高校3年冬休み①

 受験生を担任して迎えた冬季休暇は、格別に緊張感が高く、何をしていても生徒のことが頭をよぎり、気持ちが落ち着かない。瑛人は3ヶ月を過ぎた頃から4時間連続で寝てくれる夜も増え、マイアの疲れを多少は軽減してくれた。それに加え、昼間に子供の世話をしに来てくれる黒川さんの存在は、何よりもマイアを支えた。


「今日ちょっと帰り遅くなるけど、大丈夫か?」


「問題なしよ。黒川さんが今日はお昼過ぎから夕方まで来てくれるから」


「ありがと。本当、黒川さんに感謝だな」


「本当、黒川さん居なかったら、私産後鬱で今頃どうなってたか分からないわ」


 多くの女性が経験する産後鬱と言うのは、産後の身体的疲労も関わり、まともな睡眠を取れない事が大きな原因でもあるようで、昼間眠る時間を確保出来るようになったマイアに明るい笑顔が戻ったのは、本当に黒川さんが来てくれてからだ。子供を実際に育てて来た経験や、お孫さんの世話もよくしているという彼女は、本当に赤ちゃんに慣れていて、これ以上ない安心感をもたらしてくれた。家の事や他の事は一切しなくて良いと伝えているのにも関わらず、瑛人がよく寝ている時は、台所を片付けてくれたり、洗濯物を畳んでくれたり家の事まで気を配ってくれるので、マイアがしょっちゅう俺より黒川さんと一緒に暮らしたいと漏らしていたぐらいで、正直俺もその方がいいのかもしれないと思う事があった。家事全般は一応担ってはいるが、女同士の方が何かと話が合うこともあるようだ。


 ご機嫌に転がっている息子とマイアに挨拶をしてから学校へ向かうと、車の中で電話が鳴った。一度車を止めてそれを取ると、電話はジョーからだった。


「エイト、今、大丈夫?」


「大丈夫と言えば大丈夫だけど、車だから長いのは無理。学校向かってるから」


「あ、運転中?」


「いや、話しながら運転したくないから止めてる。で?何?」


「…日和の結果が気になって、最近腹を下してる」

 

 思わず吹き出してしまった。ジョーは担任を持つ事はない立ち位置なだけに、これだけ生徒の受験に関わった事がなく、日和の試験結果が分かる日が近づくにつれて緊張度が増しているようだ。個人的に気にはなるが、正直今が正念場の生徒達の事で頭が一杯で、既に結果だけを待つ状態の受験に関しては、緊張要素にはならない。でも、ジョーの気持ちはよく理解が出来る。


「今は受かること祈る以外出来ないし、お前が下した所で結果は変わらない」


「分かってんだけど、なんか校長もアメリカの大学だからジョー先生の力添えもあっての結果だと思うとか、すげぇ俺に結果の責任の一端を担わせようとする発言したりしてただろ?あれから、考えてんだよ。あれ、この結果は、マジで俺の責任問題にもなるんじゃねぇかってさ…俺の外人札、今以上に返上したいと思った事ない」


「ダハハハハ!終業式の時のあれは俺も、圧すげぇなと思ったけど、どっちに転んでもこの結果は一生徒の人生を大きく揺るがすだけのものになる。それに関われてるってだけで、有難いと思うことにしよ?それに、受験はこれからだから。日和の結果が出ても、そこで浮かれてる暇はない。皆、1月2月に掛けて追い込みしてる最中だからな」


 日和は米国の大学3校に一応願書を送ったが、日本の大学受験も視野に入れて準備をしている。そして推薦で合格通知を既に貰っているクラスメイトは、誰一人としてその結果を周りには話していない。それは、他の生徒の緊張感に水を刺さないための配慮で、受験が終わっているのに一緒に勉強続けているその姿に、感動を覚える。青木は大八木の勉強を見ている様で、ここに来て実力テストで大八木のスコアは大分伸びた。推薦で青木が決めた大学に、一般受験で入ろうと頑張っている、その努力に若さと健気な恋心を感じ只管応援したくなる。ジョーに今のクラスの状況や、クラスの仲間同士の支え合いの様子を話すと、ジョーは大きな溜息をついた。


