第3話

「まあ、ツォベール辺境伯を知らない子が学園にもいるのねぇ」

 きゃあー、と言った様子で両手を口元に置いた母上は、ちょっと俺と言う子供を特別扱いしなさすぎであると思う。歴史の勉強はまだ中世で止まっていると言うのに、近代の偉人なんて九歳じゃ知った事ないだろう。まだお茶会を開いてあーだこーだ情報の取り扱いをしていない年齢だ、九歳なんて。高学年にもなればドレスで社交界デビューする家もあるだろうが――まあ、俺もツォベール辺境伯の事はよく知らないが。父上の従兄弟で、俺にもよくしてくれた、ぐらいしか。その陰にあのあんず色の眼があったかは覚えていない。

 跪いて手を取り、こんにちは未来の王様、と笑った顔は柔和だった。それでも中身は辣腕企業家、子供一人と引き換えに一国とのマネーゲームを楽しんでいる節すらある。

 よく解らない人の事だからあまり言えないが、と俺はサラダのルッコラを口に食んだ。サラダは好きだ、ドレッシングによるが。今日の夕飯はパスタ。胡椒のしこたま掛かったピリ辛なカルボナーラだった。胡椒は貴重品だが、これもツォベール伯が噛んでいるものだと思えば人質交換として放り投げられてきた炉吏子の身が切ない。かと言って残したりはしないけれど。


 夕飯の席は、炉吏子――ローリィの事ばかりだった。都合で隣の席になった、と伝えると、母上はすっかりお友達ね、と笑い、父上も手を付けるのが早いぞ、と苦笑をくれた。二人はどこまで炉吏子の事を知っているのか、解らないが俺が近づいて良い顔をするのだからそんなに警戒はしていないんだろう。炉吏子とは食堂でオムライスを一緒に食べた後、午後の授業も付かず離れずに何も言わず何も聞かず黙ってノートを取って教科書を譲り合った。

 女子は眼を腫らしているのが何人か見受けられたが、男子はニヤニヤして俺を見、他の女子はきょとんとしているばかりだった。俺の所為じゃない。自業自得だ。勿論そのことは両親に話していない。学園での社交術は、俺任せだからだ。そのぐらい信頼されている息子なのだ、俺は。伊達に生まれた時から帝王学を学んじゃいない。


「ツォベールは隠遁した叔父上の代で大分財産を増やしたからねえ。まだ社交界以外にはそれほど浸透していないのかもしれないが、無知は罪だよ。これから学んでいけると良いね、その子たちも。ちなみに肝心のローリィ嬢はどうだったんだい?」

「女子に囲まれて吊し上げ食らっても大笑いしてました。泣くほど」

「肝の太い子だねえそれは。私ならめそめそとしてしまうよ」

「あなたは自業自得でいらっしゃったじゃないですか。五つ股掛けて全員の前で土下座していたのは学園での良い思い出ですわよ」

「私にとっては苦い苦い思い出だよ、しかも婚約者が更に別にいてそっちからも平手打ち食らって……婚約破棄を仄めかされた時にはどうしようかと」

「しなかったんですね、結局」

「そう、結局。学園内で起こった事は不問に処されるものよ。だから私は王妃なんてやっているんですからね。隣の玉座に座ったこの人がまたどこぞのお嬢様に粉掛けないよう見張っている意味でも」

「いい加減に見直して欲しい。父悲しい」

「母強い。まあ、教科書が揃ってもローリィは俺の隣の席にいるでしょうね。面白い扱いされたのはちょっと癪ですが、俺も学友に女子が一人ぐらい欲しい所ですし、それなら立場がそう段レベルに差のある相手ではない方が気安い。男同士ならなんとかただの友達、が成立するんですが、なんで女子は惚れた腫れたでしか物を見られないのか、九歳の俺にはまだまだ謎です」

「あら、小さい頃にお人形遊びで教えたじゃないの」

「いつですかそれ。何を?」

「まだあなたが手にある物を何でも口に入れちゃう年だった頃よ。女の子は花嫁さんになるのが夢だ、って。私はなんだかんだ愛想尽かさずこの人のお嫁さんになれて幸せよ。可愛い息子もいるし、可愛いお嫁さんも来るだろうし。楽しみねえ、あなた」

