高校3年2学期⑥

 パートタイムでという話は、現実的ではなった。自分自身が、パートタイムではしたい事が出来ないと気がついてしまい、マイアには申し訳ないとは思ったが予定していたよりも早くにフルタイムで仕事に復帰した。日和の受験に関しては、正月過ぎたら受ける合否発表の結果が良いものであるようにと祈る以外、教職員の俺達に今出来る事は何もない。だが、これで受験を終えたわけではない。ここまでの努力がもし実らなかった時、大学進学はしたいという希望があるので、他の生徒と同じように一般受験に向けて準備を続ける必要があった。推薦を取るのは簡単だが、日和は推薦枠は確実にその大学に第一希望として行きたい人が受けるべきで、自分は第一志望が駄目だった時のバックアップの準備だから、推薦は受けられないとキッパリと断った。担当クラスから推薦入試を受ける予定なのは青木、柏田、横田、松川、藤野が国立、真下、手嶋、小林、西川、鈴木、常田と筧が私大で合計クラスの12名だ。他のクラスに比べたら推薦を狙うものが多いが、正直全員、受かる気しかしない。他の生徒達は一般受験になるが、推薦枠に今の所入っている全員、結果が出るまでは一般受験の準備を怠るわけにはいかないので、クラス全体、誰一人欠ける事なく緊張感はマックスに保ったまま、真剣に勉強していた。その中である文化祭は、勉強の妨げになるという保護者の意見よりも、メリハリや息抜きを上手に使える彼らの楽しみそのものでもあるから、思いっきり二日間だけ、受験を忘れて楽しむようにホームルームで伝えると、皆は目を輝かせた。


 今年は最後になるので、美術部の鈴木が殆どの教室の飾りを受け持ち、本格的なアメリカのダイナーになった。売るものは残念ながら調理実習室の火が使えるわけではないので、アメリカでお馴染みカジュアルかつジャンクかつ火を使わない食べ物を扱うことになった。何が代表的かと聞かれ、ジョーと二人で挙げたリストに皆は笑ったが、それを拒否せず採用してくれた。

 一応「キッチン」担当の大八木と青木と日和、それに猪田先生と小林にジョーがサンプルを作ったのを見せてくれたが、中々の出来だ。

 

 文化祭当日、朝から準備したPB&Jを大量に入れたコンテイナーを抱えて教室に入ると、生徒達が笑った。


「先生、パン屋のおじさんみたい!」


「おじさんって言うな、手嶋!これ、今日の分な。パンケーキのシロップ、これから持ってくるから。後さっき調理実習室で日和と青木がホイップクリーム、ガッチガチにしてたから、誰か女子行ってやってよ。酷いから、あれ」


「えええええ、最悪!クリーム、高いのに!!!」


 大八木の声に皆川笑うと、ジョーがノリノリで教室に入ってきた。


「Yo!セロリスティック、あんだけで足りるの?」


「いや、知らん。でも、誰が頼むんだろうな?野菜スティックとかさ、文化祭で買うやついると思うか?」


「俺は食うけど?ピーナッツバターと野菜スティックとか美味いでしかない。てか、このメニュー全部食う」


「マジか?じゃ、買ってって。売り上げ貢献、頼もしいな。ジョー、流石!」


 俺が生徒達に、ジョー先生が大量購入してくれるってと揶揄うように伝えると、生徒達が「おぉぉぉ、太っ腹!」と拍手をした。が、ジョーはそれに塩らしい演技を始めた。


「I'm just a fucking poor boy, standing in the classroom, asking you to pay for me. (俺はお前に奢ってくれと、教室の真ん中で願い乞うクソ程貧乏なただの少年だ)Please?何ならタダにして?」