「あー、俺、日和の結果が分かったら大騒ぎしてやろうと思ったけど、なんかティーンの奴らが嬉しくて仕方ない結果黙って支え合ってるの、それで潰すのは流石に気が引けるから、卒業式まで大人しくしてるか…てか、受かってるよな?」


「それはハーバードのみぞ知る。ま、受かったら学校にすぐ連絡くれる予定だから。そうじゃなかったら、あいつも1月受験控えてるから、大人しく見守ろ」


「だーー、日本人のこの空気読む感、俺は苦手だ。悪い意味じゃなくてさ、すげぇリスペクトするし、日本人の良い所そのものなんだけど、俺なんて自己主張の良さしか学ばないで生きて来たから、忍耐鍛えられる」


「あははは、それは俺もかも。お互い、禅の境地に達するまで頑張るしかねぇな?」


「Yeah…I wish our students would give me that fucking Zen...(あー、生徒達が俺にその禅、分けてくんねぇか?)」


 ジョーの言い分にひと笑いし、電話を切って車を再度走らせた。学校に到着するまでの間、日本のポップが流れていて、微妙な英語と日本語の混ざった歌詞に、日本の柔軟性を感じ自然と笑みが溢れた。この国は、アメリカよりもずっとしなやかな柔軟性を持っている。伝統文化を大事にしながらも、新しいものを貪欲に取り込む力があり、 これからもきっと絶え間なくこの国自体がどんどん変化して行くと期待に胸が弾む。今、受験期を迎えている生徒達が大人になり、この社会で働き出した時、何が変わっているのだろうと想像すると楽しみしか感じなかった。


 冬季休暇の最中は自習室を設け、そこに勉強しにくる生徒は質問があれば質問をいつでも出来るよう、全ての教科の教員が一人ずつ順番でその自習室を受け持った。今日は俺が英語教員代表で一日自習室にいるが、塾に行く前の生徒、塾に行かずに受験を迎える生徒、塾が終わってからここにくる生徒、それぞれが入れ替わり立ち替わり、全校生徒の半分ぐらいは講堂に集まっていた。風邪を引かせないよう、部屋を目一杯温め、また保護者のサポートで温かい飲み物が前に用意されており、そこには手作りのお菓子まで用意してあった。この受験に賭けるのは生徒だけではない。ここまで生徒を立派に育てて来た、家族の戦いでもある。それを感じながら自分の用意された席に向かうと、そこに小さな置き手紙と小さな包みがあった。それを見ながら席に座ると、隣にいた小池先生が小声で言った。


「それ、今日ここにお菓子を差し入れして下さった大八木さんのお母様からです。手作りのチョコチップクッキー」


「えぇぇ、マジか。やった!すげぇ嬉しい」


 思わず小躍りしそうになると、小池先生が声を抑えて笑いながら付け足した。


「後でレモンケーキも大量に作ってくるって仰ってましたよ」


「YES !!!!(やった!)」


 抑え切れない喜びを一言、大きめの声で表してしまうと、勉強をしていた生徒が一気に顔を上げ、皆口元に指を立て「シーー」と言った。すかさず「Sorry」と口にすると、部屋の一番奥で勉強をしていた大八木がテキストとノートを持ってこちらにやって来た。


「先生、質問良いですか?」


「Of course, fire away!」


 朝の9時から夕方の5時まで、生徒が入れ替わり立ち替わり質問に来てくれたおかげで、昼飯を食う時間はなかった。でも、大八木さんが差し入れてくれたクッキーと、レモンケーキにありつけたので、片付けをし始めるまで腹が鳴ることもなかった。生徒達が帰宅準備をし、自分自身も帰宅準備を始めると、不意に日和が俺の席まで来て小声で聞いた。


「先生、すみません、少しだけお時間頂けないですか?」


「あー…うん、ここで?」


「うーん、あ、廊下でも良いですか?あの進路の事でちょっと」


 進路に関しては日本の大学も2校に絞っているのは知っていたので、その事でまた気持ちが変わることがあったのかと思い日和について廊下に出ると、少しだけ生徒達が行き交う通路から離れた場所で立ち止まり、振り返った。少しだけ、疲れた顔をしている。他の生徒同様、受験前で緊張感もあるのだろうと思い、なるべく明るい声で切り出した。


