第11話

「あの、御用とは何でしょう、殿下」

 昼過ぎの裏庭、校舎を前に立っている俺の背中に掛けられた声は少し震えていた。都合のいい勘違いを起こしている期待を込めた言葉に、俺は振り向かない。面と向かって言うのは俺だって気まずいものがあるのだ。男子と女子であるからには。期待させないように、勘違いさせないように。いくら初めてペンを取った相手だとしても。

 否、最初にペンを取ったのは炉吏子を城に招待するときに筆談した方が先になるのだろうか。レポート用紙越しの会話。手紙とはとても呼べないが、自分の思いを紙で相手に伝えると言うのなら、あっちの方が早い。


 俺が彼女に送った手紙には、最低限の事しか書いていなかった。昼休み、裏庭にて待つ。ウラジーミル・ド・ヴォルコフ。それだけで期待されるのも、この王子と言う立場がさせるものなのだろう。いっそ学園に通う時は偽名でも付けていれば良かったのに、父上も母上も。一国の王子が学園通い、どこから何が飛んでくるか分からない、そんな状態で放り出す。

 まあ王子なのだからいずればれるのは仕方ないだろうし、この学園を小さな社交場と考えたら、この方が良かったのかもしれない。女子を袖にする方法は、嫌と言うほど学んで来た。学齢になってから始めの頃は戸惑ってばかりいたし、ラブレターにもすべて目を通していたが、今はそんな事もしない。だから彼女が俺に手紙を出したことがあるのかも知らないぐらいだ。薄情だが、仕方ないと思って欲しい。博愛ではないのだ、王子だって。みんなを平等にしている事なんて、まだ出来ない。殻の付いたヒヨコのようなものだ。


「ローリィ・ド・ツォベールのロッカーに手紙を入れたのは君だな?」


 校舎に向かって跳ね返った声は存外響く。すると後ろで、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。やはり当たっていたんだろう、まあ確信はあったからこんな事をしている訳だが。教師に話しても良いがそれでは憎悪を増大させるだけだろうと言う事で、俺自ら断罪しようとしているのだ。どちらかと言えば感謝して欲しいぐらいだと思う。俺自ら引導を渡す相手は初めてだ、多分。


「どうして……、どうしてそんなことを仰いますの、殿下。私は何も存じ上げません。あの指の傷だって、」

「何故手紙と傷がセットだと知っている?」

「ッ」

「それは教師以外、まだ誰も知らない事だ」

 ふるふるとその身体が震えているのが、草の音で分かる。さてどんな言い訳をするのかな、思って黙っていると、泣き喘ぐような声が絞り出された。

「だって、あの方は奔放すぎますわ! 殿下の事も軽視なさっていますし、そのくせその隣に陣取ってッ。いくら辺境伯の令嬢だとしても、郷に入らば郷に従えと言うではありませんか。あ、あの方は殿下を尊重するべきです! いくら親戚でも、王都では私たちの方が殿下に近かったのにッ」

「つまりは嫉妬か。下らん」

「下らなくなんてありませんわ! 私たちがどんな思いで殿下を見ているのか、あの方は御存知ないのですもの!」

「そんな事は俺だって知らない。愛されているのだろうと思っても、俺の周りの席はいつもガラガラだった。そこにローリィ嬢が入って来ただけだ。偏見も憧憬も持たずに正々堂々と真っ向から向かって来た。俺はそれを受け入れるのにやぶさかではなかった。それだけだ」

「殿下はあの方を愛しているのですか?」

「そんなことは問題じゃない」

「大問題ですわ! 私や、他の生徒にとっては!」


 泣き叫ぶ声がキンと響いて煩い。内緒話には良い場所だが、壁が三方を囲んでいる特殊な立地は少しの声も大きくさせた。溜息が出そうなのを押さえるのは、これ以上相手を興奮させないため。答えは三日前にここで出したものと同じだ。面倒を起こさない相手の方が好ましいと言うだけ。愛してる? そんな複雑な感情はまだ知らない。女子みたいに背伸びしたい年頃には、まだなっていない。

 学食を一緒にしたり、遠慮なく話し掛けたり話し掛けられたりするのが楽しいだけだ。友人である、という認識が一番近い。クラスメートであるだけの彼女よりは、少し好き。多分今の俺に出せる答えはそれが精いっぱいだ。愛情らしい感情をぶつけられても、俺は炉吏子ようにそれをひょいと避けるだろう。今はまだ、知った事じゃない。俺自身にとっても。だから愛情の在不在を問われても、答えられない。

 好き? 何だそれ。ラザニアより美味い?

