高校3年夏休み

 夏休みのスケジュールは過酷を極めた。8月に試験を控えた日和の対応、補習授業、出産準備クラス、それに部活と校長からの絶え間ないパワハラへの対応。1日1日が濃厚過ぎたせいか、日和の試験日前日には、既にバーンアウト仕掛けているぐらい、疲労困憊だった。だが、良い疲労感だった。

 そしてその試験前日の夜、急に不安になったのか日和から珍しく電話が掛かってきた。


「…先生、今、良いですか?」


「Of course, だけど英語の練習に俺を使った方がいい。どう?Are you ready for the big day? (明日の準備できてる?)」


「Uh ...yeah ...I hope so...I don't know... I mean, I've done everything I could, but I'm just kind of freaking out...(はい…だと良いですが分かりません…できる事はしましたけど、ビビってます、完全に…)」


「Hahahaha, I was exactly like you the day before SAT! Relax! You're gonna be okay. (俺もSATの前お前と同じだったよ!落ち着けって、大丈夫。)この為にどれだけ頑張ってきたか知ってるけど、これは人生で踏むべき無数のステップのたった一歩にすぎない。例え上手くいかなかったとしても、大した事ない。人生、起死回生のチャンスは常にある。あんま真面目に捉え過ぎないで、無心になって全力でぶつかってこいよ?お前は一人でそこに立ってるんじゃない。お前のクラスメイトも部活の仲間も、お前の家族も皆お前の事を想ってる。何があっても、それは絶対に変わらない。結果を考えてビビるんじゃなくて、今までの自分の努力、それを支えて来てくれた人達の気持ちを自分の自信の盾にして戦ってこい。俺も明日はずっとお前のこと想って過ごすから、頑張れ」


「…こう言う時、僕は本当日本人だって感じます」


「Why?」


「…先生が今、多分余り考えずにスラスラ言った言葉、僕の感情を物凄く揺さぶってるのにそれをどういう言葉で表したら良いのか分からないんです。ただ表現しきれない気持ちに圧倒されて…先生の言葉にもっとかっこいい返事が出来たら良いのに、僕にはまだそれが出来ないから、明日持てる力以上で頑張ることで、この気持ち表現します。Can we see each other after the exam? (試験後、会えたりしませんか?)」


「At school, yes.(学校でなら良い)でも学校の外はダメだな。一応俺は校長に追い出されるまでお前の担任だからな」


「...Is it gonna happen?(そうなりますか?)」


「Oh, qué será, será, hombre! If it happens, it happens. (分からん。でも起こったら起こっただな。)未来を占うガラス玉でも持ってたら、俺は今頃億万長者だろ?」


「...僕が卒業するまでは少なくとも学校にいて欲しいです…」


「I'll try. I like this job. I really do. (努力する。この仕事、本当気に入ってるから。)な、顔洗って、水分補給してもう寝なさい」


「Good night... would it be too much if I said...is it okay if I...(おやすみなさい…あの、もし僕がこういう事言ったら…僕がもしその言っても…)」


 電話越しの声でもその緊張と、何を言いたいのかは痛いほど伝わり、冷静にそれを阻止した。


「Don't. (言わなくていい。)目を見て言える時まで待て。大事な瞬間は、電話越しで無駄にしたくはない。お前はそう思わないだろうけど、俺は意外にロマンチックなタイプの男なもんでね?」


「... ほら、こう言う時にもどう返事したら良いか分からないです… Argh, this is so frustrating!(…もどかしい!)」


「Hahaha, you have all your life to get used to this.(ははは、そのうち慣れる)一気になんて無理だし、俺はお前に俺みたいになって欲しくはない。そのままのお前が良い。俺は俺とは違うお前が良いんだから。まぁ、まるっきり同じ名前ってのがな、ちょっとセクシーではないけど、どうしようもないしな?その内、いい呼び名見つけないとな…Uh...pumpkin pie?(…パンプキンパイとか?)」