「で?受験校、何か気が変わったとか?」


「いえ、それは変わってないんですけど…最近、毎晩第一志望の大学に落ちた通知が来る夢を見て、眠れなくて…。勉強にも集中出来てる自信なくて…。その、先生はどうやってこの待ち時間過ごされていたのか、何か無駄に不安にならない方法知ってたら、教えて頂けないかなって…」


 いつも堂々としている日和から予期していなかった言葉を聞いて、一瞬笑いそうになってしまったが、本人がどれだけ本気で聞いているかは分かったので、真顔を保ちつつその質問に答えた。


「ん。まぁさ、本気で何かが欲しいと思った時、その結果を怖がらない人間なんて居ないと思うんだよな。悪夢を見続けるだけ、日和は本気で取り組んで来たってことだから、悪い事ではない。でも今この時点で何も出来ない事に関して、その結果を危惧して不安になる意味ってあると思う?」


「…そうですけど、やっぱりこの3年間自分なりに必死にやって来たので、ダメだった時のこと考えると立ち直れるかなとか…落ち込んでる暇なく受験しなくちゃいけなくなるのに…」


「な、自分でそうやって必死にやって来たって言える状態なのに、不安になる必要がまずある?」


「…でも僕の必死がどこまで通じるか分からないし」


「あははは、日和、この前の全国模試も好成績だったろ?あれが答えだって。日和の必死は間違いなく結果で今までも出てる。受験は就活とは別で、本当に頑張ったら頑張っただけの結果が出るように出来てるんだって。心配いらない。お前の必死は必ず結果を引き連れてくる。もう第一志望に願書送って結果待ちの状態で、ずっと勉強続けるのは緊張感保つのも大変だと思うけど、やっておけば良かったと思うより、取り越し苦労だったと思った方が後で楽だから、結果届くまで気を抜かないで頑張れよ。正月、その結果が例えお前が欲しかったものでは無かったとしても、そこでお前の人生は終わらない。続いて行くのが人生で、ジョーが言ってたみたいに、やり直しが幾らでも効くのが人生だから。日和はまだ18歳だろ?これから先、可能性しかない。大学は1年から入ることが全てでもない。編入だってあるし、留学だって途中の学年から幾らでも可能だ。道は一つじゃない。受験期で、皆、今は目の前にあるこの結果が全てを決めると思ってるかも知れないけど、これは単なるワンステップにしか過ぎない。人生無数にあるステップの一つ。前にも言わなかったか?だから、思い込み過ぎないように。これがダメだったら全てがダメになるんじゃない。結果次第で日和という人格が決まる訳じゃない。結果は努力のおまけ。努力がお前を作ってる。その努力は誰にも奪えないし、誰にも否定出来ない。努力した、その自分自身をもっと信じろ」


「…はい」


 自分が学生の頃、自分を信じられるほどの努力などしていなかったので、相当偉そうな事を言ってる自覚はあったが、今、日和に必要なのは自分のしてきた努力を信じる事だけだ。教員として見てきた日和の努力は、その受験結果よりも多くの結果を既に引き連れて来ている。ここにいる教員一人ひとりの意識や、クラスメイトの貪欲に努力する姿勢は、日和の頑張りが大きく影響している。人は自分が日々身を置いている環境に左右されるというのは、事実だ。努力家の友が近くにいれば、それに引っ張られて自分も頑張る気になる。愚痴ばかり言う人には愚痴ばかり言う人が付き、前向きな発言を繰り返す人の周りにはやはり前向きな姿勢の人が集まる。日和という一つの懸命な努力家が少しずつ周りを引っ張り、自分自身に可能性を見出し努力をしたいと思える環境にこの学校がなったのは、紛れもない事実だ。その努力を、全面的に信じて欲しい。それ以外のことは、大して重要ではない。努力をした事実は、誰にも奪えない日和の高校生活の功績そのものだ。

