第13話

 晴れた日曜日、やって来た炉吏子は簡素なワンピース姿で、市井から浮くことのない程度の控えめな格好だった。どっから出した服なんだろうと思ったが、そんな間もなく母に連れられてクローゼット部屋に拉致されているのを見て、くつくつと父上が笑っていた。笑い事じゃないですよあなたの奥さんですよ。そして俺の母上ですよ。はあっと溜息を吐きながら城の敷地内にあるテニスコートに移動して待っていると、暫くして炉吏子と母上が出て来る。ラケットを持たされてちょっと大きなテニスウェアを着せられて、早くも炉吏子はぐったりした様子だった。髪は編み込まれてまとめ上げられ、珍しくうなじが出ていた。そうすっきりした髪型を見たのは初めてだったので、ぽかん、としてしまう。

「――ローリィ。その髪」

 一応父上の前だしメイド達もいるのでローリィ呼びだ。

「メイド達が総動員で編み上げたのよ! 凄いでしょう? 毛量も癖もあるからちょっと大変だったけれど、身体を動かすならこのぐらいにしなくちゃ。後でヴォロージャにも教えてあげますから、体育の時にはやっておあげなさい?」

「いや無理ですよ。それに剣術の授業で使うヘルメットは前面だけですから、ポニーテールで十分間に合ってます」

「うちもそれは言ったんやけど、王妃様話聞いてくれへんねん……どんだけ我が道行く人なん、ヴォロージャ」

「テニスは上下左右に激しく動くから、このぐらい固めてないと邪魔になるのよ?」

「すまないねえ、加減の効かない妻で……」

「いえ、陛下に謝られることやしまへん」

「それにしても本当に随分訛っているんだね。授業に不便はないのかい?」

「ヒアリングは得意です。スピーキング苦手なだけで」

「さ、ルールはさっき教えた通りだから、さっさと始めましょう?」

「準備体操ぐらいして下さい、母上」

「傍観モードの息子には言われたくないわ。服だって着替えていないし」

「父上だってそうでしょう」

「私はたまの休みだから観戦しているだけだよ」

「はぁ……」


 誰よりでかい溜息を吐いた炉吏子は、仕方なさそうにストレッチをしてコートの向こう側へと向かって行った。その指にはまだ包帯が巻いてあるが、傷が開いたりしないか心配である。否、それより自称文武両道だったと言う母上の相手を素人の炉吏子が出来るものなのか。ちょっとした見ものなので、俺は日よけパラソルの下で、レモネードをストローで啜りながらちょっと前のめりになった。

「大丈夫だよ、ヴォロージャ」

「父上?」

「あれでちゃんと手加減は出来るからね、多分」

 多分って何ですか。

 サーブを打った母のラケットの音を聞いてコートに視線を戻すと、走った炉吏子がそれを撃ち返すパンッという音が響いた。

 ついで母も返す。ラリーが何本か続き、審判がボールを目で追っているのを俺達も同じようにする。母も長い髪を三つ編みにしていたが、炉吏子ほどの長さはないようだった。やっぱりあの巻き毛は相当長いのを隠していたのかと思うと、ちょっと計って見たくもなる。

 パン、とひときわ強い音が鳴って、とうとう炉吏子はゲームを落とした。初心者にしては大分出来る方なんじゃないかと思ったが、巻いた前髪の向こうのあんず色の眼はギラギラしている。これは存外良い試合になるんじゃないだろうか。ぢるっと俺はストローに吸い付いた。


「ゲーム・セット!」

 審判の声が響く頃には母も炉吏子もぜーぜー肩を揺らしていた。二対一。初心者で一ゲーム取れたことがまず凄いが、それに煽られて本気になった母上の走らせるラリーも凄かった。とにかく左右に揺さぶり、後ろに下げた所で前に落とす。意外と意地の悪いボールが多かったが、スコートをひらめかせて打ち合う二人の実力は結構差を感じることがないぐらいに伯仲していたのではないだろうかと言うのが、傍観者の俺の感想だった。炉吏子は慣れがない所為かアウトがちょっと目立ったが、それでも殆ど正確に母に撃ち込んで来ていたと思う。

 肩で息をしながらパラソルの方に向かって来た二人は、同時にレモネードのグラスを取り、腰に手を当てごきゅごきゅとストローも使わず一気飲みした。ぶはあっと気品の無い息を吐く母上に、げふぅっとこれまた令嬢らしくない喉の鳴らし方をする炉吏子。好天だったからそれも含めて疲れたのだろう。お疲れ様、と俺は炉吏子に、父上は母上にタオルを掛ける。あーっと声を漏らしたのは炉吏子だった。