「...Why pumpkin pie?(なんでパンプキンパイなんですか?)」


「'Cause I like it?(パンプキンパイが好きだから?)」


「...なんかしっくりきません」


「じゃあ...buddy?(バディ?)」


「...セクシーじゃないですね」


「Argh, お前なんで俺の名前パクった?」


「I didn't! (パクってませんよ!)親が付けたんです!」


「I doubt it! (どうだかな!)俺はお前よりも随分前に生まれてんだから、お前はまがいもんだ!英人は特許取ってんだから、使用料払えって!」


「...Again、自分が日本人だって感じてます…」


「Hahahahaha, sorry hun. I got carried away. Just go to bed. (悪い、調子に乗った。な、もう寝ろよ)」


「You just said "hun". (今、ハニーって言いましたね?)それで僕を呼ぶとかは?」


「...Nope.俺は誰それ構わずハニーって呼ぶ。特別な人間を呼ぶにはふさわしくない。つか寝ろよ!このまま行ったら、通話中に朝日が昇るぞ?」


「...Okay. Good night...Eight.(はい…おやすみなさい…英人)」


「Night, babe(おやすみさん、ベイブ)」


「...Babe?(ベイブは??)」


「Nope. ダメだな。これも俺は誰それ構わず使う」


「Dang it.(くそ)」


「Hahaha, we'll come up with something!(ま、そのうちなんかあるって)」


 翌日、日和は大事なテストを受けに行き、俺はマイアと出産準備クラスへと向かった。


               ***


 マイアの大きくなったお腹の赤ん坊は、かなり激しく動くようになり、何度か動いているお腹を触らせてもらったが、喜びと同時にサイファイのような感覚があり、それをマイアに言うと、マイアも同じ感想を抱いていた。


「あ、ほら、すごい動いてる!」


「うわ、すげぇ…Realだな…リアル…俺の発音、おかしくないか?合ってるか…」


「あははは、最近日和君と英語でしか話さないから日本語不確かになって来た?」


「…やばいな。俺のここまでの努力が」


「頑張りなさいよ、向こうも頑張ってるんだから。でも、”リアル”ってカタカナ言い難くはあるわよね?」


 マイアの返事に二人で声を上げて笑うと、説明をしていた婦人科の先生に静かにするよう注意されてしまった。出産時に起こる陣痛についての説明、どのぐらいの間隔になったら産院へ行くべきか、父親はパニックにならないようにどうしたらいいか、破水をした場合はすぐに連絡をするように、など事細かな話を聞けたので、必死にメモをした。マイアの出産予定日は9月中旬だが、一応9月からマイアの家で寝泊まりをする予定でいる。出産前に米国からマイアの母親が来るが、彼女は真里さんの家に泊まると言い張り、親なりに俺に対して父親の自覚を持たせようとしているようだ。この子が俺の子ではなくても、俺がこの子の父親になると言うのなら、しっかり責任を果たすべきだという姿勢に、自分自身気持ちが更に固まるのを感じた。


「…と、一応今までは予定日と予定日前に生まれてくるお話でしたが、予定日を過ぎても出てこない赤ちゃんも勿論います。そういう場合は、積極的にご夫婦で仲良くして頂くと、刺激になって出てくると言われていますので、怖がらずに試して下さいね」


 部屋の中にいた夫婦が皆一瞬照れた表情になり、仲良くすると言うのがどういう事なのか瞬時に判断出来なかった俺が、思わず大きな声で言ってしまった。


「仲良くするって?」


 それに先生が笑うと、マイアが恥ずかしそうに「大丈夫です、私分かってるので」と答え、俺に耳打ちをした。


「She meant we should, you know, do it.(先生は、その、あれをしろって言ったのよ)」


「What? (は?)」


 大きな俺のリアクションにマイアが爆笑すると、周りのご夫婦も笑った。その出産クラスの帰りに、マイアと近くのカフェでマイアが食べたいという糖分の少ないケーキとやらを食べている時、ふと自分の性生活について考えてしまった。