 生徒の中でこの替え台詞に気が付いた者が爆笑すると、俺も笑いつつキッパリ断った。


「Ahahahaha, no way!!! しっかり払えよ?セロリ一本でも払っていけよな?」


「Duuuude、そこをどうにかしてくれるのが友じゃねぇのかよ?」


 ジョーのその言葉に、カウンターの後ろで作業をしていた猪田先生が答えた。


「ビタ一文、まけません。文化祭は戦場です。このクラス、今年売り上げナンバーワン狙ってますので」


 その言葉に俺とジョーが声を上げて笑うと、日和と青木が怒った表情で教室に入ってきて、俺に向かって苦情を言った。


「先生!僕達がクリーム失敗したのバラしましたね?!」


「おー、日和。うん、先生、正直者だからつい。何か?」


「何か?じゃねーよ!マジで、女子にクソ程怒られた挙句に追い出されたじゃんか!もぉ、俺の株、駄々下がりなんだけど!」


 青木の言い分に笑ってしまうと、ジョーが憤った表情の日和にウィンクをして言った。


「You're okay. You can fuck up whatever you want, 俺らの昇給チャンスさえへまらなければな?」


「Too much pressure... (圧がすごいんですけど…)」


 日和の返事にジョーと声を揃えて笑うと、ジョーは日和の肩を軽く叩いて言った。


「You know we're just teasing you! (冗談だってば!)クリームは一回硬くなるともう救えないけど、人生はどんだけ失敗してもやり直しが効く。軌道修正が効くのが人生の良いところ。受験も何回でも受けられるし、人間関係も何回でもやり直せる。諦めた瞬間に全てがダメになる。諦めさえしなければ、必ず物事は上手く行く。今失った青木の女子信頼も、すぐに挽回出来るから、no worries!」


 ジョーの言葉に、クラスでジョーの言葉を理解した生徒達は手を叩き、珍しくいいことを言っているジョーに猪田先生が頷くと、ジョーは照れ隠しのように調子に乗って付け加えた。


「By the way, would you like to go out with me, Inoda sensei? (ところで、猪田先生、俺とデートでもしませんか?)」


 それを聞いていた生徒が笑って猪田先生を冷やかすと、猪田先生は真顔で抑揚を一切つけない声で答えた。


「Thank you so much for your kind offer, but no thank you. (ご親切にありがとうございます、でも遠慮しておきますね)」

 

 猪田先生がまたカウンターの裏に作業しに戻ってしまうと、生徒達は爆笑していたが、ジョーは引き攣った顔で俺を見て言った。


「Duuuude, do something!(おい、なんとかしてくれよ、これ!)」


「Sorry, dude. There's nothing I can do for ya. でも、本気で手に入れたいなら、真っ直ぐぶつかり続ける以外の道はない。て事で、まずは今の彼女と別れてこいって。話はそれからだってことだろ?」


「…むずいな、それはそれで。とりま、保留で」


「はい、出た。ジョーの適当。お前、よくこれで保護者から苦情出ないな?」


 ジョーを冷やかすように言うと、ジョーはウィンクをしながら答えた。


「俺の、ダダ漏れセックスアピールに保護者もメロメロなんだよ。つかさ、今日マイアとベイビーは来るの?」


 その言葉に生徒達が一斉に期待の視線を向けたので、思わず含み笑いをしながらそれに答えた。


「それは、後でのお楽しみってことで」


 その返事にクラス中が華やかな声を上げたが、日和だけは余り喜んでいる様子はなかった。一生徒と一教師という立場に戻った。でも、気持ちは消えない。不安も、期待も、希望も、臆病になる気持ちに混ざり合いながら、心の中に存在し続ける。日和に安心して貰う術は、特別扱いをするとか、個人的に連絡を取るとか、将来を約束する事では、きっとない。今出来る事は一つだけ。自分が父親として存在している事には、日和も大いに影響してなし得た事だと伝える事だろう。そこで文化祭初日にマイアが瑛人と現れた時、真っ先に日和に声を掛けた。


 丁度担当が終わり、外に青木と大八木と出て来た所だったので、日和に声をかけると日和は驚いた様子で俺を見た。


「保健室、ちょっと運んで欲しい物があるから、大丈夫?」


「…はい。あの、翔、僕後で行くから先行ってて」


「…俺も一緒に行く?先生、ひよで運べるもの、それ?」


 青木が心配そうに日和を見て聞くので、青木の目を真っ直ぐ見て答えた。


「運べる物だから心配いらない。すぐに合流させるから」


 日和は個人的に俺に呼び出されるとは思っていなかったので、この戸惑いは当然だ。廊下を多くの人が行き交う中、久々に二人で歩いている気がして日和を見ると、日和はしっかり俺を見ていた。動揺しないように前に向き直し、普通の会話をした。


