第8話

 初手から顔面を狙って来た剣をひょいとかわし、横薙ぎに修正されたそれもひゅんと避けた炉吏子のスペックに、驚いたのは教官たちだった。何度も何度もそんな剣を振るいながら、疲れて来るのは勿論相手の方である。細いフルーレでも肩や膝に負担は掛かるし、炉吏子の呼吸も見えない。ちなみに相手の呼吸は乱れまくっていたので、いつでもとどめを刺せる状態になっていた。のらりくらり鋭い突きをかわし続け、相手が膝を崩したところでぷすっと脳天を突く。以上。そんな試合が五本ほど続いたところで、ふはっと笑ったのは友人だった。


「完全に決着ついちゃってるじゃん、ローリィちゃんやるねー。男子に入ってもあの動きされたら生半な奴には負けねーんじゃねーの? 相手には一本も取らせず自分は一撃必殺って、本当に実践剣術学んでたんだな。ツォベール伯がおっかないわ、娘にそんなん仕込むとか。しかも九歳に。一日二日の剣じゃないから、もっと幼い頃からやってたと見て良いな」

「心配して損したけど、敵に回したくなくてぞっとするな……」

「お。ヴォロージャ、次俺達だぜ」

「ああ、うん」

 もう少し見ていたいのは本音だったが、俺も俺で自分の実力を示しておかなければ面目が立たないだろう。あんだけ心配しといて自分はヘタレじゃ格好悪い。

 ふぅっと息を整え、俺は剣先を相手に向ける。それからポーズを取って、狙うのは俺の場合心臓だ。しかしそれは相手も解っている。何と言っても幼稚部からの腐れ縁だし、体育の組み打ちも大概こいつとこなしてきたからだ。王子だと思って解り易く手を抜いたりもしない、良い奴だと思う。でも負けない、と思っているのはお互いだ。今の所実力は五部、伯仲していると言える。だからこそ一戦一戦が、本物の命懸けになって来る。


 剣術だって俺は別にそう鍛えなくても良い立場だ。むしろ良い護衛を探す方が大事になる。しかし誰とも知れない相手をそうするのは危ないし、だからこの授業で俺は自分が即位する時の為の懐刀を探していると言っても良い。同学年しか見聞できないのは少々口惜しいが、こいつはかなり良い線を持っていると思うので、その剣を確かめるためにも、俺自身を高めるためにも、良い相手だった。

 ひゅんっと伸ばされる腕。ぎりぎりで避けて心臓を狙う。ステップを踏んで距離を取られる。また睨み合い。お前たちの試合は見つめ合っている時間が多すぎる、とは、教官にも言われたことだ。実戦ならそんな暇はないと。それは俺もそう思うが、だからこそ競技としては時間を掛けたいのも事実だった。次は俺から頭を狙う。掠ってシィッと音が立つ。胸元に伸びる剣。仰け反って避ける。バランスが崩れた所で一閃、と思うと同時に炉吏子の剣を思い出す。


 腰を落として避け、起きがてら俺の剣は相手の心臓を一突きにした。

 けふけふっと咳き込む音。

 何とか、今日は勝てた。


「ローリィちゃんの戦法さっさと自分のものにしやがって、このやろー」

「偶然だ。でも良い勝負だったな」

「ローリィちゃんは全勝だってよ。一気にトップに躍り出て来たな」

「目立たない方が良いと俺は思うんだがなあ……」

 髪一つ乱さずに興奮した級友と笑いながら話しているのを眺め、ほっと俺は安心する。目立つきっかけになってしまったのは俺だが、とヘルメットを取る。乱れた髪をぐいぐいひっぱって直すと、体育館の開いた窓からの風が髪に心地良かった。


 それにしてもあの剣術、確かにただ者とは思えない。確実に人を殺すための技術だった。殺気なんて知らない子供たちにはまるで届かぬ高みである。授業じゃない剣術。それは俺もまだ知らない。城の近衛兵たちの訓練とも違う。あれは誰を殺すために身に付けられた術なんだろう。

