高校3年3学期④
入試が続いた後に期末、良いシステムだとは思わないが、一応入試試験のない日を期末に当て、久々に揃った生徒を眺めながら思った。疲労困憊、精神を保つのも限界、そんなところだが、目の輝きは相変わらず。今を生きて、今日ここにいる。それを感じさせてくれるその生命力溢れる眼差しに、軽く目眩を覚えた。
「試験試験ばっかりで本当お疲れ。でも、これがこの学校内での最後のテストになる。泣いても笑っても、最後。これが人生を左右することはないけど、この3年間の締めくくりとして、この学校にお土産を置いていくつもりで、ベストを尽くして下さい。卒業まで後2週間半。皆で卒業するぞ、分かった?」
「はーーい!」
このクラスの受験は、まだまだ終わらない。国立、公立の試験が昨日あったものと、これからある者で別れており、緊張の糸は張りっぱなしだ。卒業式は試験が全部終わってから、そう言いたいが、国立は合格発表の幅が広く、3月の末まで分からない場合もある。しかし、3月末まで待っていることも出来ないのが現実だ。新入生の入学式、入ってすぐにある実力テスト、中間に期末、学校が休まる時期などない。その過密スケジュールの中で行われる卒業式は、国立大学の前期日程試験合格発表後で、それ以降の試験を受けるものは、先がわからないままこの学校を卒業する形になる。そういう重圧や不安を感じている今の状況の中で、また学校内の試験にそれでもきちんと向き合う生徒達の様子は、この3年間を凝縮しているように見えた。
期末試験は生徒の時間を取らせない為、1日に全てを詰め込む分、試験が終わった後の生徒達は流石に疲れ果てて見えたが、これから試験を受ける予定の生徒達は、ネガティブな事よりも、「良い箸休めになりました」と前向きに捉えてくれた。
生徒達が一斉に下校するのを見送った後、教室に残っていたもう受験の終わった生徒達はこれからカラオケに行くという話で盛り上がり始め、その中には青木と日和の姿もあった。日和の合格については俄に噂が立ってはいるが、本人が表立って色々な人に話している様子はなかった。クラスメイトは勿論皆分かっているようだが、それを大騒ぎするものは今の所いなかった。それは、まだ受験中の仲間への配慮で、大人になったと感動を覚える。校長は卒業生の進学先の先頭に、ハーバード大学と記載出来ることに満足のようで、既に新入生へのパンフレットに堂々と記載している。かつ、今年のこの高校の受験倍率は地域で一番熾烈になり、かなり優秀な生徒が集まりそうで、これから先どういう進学先が増えていくのか楽しみだと言っていた。教員は優秀な生徒が集まれば、求められるレベルも変わるので、必死に来年から受け持つ学年やクラスの準備を、この受験期に同時進行でしている。時々生徒達に英語がネイティブな人は英語の勉強をしなくて良いから、俺は楽な仕事をしていると思われるが、それは全くの勘違いだ。英会話の先生と、高校の英語教員では全く性質が違う。話せる、発音が良い、そういう部分よりも文法や受験対策をいかに生徒に分かりやすく教えられるか、英語力というよりは国語力も鍛えないといけないので、こちらも常に勉強をしないといけない。試験の傾向が変わったりすれば、それにも対応しないといけないので、受験生並みに勉強はしているのが現状だ。だが、勉強が大変だとは思わないのは、その結果が生徒の成績に表れ、救われるからだ。自分の努力の結晶は、全てこの生徒達の脳内に残る。それが、今はとにかく嬉しい。
楽しそうに話をしている生徒達は、私大第一志望合格者と推薦合格者の生徒達で、期末も終わりリラックスしたその雰囲気に、何となく嬉しい気持ちでその輪を眺めていると、一人の生徒が俺に手を振って聞いた。
「先生!一緒にカラオケ行きませんか?」
「あははは、ありがとう、だけど先生、これから採点の山がある。新入生の準備もあるし、この時期とにかく寝る時間もないぐらい忙しいから、無理です」
思わず本音を吐くと、青木が上達した口笛を吹いてから言った。
「まさにブラック企業、高校教師!夢がありますね!」
「…青木、先生、これでもこの仕事に誇り持ってるから、ブラック呼ばわりは辞めてくれ」
ついそう言うと、他の生徒が真っ当なことを言った。
「でも先生って仕事がこの国の未来を支えてるんですよね?僕達、先生がいなかったら、何も知らないままで、きっと国の発展に役立つこともない。なのに、なんで薄給なんですか?」
「それは国の予算が教育者にはそこまで回らないシステムがあるからです。残念だけど、政治家の生活費は一般市民の10倍以上はかかるらしいから」
