第7話

 まずはまだ炉吏子に対して何の感情も抱いていない層の女子から落としていくことになったが、それがどの辺りなのか、何と声を掛ければ良いのかから大問題だった。母上はただ『おはよう』から始めれば良いじゃない、と楽天的だった。母は大貴族の令嬢だったからそれで済んだだろうが、炉吏子の場合は辺境伯と言う実に中途半端な地方の権力者の娘なので、そう簡単に返事がもらえるかは分からない。その為にあなたが必要なのよ、と言われ、王子の友人ならば無碍にはしないだろうと言う事で、俺は朝から教室の前で登校してくる炉吏子を待つ羽目になった。

 きっちりした制服姿は昨日のドレスと違い、飾りっ毛がない。綺麗に梳かされた髪の縦ロールと、それをキープする椿油の香りにはもう三日目にして慣れていた。よう、と声を掛けると、ちょっと心配そうな目で見られ、俺も気分は同様だと応えたくなる。しかしそう言うわけにもいかない。手を取ってホームルームを取るあの階段状の教室に入ると、男子がひゅーっと口笛を吹き、女子は狼狽えていた。王子自らのエスコートで入って来た娘を、無視できる令嬢は少ない。一昨日の女子たちも目を丸めて唖然としていた。そこに炉吏子は、

「おはようございます」

 それだけでも訛っているのが解る挨拶をした。

「お、おはようございます、ローリィ様」

「おはようございます」

「おはよう……ございます」

 内気な女子たちに何とか対応され、ほっと息を吐く俺達である。


 席はもう今更どこに行ったところで同じだろうと言う事で、結局俺の隣に座ることになった。すると今度は男子が寄って来て詮索して来る。なあなあ、と話しかけられ、やっと人心地ついた俺は、おう、と応える。親友と呼べるほどの仲の人間はいないが、気安い相手は何人もいた。幼稚部から一緒の奴もいる。王子だなんて今更崇めるつもりもないのが気に入っていたが、流石に女子一人エスコートしてきた後だと浮足立っているのは彼らの方になっている。

「なんだ、ローリィちゃんと一緒に教室入りなんて、お前ら進展早くねえ?」

「クラスで孤立しないための円滑な社交術だと言ってもらおうか。別に進展も後退もしてねえよ。ツォベール伯は父の従兄弟だからな、俺達自体親戚なんだよ。呼び方は解んねーけど」

「はとこ? またいとこ? まあそう言う事にしといてやるか。ツォベール伯の領地は隣国に近いしな。さっきもちょっと訛ってたし。もしかしてローリィちゃんそれが恥ずかしくて喋んなかったの?」

 話題を放られた隣の席の炉吏子は、こくん、と頷く。なーんだ、言って男子はけらけら笑った。悪意はない笑みである。

「そんなん幼稚部からどこの言葉か分かんねー奴と一緒に居たぐらいなんだから、恥ずかしがらなくて良いんだぜーローリィちゃん。こいつとか昔はすごく訛ってて」

「わわっ僕に振るなよ!」

 眼鏡を掛けた男子が首に腕をを引っ掛けられて引き寄せられる。

「だべ? とか、ほんつけなし、とか、解んねーの一生懸命解読して来たんだよなー。そしたらこいつも訛りが抜けて来て、俺達も訛りが解るようになって、一石二鳥だったんだぜ。気にせず色々喋ろーや」

「え、えろうすんまへんなあ。せやけどうちもかなりお国言葉出る事あると思うんで、よろしゅう頼んます」

「女の子は訛ってても可愛いな。ヴォロージャ、対決は今日の体育でつけよう」

「何の対決だ。親戚以上には思ってないぞ、俺だって。女子に変な噂立てるのは止めてやれ」

「でも寮生の上級生が、昨日王家の馬車がローリィさんを連れてくの見たって言ってたよ」

「母上の強制出席茶会に呼んだだけだ。親戚で同級生なら顔も見ておきたいって言ってな」

「まあそう言う事にしておいてやるけどよ。そう言えばローリィちゃんは今日の体育の選択何にしたんだ? 女子だからテニス?」


 うちの学園は体育と芸術が選択科目に設定されている。ちなみに昨日は芸術だったが、意外にも彼女の選択は手習いだった。将来に備えて字を整えておきたいとのこと。俺は用意するものがないので楽な音楽にしている。将来が決まっているので楽観的に選択できた。適度に好きで大成しなくても良い物に。

