第2話
昼間は学食で済ませることにしていた俺は、いつの間にかいなくなったローリィをきょろきょろ探してしまっていた。弁当箱は持っていなかったし、おそらく彼女も学食に行くだろうと思っていたので案内をしてやろうと思ったのだが、と、俺はクラスメートの気安い男子に声を掛ける。
「なあ、転校生がどこに行ったか知らないか? 学食の場所を教えておきたいんだが」
「うわーたらしだ、たらしこもうとしている」
「ねーよ。知らないなら良いんだけど」
「さっき女子何人かと一緒に教室を出るのを見たけど」
眼鏡を掛けている別のクラスメートに教えてもらって、俺はあーっと目頭を押さえる。愛しの王子様に袖にされてきた女子たちには、簡単にその隣に座れるローリィが疎ましく見えたんだろう。そんな想像をしてて、苦笑いが出た。俺も学校では浮いている方だと思うが、あいつはもっと浮いてしまったらしい。女子は陰湿な所は少しある。俺が王子でなかったら、あれだけつっけんどんを貫いても熱を入れる女子なんていないだろう。
俺が王子だから取り入りたい、あわよくば妃に、と望んでいる奴は結構いるらしい。幼稚部から親に言われて媚を売って来た一党もいるぐらいだ。学年八クラスと上下の学年を合わせたら、結構な数になるのかもしれない。玉座ほど怖いものはないと俺は思っている。小さい頃は暗殺され掛けた事すらあるのだ。女子の悋気なんて面倒なものは避けて行きたい。しかし。しかしなあ。
文字通り抱え込んでしまったのは俺の方だ。仕方ない、よくラブレターで呼び出されていたひと気のない学校の裏庭、そこに向かってみる。
ローリィは俺に必要以上を求めなかった。教科書を貸して一緒に読んでいる時も大人しく、距離は必要最低限。甘えた声を出してくることもなく、むしろ何も話すことなく、王子である俺という部分を軽く無視してくれた。それは心地良い物だったのかもしれない。俺を特別扱いしないのは、父母と慣れたメイド達ぐらいだ。ご機嫌伺いに来る貴族の連中だって、別に俺に敬意があるわけではないだろう。俺の親に権威があるだけだ。この二つの言葉の響きは似ているようで全然違う。
俺は親のおまけだ。その辺りの事を認識していたのは、幼い頃のローリィもだったのかもしれない。邪魔にならないように父親の後ろを付いて回っていた小さなローリィ。父上や母上の目にも留まらなかったと言うのは、ある意味凄い。だが学園という閉鎖社会では、孤立していると目立つ。俺に関わっても目立つ。居辛いだろうなあと思ったのは、その孤立が俺と同じものだからだろう。栄光ある孤立。だが女子を敵に回すのはやめた方が良いぞ。俺がきっかけだけどな。だから探してるんだ。
ばたばた学校中を走り抜けて、一番裏庭に近い玄関を出る。すると小さくだが、女子の声が聞こえた気がした。一転忍び足になって、俺は息を整えつつ、ゆっくりと校舎の陰に向かう。
「田舎貴族がウラジーミル様の隣にいて良いと思っていらっしゃるのかしら」
「わたくし達ウラジーミル様とは幼稚部からのクラスメートですのよ」
「きっとあの方も迷惑に思っているに違いませんわ」
「なんてお邪魔虫なのかしら!」
「自分でそれに気付かないなんて間抜けなことこの上ないですわ」
「午後の授業は自主的に他の席に移って下さるかしら」
「一日ぐらい教科書がなくてもそう不便はございませんでしょう?」
ああまったく。だから俺はラブレターを開けることもなく無視し続けてるって言うのに、女ってのはこう大量になるとどうして陰険になるんだろうなあ。
ローリィも何か言い返せばいいのに、それもしないで俯いている。と思ったら足元の草で遊んでいた。意外と図太いな。思いながら俺は、わざと足元の草が音を立てるようにざしっと靴を鳴らす。
はっと気づいて振り向いたのは、クラスの女子たちだった。
他クラスも他学年もいない。どうにか小火で済みそうだ。はあっと息を吐いて、俺はずかずかと女子たちを掻き分け、ローリィの腕を掴む。たたらを踏んで、しかしついて来たのを確認してから、俺は女子たちを振り向いた。口唇を噛んでいるのが何人か。確かに幼稚部からの付き合いがあって、初めてのラブレターなるものを俺に捧げてくれた子もいた。クレヨンで描かれたいびつな好意。
そこで止まっててくれたら、こんなに大勢の前で啖呵を切る必要もなかったんだ。どいつも、こいつも。
「ツォベール辺境伯は田舎貴族じゃない。父上の従兄弟にあたる方で王位継承権は三位だ。隣国と共同で事業をする時には欠かせない王家の顔でもある。そんな男の令嬢を田舎貴族扱いとは、心得違いも甚だしい」