「ご両親、今回来るのか?」


「はい、明日の午後に弟連れて来るって言ってました」


「そっか。最後の文化祭だしな。あっという間の3年間、って言うにはまだちょっと早いか?」


「終わっては無いけど、僕はこの時点でも正直信じられないです。これが最後の文化祭、僕の高校生活の一つの区切りがつくのが。こんなにあっという間に過ぎるとは思ってませんでした。瞬きした瞬間に過ぎた、そんな感じがします」


「そうだな、先生もお前達入学して来てから瞬きしたら、ここにワープして来た感じがしてる。早かった。でも、これからの数ヶ月の全力疾走が、高校生活の全てを締め括るのに一番大事になるから、頑張れよ?」


「はいっ!…で、あの、僕に運んで欲しいものって何ですか?」


 日和が躊躇したように聞いた時、丁度保健室に到着した。鍵を開け、中に通すと日和はすぐに立ち止まって、俺を見上げた。


「ん。俺の子供。一番にお前に抱かせてやりたかった。抱いてやってくれる?」


 窓際に座っていたマイアが笑顔で日和を見上げると、瑛人が小さな欠伸をした。日和は、マイアと瑛人を見つめたまま暫く時が止まったように動かなかった。状況をプロセスしている間、マイアも俺も黙って日和を見守っていたが、立ち尽くしていた日和が一歩一歩マイアに近づくと、マイアが声を潜めて言った。


「さっき寝たばっかりだから、起きないかもしれないけど」


「…本当に僕が抱いても良いんですか?」


 日和の質問に、マイアは優しく答えた。


「抱いて欲しいのよ。貴方さえ良ければね?」


 日和はその言葉に一瞬振り返り俺を見た。俺はただ黙って頷いた。日和は目に涙を溜め、黙って頷くと、マイアに指導されながら静かに瑛人を抱き抱えた。


「どう?思ったよりも重いでしょ?」


「…うぅ…はい…可愛い…うっ…どうしよう…瑛人君が濡れちゃう…」


 頬を伝う涙が瑛人に落ちないように、懸命に顔を上げ身体を反る日和の頬を、マイアがそっと手に持っていたタオルで拭くと、小さな声で伝えた。


「ありがとう、日和君。私もこの子も、貴方に救われたわ。英人をこの子の父親にしてくれて、ありがとう。貴方のこと、子供だって正直思ってたけど、子供なのは私だったわ。貴方は人として、私達よりずっと成熟していて強い芯がある。見習って、私達も頑張るから、高校生活最後まで後悔のないように頑張ってね。応援してるわ」


 日和の瞳からはどうしようもない程に涙が溢れ出し、俺が慌てて瑛人を日和の腕から引き受けると、マイアが抑えた声で笑いながら日和の涙を拭い続けた。日和は、あえて何も言わなかった。ただ、「有難うございます」と小さな声で繰り返し言った。

 生徒と教師、その関係に特別はない。皆、平等でないと全員と心が繋がれない。受験生一人一人、今、この時期に求められている教師の俺は、皆の心に何よりも寄り添える存在でいないといけない。だから、ゼロに戻った。だが、日和が投げたボールを受け取った身として、ゼロであっても、その意味が何かはしっかり理解している気持ちは伝えておきたかった。瑛人を学校の中で一番に抱いて貰い、その気持ちを伝えたつもりだが、日和がどう思ったかは分からない。伝わってくれたら良い、そう願いながら、日和が落ち着いたのを見計らい日和を先に返すと、瑛人をスリングに入れ、マイアと二人で教室に向かった。廊下で色々な人に声を掛けられ、中々教室には辿り着けなかったが、教室前に着くと、いつの間にか生徒が全員教室に戻ってきていたのが分かり、笑みが溢れた。そして廊下を覗いていた大八木が、大きな声で叫んだ。


