高校3年冬休み②

 年末になりジョーと二人でいつも通りジムで落ち合うと、その後マイアの家に一緒に寄ることになった。ジョーはマイアの両親が居ると聞いて、若干遠慮はしていたが、友達の親に会うと言うのは重要な事でもあるから一度会っておくと良いと話すと、車の中で不満を漏らした。


「俺の彼女、散々親に俺を紹介して、友達にも漏れなく全員合わせて、同僚にまで紹介してくれたのに、俺の友達には会う人を選り好みする」


「何で?」


「知らね。この前、英人とジムでよく今会ってるから、今度一緒に昼食べようぜって言ったらさ、その人何人?って聞かれたから、日本人だけど英語は堪能だって言ったら、あー、良いやって。え?何で?って聞いたら、忙しいから、だと」


「…俺がアメリカで育ったって言った?」


「いや、言ってない。必要なくね?関係ねぇじゃん?お前は日本人というアイデンティティを誇りに思ってここで生活してる。感覚はそりゃ俺に近い部分大きいけど、英語が堪能な日本人が正解だろ?俺は日本語勉強中のアメリカ人。俺も、日本語堪能なアメリカ人まで早く昇格したくはあるんだけどな、中々むずい」


「俺と話す時、日本語にする?俺は日本語自分で言うのも何だけど、中々”上手”だと思うけど?」


 さっきジムでジョーが「日本語上手ですね」と言われるのは、下手だから言われるコメントだと彼女に言われて傷付いたと言っていたのを弄ると、ジョーは大きな声で笑った。


「ダハハハハ、お前は言われないだろ?日本語上手ですねぇってさ。俺は超言われる。しかも英人は英語も上手ですねぇとは言われない。だってネイティブだから。マジで、お前、ずるいんだよ!俺も上手ですねぇって言われないで済むレベル行きテェ」


「あははは!いやいや、俺が思うのはさ、日本人が上手ですねって褒めるのは、下手だと思うからじゃない。日本語ってすげぇ独特の言語だから、外国人が話す言語として認識してない。だから、お前みたいに見た目でもう外国人な奴が、日本語を少しでも話したら嬉しく思うんだよ。あ、この人は日本語に興味を持ってくれているんだ、嬉しいって。だから褒めるんだよ。上手ですねって。これ、俺はポジティブ以外の何者でもないって思う。日本人からの優しい賛辞、それと謝意が篭ってるいい言葉だって、俺は思う。言われたら、有難う御座いますって言っておけばいいんだよ。彼女の指摘は、申し訳ないけど間違いでしかない。自分も英語褒められたら、下手だって言われてるって絶対取らないだろ?どうして日本語だけそういう穿った見方しないといけない訳?」


 賛辞を賛辞として受け取れなくなったら、人間はお終いだ。お世辞でも有難う御座いますといえる気持ちがないと、良い言葉、心を育む言葉は全て外に跳ね除けられて行ってしまう。そんなのは勿体無い。褒められたら、素直に礼を言えばいい。ジョーの彼女がどう言うつもりで言ったのかは知らないが、上手だという言葉には優しさがあると思う気持ちをジョーに伝えると、ジョーは少し考えてから答えた。


「まぁ、確かにな。彼女、俺のイギリス人のダチに英語うまいねって言われて、スッゲェ嬉しそうにしてたのに、俺が日本語上手って褒められた途端、下手って事だって本当意味わかんねぇよな。俺は日本の文化的に、上手って言うのはネガティブな意味合いを暗に含むもので、外人の俺にはそれすら察しする能力がないんだと思ってた。よく無駄に自信家とか、ポジティブ過ぎるって言われるからさ。でも、日本人だって褒めた相手に”上手とか言うなよ”とか思われたら、”は?”ってなるよな。褒めてるのに、って。つか、何で俺の彼女、そこまで俺の日本語、弄るんだろ?俺、これでもそれなりに頑張ってんだけど」


 俺とジョーが話す時、状況により日本語にする場合もあるが、プライベートな場合はどうしても英語になるし、猪田先生が加わる場合も英語である場合が多いが、マミちゃんが加わると、マミちゃんが意図的に日本語で話すようにしてくれる。それは彼女がジョーの為を思っているからだ。そこでマミちゃんに正しい発音の日本語を習い、ここの所発音もかなり上達した。でも、俺も友達としてもっと日本語向上の貢献をすべきなのではと思い、もう一度申し出た。