ま、九歳じゃまだ習ってない近代史だからな。ツォベール辺境伯の成果は。ざわざわとして五人ぐらいの女子が固まり、互いに互いを前に押し出すようにした。ローリィはと言うと、ぽかん、と口を開けて俺に手を掴ませたままでいる。
「それに俺の隣に彼女を配したのは教師だ。文句があるならそちらに行くのが筋と言うものだろう。でなければ俺の隣の席を常に埋めておくぐらいの努力を見せろ。手紙ばかり達筆でも王妃にはなれない。行動力も度胸も無いからと言って人を階段から突き落とそうとするなんてのは論外だ」
「わ、私は突き落とそうとなんてしていませんわ!」
「足を掛けたのは認めるんだな?」
「ッ」
女子の一人が顔を真っ赤にして涙を滲ませるが、あいにく女の涙は信用していない。
「ひどいっ……殿下のお心を思えばこその事でしたのに、そんな仰りよう、酷過ぎますわ!」
「誰が俺の心を読んだ?」
「だってその女、図々しくも殿下と肩を寄せ合って!」
「だからそれは教師の指示だ。大体王族に悋気など無駄な事だぞ。妾もいれば正妃もいる。清濁併せ呑むことが出来ないのなら、俺などに好意を向けない事だ。もっと一途な貴族はいくらでもいる」
「殿下はその女が気に入ったのですか!?」
キンと響く金切り声に、俺は思わず眉を顰める。すると女子団子がヒッと固まったまま後退した。面倒くさいことこの上ないな、この年ごろの女子と言うのは。思春期に片足突っ込んで恋に恋する状態になっていると言うのは本当に面倒くさい。
だが俺の所為でローリィを矢面に晒すことは出来ないだろう。教師の指示とは言え、こいつの余計なことをしないと言う心遣いは心地よかった。くっ付くか距離を保つか。黒か白か。オールオアナッシングか。そういう女子特有の親密感は、いまだ初恋も迎えていない俺には重荷が過ぎる。面倒くさい、はっきり言ってしまえば。
空いた片手でがしがし頭を掻く。女子たちは一人また一人と泣き出していた。この量の女子を相手にしたことのない俺は、内心ちょっとはビビってる。いっそ誰か助けてくれ。親しい友人はいるが、それほどの友情を感じたことはない。付かず離れず、って言うのが、何で理解できないんだろうな。
「少なくともお前たちよりは面倒がないと思っている」
わあああっと泣き出した女子たちを置いて、俺はローリィと一緒に校舎に戻った。
「お前には一応食堂の場所を教えておこうと探していたんだが――」
ひっぱり込まれたローリィは口元を押さえてぷるぷるとパフスリーブの制服の肩を揺らしていた。なんだと思って俯いているその顔を見る。やっぱり俺よりちょっと背が高い。仕方のないこととは言え少しは傷つく。喉を震わせた彼女はやがて背を丸め――
「あははははははははははははっ!」
盛大に笑った。
背を反らした瞬間跳ねた長い前髪の下、そのあんず色の眼には涙が滲んでいる。だがそれは悲しみや屈辱によるものではなかった。
笑っている。
声高々に、哄笑している。
空いた手で涙をぬぐいながら、彼女は。
笑って、いた。
「女子かわいそーやん、王子様って案外きっついやんなあ! うちもそりゃ妾の子や言われてたけど、あんだけはっきり物言うなんてさすがは王になる器やん、見直したでウラジーミル殿下! あっははははは!」
聞き慣れない訛りの入ったそれに、ぽかん、としたのは次は俺の方だった。え、何。一度たりとも余計な口を開かなかった午前中との落差に、着いて行けない。
「あーすっきりしたわあ。ああ、うち黙っててんのはこの訛りの所為やねん。隣国訛り、王都では珍しいやろ? 何ゆーてるか解らん言われるさかい、黙っとってんけど、まさか王子様が助けに来てくれるとはなあ……ふくく、あー面白い、初っ端からこれやったら期待できるわあ!」
「何……お前……お前、何!?」
思わず叫ぶ。
ローリィは俺の眼を覗き込んできた。その眼に映った自分が見える気がした。
きっと間抜け面だ。
「うちは隣国の王の妾の子。女やから向こうでは王位継承権はない。でも人質に差し出すには丁度良かったんで、こっちに連れて来られた。代わりにこっちの王国からは関税関係の恩を受けとる。聞いてへん? 殿下」
「養女だとは……ツォベール辺境伯は……本当に本当の父親ではなかったのか?」
「そうそ、まあ側室に産ませた言う噂も撒いてんけどな。改めて」
握りっぱなしだった手が離れる。そして彼女は、
「
炉吏子は、俺に手を差し出してきた。
「……ウラジーミル・ド・ヴォルコフ。人目がなければ、ヴォロージャで良い」
「んじゃヴォロージャ、早速食堂教えてくれん? 腹減ってもーたまらんねや」
握手と同時、ぐぅ、と二人の腹が鳴った。
俺達の関係が始まったのも。
大体、同時だったと思う。
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