には強い炉吏子が隣にいれば心強いだろうな。でもそれは、炉吏子が辺境伯にとっていらない駒になった時の話だ。辺境伯家跡取り、という役目を追われた時だ。考えたくはないし炉吏子を悲しませる想像だと分かっているから出来れば考えたくはないが、それでもその時俺が付け込まないとは考えられない。

 炉吏子は良い友人だ。それ以上として見るのも、俺としてはやぶさかではないのかもしれない。母上に言われた通り。でも炉吏子はきっぱり嫌だと言った。自分は辺境伯家の人間だからと。だがそうでなくなれば。後ろ盾が何もないただのローリィになったら。

 俺がその手を取るのは、おかしなことでもないだろう。王位継承権のある者同士だし、血のつながりは表面的にも問題ない程度、本当はちっとも繋がっていないから、近親婚と言う事にもならない。何より父母は歓迎してくれるだろう。

 でもそんなのはあと十年は後の事だ。辺境伯家に生まれる赤ん坊が立派に擁立された時の話だ。もしかしたら何かの間違いで炉吏子が呼び戻されることがあるかもしれない。その時は潔く手を引こう。その程度の気持ちだ、今は。多分政治的には同級生を使えないって事なんだろう。今の俺には。

 良いか悪いかで言ったら多分悪い。甘いと謗られる。でも俺は出来れば平和に、平和に暮らしていきたいのだ。隣国との間に戦争の火種が上がっていると言う事もない。今のままツォベール伯が友好関係を保ち続けてくれたら、炉吏子は無事にこの地に馴染んで行ける。あんず色の眼をしたお姫様。本当の自分を隠すのがどこかで下手な、お嬢様。


 級友と話す言葉のイントネーションは大分慣れたのか王都での標準語だ。けらけら笑うようにもなったし。困るようにもなった。深い突っ込みを受けると、辺境伯家の秘密を晒すことになるからだ。そればっかりは多少俺がフォローしてやることもある。ごくたまにだけど、苦笑いでごめん、と言われると俺が守ってるのは結局俺なのかもしれないと思う。

 ああこれが自己完結ってやつか。思い至ったのは朝のマナーの時間も終わりかけの所だった。あるマナー知らずが悪意無くフィンガーボウルの水を飲み干してしまった。主催者は迷わず自分もそうした。そう言う故事の話を聞いて、自分と相手を守る方法があるのだと気付かされる。俺は何もせずに自分に責任を押し付けて、我武者羅に炉吏子を守ろうとしているのかもしれない。なんて。

 ある意味それは楽な事だ。自分が悪いと思っているのは、本当は自分をそれ以上の感情から守りたいからなのかもしれない。それ以上の? それ以上の――何? 自分と相手を守る以上の何を、俺は求めている? 完結してしまった続きが本当はあるんじゃないのか?

 だとしたら、それは何だろう。ヴォロージャ、と呼ばれてはっとする。炉吏子は筆記具と教科書を持って、訝しげだった。訝しげに、俺を見ている。

「次移動教室やで。はよせな、遅れてまう」

「あ、ああ。悪い、ありがとうローリィ」

「悪いことちゃうで。ヴォロージャは自罰的やんなあ、ちょっとぼーっとしとる間に色んな事考えて結局沈んでるとこある。何がそんな心配なん?」


 お前の事だよ、とは、言えなかった。

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