 と、炉吏子の眼がこっちを向く。

 パッパッと手を振られ、微笑まれる。

 大丈夫だと言いたいらしいが、頽れているお嬢様軍団も気遣ってやって欲しいのは本音だった。男子ばかりと仲良くするのも良くない。もっとも負けてすっきりした顔になっている連中もいるが。清々しく握手を交わす相手が何人もいて、良かったな、と思う。これで俺の荷物は終わりだ。炉吏子はクラスにも、学年全体にも、認められることになるだろう。実力主義。強ければなんだって許される、とまでは行かないが、俺が助けたのとはまた別の方向の力があるのに気付かれたのは僥倖だ。

 後は自分で何とかしていくだろう。それだけのバイタリティを、彼女は持っている。

 ――と言うのに。


「何でお前は食堂でわざわざ隣の席に座って来るかな……女子の友達も出来たんだろ、そっち行けよ」

「そりゃ称える為やん、ヴォロージャ」

 いつの間にか人前で愛称呼ばれてるし。

 東洋料理の炊いた米が炒められて卵や海鮮と一緒になっている奴を食べながら、けらけらと炉吏子は笑った。逆隣りにはちょっと気の強い、だけどさっぱりした性格であるのを知っている級友の女子がいて、そっちは麵料理を食っているので伸びない内にと一生懸命である。俺の方にはいつもの友人。そちらは揚げた鶏肉にマヨネーズベースのソースを掛けたやはり東洋料理だ。最近流行ってるのか、これら。俺も食ってみるべきなのか? ラザニアにフォークをぶっ差しながら、俺は訊ねる。何をだよ。

「お互いの健闘に決まってるやん! 王子案外剣達者やんなあ、驚いたわ。もっとインドアで政治経済の事ばっか習っとるかと思ってたのに、えげつない心臓一突きでべっくらこいたでー! あれ真剣やったら相手死んどるやん。怖いわー」

「脳天一突きオンリーで全勝した奴に言われたくねーわ。お前何目指してんの? つーかツォベール伯は何を仕込んでるの。地味にお前が怖くなったわ、こっちは」

「えー、やって元々国境付近って領土問題湧きやすいねん。それこそこの竹はどっちの物だ、の一つで住人たちが争い出すんやで。自分を鍛えとくのは当たり前やん。王都での剣術授業の方がうちには謎やで。ここまで侵略されたらアウトやんか」


 うちの国は南北に長い。炉吏子の実家は北側の国境付近、王都があるのは南側の肥沃な台地だ。確かに南の海からも攻められやすいし、北からも攻められやすい。ここまで敵が来たら脱走の準備も出来ずに逃げ落ちることになるだろう。学術としての剣じゃ、とても敵国には敵わない。

 だが戦えると思っておくのは結構大事なことだとも思っている。いざと言う時が来ても剣一つ握るだけで闘争心は沸き上がる。それは生きる術になる。誰かを守ったり、逃がしたり、出来る力になる。

 俺は、ウラジーミル・ド・ヴォルコフは、そう考える。

 ――まあそんな事丁寧に質疑応答してやらないが。ラザニアを口に運ぶ。じゅぅっと肉汁が出て美味い。やっぱり学食の味はたまらない。それは友人たちと囲む席だからかもしれない。

「色々考えがあっての実習なんだよ。弱いより強い方が良いだろ、何かと」

「あー、押しの強い方がええって事もあるしな……王妃様とか……」

「あなた王妃様と謁見してるの!?」

 隣の女子が麺を吹きながらそんなことを訊いて来る。

「お茶に呼ばれただけやで、親戚のおばちゃんになるひとやしな。強引でご機嫌で幼女みたいな人やった」

「かつて学園を牛耳っていた王妃様にそんなこと言えるのって凄いわよ……って言うか親戚のおばちゃんはないでしょ。不敬罪でしょっ引かれるわよ、ローリィ」

「それは無いと思うけど、フランクな人やったで。そんでもって根が図太い」

「言われてるぞヴォロージャ」

「否定箇所が見付からんから良い」

 ホントあの人は根が図太いからな。うちの父上が側室を持たないのも、案外一人で十分だからかもしれない。悋気を買うのは。王子を土下座させた女として今でも学園に語り継がれているし。


 そんなわけで、女の戦いは終わった――ように、見えた。

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