 さてそう言えば体育は何だろう。テニスと剣術があるが、俺とこの級友は剣術である。女子だしやはりテニス――

「うちは剣術選んだで」

「剣術ぅ!?」

 素っ頓狂な声が出て、一瞬教室中の視線を集める俺達である。

「何でまたそんな? 模造刀とは言え刃物扱うんだよ? 下手したら怪我するかもしれねーじゃん、辺境伯家の教育ってそんなスパルタなわけ? 男は黙って剣術って校風だけど、女子の剣術は珍しいぜ?」

「何やあった時に自分も一兵卒として数えられたら便利やおもて、剣術は昔から習わされててん。テニスの方がルール覚えることから始めなかんから面倒やし、剣術にしたんや」

「へー……ヴォロージャより強い?」

 失礼な質問だなオイ。

「手合わせしたことないから分からんなあ、それは。うちの教官の採点甘かった思うし、そない得手でもないんとちゃうかな」

「ほへー、そっかあ。……まあ、負けんなよ、男の子!」

 ぽん、と片手を肩に乗せられて、ぺいっとそれを振り払う。しかし剣術。女子は選択してるの相当少ないぞ。とは言え他クラスと合同だからそれなりに人数はいるか。そう言えば――


 最初の日、炉吏子を締め上げていた連中も、選択剣術だったような気が。

 まあそこは俺がどうこう口を出せる問題ではないので、炉吏子に踏ん張ってもらおう。顔に傷がつくようなことがなければ良いのだが。まあ何にせよ、俺がしゃしゃり出られる場面ではない。そっと気配を窺うと、やっぱりその女子たちがくすくす笑いながら炉吏子を指さしているのが分かった。

 授業なら堂々と締め上げられると思っているんだろう。大人しく締め上げられてくれる相手なら良いが、あいにく相手は大分勝気で図太い炉吏子だ。怪我をしないようにな、と思ったところで、チャイムが鳴り担任が入って来る。

 体育は昼前の四時限目。さて相手はどう出るか。正々堂々勝負してくれるような奴らだったら、裏庭で転校生を締め上げたりしないだろう。思うと心配になって来て、何故だか俺の方が腹が痛かった。

「なあお前、本当に大丈夫なのか?」

「体育なんやからヘルメットぐらい着けるやろ? うちそんな忖度もされひん教育方針やったし、実剣ばっかり使ってたから、お嬢様には負けひん思うけど。王子様はどないやろな」

「ふざけてる場合じゃなく。連中無茶苦茶になってお前に罰点付けようとしてくるぞ。気を付けないと暴力的な生徒と見られて実習室行きだ」

「何させられんの?」

「反省文」

「ぷっ」

 口元を押さえて笑った炉吏子は、余裕そうにひらひらと手を振った。

「そんなんでうちが収まる思たら大間違いやで」

 尊大なその態度は、後に正しかったと証明される。


 授業態度は可もなく不可もない炉吏子だが、体育には何かやる気が起こっているらしく、体育着に着替えて出て来てからの彼女の様子はわくわくしているようだった。ツォベール伯にスパルタで鍛えられていたから文系も理数系も危なげない――と言うか九歳の時点で危なかったら人生自体がよっぽどやばいか――様子を見せていたし、芸術の方も特に問題はなかったらしいから、危なっかしく思っているのはおそらく俺だけだろう。しかも文字通りの実力勝負、ドレス越しの細い手しか知らない俺としては十分胃が痛くなって良い立場だと思う。

 俺も俺で模擬戦があるからそうじっと見ている訳にも行かないが、ヘルメットを付けてから俺の視線に気付いたらしい炉吏子はぱたぱたその手を振って来た。だから。そういう態度がお前を追い詰めるんだよ。ポニーテールにまとめ上げられた毛量の多い後ろ姿に溜息を吐いていると、俺の首にもぐいっと腕が回る。いつものクラスメートは、さて、と言って俺に囁きかけた。

「どっちが勝つと思う? 連れ去りお嬢様集団対辺境伯令嬢」

「どっちも怪我しなきゃそれで良い」

「怪我は大丈夫だろ、スーツ着てるしヘルメットも被ってるし」

「だと良いんだけどな――」


 はじめ、とホイッスルが鳴った。

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