皮肉を込めてそう答えると、日和が口を開いた。
「いつか、この国で仕事する時、僕がそのシステム変えますね」
「あははは、そりゃいいや!先生が現役の内に変えてな?贅沢したい訳じゃないけど、サービス残業凄いからさ。部活と試験と目が回るぐらい忙しいし、休みが劇的に少ない。他の国は夏休みは教員も一斉に休みになるのに、日本は夏休みも関係ない。せめて2週間ぐらい夏休み欲しい!」
笑いながらそう訴えると、青木が真剣な表情で答えた。
「うし、俺も国家公務員になって、先生の薄給暇なし救ってあげます。それまで、くたばらないように頑張って下さいね?」
「あははは、お前達、本当優しいな!ありがと、期待してるから」
青木と日和の背中を軽く叩いて礼を言うと、二人は嬉しそうに笑った。こんな言葉をかけてくれる生徒が、この仕事の何よりの褒美だ。実際に彼らがこのシステムを変えることをするかしないかよりも、したいと思ってくれるその気持ちは、愛情でしかない。自分が教員にならなかったら、こんなに純粋な愛情を人から向けられ、それに応えたいと思う感情が湧いたかどうかは分からない。
日和が入学してきた頃の自分と、今の自分。この3年間で失敗を繰り返しながら、自分も生徒達と成長をして来た。そう、自分自身で感じられるまでになった。生徒達を心の底から愛しいと思う。それは、自分に子供が出来たという部分も大きく関わっているのかもしれないが、大人はいつでも、一人で大人にはなれないようになっている証でもあるのだろう。誰かに大人にしてもらう、少しずつ、一歩一歩。間違えてもいい。迷ってもいい。いつか気づいて、一歩前に足を繰り出せたら、それで良い。生徒達にそれを教わった。毎日成長を続ける瑛人にそれを教わっている。何だか自分が自分ではないように感じるぐらい、人間としてのコネクションを自分が身を置いている日常生活に存在する生徒や友、子供に感じて生活している状態に、急に言い表しようのない幸福を感じ、職員室の自分の席で頭を机に落とし唸ると、猪田先生が心配そうな声で聞いた。
「優月先生、大丈夫ですか?仕事のし過ぎじゃないですか??」
「…Nope, I'm just soooo happy... I feel loved and I love everyone... This isn't like me... It feels so weird, but I feel like I've been reborn... this is crazy... I can't get my head around this... (違う、すんごい幸せなんです…なんか、愛されてるって感じるし、皆が愛しくて…こんなの俺じゃない、変な感じなんだけど、凄い生まれ変わったみたいに感じるっていうか…やっぱ変だ…全然理解できない…)」
以前は人の心が分からない、理解が出来ないというよりも、理解しようという努力を恐らくしてこなかった。一時の関係にその労力は無駄だとさえ思っていた節もある。生徒も一時期、次から次に新しい生徒がやってくる。だが、この3年で学んだ。理解しようと、したいと思える生徒達の健気な姿勢に、自分という殻が壊れ、何か大きなものが自分の中できちんと動き出していた。それに自分の理解が追いつかない。そんな俺の様子に、猪田先生よりもジョーが笑いながら言った。
「I feel exactly the same, Eight! (俺も同じだって、英人!)自分でも自分が信じられないぐらい、これでも変わったと思うし、きっとこれからも変われる気がする。なんとなくしてた仕事に、今はなんか夢中になってるし、生徒にも同僚である学校の先生達とも前より全然コネクトしてる気がするし、急に日常が愛しく感じるようになって来てる。俺はこれ、生徒達とお前とか猪田先生とか、仲間って呼べる人に出会えたのも大きいと思う。ありがとな、マジ感謝しかない」
ジョーの言葉に猪田先生が珍しく恥ずかしそうに「こちらこそ、感謝してます」と返事をすると、ジョーは俺の肩を叩いて加えた。
「多分、俺達の可愛い生徒達が後少しで卒業する事実に、気持ちが昂ってるのもあるんだろうけどな?」
「だーーーー、言わないでくれ、それ。普通に落ち込む。こんな気持ちになるなんて、想像してなかった…」
「私も、来て間もないですけど、あのクラスを送り出す時、泣かない自信ないです…初めて持った生徒達ですし、本当にいい子達だったから」