「さっきも言ったけど、俺と話す時、日本語にする?」

 

 だが、ジョーは苦笑いをして答えた。


「…すまん、それは勘弁して欲しい。生徒がいるときは別だけど、俺とお前の間で日本語、死ぬほど違和感しかない。俺が戸惑う」


「アハハハハ、まぁ分からなくないけどさ。でも、俺はいつでも日本語に切り替えられるから、ジョーの気が向いたらいつでもどうぞ。つかさ、彼女ともずっと英語だから、彼女も日本語だと違和感があるとかじゃなくて?」


「いや、俺は初めから日本語勉強したいって伝えてたし、彼女も初めは言語交換だねって言ってた。だから少しは教えてくれたりしてたんだよ。でも、彼女の英語が上達したら、急に俺が日本語話そうとするの嫌がるようになった。ダサい日本語話す外人が彼氏とか、恥ずかしいと思ってんのかな?」


「いや、そりゃないと思うけど。でも、お前の努力を否定する相手、申し訳ないけど良い相手だとは思えない。お前も浮気発言酷いし、チャラい部分あるから相手が悪いとは言わないけどさ、一回、話し合ったほうがいい。お互い尊重し合えない相手とは、長い付き合いって無理だからな」


「うーん…。でも怖いんだよな、話して逆上されたら。すげぇ酷い事言われたり、学校前で待ち伏せされたり、最悪、刺されないかとかビビって何も言えない」


 ジョーのその発言で、車を一回止めてしまった。ジョーは自分が置かれている状況にあまり気が付いていない。それを友人として、伝えないといけないと思った。

 ジョーは突然車を止めた俺に驚いて「何?」と聞くので、真っ直ぐジョーを見て伝えた。


「Look, I really don't wanna meddle in your love life, but hear me out. (なぁ、お前の恋愛関係に首を突っ込む気はないけど、ちょっと聞いて)ジョーが今言った事、普通じゃない。ジョーは相手を怖いと思ってる。それって必要以上の圧があるって事だろ?恋人同士で、一緒に人生を歩んでいる中で、相手に何かされるのが怖いって思わないといけないのって変じゃないか?ジョーはさ、彼女にモラハラ受けてるって自覚はある?」


 ジョーは口を開いたまま、何も言わなかった。暫く俺が口にした言葉を頭の中で整理しているようだったが、少しして弱気な声を出した。


「But she's like so cute, and...so in love with me, you know? I don't think it's moral harassment... She's a woman, not a dude. (でも、彼女凄い可愛いし、それに、それにさ、俺に夢中なんだぜ?モラハラとか思わない。第一彼女、女だし)」


「モラハラは男から女にするって定義はない。ジョー、勿論彼女は可愛いんだと思うし、きっとジョーに恋もしてる。だけど、ジョーに精神的苦痛を無駄に与える発言、繰り返してる。意図的じゃないって言えないレベルで。話し合いすら怖くて出来ない状態になってるの、おかしくないか?ジョーは、本当にそれで良いのか?」


 人は変わる。どう言う経緯であったにしても、きっと彼女は変わってしまった。それが今の、ジョーと彼女の関係性を悪化させている。彼女が悪い訳ではない。ジョーが悪い訳でもない。ただ、お互いが欲しているものが、噛み合わなくなって来ているのは明確で、彼女のモラハラ発言は彼女が感じているフラストレーションの現れであると感じた。ジョーはブツブツ独り言を言った後、俺を見ずに手元を見ながら返事をした。