「そ、そうだね」

「何か言いたそうね?」

「とんでもない」


 本当とんでもないな。パスタの切れっぱしと格闘しながら俺は二人を見る。母は大貴族の令嬢だったし、父は一人っ子で次期国王内定だった。二人を纏めたのはお爺様だと言うけれど、随分前に亡くなったので俺にはあまり覚えがない。ただ、その策は成功していたんだと思う。ちょっと悋気が強めの母と、何でも思い通りになる生活をしていた父と。主に女性関係だけど。


「そうだわ、そのローリィちゃんの社交界デビューとしてお茶会を開いたらどうかしら!」

 閃いた! と言う顔をする母上に、げんなりするのは俺と父上だ。生粋の貴族の令嬢だった母は、パーティーはティーパーティーだろうと新しいドレスや貴金属を誂える。放蕩と言うわけではないが、年に一度か二度は発作的に主催したがるのだ。俺や自分、父の誕生会は言うに及ばず。大金を掛けるので止めて欲しいが、一国の王妃の財布は底が見えていない。危ういのだ、端的に言うと。


 それにパーティーなんか開いても、炉吏子は頑として何も喋らないだろう。主賓がそれでは母上の顔に泥を塗ることになるし、となると辺境伯家との付き合いにも罅が

入ってしまう。それは避けなければならない。対面に座る父と俺の考えは一緒だろう、何としても阻止しなければ。

「まだこちらに慣れていないだろうし、何より九歳は社交界デビューに早過ぎだよ。仕立て屋だってまだサイズを持っていないだろう。寮には最低限の荷物しか置けないだろうし、かえって迷惑になってしまうよ」

「あら、じゃあお城をクローゼット代わりにして貰えば良いじゃない。女の子だもの、綺麗なものは大好きなはずよ。私が小さい頃着ていたドレスだってちゃんと取ってあるし、そこから選んでもらえば問題ないじゃない?」

「本人が無口でそれに不便してない状態なんですよ、母上。無理やり口をこじ開けるような茶会は俺も反対です。社交界デビューと言うならその内夜会でもやれば良い。ですがまだ幼いと寮の門限がありますからね、やっぱりパーティーは勧めません。母上が楽しいだけじゃないですか」

「まあ、男の子二人で私をやり込めるつもりね? でもローリィちゃん、寮で寂しがってはいないかしら。ツォベール伯を思い出して……」

「そう言うタイプには見えませんでしたよ」

「もー、今日のヴォロージャは私の言う事全部反対なんだから! お母さん勝手にしちゃいますからね!」

「しないで下さい! 内内でお茶するぐらいなら連れてきますから!」

「本当ね? 約束したわよ、ヴォロージャ! 私娘も欲しかったから、親戚の女の子はやっぱり飾り立てたくなっちゃうのよね、うふふ……」


 何か地雷踏んだ気がしないでもないが、どうやって炉吏子を連れて来ようか。いや、馬車に乗せるだけで良いんだが、それが目立たない王家ではない、うちは。紋章も御者の制服も特別品だ。そんなものに炉吏子を連れて走れば城下中に噂も走るだろう。それは避けたい。俺の将来的にも、学園生活的にも。

 でもこうと決めたら梃子でも動かないのが我が侭な令嬢育ちの母上だ。華々しいことが大好きで、新しいものも大好きで。下手をすると俺の衣装まで誂えられる危険がある。ここは一つ、せめて制服で通したい。否、それでも母上の『お人形遊び』は満足しないだろう。多分母上が考えるお嬢様とは正反対なのが炉吏子だ。下手に機嫌を損ねるとそれこそツォベール伯が危ない。


 はあっと溜息を吐いた父上は、眼差しで俺に訴えかけるが、俺もふるふると首を振る事でしかその懇願に応えられなかった。ふがいない息子ですまん、父上。でものぼせ上った母上を止められるのは、もうこの世にはいない二人のお爺様とお婆様だけだ。俺には無理だと、分かって欲しい。面目ないながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る