「俺は俺を友人だと思ってくれる相手には誠意で返す。だが君のような感情を持ってる相手はいない。君は俺を友人にすらしていないんだから、それ以上は求められても困るだけだ」

「殿下……!」

「話は以上だ。件の封筒は教師に預けてある。今後またローリィ嬢に何かあれば、封筒の鑑定をしてもらい君を真っ先に疑うだけだ。自分にまで傷を付けて得たものがあったのか、よく考えると良い」

 言って俺は後ろを向き、顔を押さえて泣いている三つ編みの女子の気配を振り切るように校舎へと戻った。さて、学食行くか。あいつらはもう食い終わってるだろうな。一人で食うのも味気ないが、時間が合うのが今しかなかったんだから仕方あるまい。やっと我慢していた盛大な溜息を吐いてから、俺は背を伸ばして歩みを進める。


「ヴォロージャ」

 声を掛けられて振り向くと、いつもの友人がひょい、と手を挙げて挨拶して来る。きょとりとしてしまうと、ししっと歯を鳴らして笑われた。

「様子が変だったからな、ちょっと後つけさせてもらった。ローリィちゃんの指の怪我、女子の嫌がらせだったんだな」

「女子、で一括りにしてやるな。大体初日からあいつ呼び出されてたぜ。ブラックレターのおまけつきでな」

「陰湿な奴はやだねー。昨日の体育で大分みんなさっぱりしてたと思ったけど、まだローリィちゃん敵視してる奴がいるのか。面倒だな、まったく」

「彼女はテニス選択だから知らなかったんだろう。噂が広がり切るまではもう少しって所だろうな。見下す要件を一つずつ潰していかなきゃならんのは面倒だが、勝手にしぶとく乗り切るだろう。あいつなら」

「やっぱりお前らちょっと似てるわ」

「はぁ?」

 首を傾げると、また笑われる。母上に似ているとは思ったが、そうなると息子の俺にも似ていることになるのか? 俺はどちらかというと父上似だと思っていたんだが。少し頬を引っ張ってしまう。まだ顔が作られていない、子供の皮膚が伸びる。

「一人でも困らないけど、そうじゃなくなると滅茶苦茶強い。ほら、ローリィちゃんと友達待たせてんだから、さっさと食堂行こうぜ。今日は何喰うかなー」

「…………。俺は東洋料理でも試してみるか」

「お、最近のコックの一押しだぜ、東洋料理は。城で食えないチープな味の体験できるから、俺もお勧めだ」

「はいはい」


 一人でも立っていられる。孤立していることは出来る。でもそうじゃなくなったら。笑う顔。椿油の香り。くるくるの巻き毛。白い頬。あんず色の眼。笑う。泣かない。驚かない。悲しまない。鬱陶しくしない。異国のイントネーション。俺を呼ぶ声。知らない距離感。

 でも、そのすべてが悪くない。

 俺は自分で思うより、あいつの事を気に入っているのかもしれない。笑みを掌の中に隠しながら、俺は歩く。ライトブラウンの巻き毛が待っている方へ。

「ヴォロージャ! 何しててん、腹減ったからはよ何か食べよー」

「ローリィ! 殿下に向かって気安い! でもお腹空いてるのは同じだから、早く行きましょう、殿下。メニュー無くなっちゃいますわ」

「そうだな、行こう」

 炉吏子は包帯の痛々しい手を振って歩く。その後ろを俺達も付いて行く。昨日炉吏子が食ってたの、あれ頼んでみようかな。でも麵も美味しそうだった。思い出すと腹が鳴る。そう長時間話し込んでいたとは思わないが、早く胃に何か突っ込みたい。ストレスの発散も兼ねて。

「食堂は甘いものもあってええと思うんやけどなー」

「ジュースだけじゃあ確かに物足りないかもね」

「メシとジュースとかゲロ組み合わせだな、おい」

「クリームソーダ食いたい……」

「学食って言うより喫茶店やんか。あははっ」

 笑う炉吏子に、俺達も笑った。

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