第5話

 寮に向かう炉吏子をなるべく短時間で拾い上げると、馬車は城に向かう。ほへーっとして窓を見ているのを訝ると、炉吏子は馬車慣れしていないらしい。

「やって辺境やったからねえ、うちが住んどるの。そんな広い領地でもなかったし、珍しわぁ。王都には何回か来た事あるけど、殆ど寝っぱなしやったもん。今回かて転校するのに気疲れしてぐーすかずっと眠ってたわ」

「そういやお前、何で三年なんて微妙な時期に転校してきたんだ? 辺境でも学校はあるだろう」

「武者修行や! 僻地しか知らんと、王都に出入りするのが億劫になってしまうからなあ。今の所おとんの子供は生まれてへんから、うちが家督継がなあかんことになるし、そしたら王都とはもっと密接な付き合いがないとあかんやろ? うち一応人質やし。本来なら継承権もないねんけど、おとんバシバシうちにスパルタ教育するから多分結構な重責負わせて来る思うねん。やったら王都での遊学は必要なって来るおもて、こっちに来たんや」

「逞しいなお前」

「こちとら人質やねんで? 図太く生きなあかんわ。いつどーなってしまうかも分からんしな」

「物騒なこと言うな。何だ、辺境伯家で内乱でも起こってるのか?」

「うーん、うちが継ぐかどうかでちょっとピリピリしてるのはあるやんな。所詮異邦人やで、うち。この言葉遣いも直さなあかんやろから王都で躾けられるのは悪い気もせえへんねん。ブラックレターでもな! 文法間違ってるとか添削して自分の知識を確認するのは、結構良いことやねんで? 王子様」


 あんず色の眼を細めながら炉吏子は言う。心底から楽しそうで、そのあまりの図太さにずりっと俺は椅子から滑り落ちかけた。確かに辺境伯家のお家騒動は凄いことになりそうだが、こいつはそれを楽しんでいる節がある。所詮他人事だと思っているのか、それとも自分の地位に絶対の自信があるのか。解らないが、こいつを敵に回すと厄介そうだな、と言う気はした。昨日のうちに恩を売っておいて良かったと、心から思う。


 そうこう話しているうちに、馬車は城へと辿り着く。先に降りてから炉吏子の方に手を差し出せば、きょとん、とした顔をされた。エスコートだよ、と言えば、ああ、と合点が言った顔になり、ちょっと恥ずかしそうに手を繋いでくる。なんでそこで照れる。釣られて赤くなりそうな自分を自覚すると、炉吏子が今まで俺の傍にいたタイプの人間とは全然違うのだと思わせられた。

 自分の事をぺちゃくちゃ喋り、時に笑う。そう言うタイプの人間は俺の傍に今まであまりいなかったし、大概は傾聴に徹するばかりで自分の言う事を聴くだけの女達ばかりだった。対等な話し合いの出来る友人は男子の方が圧倒的に多い。憚らぬこと、と躾けられている女子は、あまり面白い話し相手ではなかった。でも炉吏子は、その異国訛りも含めて、どちらとも違う。親戚だという安心感――正確には違うが――、余計なことを漏らさないと言う安堵感、ずけずけ物を言う気安さ。大口開けてけらけら笑うのは豪快さすら感じる。

 学園にいる時には決して見せない顔だろうと思うことは、特別感に繋がって、ちょっと嬉しかったりもした。他の生徒とは違うと言う優越感。俺だけが知っている、本物の炉吏子。無口で不愛想なローリィじゃない、勝ち気で笑い上戸の炉吏子。

 もっともその陽気さが母上にばれてしまうと思えば、少しは悔しい気もした。あの母相手に炉吏子が無口を貫けるかは分からないからだ。一応ペンとインクとレポート用紙はあるが、さてはてどうなる事やら。


 馬車を下りて城に入ると、お喋り大好きなメイド達があっという間に炉吏子を攫って行った。おそらくは母上の言いつけだろう、多分これから色んな服をフィッティングさせられる。ドンマイ、と思いながら俺は自室に戻り、筆記具を鞄から取り出した。それらを机に置き、自分も着替える。天気が良いからお茶をするならテラスだろうな、と思って、一応上着も着た。それからファイルにペンや紙を入れて、ドアを開けるとメイドが一人控えている。

 こちらです、と案内されたのはやっぱりテラスだった。しかしまだ誰の姿もなく、ティーカップも伏せられている。炉吏子はあの髪だからいじられて大変だろうな、と他人事のように思いながら、俺は庭を眺めた。季節の薔薇に、他の花々。正直薔薇以外はよく解らないし、薔薇でも分からなかったりする俺は、庭師にとってはやりがいの無い相手だろう。すぐに新しいものに気付いて褒めてくれる母上は良い相手なのだろうな、と思う。