「…彼女が変わって来てるのには気が付いてた。外人の俺が隣にいるのが嬉しいって感じなんだろうなって、途中で俺も気が付いてた。でも、俺は初めて親とか友達とかにまで紹介された相手だったから、もしかしたら、これは一時的な彼女の感情で、その内ちゃんと俺を見てくれて、その内いい関係になるんじゃないかって期待してた。だけど、俺の外人のダチがちょっと彼女褒めると、すげぇ靡きそうな雰囲気醸し出して、俺へのディスりも加速して、最近、会うのが本当はしんどい。可愛いって思うけど、思おうとしてるって方が、今は強い。彼女、RとLの発音、結構微妙なんだよ。でも、日本人には難しい音だろ?だから、頑張ってるからすげぇ愛しいとしか思わなかったんだよ、健気だなってさ。努力してる頑張り屋だなって。だけど、俺の発音は毎回秒速で弄る。この前は聞いててイライラするって言われた。俺って言うと、僕って言った方がいいよ、日本語下手だからとかさ。下手したてに出てる方が良いよとか、外国人が日本のスラング使うのダサいとか、そういうの分かるけど、友達と盛り上がってる時ぐらい使いたいだろ?それも、恥ずかしいから辞めてとかさ…。俺は日本人がFワードとか使うと違和感とかショックとか、なんか言うアメ人いるの知ってるけど、別に俺はどうでも良いと思うんだよ、本人のフィーリングにあって使ってるんだろうから。そこ周りがとやかく言う事じゃないって思う。だけど、この”言語パトロール”界では人の揚げ足取るのが勲章みたいなさ。嫌なんだよ、俺はそういうの。生徒にも自由に自分の感じるままの英語で話して欲しいと思ってるし、俺もそうありたいって思う。だから日本語も、自分が使いたいと思う言葉を使いたいんだよ。もし、俺が校長にお前すげぇじゃん!とか言ったら、そりゃ大問題というか社会人的にもうアウトだろ?けど、俺がこれ英人にノリで言ったとしても、別に問題はないだろ?でも、例えばそれを俺が英人に言ったとしても、彼女は言うんだよ。外人がそう言う言葉使ってるの、イキって見えるから恥ずかしい。辞めた方が良いよって。知り合い程度の相手にはつかわねぇよ。俺もそこまで馬鹿じゃねぇから。いや、そりゃFワードよく使っちゃってるぐらい口は悪いけどさ、全部日本語が下手な外人枠はこうあるべきってのに押し込まれるの、本当は嫌なんだよ。俺の言ってること、分かる?」


 痛い程わかった。日本に来てから、暫く日本語をリアルに学び始めた頃、若干似たような経験をしている。日本語が流暢と呼ばれるレベルに達する前に、バラエティ番組などで聞くような言葉を使うと、寒いと言われる。日本人は使って良いのに、日本語が下手だから。不服に思った。


「死ぬほどよく分かる。俺も言われたから、そういうの。日本来て、付き合った何人かの女に。同じノリで日本人が言うと笑うのに、俺が言うと訛ってる挙句にダサいって。厳しいなって思った。別に一言一句にクソクソクソって言ってる訳じゃないんだから、30回に一回のクソぐらい、流してくれよって思った」


 サークルの中で、日本人の男達が使っているのは平気なのに、まだ日本語に訛りがあった俺が言うとダサいカテゴリーに放り込まれるスラング。確かに英語の発音も、英語もそこまで流暢とは言い難い人が高頻度でFucking入れて話していたら、不自然にしか感じないが、何かの瞬間に出る「Shit」や「Ah, fuck me…」ぐらいは別に何とも思わない。しかし、日本語では許されない。言語パトロールが目を光らせている。


「何でだろうな?日本語を正しく学ぶのは大事だけど、俺は生きた言葉を学びたいわけ。日本人がリアルに使ってる言葉を話したい。皆と同じ気分でさ。どうして発音が下手だからとかで、そこ弾かれないといけねんだろ?これ、日本語が流暢な外人もよく言ってるけどさ、スラング使う外人は日本語が下手とか、ダサいとか。日本人もFワード使う日本人に冷ややかな視線を送るし。別に良くねぇか?皆、自由に話したいように話したらいいだろ?相手に失礼がないようにさ。何で人の揚げ足取るんだろ?言語学習者にそれ、すげぇ多いのが窮屈だって思う」


「まぁ、それは俺も思う。だから生徒の中でも発音に自信ないと発言控えたり、声が小さくなったり、勿体ないって思う。きっと今の子達はYoutubeとかで見てるんだろうな、そういうコンテンツを。それで自分も揚げ足取られたくないから、黙った方がいいってなる。関係ないのに。正しく話せた方がいいに越したことはないけど、話さなくなったら伸びるものも伸びない」


「やっぱ来年からもうちょっとオーラルの授業、増やせないか校長に交渉するかな?日本の高校生は努力家だから、もっと話す機会あったらすげぇ伸びると思うんだよなぁ。英語を受験科目として捉えるんじゃなくて、コミュニケーションツールとして教えてやりたいんだよなぁ。だから責めて週3は欲しい」