「王妃様ちょっと手加減してくれともええんとちゃう!? こちとらラケット握ったのも初めての初心者やで!?」

「嘘でしょう本当に初心者!? 私から一本取れる子なんて学園時代には殆どいなかったのよ!? 大人として負けるわけには行かないじゃない、運動神経どこで鍛えたの!? 悔しい、ストレート勝ちしたかったのにぃ~、やっぱり子供産んで体力落ちたの私!? 確かにラケット取ったのなんて五年ぶりぐらいだけど、それでも初心者に持っていかれる程じゃないと思ってたのにー! あーん悔しい悔しい悔しいーっ!」

「母上、見苦しい。しかしろ……ローリィの体力と運動神経は凄いな。どっちが勝つか分からなくて最後まで目が離せなかったぞ」

「負け見られたらただの恥やん! うちかて悔しいわ! ヴォロージャ、口直しに相手してくれへん!?」

「嫌だよ負けるよ剣術さえ危ういと思ってるんだぞこちとら。って言うか初等部でその腕前ならまず決闘申し込まれても負けないから、そこに安堵しとけお前は」

「え、決闘ってテニスでも申し込まれるん? 面倒な学園やな」

「お前がそれだけ厄介なんだよ」

「出る杭は打たれるっちゅーんか? 意地も張れない軟弱者になるぐらいならその方がずっとマシや! でも本当もうちょっと手加減してくれへん!? 指の傷開くわ!」

「はっはっは」

 笑い声を漏らした父の方を見ると、微笑ましげにこちらを見ている。

「やっぱり強いねえ、君は。『炉吏子』ちゃん」

 知ってるよなそりゃ。ちょっと安心して息を吐く。炉吏子は僅かに動揺したようだったが、もう反応する体力も残っていないのか、肩を落としてベンチに腰掛けるだけだった。そこにメイドがはちみつ漬けのレモンが並べられた皿を持って来る。母が一枚とって口に放り込むと、むぎゅーっと目を閉じて酸っぱそうにした。物珍し気に炉吏子もそれを食むと、やはりむぎゅーっとした顔になる。面白い。やっぱり似ているのはこっちだ。改めてそう思う。

「……実際問題としてうちのこと知ってる人ってどれぐらいいらはるんです? 陛下」

「城の中では私達一家ぐらいだよ。メイド達も聞いているかもしれないが、他言無用のことぐらい理解している優秀な子達だから、心配はあるまい。それに、君もたまには本当の名前で呼ばれていた方が良いんじゃないかな。折角つけてもらった名前が寂しいだろう? でなければ」

「領地にいた頃もおとん以外は知らんかってん、あんま自分の名前言う気せぇひんもんやけど……確かにこないに呼ばれてるのは久しぶりで、何や懐かしいかな」

 ぽりぽりと頬を掻いて炉吏子は照れくさそうにする。そう言えば。

「お前って何歳の時にこっち来たの?」

「うーん四歳ぐらいの頃かな。自分でも正確に覚えてへんねん。でもすぐに登城させられたんは覚えてる。ヴォロージャ覚えてへん? うちのこと。おとんの陰で何度か目が合ったと思うんやけど」

「覚えてる、ぼんやりとだが。そっか、あの頃だったのか」

「突然異国に連れて来られても泣きも笑いもしない、根性の据わった子だったねえ」

「そうねえ、ツォベール伯の足元で外套に隠れて、可愛かったわあ。あの頃は流石に着せ替え遊びできる空気じゃなかったけれど、今は随分柔らかくなったわね。少しはこっちを信用してくれる気になったのかしら、うふふ」

「まあ一応自分の国の王様・王妃様・王子様には心得てるものがあるっちゅーのはありますよ」

「お前俺に心得てるつもりだったのか……」

「シツレーやな!」

 けらけら笑い合ってから、試合は第二回戦に続いた。

 それを三回やっても、炉吏子が母上に勝ち越せることはなかったが。


「ヴォロージャ」

「はい? 父上」

「お前はあの子が好きなのかな?」

 父上までそんなことを言うか……俺、なんかあいつに対して変なんだろうか。不安になって来る。一週間足らずでそんなことを訊ねられるのが三度も四度も続くと。

「ただの友達ですよ。クラスメート以上ではあるかな。でも他の連中と一緒です、それは」

「そうか」

 くっくっく、父上は笑う。何か含みがあって、ベンチに腰掛けた尻がムズムズした。

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