 日和がまた何かを言おうと口を開くと、俺の背後から声が加わった。


「そうだぞ。ひよは誰よりも努力して来た。俺が一番知ってるし、皆、お前の努力見て来てるから今頑張れてる。先生が言ったみたいに、それは自信持って良いって思う」


 振り返ると、青木と大八木が連れ立って立っていた。二人共、良い顔をしていた。誇らしく思い微笑むと、青木は俺を通り過ぎ日和の前に立ち、手に持っていた参考書の束を日和の頭の上にボスっと置いて言った。


「らしくない不安に駆られる暇あったら、勉強しに行こうぜ?」


「…ん、分かった。ごめん、なんか、急に不安になっちゃって」


「分かるけど、今は今しか出来ないことしよ」


 日和の言葉に大八木がそういうと、青木が振り返って笑った。


「今しか出来ないことってか、香澄がひよに勉強教えて貰いたいだけだろ?」


「えええ、ひどーーい!違うから!」


「ほぉ、じゃあ教えて欲しい所はないんだ?」


 青木のツッコミに、大八木は頬を膨らませて答えた。


「あるけどぉ!!!翔君、私が落ちちゃったら困るの翔君だからね??」


「あははは、まぁそうかも。てことで、ひよの家今から行っていい?聞きたいことあるんだと。俺もよく分からんから教えて」


「分かった」


 学生の学生らしいやり取りを聞き、妙に愛おしさを覚え顔がニヤけると、俺を見上げた青木が少しつっけんどんに言った。


「We're not kids, so don't give us that look! (俺ら子供じゃないんで、そういう顔すんの辞めろよな!)」


「Uh...sorry, I didn't mean to hurt your feelings... I just thought…(あー、すまん、傷付けるつもりはなかったけど、なんて言うか、ただ…)」


「Yeah, 分かってんだよ、何考えてたか。 "Awwww, how sweet" って顔して見やがって。It pisses me off.」


「Dude, isn't that a bit harsh?(つか、手厳しくねぇか?)先生なんだから、そのぐらい思っても許されるだろ?」


 青木の久々の過剰反応に反論すると、日和が笑った。


「He just cares about us! (先生は僕達のこと単純に気にかけてくれてるだけだよ!)こう言う時は、イラつくんだよ!じゃなくて、有難うございますって言うんだよ、翔」


 それに大八木が笑って「本当、血の気が多い、翔くん!すぐ喧嘩売る!」と言うと、青木は少しだけ気まずそうに俺をもう一度見上げて小声で言った。


「…Thanks。先生年寄りだから風邪ひかないように早く帰った方がいいよ。行こ、ひよ、香澄」


 素直な礼と余計な一言に笑うと、日和と大八木も笑いながらその場を去った。青木の言う通り、小さな子供ではない。俺や他の教員達とは明らかに違うが、しっかり地に足を付けて日々を送る、未来を夢見る永遠の子供カテゴリーに、いつの間にか彼らも加わっていた。誇らしい気持ちで学校を去り、家に帰ると今日あった出来事をマイアに話した。マイアは会社の産休が明けるまで、後4ヶ月は家で過ごす予定で居たが、俺の話を聞いている内に早く自分も仕事がしたいと思ったようで、家で出来る仕事だけでもパートタイムで復帰出来ないか、翌日上司に掛け合った。

 瑛人は周りの生活の動きなど全く察知する様子もなく、平和に、時には嵐のように、日々を赤ちゃんタイムで過ごしている。これがどれだけ恵まれている事か、この子が大きくなった時に理解出来る日が来るのか、それは分からない。でも、この子がティーンになった時、今の担当している生徒達のような眩しい志を持って、真っ直ぐ目指す方向へ進む何かが、彼の中にあったら良いと親の欲目で思う。


               *******


 年末年始、ギリギリでマイアの両親が日本へまた来て、そのタイミングで俺は一旦自分の古いアパートに戻った。マイアが正月休み明けてから仕事を家ですることになり、俺も受験期真っ盛りなので、マイアの両親が1月2月はマイアの家に住み込みで瑛人の面倒を見ると申し出てくれたからだ。だが、それで自分は一切の面倒をマイアと両親に任せるのは嫌なので、金曜日の夜から日曜日の夕方まで瑛人を俺のアパートに連れて来て世話をしたいと申し出た。マイアの母親は、まだ瑛人が小さいから大変なのではと心配したが、マイアはこれから先、少しずつそう言う風に互いの家を行ったり来たりになるから、今からそういう環境に瑛人が慣れるのは、悪い案ではないと同意してくれた。その代わり、何度か様子を見て、大丈夫そうだったらルーティンとしてスケジュールを組み、瑛人が余りに泣くようなら、また考えたらいいと柔軟に決めることで合意した。