「確かにな…。つか、話の本質からズレて来てるけど」


 英語教員としての発想に話が展開して来ていることを指摘すると、ジョーはやっと俺を見て笑った。ジョーと俺は英語教員として、それぞれ立場も違うし、やるべきことも違う。だが、生徒が英語という武器を楽しく自由に使える状態にしたいという気持ちだけは合致している。間違えても良い。恥ずかしい思いをしても良い。人とコミュニケーションを取ることが楽しいと思える一つの道具として、それを手に入れられたら、世界は広がる。それは日本で生活している外国人にも同じことが言える。日本という国で生活するには、日本語は必須だ。だから周りの日本人も、もっと前向きに彼らの日本語学習をサポートしても良いと思う。もっと「上手」な日本語を話す外国人でこの国が埋め尽くされていけば、偏見や外人フィルターは薄れていく気がする。

 ジョーと暫くまた彼女の話をすると、ジョーは年が明けたら直接彼女と話をすると気持ちを固めたようだ。彼女にテキストを送って、それからケーキを買ってマイアの家に二人で出向くと、すぐにマイアの母親が俺たちを出迎えてくれた。マイアの母親は日本人だが、高校から米国に留学しているので、英語は達者だ。ジョーがそれを指摘すると「有難う」と嬉しそうに微笑んだ。ジョーがそれを見て「お母さん、とても可愛いですね」と日本で言うと、マイアのお母さんは「貴方の日本語も上手よ。頑張ってるのね」と言われ、ジョーは嬉しそうだった。頑張っていると認めてくれるのは、マイアの母親も頑張ったからだ。言語の取得には努力を要する。日本語を学ぶには日本人の恋人がいるのがいい。英語を学ぶには英語圏の恋人がいるのがいい。嘘ではないと思うが、結局は何処にいるか誰といるかよりも、本人の意識と努力の問題だ。それを知っているマイアの母親の言葉は、やはりジョーには格別承認して貰えた気持ちを齎したのだろう。

 暫くマイアの両親とマイア、ジョーと俺でケーキを食べながら話をし、瑛人を順番に抱いてあやし、最後に瑛人を風呂に入れてから家を出る時、ジョーがマイアに聞いた。


「なぁ、正直なところ、俺の日本語ってダセェと思う?」


「うん、ダサいわよ。でも、ダサくて良いのよ、ダサいって言われるって事は、出発してる証。動きもしない人は、ダサくもなれない。私の日本語も酷かったから。ダサいを通って、いつかは達人になるのよ。独り言も日本語で出て来る日が来るわ。心配いらない。頑張りなさい」


「Thanks…あー、俺も、もうちと頑張るわ」


「じゃ、俺と日本語で話す?」


 再度ふざけて話を振ると、ジョーは苦笑いで答えた。


「Dude、それだけは勘弁してくれ。マジで」


「アハハハハ、チキりやがって!ま、まみちゃんに扱いて貰え」


「そうする」


 その晩、一人でアパートで除夜の鐘を聞きながら、密かに考えた。日和の受験結果と、日和がもし米国で学生生活を送ることになったら、ジョーや俺が経験したようなことを、あっちで経験することになる。既にそこを通った俺達が、日和の心が折れそうになった時、支えになってやれたら良いと。


             *******


 正月になると、すぐに校長から電話が来た。


「校長先生、明けましておめでとうございます。あの、」


 電話を持ちながらお辞儀をしている自分に笑そうになりながら挨拶をすると、校長は挨拶もせずに話し出した。


「優月先生、日和君から電話は来ましたか?」


「あ、いや、まだ。えーっと、こう言うのって担任が電話すべきなのでしょうか?」


「そうですね、是非そうして下さい。電話が終わったら、すぐに折り返しこちらに連絡ください」


「あ、はい。あの、そうします。では失礼します…」


 携帯を切ってから、暫く携帯を眺めていた。最後に学校で話した時、結果が分かったら連絡をくれると言っていたが、もう結果が出ているであろう日から数日過ぎていた。明日から3学期が始まる。これは余り良い結果を期待できない雰囲気の気がして、連絡を躊躇していたが、校長が痺れを切らせたことによって電話せざるを得なくなった。暫く携帯を握りしめていたが、思い切って日和の家電に電話をした。電話に出たのは、日和本人だった。


