第4話

 教科書が揃った炉吏子は、やっぱり俺の隣の席から離れなかった。単に面倒くさいのもあるんだろう、一度根付いたらそこで落ち着く。階段教室は広いから誰も座っていない席もあったが、それには黒板を見るのにオペラグラスが必要な場所ぐらいだった。

 ひそひそとねめつけてくる女子がちょっと増えた。女子は団結力が強い。もっと生産的な方向にその能力を使うことは出来ないんだろうか。思いながらも仕方がないかと俺は机の上に出した便箋に文字を書き綴っていく。ちなみにラブレターは増えた。昨日のひと悶着があったからだろう、若い燕を欲しがる上級生の字が増えていたように思う。燕って言うよりヒナか。王の、ヒナ。勿論今日も読まずに捨てる予定だが、いい加減手紙用の袋を別に持って来るのが面倒になってきている。


 もしも意中の人がいるのなら、早めに手を付けておきなさいとは元祖横綱スケコマシである父からの有り難くない助言だった。俺がもてているわけではない。王子と言う地位がもてているだけだ。そう考えると空しかったが、まあそう言う事もあるだろうと言うことで、さらさらっと文字を綴る。辺境でも字は同じだから伝わるはずだろう。訛りが多少きついだけで、読み書きに問題はない。あったら退園させられる。この学園の地位は、そこまで低くない。

 まあ金出しゃ入れるボンボン校であることは一切否定できないんだが。貴族の子女たちの語らいの場。ここでコネを作っておく必要があるのは、適齢期に見初めて貰わなければ困る女子たちだ。


 その女子たちと同じことをしているのだと思えば、ちょっとは情けない。よく回されるのは女子同士の他愛ない会話が綴られた手紙だ。俺も現在、炉吏子に同じようにしている。便箋に走らせた文字。

『今日の放課後は暇があるか?』

 部活は高学年にならないと権利がないので、課題も少ない今の時期ならどうだろうと誘ってみたのだが、あんず色の眼はちょっと細められて俺を睨んだ。何を企んでいる、とでも言いたげだ。企んでいることは企んでいるが、お互いそう悪い事でもない――利益にもならないが、悪くもならないだろう――ことなので、その辺りは勘弁してほしい。

 崩した文字はそれでも読み取れる程度には綺麗だ。訛りが出ないから筆談なら母上とも楽しくやってくれるかもしれない。もっとも母上は口より手が早い人なので、ぺちゃくちゃ一人で先回しにしてしまうだろうが。炉吏子の字はちょっと崩れたブロック体なので、速記は出来ないだろう。となるとやっぱり迷惑になるのだろうか。うーむ、考えてしまう。何でそんなこと聞くの、と返され、素直に母上がお前に会いたがっている、と返せば、ふうっと息を吐いて次の問いが走る。


『王妃様が何の用?』

『一応お前も親族だからな、一目見ておきたいんだろう』

『義父に聞いたティーパーティーの開き合いは、上級生の物だと思ったけれど』

『個人的な興味だあれは。あと脱がされる覚悟はしておいてくれ』

『どんな人なのあんたのお母さん』

『我が侭と唐突性が服を着ている歩いてるようなものだ』


 ふふっ、思わずと言った様子で笑みを零されて、もしかしたら案外着せ替え人形になってくれるかもしれない、なんて思う。城の中でなら良いだろう。それを連れて外に出たらアウトだが。俺が。外堀を埋めているという噂が立つかもしれない。外堀。確かに埋められている、母上に。


 母がそう言ったお膳立てをして俺と女の子の仲を取り持とうとするのは何も今回が初めてではなかった。学園の初等部に入ってからはちょくちょくやれどこぞの侯爵の娘だの伯爵の娘だのを紹介してきて。あとは若い二人におまかせを、なんてやって来たことは多々ある。だが俺は子供だし相手は悉皆しっかりとした年上の女の子だったので、細やかに気遣いをしてくれたが、俺は照れてそれにつっけんどんに返すばかりだった。すると空気が悪くなる。大体七歳に何を期待していると言うのか。会話の発端さえ見付けられない神妙な年齢だぞ。俺が女子に対してちょっと引き気味なのは、その所為もある。