 久々に帰るボロアパートは、時々掃除には帰って来ていたが、何だか妙に狭く、そして寒かった。ヒーターを着け、久々にこたつに潜ると、マイアから電話が掛かってきた。


「Hey...Achooo!! Excuse me...(よ…はーっくしょっ!すまん…)」


「あははは、やっぱり寒い?どう、久々の家は」


「くっそ寒い。てか俺の家、こんな狭かったっけ?」


「狭いわよ?だから言ったでしょ?転職したら良いって」


「あー…ま、将来性とか金の稼ぎ方とか、色々考えても、今はやっぱこの仕事して良かったって思ってるから、貧乏でも苦痛ではない」


 マイアの家の広さを目の当たりにすると、教員をしている自分は一体何だろうか?と思うことは何度もあったが、今、後悔は一切ない。この仕事で得られるものは、俺にとっては金銭以上にかけがえが無いものだから。それを伝えると、マイアは優しい声で返事をした。


「そうよね、英人、この数年で凄く変わった。再会した時は大学の頃からそこまで変わってない感じだったのに、本当あっという間に成長した。これって、勿論日和くんとの出会いも大いにあったとは思うけど、それ以上に今抱えてる生徒達一人一人の影響なのよね、きっと」


「ん、そう思う。クソガキがって思ったことも結構あったけど。特に青木」


「あははは、そう言えば中指立てられたって怒ってたわね?」


「そうそう。けどさ、あいつ、本当成長した。今でもすぐカッとなるけど、何だろう…凄い視野が広がったって言うか、ガチガチの正義感じゃなくて、自分の意見とぶつかる意見も聞く耳を持つようになった。クラスメイトとの関係も、引っ張りたい方って言うか、俺に従えって感じが何処かで見え隠れしてた部分、全くなくなった。凄い皆の意見を聞くし、大八木と付き合いだしてからは特に成熟したなって思う」


 クラスの中で目立つ存在で、常にクラスを引っ張る立場として振る舞ってきた青木だが、今年に入ってからは特に何をするにも周りの意見を一旦きちんと聞くようになった。それがどれだけ少数意見でも、頭ごなしの否定をしない。時々それでも尖った言い方はするが、それを大八木や日和が上手に転がしているような感じがする。あの3人は、きっとこれから大学へ進んでも、特別な関係を築いていけるだろうと思う。そしてそれを、素直に羨ましいと思う。


「俺は高校の友達なんて一人も居ないから、すげぇ良いなって眩しいなって思う」


「私も一番の親友は姉だけど、高校の友達、そこまで密でも無いから、大人の今になって仲間が出来てきた感じがする」


「それは俺も。お前もそうだし、ジョーもそうだし、猪田先生もマミちゃんも俺には今、良い仲間だって思える存在になって来てるかな」


「私もそのメンツに加えて貰えてるの、英人のお陰。本当有難う」


「こちらこそ。マイアが日本帰って来なかったら、こういう良い形になってなかった。有難う」


 再会した時は、ここまで信頼関係を築けるほどにお互いかけがえの無い仲間に、家族になれるとは想像もしていなかった。でも、今、この状況でつくづく思う。マイアが帰って来てくれて、随分助けられた。マイアはこのメンツで教師じゃ無いのはマイアだけだから、確実にマイアが仲間に入れて貰ってる立場で、俺に恩義しか感じないと言うので、それを真面目に否定した。


「それは違う。マイアが居るから皆が集まって来た。俺だけだったら、多分今でも距離感微妙な同僚程度の関係だったと思う。お前が居たからマミちゃんもこの中に存在し得るんだろ?言ったっけ?俺、マミちゃんに女とラブホから出て来たとこ、ばったり会ったことがあるって」