猪田先生の言葉にジョーと同時に同意すると、3名で溜息を漏らした。3年間、共に日常生活の大半を送って来た生徒達。辛くならないわけがない。ジョーがいう通り、最近色々なことを思うのは、そういう状況も大いに関わっているのだろう。感情的になっている今の自分は、自分ではないみたいだ。
その日瑛人に会いに行き、風呂に入れてから少し離乳食を食べさせながらマイアとマイアの両親と今の状況の話をすると、マイアの父親が穏やか口調で言った。
「僕は会社員だから、君の感じているようなことを経験することはないかもしれないけど、娘二人からは大分学んだし、やはり自分が自分ではないと感じるぐらい、変化を齎せてもらった感じるから、それに似ているのかもね?幸せなことだね、手放すのは体の一部が持っていかれるぐらい辛いことだけど」
「…はい、その通り、身体の一部が持っていかれる、そういう感じします。これを只管繰り返していかないといけないから、心に剛毛生えそうです」
「あははは!ねぇ、教員は私が思った通り、やっぱり英人の天職だったのよ。人間らしくなってるって、自分が自分じゃないみたいって思えるぐらい自分を変えてくれる素晴らしい仕事、ちょっと羨ましいわ。別れは辛いと思うけど、きっと何度でも、生徒達は会いに来てくれるわよ」
「ん、そうなんだけど、やっぱ校舎の中でもうあいつらいなくなるのかって思うと、想像以上に応える。こんなはずじゃなかったんだけどな…」
担任を持つという意味を、履き違えていた気がした。担任は仕事の量が増えるよりも、心の毛量が増える。そうしないと、送り出すときに耐えられなくなる。いつか、瑛人が俺とマイアの元を去る時には、この経験を何度も繰り返していたら、もう心の原型をとどめないぐらい鋼の心になっていて、寧ろあっさりしていられるのではないかと口にすると、マイアの母親が言った。
「何度経験しても、同じだけ辛いものよ。残念だけど、剛毛生えても、その毛は柔らかいままで、鋼にはならないわ。大事に想った相手を手元から送り出すってね、一番心が抉られるものなのよ、どんな形でも。相手の幸せを願っていても、人って自分勝手に出来てるから」
「はぁ…お母さん、それ今の俺の何の助けにもなってませんって。嘘でもその内慣れるって言って欲しかったです」
本音を吐くと、マイアとマイアの両親は声を揃えて笑った。だが、きっとその通りなのだろう。慣れることなど一生ない。それでも大事に思い、心を注ぐ。キツイとは思うが、それでも価値がある、そう思えるまでになれただけで、もうこの辛さの埋め合わせはされているのかも知れない。
瑛人にキスをし、家を出ると暫く生徒達のことを考えた。そして、今すべきことをしているその姿に、自分も負けていられないと思い、帰宅すると大量の仕事を3時半までして、泥のように眠り、6時に起床し、また出勤した。終わりがない学校生活を送る教員の一人として、卒業生になる生徒達を快く送り出すには最後の採点と、一人一人へ書いている小さなカード。卒業証書と一緒に、渡そうと思い猪田先生、ジョーにも頼んで準備している。喪失の痛みよりも与えられた幸福を大事に、皆を送り出したい。そう感じている教員一人一人の気持ちが、生徒皆に届く卒業式になるよう、準備は抜かりなくしたい。
******
奇跡が起こったのは、卒業式前だ。俺の担当しているクラス、生徒一名残らず、進学先が決まった。私大と国立、公立でそれぞれバラバラ、同じ大学、同じ学科へ進学するのは大八木と青木以外いない。同じ大学でも学科は別というのが数名、後は皆別の大学だ。一番遠くへ行くのは勿論日和だが、北海道から九州まで、地方の大学を選んだ生徒もいて、本当に皆で集まるなど、卒業式が最後になるのかも知れない。だが、行き先が全員決まったクラスはうちのクラスだけで、教室の後ろにある黒板に書いてあったことが、現実となった事に言い表せない感動を覚えた。勿論、全員が第一志望に受かったわけではない。だが、それでも行き先が決まった安堵に包まれ、卒業式を迎えられる事実は生徒達の笑顔を一層明るくした。
卒業式の予行練習に集まった生徒達は、もう半分心ここに在らずで、これからの生活の話に花を咲かせている。それを聞いて、嬉しいのと寂しいので、複雑な心境だ。卒業式の流れを説明し、体育館から退場すると、生徒達は最後に流す曲の話で盛り上がっているようだった。文化祭で勝ち取った特権、好きな曲を流せるこのクラス内でも何にするかは意見が分かれているようだが、もう卒業式は明日だ。前日に決まっていないというのは不味いので、教室に戻ってから皆にすぐ一曲に決めて、音響係に音源を渡すよう伝えると、生徒の一人が手を挙げて聞いた。