 父上も解らないものは図鑑で調べたりする程度には勤勉なので、庭の手入れは欠かされることのない我が家の自慢だ。俺は調べない。見て綺麗ならそれで良いと思っているから。本当に甲斐性がないと自分でも思う。でも綺麗だと伝えることはしているので、老齢の庭師も腕を振るってくれる。それで良いじゃないか。


 こちらです、とさっきと同じメイドの声がして、俺はキィと音を立てたドアの方に目を向けた。先に入って来たのは母上で、先日のパーティーに合わせて誂えた一番新しいドレスを着ている。紺青のそれは母に似合っていて、着飾るのが好きなだけあってセンスは良いんだよな、と思わされた。アップになった長いブラウンの髪、控えめなピアスとは非対称の豪奢なネックレス。そしてその後ろをよろよろと付いてくるのは、炉吏子だった。


 深緑のドレスは母のクローゼットで見たことのあるもの。袖や裾からは白いレースが覗いていて、靴も幾分高いものになっているのが母との身長差でよく解る。蔓薔薇の意匠が金色で刺繍されていて、単純にそれは綺麗だった。城に輿入れの際厳選してきたドレスだから母としては当たり前のように美しいのだろうが、それでも炉吏子の白い肌と明るい茶色の髪との相性は抜群だった。母も昔はこんな色の髪をしていたからだろうか。その頃に仕立てたものは、当たり前だが今よりちょっと色味が違う。

 黒いタイツも脱がされて、白いそれになっているのがまるでバレリーナのようだった。多少ぐったりしていた炉吏子は俺をじろりと睨むが、すまん、脱がされる覚悟よりも着付けられる覚悟をしてもらった方が良かったのかもしれない。コルセットでアクセントを付けられた腰のあたりを見るに、相当好き勝手やられたのだろう。真面目に申し訳ないが、生きた着せ替え人形を持った心は少女の母上は、当然のように厄介だった。


 母と手を繋いで靴をこつこつ言わせながらテラスに入って来た炉吏子は、俺と母上の間に座らせられる。すると紅茶が届き、メイド達が伏せられていたカップを音もなく翻した。上品な白い磁器のカップ、その柄もまた蔓薔薇である。合わせたのか。変な所で凝った演出をするのが母上の悪い所だ。シンプル・イズ・ベストと言う言葉もあるのに、真っ向からそれを無視していくのが我が母上である。そう言えば今庭に咲いてるのも蔓薔薇だなあと遠い目で庭を見ると、うふふっと嬉しそうな母の笑う声が聞こえた。髪にレースやタイツと同じ白いリボンをくるくると混ぜられた炉吏子が、じろりと俺を睨む。悪かったって。すまんって。


「ローリィちゃんったらとっても細いのね、コルセットなしでも私のドレスが入りそうだったけれど、流石にそこは淑女の嗜みとして入れさせてもらったわ! 髪の色も昔の私に似ているから、色合いが合うドレスばっかりで色々着せて吟味しちゃったもの!」

「母上、炉吏……ローリィは母上のお人形ではありませんよ。ぐったりしてるじゃないですか。大丈夫かお前、茶菓子とか食えそうか?」

 こくん、と炉吏子は頷いて、ティーカップのハンドルを取る。俺もそうした。すると母上もカップを上げ、まだ少し熱いのを一口飲み込む。ふーっ、と一仕事終えたような清々しさで、母上は炉吏子を眺めていた。お気に入りのおもちゃのように。重ね重ね、すまん、炉吏子よ。何着着せられたとかはあえて聞くまい。多分あのクローゼット部屋を見ただけで引いただろうしな。九歳から十歳ぐらいの服だけでも四・五着はあるから、全部着せられるだけでも一苦労、その上よく見ると頬に紅をはたかれて金色のネックレスも付けられていた。大きなエメラルドの嵌められたそれは、ドレスと同じ色である。本当、センスは悪くないだけに叱れないんだよな、母上は。


「お前なんて言えちゃう仲なのねえ、たった一日で。ヴォロージャがそんなにぞんざいに出来た女の子なんて少ないものなのに、うふふ、やっぱり二人は仲良しさんなのね」

「単純に隣の席なだけです、母上。あまり詮索はしないで下さい、ローリィも困ってしまう」

「せやかてそないなんやろ? ローリィちゃん」


 え?

 母の口から出た言葉に、俺と炉吏子は一瞬顔を合わせて瞠目した。

 母はくすくす、笑っている。

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