「皆!先生きた!赤ちゃん来たから、静かにっ!!」


 その声に、青木が速攻ツッコミを入れた。


「一番煩いのお前だから!」


 クラスに笑い声が響くと、マイアを目を見合わせ微笑み、教室に入った。瑛人は爆睡していたが、生徒が一人一人顔を覗きにきては「可愛い!」と声を最大限に抑えて叫び、マイアにも一人一人が「おめでとう御座います」と声を掛けてくれた。マイアは目に涙を浮かべ「有難う」と礼を言ったが、日和が来ると、日和は目一杯の笑顔で言った。


「先生、マイアさん、御目出度う御座います。先生、お祝いにマイアさんにここのダイナーメニュー、全部奢ってあげて下さい。勿論、先生はちゃんと支払って下さいね?」


「…いや、財布忘れたかも」


 咄嗟にそう答えると、マイアが俺のパンツのポケットから財布を抜いて日和に言った。


「有難う、財布あるから、メニュー、全部一つずつ下さい。ご馳走様、英人」


「…担任割引は?」


 その質問に、猪田先生がカウンターの後ろから答えた。


「ありません。先生も食べるということで、メニュー全部2つずつで良いですか?」


「マジか?そこまで言うなら、猪田先生もメニュー制覇した訳?」


 つい納得いかない顔で聞くと、それには他の生徒達が声を揃えて答えた。


「勿論!朝イチで!」


「はい、英人、先輩としては負けないように貢献ってことで」


 財布からしっかり全メニュー2品ずつ分持って行かれ、泣き真似をすると生徒達は楽しそうに笑った。その中に日和も居て、このクラスのまとめ役に、いつの間にか日和が青木と一緒になっていたことに気がつき、歓喜の気持ちで胸が満たされた。入学当初、一人でいることの方が多かった日和。この3年間で、大分変わった。友達の大切さや、今のこの時期に大事にすべきものが見えてきたのだろう。その様子を眺めながら、マイアと二人で窓際の席に座りテーブルに並べられた物を目を白黒させながら完食した。そしてお腹が膨れたところで教室を後にし、職員室で瑛人をそこにいた同僚に紹介し終えると、マイアを校門まで見送った。マイアは瑛人をスリングに入れ、俺にハグをすると小声で言った。


「日和君見習って、お互い頑張ろ」


「ん。だな?」


 文化祭1日目は、マイアが帰ってからはバタバタで、あっという間に過ぎた。猪田先生に良いところを見せようと、ジョーがクラスの売り上げ貢献に全メニュー購入するとやって来たが、その頃にはその日準備したものは完売しており、猪田先生に「遅いです」と冷たくあしらわれ、皆に笑われていた。この売り上げ戦は3年生だけに設けられていて、一番のクラスは後夜祭で表彰があり、また優勝したクラスは卒業式で一曲、自分達が流して欲しい曲を流して貰える特権が得られる。毎年大合唱になる、大抵はその年流行ったポップが定番だが、今年度の卒業式ではどうなるのか楽しみだ。

 

 文化祭2日目、3年生にとっては高校生活最後の大イベントは、朝から大量のサンドイッチやクリームの準備で大騒ぎだったが、家族や他校にいる恋人、またこの高校を目指している中学生などの姿も見え、賑やかに午前が過ぎた。そして、午後、体育館の後夜祭準備をしていて全くクラスに顔を出せていなかったのでクラスに寄ると、丁度日和の家族が来ているところだった。


「こんにちは、お元気でしたか?」


 日和の父親に挨拶をすると、日和の父親は日和にどこか似た笑顔で答えた。


「お陰様で。先生は相変わらずイケメンですね。羨ましい」


「あははは、お世辞でも有難いです。有難う御座います」


「お世辞じゃないですよ?つかぬことをお聞きしますが、先生、まだ身長伸びてますか?」

 

 最近日和にも同じようなことを言われたと思い吹き出しそうになると、ひよりの母親が口を挟んだ。


「先生は元からこのぐらいありました。あの、先生、この度は英人の受験で色々サポートして頂き有難う御座います。本当に私達では何もできなくて」


 サンドイッチを微妙な表情で食べている弟に、日和が笑いながら水を渡している。家族独特の雰囲気に、気持ちが暖かくなった。父親は少しだけ母親の言葉に気まずそうな表情を見せてから、俺に頭を下げて続いた。