 母上は息子を女嫌いにしたいのかと純粋に悩んで父上に相談したこともあるが、あれは本当にお見合いを楽しんで欲しがっているんだよ、と溜息交じりに言われて落胆したことがある。何と言う我が侭。自分で気に入った娘を飾り立てて息子の隣に置く。それだけで楽しいんだろう、あの人は。王妃と言っても普段はあまり娯楽が無いから、矛先は外に出ている俺に向かう。本当、なんてはた迷惑な。そして奔放な。怒りたくても怒れない。邪気がないのだから仕方ない。俺のもとを去って行った数々の令嬢たちには本当に悪いことをしたと思うが。


 ふう、とまた息を吐いた炉吏子は、『しょうがないね』と走り書く。王妃の召喚だ、非公式にも。無碍に断ることは出来まい。そう言う自分の立場を認識していないから、あの母上は性質が悪い。無邪気な悪癖。

 『でも私城までの道はまだ知らないよ』と返されたので、『帰りに寮までの途中で馬車を待たせておく』と俺は返した。寮は学園から少し歩いた場所にある。細い道だが四頭立ての馬車一つぐらいは通れるだろう。急いで拾って急いで帰る、まるで誘拐犯だが、玄関から乗せるよりよっぽど目立たないだろう。

 寮生も多くはない。殆どが王都のどこかに邸宅を構えている貴族だし、そうでなければ炉吏子のように辺境伯なんかのちょっと遠くに住んでいる貴族、或いは飛び切り頭の良かった平民だ。そしてそう言った人々は俺と言う王族を遠巻きにしているから、もしかしたら馬車の紋章も隠せるかもしれない。

 危うい手だが仕方あるまい。昨日のこともある。なるべく女子は敵に回したくないのだ。ロッカーに入っているのが手紙ではなく剃刀になりそうなことはなるべくしたくない。俺もだが、炉吏子もだ。早速ブラックレターを一枚頂戴したらしいし。中身は美辞麗句に見える嫌味がたっぷりと。その修飾語で昨日の連中が頭を絞って書いたものだと知れるが、証拠はないし炉吏子も気にしていない。剃刀でも入ってたら洒落にならんぞ、とは言ったが、大したことないよ、と一蹴された。

 確かに彼女には大したことがないのかもしれないと思わせるような泰然ぶりに、ちょっと男らしさを感じたのも確かである。強い。俺の周りってこんな強い女ばっかりだな。嬉しいんだか悪いんだか。筆頭は貴方ですよ、母上。


 取り敢えず炉吏子の了承を得たと言う事で、俺は昼休み、秘密裏に連れ込んでいた伝書鳩の足に赤いリボンを結わえて飛ばした。白なら交渉失敗、赤なら成功と決めていたのだ。多分母上はうきうき紅茶を選んでいるだろう。そしてドレスのクローゼットを開けているだろう。母が輿入れの際に持ち込んだ衣装はベビードレスから数えて何百枚にもなった。武器庫を一つ潰したとの噂だ。それらは俺も着せられたが、流石に幼稚部になってからは着なくなった。あからさまな女物が恥ずかしくなったのだ。母は残念がったが、次は男の子の服で遊べると気付いてから、仕立て屋にスケッチを持ち込んだりして俺のクローゼットも半分は埋まりつつある。成長期にそんなに作っても仕方ないだろうと思うのだが、母の欲望はとどまるところを知らないのだ。まったく。本当に、まったく。


 炉吏子と時間をずらした学食で、俺はグラタンを頼む。焼き上がるまでちょっと時間が掛かるが、学食のグラタンは至高なのだ。城のシェフには言えないが、学園で一番楽しみなのが食事と言うのも間の抜けた話である。俺にはやっぱり、女子の好き好きあれこれよりも、こういう時間の方が大切なのだ。友人の隣に座ると、今日は転校生とじゃなくて良いのか、などとからかわれる。昨日のを見られていたのか、まあ構わない。

 食ってる時ぐらい好きにしたいんだよ、と言えば、違いない、とけらけら笑って返された。女子はやべーからな。ほんとにやべー。思いながら俺はマカロニを口にする。

 まだ熱かったので、舌を火傷した。

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