「先生の卒業式の最後で流れた曲、何でしたか?」
「俺?多分、Green DayのGood Riddanceだったと思うけど」
記憶に残っている曲がそれだけだった可能性もあるが、高校1人気のあった所謂”ポピュラーキッド”が、壇上でギターを掻き鳴らし、女生徒が騒いでいたから余計に覚えていた。自分には関係ないと思って随分冷めた目で見ていたが、あれだけ学生生活を楽しんでいた彼らの方が、物事の本質を理解していたのだろうと今になって思う。
「あー、そっちか。迷うんですよね、Best Day Of My Lifeが良いんじゃないかと思ってるんですけど、先生どう思います?」
「あー、いんじゃないか?」
軽い返事をすると、大八木が苦情を呈した。
「先生、てきとー!いんじゃないか?って!私はGood Lifeが良いって思うんですけど」
「あー、どっちもいんじゃないか?」
「でた、適当。先生、最後ぐらい真剣に一緒に考えてくださいよ!」
生徒の言葉に苦笑すると、青木が聞いた。
「先生がこのクラス見た時、どの曲が浮かびますか?」
「…え?」
「このクラス、どういう曲だって思いますか?」
「…このクラスを見て、か。My Best Friend、かもな?ま、分からないけど、卒業式だからIt's Timeとかでもいんじゃないの?」
卒業生が好きな曲をかなり適当に言ったのだが、それがすぐにバレて生徒達が爆笑しながら「適当な答えばっか!」と言われてしまった。結局、俺抜きで曲を決めるから良いと教室を追い出されてしまったが、正直そんなことよりも、感情がかなりおかしなことになっている自分に戸惑うのと、瑛人が週末来て一人で世話をする大変さを身に染みて学び、自分自身半分パニック状態だ。
職員室に戻ると、疲れ切った俺の顔を見た猪田先生が笑った。
「先生、珍しくクマが凄いですね!本当仕事中毒ですね?」
「いやいや、マイアの両親が米国帰るから昨日まで2晩、瑛人が来てて初めて一人で世話をしたから、全然眠れなかったんですよ。採点と、これからのクラスの準備と、瑛人。マイア、自宅とは言え、仕事しながらよくやってるなって本当脱帽です。俺の家の男臭がダメなんだってマイアには言われたけど、臭いって言われても男臭消すのって無理があるし」
「あはははは、マイアさん本当面白いですよね!今度来る時は、マイアさんの使ってる香水とか一緒に借りてきたらどうですか?」
「あー、そうか。じゃあそうするかな。いや、あんな劇的に泣かれるとは思ってなかったから本当夜中、マイアのところにつれて帰ろうかと思ったぐらい。次の日はケロッとして楽しそうに遊んでたけど、あの夜泣きは凄かった…」
思い出して呆然としていると、ジョーが部屋に入って来て俺の背中を叩いた。
「Yo, are you ready for the ceremony?(ヨォ、式の準備出来てる?)」
「Sorta, kinda…(まぁまぁぼちぼち)なんか、もうよく分からん」
「何が?」
「この気持ち。頭の整理が全然つかない。理解してるつもりなんだけど、身体の奥が痛い」
「…Dude, you're gonna cry like hell tomorrow, and that'll make me cry like mad... I hate this. Can I just not come?(おぃ、お前絶対号泣だろ、明日。そんで俺は釣られてクソ泣くんだよ。最悪だ。やっぱ来なくていい?)」
「You have to come, you're gonna give a speech as Hiyori requested. Argh, for them, it's the best day of life and for me, it's the worst. I'll miss them as fuck.(こいよ、お前日和に頼まれたスピーチがあるんだから。あぁ、奴らにとっては人生最良の日だろうけど、俺にとっては最悪だ。死ぬほど寂しくなる)」
職員室全体に漂う哀愁、明日巣立つ生徒達を愛しく思う教員全体に共通した気持ちが凝縮したこの雰囲気は、明日の涙腺模様を予期しているようだった。号泣注意報、誇らしさと喜びと寂しさの嵐、その晩は瑛人の泣き声がなくても、全く眠れなかった。
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