「本当、有難う御座います。頼りない親で、というか僕が頼りないので、とても先生がいてくださって心強いです。先生が英人の先生で良かったです」


「いいえ、こちらこそ日和さんに刺激受けて、それぞれ教職員も今まで以上にやる気出してますし、本当にいい時期にここに居たと皆思ってます。勿論、日和さんだけではなくて、他の全生徒から大いに成長要素貰ってます。皆、努力家で真っ直ぐで眩しい存在です」


 頭を下げながら思ったことを口にすると、隣にいつの間にかに立っていた猪田先生が同意した。


「本当に、日和さんだけじゃなくて、このクラス、この学年、この学校全体が今すごくいい場所にいると感じます。私は新参者ですが、この時期にここに来ることが出来たのは運が良かったとしか思えません。感謝してます」


 猪田先生を見ると、猪田先生は俺を見上げ、小さくウィンクをした。それに笑顔で応えると、隣の席に座っていた大八木の母親が参加した。


「私もそう思います。いい時期に娘がこの学校に入学出来たと思ってます。当たり年って学校にはあるって言うけど、この学校各学年が当たり年だったと思えるのは奇跡的だと思うんですよ。校長先生の人徳かしら?」


 その言葉に猪田先生が吹き出しそうになると、日和が淡々と答えた。


「校長先生の人徳と、先生達一人一人の人徳だと思います。大八木さんのお母さんが仰った通り、この学校にこの時期来られた僕達が運が良いんです。有難う御座います、先生」


 その言葉に猪田先生が「日和君!泣かせないで!」と言うと、そこにいた大人は皆優しい声で笑った。本心は皆同じ。この時期、この学校に居られるのは奇跡。そして、そう思えることが奇跡。学校での毎日が最高だった訳ではない。一人一人の生徒達それぞれ紆余曲折があり、失敗も失態も後悔も懺悔も抱えながら、それでもここを出ていく時、最高の笑顔で「楽しかった」と言えるように今頑張りたい、そう思うエネルギー全開になっているこの学校は、ここにいる生徒達が作り上げたもので、彼らにとっては最大の鎧だ。この学校にいるという誇りを安全装置に、自分達一人一人の努力で行きたい道を切り拓いて行く。その様子をもう学生をとうに卒業してしまった教員の俺達が見て、自分達の高校時代のやり直しをさせて貰っている気分になる。きっと親御さんも同じ気持ちだ。自分達が経験出来なかった世界を、子供達を通して経験して学ぶ。人は人との繋がりさえ絶たなければ、無限に連鎖した世界が開けて行く。教員という立場上、出会う人数が多い分、きっと俺達は恵まれている。失敗する量も多くはなるが、成長も同じだけ多くなる。この3年間、担任を受け持ち、一生徒に特別な想いをぶつけられ、かなり揺れた。人間としての自分の未熟さが露呈したその揺れは、失敗や失態そのものにも繋がってはいるが、それがなかったら、今、この状況にはきっといない。初めから出来上がっている人間はいない。それで良いと、生徒達を通して教えられた。友人を、一人の人を大事に想う気持ちを学んだ。社会人として、それぞれの立場で物を見ることの重要性を学んだ。今まで自分しか見えていなかった俺は、人の立場になって物を考えるという基本的なことすらも、この学校で学んだ。子供を自分自身が設け、この教師としての経験がどれだけ自分の人生に必要であったかを学んだ。母親の影を追うようにしてやってきたこの高校で、母親の暗い影は最大限に薄れていた。その存在が実際にあったこの場所で、その存在を理解は出来ずとも、蔑む気持ちは消え去っていた。ここまで導いてくれた母に、今なら感謝が出来る。ここにいる生徒達に出会えたのは、紛れもなく母が居たからだ。その存在を陰の様に感じて生きていたが、今はただ、母の最後が苦痛なものでなかったことを願いたい。今までそんなことすら考えず、恨み節全開で母を蔑んでいるところがあった自分を、恥じることが出来るまで成長出来た。父が俺のこの気持ちをどう思うかは分からない。でも、父も本当は願っているはずだ。母が最後に見た景色が、どうか責めて、美しいものであったこと。事実や現実、それらがどうであったかを知る由はなく、共にこの世を去った生徒の親御さんの気持ちを考えると、これは家族全体で背負って行かないといけない十字架に違いはない。自分達の意志や、意図が関わっていなかったにしても、忘れないと言うことが償いになる。何があったにしても、消えた命の灯火は、決して吹き返すことがない。だから、痛みとして覚えておくことが、母の家族であった父や俺が出来る最大の償いだ。痛みを痛みとして自覚し、祈り続けることが、二人の供養になる。そう信じたい。そう思える様になる気づきをくれた生徒達、そして瑛人に大事な友人達、同僚。人を人として見つめる事がどういう事か、こんな年月掛かってやっと理解出来始めた自分は、教員としてはまだまだ頼りない。でも、一生気がつかないよりはマシだと自分に言い聞かせ、生徒達と失敗を繰り返しながらでも成長したい。そして、彼らが輝く未来へ進む道すがらに無数に立つ指標の一つとなれたら、これ以上のことはない。抱えて良い多くの正解の一つ、失敗の一つ、なんでもいい。何かに迷った時に振り返り、「あ、こっちかな?」と本人が思い描く答えの支えの一部、1パーセントとして存在出来たら、教員冥利に尽きると言うものだ。