「あーーっはっはっは!!ごめん、すっごい容易に想像出来るんだけど、それ!マミちゃん、挙動不審になってたでしょ?」


「いや、フリーズしてた。それからマイアが文化祭来て、一緒に学食で話した所辺りまで、ほぼほぼ話したこともなかった。目を合わせてもくれなかったから、絶対キモいって思われてるだろうなって踏んで、俺自身が必要以上に引いてたからだって、後で気が付いた。マミちゃん、動揺はしても非難はしない。大人なんだよな、感覚がさ」


「そうよ、マミちゃんって包容力が凄いのよ。だから好き。どんな話も聞いてくれるし、どんな話でもしてくれるし、酷い愚痴でも辛抱強く聞いてくれて、最後には絶対笑っていうのよ。でも、今日も生きられたし、その内何とかなってるわよって。何か救われるの、凄く」


 小池先生とマイアはよく電話で話をしている。今は瑛人がいるから、外に飲みに行くなどする気力もないと言うマイアだが、小池先生との電話は疲れ知らずのようで、時々すごい時間に話しているのを何度か聞いたことがある。それだけ、お互い、かけがえの無い友人として思い合えているのは、凄い事だ。同性の友達など、人生でほぼ出来たことのない俺も、最近はジョーと何かと電話で話すようになった。学校に行けば会うのに、何となく電話をし合う。今まではなかったことだ。猪田先生に関しては、仕事上以外の話をよく自然とするようになり、ジョーと冗談を言い合っている仲に加わり、よく一緒に笑い合うようになった。小池先生と猪田先生も何となくよく話すようになり、マイアが近々3人でお茶でもしようと話しているようだ。仲間の輪が広がるのはこれ以上なく嬉しいことで、そして感謝すべきことだ。学生の頃に経験出来なかった、生涯続く友情とやらを20代後半でやっと築き始められたのは、自分にとってはやはり宝そのものだ。そして友情の大切さを学べたのは、明らかに生徒達の影響だ。マイアと暫くこのメンツの話をしていると、瑛人が泣き出した声が聞こえた。


「あ、起きちゃった。じゃあ母は戻ります。英人、風邪だけは引かないでよ?」


「分かってるって。父親だし、受験生の勉強見てる教師だし、今は一番風邪とか引いてられない。マイアもな?無理するなよ?いつでもSOS出すように、分かった?」


「ん、分かった。ありがと、おやすみ」


「お休み」


 瑛人が産まれてから、ずっと一緒にいたので、夜に瑛人の泣き声が聞こえないのが不自然に感じ、何度か目が覚めた。今頃起きているのだろうか、マイアは疲れていないだろうか、朝になり気になってメッセージを送ると、すぐに返事が来た。


<今日は3時まで爆睡してくれたわ。瑛人、空気読める子なのかも>


<有難う、瑛人の為に夜起きてくれて。本当感謝してる>


 母親だから起きる、泣いている子を放置出来ないから起きる、それを当然だと人は言う。でもそういう感覚よりも、人として小さな命を守ろうと起きて世話をすると言うのは、努力そのものだ常に感じる。それを一生懸命にしてくれるマイアに感謝の気持ちを告げると、マイアから返事が来ていたのに家を出る直前に気が付いた。


<有難うって言ってくれて有難う。私も感謝してる。瑛人のパパが英人で良かった。私の親友が、英人で良かった。私の未来の恋人の親友にも、絶対なってね>


<勿論!じゃ、行って来ます>


 マイアの未来の恋人。いつかきっと誰かに出会い恋をする。恋愛での失敗は、相手だけを責めたら成長はないが、マイアは自分が犯した過ちをしっかり反省している。きっと、次は良い恋が出来る。その時、俺はどうなっているのだろうか?日和は本当に米国の大学へ進んでいるのだろうか?俺と日和は、本当に付き合うことになってるのだろうか?ジョーは今の彼女とどうなっているだろうか?猪田先生は?マミちゃんは?皆、未来の真っ新なページを期待という希望を胸に、楽しみにしている状態であると言うのは、今の教え子達と変わらない。何歳でも、見えない未来は希望そのもの。何がどうなっていようとも、マミちゃんの言う通り、きっと何とかなっている。そう思いながら、ジムに向かった。今日は、ジョーも来る予定で、その後一緒に昼を食べる約束だ。

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