「はい、どちら様ですか?」


「…担任の優月です」


「…あけましておめでとう御座います」


「明けましておめでとう。あーのさ…」


 小さな沈黙が流れ、胃の底が吐き気を齎した。嫌な緊張感だ。日和の言葉を待っていると、日和は小さな溜息をついて小声で話し始めた。


「あの…結果は来てます」


「…そっか。うん、あのさ」


「あの!まだ見てないんです!」


「WHAT?」


「チェックしてないんです…あの、はい、見てなくて…」


「But why???」


「Uh…共通テストが終わってから、見ようかなと。返事は2ヶ月余裕があるから」


「…緊張感が保てなくなるから?」


「…はい。それと、ダメだった時のショックとかでメンタル打ちのめされた後に入試とか出来る気がしないので、これだけは終えてからにしようかなって」


「でも、共通テストが終わっても、その手元にある結果次第では二月に試験を受けることになる。それは大丈夫なのか?」


「…はい。1回目の試験だけ受けておけば、後はこの手元の結果がどうであれ、気持ちの切り替えは楽だと思います。でも、今見たら、自分の気持ちを保てる気がしないので…。すみません。先生、校長先生からきっと結果を聞けって言われて電話して来たんですよね?」


「バレたか?」


「あはは、はい。校長先生には、共通一次終わるまで、待って下さいとお伝え願えますか?まだ、皆が頑張ってるから僕も一緒に努力したいので」


「ん、了解。つかさ、それもっと前に言ってくれても良かったろ?先生はこの数日、結構胃が痛かったですよ?」


「すみません、悩んでて。でも、相談して決めるんじゃなくて、自分で決めたかったんです。親には散々言われましたけど、やっぱり先生は普通に受け入れてくれましたね」


「あはは、そりゃ親と俺じゃ別だろ?担任は、生徒の決断に口出す権利はない。日和がそうしたいと思ってるなら、それが一番いい」


「でも、それでも嬉しいです。有難う御座います。いつも、僕の決断を当然のように受け入れて下さって、感謝してます」


「急に何?怖いな、日和がそういうの」


「何でですか?僕、かなり素直に感謝してる気持ち伝えてるだけですけど?」


「…じゃあ、遠慮なく受け取ります。どう致しまして。いや、どう致しましてって、ここで言うのは可笑しいか?いまいちな、俺はこの日本語に慣れない。何か、余りいい反応されたことないんだよな、この言葉。問題ないってのも変だし、何かわからなくなるんだよな」


 ふと、日頃から思っていたことを口にすると、日和が楽しそうに笑った。


「あはははは、それは英語と日本語だとニュアンス変わる場合多いからですよ。今の場合はどういたしましてでも、僕は合ってると思いますけど、英語の直訳が日本語で”どう致しまして”でも、時と場合によって上から目線というか、少し尖った響きになることがあるからだと思います」


「じゃあ、使い方を致命的に間違ってた場合大いにあるな、俺は。なんていうのが大体の正解なんだ?有難うって言われたら」


「とんでもない、とか、いいえ、とか。こちらこそ、とか、その有難うの内容によって変わると思いますけど」


「あー、そっか。No probの訳は、いいえ、だよな。問題ないって変な事言ったな。案外、こういう小さいので躓くな、日本語。変に訳そうとしてたから失敗してたのか。俺、だから人に嫌われてたのか?いつもどう致しましてって言ってたから、こいつ上から目線と思われてたとか?」