 教室で売る予定のものを今日も完売し、生徒達が輝く瞳で後夜祭に向け片付けを始めた頃、ジョーが体育館にやって来て自分のDJブースに更なる装飾を施しながらつぶやいた。


「なんか、寂しいな。これ、あの学年の生徒と最後の馬鹿騒ぎになると思うとさ」


「まぁ、そうだな。でも卒業式の後ホテルの謝恩会あるから、あそこジョーも今年は参加したら?」


「あー、でもディスコじゃないだろ?校長とかそれぞれ担任のスピーチだけで、後はしゃべって食うだけって聞いてるけど」


「そうだけど、お前が変えたら良いんじゃないの?勝手にディスコにでもしたら良い」


 無責任にジョーを煽る様にそう言うと、ジョーは目を輝かせて言った。


「マジか?!え?ありか?俺、それやりてぇ!え、どこのホテルとか何か詳細くんない?俺、勝手にホテルと交渉してくるからさ!」


「あははは、まぁダメもとで頑張れー。後でマミちゃんに聞いとくわ。今年担当させられてるから」


「YAS!マミなら大丈夫そうな気がする!俄然やる気出てきた!ま、今は今夜に集中!最高に踊れるナンバー揃えてるからな」


 3年生、最後の後夜祭はこの3年間で一番盛り上がった。その要因の一つは、クラスが売り上げ賞を獲得し、全員でそのトロフィーを受け取りに壇上に駆け登って大騒ぎをしたからだ。毎年あるが、ここまでクラスが一致団結して盛り上がっているのを見るのは初めてだ。壇上の隅でDJをしていたジョーもそれを放置し、その騒ぎの中に参加し、大騒ぎをし、全員で大いに笑った。そして、毎年お決まりの静かなナンバーでは、今年はジョーが校長を巻き込んで壇上で踊っていた。生徒達は大爆笑で、校長は相当抵抗していたが、ジョーが校長はクールだと揶揄い、校長も最終的には満更でもない様子で踊っていた。その間DJブースを任され、適当に回している間、生徒の大きな口の開いたこれ以上ない笑顔を眺めて思った。これは、いつか忘れてしまう思い出というアルバムの中の一ページにしか過ぎない。でも、この一ページはきっと何度でも色鮮やかに蘇る、特別な一ページだ。記憶として記録されるこの瞬間、彼らの青春という大事な一ページ、心が折れそうになる度に捲り返しては奮い立たせてくれる、そういう大事な一ページ。受験本番まで後少し。今夜のこの興奮と若さの全てを詰め込んだ数時間が、この厳しい時期彼らが進める一つのパワーになってくれたらと、教職員は皆願った。


 

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