「あははは、先生は嫌われてなんて居ないですよ!少なくとも、生徒からは絶大に支持されてます。心配しなくて大丈夫です」


「有難う」


「事実ですよ」


「…ありがと。こんなに長く暮らしてても、まだ勉強しないといけないことだらけだな、先生は」


「言葉は生きているものですから、一生学び続けないといけないんですよ。って先生が前に僕達に言ってた言葉ですけどね。あはは」


「ははは。じゃあ、自分自身、肝に銘じておきます」


「いい日本語ですね、肝に銘じる」


「ん、父がよく言ってた。犯罪を犯したら、お前だけの問題じゃなくなると肝に銘じておけ!って」


 ティーンの時に荒れた自分に、父親が言っていた言葉を思い出して口にすると、日和が噴き出してから言った。


「先生、お父さんに感謝しないとですね?」


「…はい」


 結局、日和の結果は共通一次が終わってから知らせるということで、校長にもすぐに電話をしたが、電話口でどうにかならないのか、親御さんに直接話して調べるとか出来ないかまで言われ、説得するのに苦労した。この学校始まって以来の功績、校長が知りたくてうずうずしているのは理解が出来るが、この学校は日和だけが生徒ではない。それ以外の多くの生徒達の受験はこれからだ。日和の結果が知りたいのは山々だが、正直今は他の生徒のことで頭が一杯でもあるから、この日和の選択には感謝の念を覚えた。ジョーからも連絡が来たが、日和が共通テストが終わるまで結果を見たくないという言葉に、悲鳴を上げていた。それでも、それを受け入れている親御さんの方が大変であろうという真っ当な言葉に、やはりジョーも教員として生徒の決断を変えさせようとはしない態度に、頼もしさを覚えた。その晩、3学期初日の準備をしながら、マイアと電話で話をした。


「凄いわね、あの子は本当に意志が強いのね」


「だな。尊敬しかない」


「本当。ねぇ、私もその意志の強さにあやかって、瑛人が8ヶ月になったら、フルタイムで仕事復帰しようかと思ってるんだけど、どう思う?」


「マジか?身体は大丈夫なのか?」


「うん、英人が居てくれたから産後無理しないで済んだし、今は両親がいて、黒川さんもいてくれるし、私も自分の足でしっかり立ちたいの。シングルマザーって日本では風当たり強い中で育てていかないといけないから、お母さんは貴方を一人でも食べさせていける力があるんだって、ちゃんと家族として母と子でやっていけるって証明したいのよ。だから半年で徐々に復帰して1年で完全復帰なんて生ぬるい事言わないで、8ヶ月でフルで戻りたい」


「えー、俺、それ抜け者的な感じなのは、何故?」


「あははは、勿論、英人ってパパが居てくれてるのは事実だけど、それでも経済的に女が一人じゃ自立出来ないとは思われたくないの。パパが居るのは、そこに愛があるから。でも愛とお金を結びつける必要はない。私は私でしっかり母親をやりたいの。英人には父親というロールモデルとしてそこにいて欲しい。けど、それとこれは話が別。しゃんとしてたいのよ、頼りない母親にはなりたくないの。私は、私で目指したい自分があるから、そこに向かって頑張って進みたいのよ」


「そっか。俺は、マイアが決めることは全面的に賛成しかしないけど、無理だけはするなよ?お前が言ったみたいに、瑛人の柱になるのは母親のマイア。俺は、横でちょっとその柱を支える程度の存在だから。何よりも、健康だけは気を付けないと、他のことはどうにもでなるけど、身体を壊したらどうにもならないしな」


「分かってる。ちゃんと黒川さんにも話して、保育園と黒川さんとダブル体制で行くから」


「トリプル、俺も居るからな」


「勿論。だけど、高校教師は残業が凄いから、そこまで当てにはしてないわ。特に今年また1年生から担任持つかもしれないでしょ?」


「…なんか、変な感じだな。俺の生徒、後3ヶ月で綺麗さっぱりあの校舎から消えるって」


 新一年生が入って来たら、担任を任される予定ではあるが、全く実感が湧かない。今、初めて1年から持ち上がりで担任を持って来た3年生が、あの校舎から消える。その日が、刻々と迫っている。信じがたいその事実に、急に胸が沈んだ。悲しいのではなく、喪失感に近いものがある。電話口で思わず黙り込み、あの生徒たちがいなくなった校舎を想像していると、マイアが笑って言った。


「You're gonna be an empty nester, huh?」


「Argh, this is the worst part of this job. 人生の大事な一部になった生徒達が、文字通り一斉に羽ばたいてく。手の届かないところに…切ないな…」


「…でも、一人は貴方の人生に留まるから、それで良しとしたらどう?」


「…I don't wanna jinx it, but I hope he'll make me feel crazy lonely for the next four fucking years...(ジンクス掛けたくないけど、この先四年寧ろ半端なく孤独に感じさせてくれたらいいな…)」


 第一志望が受かっていれば、生徒の中で誰よりも一番遠くへ羽ばたく日和。まだ先のことは分からないが、どれだけ自分自身が寂しくなろうとも、日和の希望した世界に羽ばたいていけることを、担任として心の底から願っている。

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