「つーかさ、俺、もうほぼ3年は誰とも寝てない…」


「Wow…英人が…日和君、この英人を年単位で待たせるって本物ね」


「…いや、初めてから結構ひっきりなしに相手がいたから、この3年で童貞に戻った気がする。ヤバいな…」


「あはははは、でも自転車の乗り方習ったら忘れないのと一緒で身体が覚えてるものじゃないの?」


 マイアの自転車セオリーに思わず大声で笑うと、マイアも笑った。実際は、自転車の乗り方程単純だったら良いのだが、人間一人一人体のつくりは違うので、それなりに毎回新鮮なことがある。だが、この3年そういう行為をしなかったことによって、そう言う行為を心からしたいという欲がかなり芽生えていた。それを小さめの声でマイアに話した。


「前は本能的に欲情したらする、みたいな所あったけど、感情基準よりは本当下半身的なものが強かったのが、今、凄い脳内の性欲がとめどなく湧き上がってる感じで、若干恐ろしい」


「どうして?」


「だって、怖くないか?歯止め効かなそう、そう言う状況になったらSMGになる可能性が…don't stop me noooow, 'cause I'm having a good time…oh, oh, oh, oh, oh, explode…and repeat(最高ノってる、もう止まらん…あぁ…やばい、もうイく…で、それ繰り返し)」


 真顔だが少し巫山戯た感じでクイーンの歌を混ぜて説明すると、マイアがお腹を押さえながら爆笑した。


「 Ohhhh my god, don't make me laugh!!! (ちょっと!!笑わせないでよ!!)」


 笑い出したマイアがそれにシンクロするように動き出した子供に驚き、椅子から立ち上がった。それに驚いてマイアの目を見ると、マイアが大きな目を輝かせて俺の手を取った。そしてその手をお腹の上に乗せた。子供が、お腹の中で踊っているようだった。思わず「Someone's having a party, huh?(パーティでもしてんのか?)」と言うと、マイアが「Oh yeah, he's having a good time!(そうね、彼ノってるわね!)」と答えた。暫く二人で手を乗せ、その様子を楽しんでいたが、あることに急に気がついて、椅子から転げ落ちそうになった。


「Wait...Maia, did you just say ...he???(待って、マイア、今…彼って言った?)」


「…Ops…Uh, it(あ…これって言ったよ?)」


「Ohhhhhhh my fucking gooooood!!! (おい、マジか!)ズルしやがったな!お前、子供の性別は知りたくないって言ってただろ!」


「It's not my fault, I accidentally saw his goddam penis!!!(私のせいじゃないわよ!彼の立派なブツが見えちゃったのよ!)知りたくなかったのに!)」


「Why the hell didn't you tell me?? This is a HUUUUUGE NEWS!!(何で言わなかった?こんな大事なこと!)」


「I didn't wanna spoil the surprise!!! (サプライズを台無しにしたくなかったのよ!)Fuck, まだ本当に言いたくなかったのに!」


「Holy shit! We're having a boy!!! It's a boy, isn't it ??(マジか、男の子か!赤ちゃんは、男の子なのか?)」


「…Yes, it's a boy(そうよ、男の子よ)」


「Oh god, I'm gonna cry…(やばい、泣く…)」


 子供の性別を、どうしても知りたくないというマイアの言葉に従い、子供の性別は今まで知らなかった。だが、この瞬間に知ってしまい、何故か馬鹿みたいに泣けて仕方なかった。最後に泣いたのがいつかは思い出せない。そのぐらい、自分の中に涙というものが存在していたことすら忘れていた。だが、この瞬間はとめどなく溢れる涙を止める術が分からなかった。子供の性別が判っただけで、こんなに感動するとは予期していなかったので、泣き崩れる自分を冷静に受け止めることは出来なかった。ただ感動して、ただ泣いた。マイアは恐らく俺に釣られて泣き出し、二人で暫く結構無防備に泣いた。カフェの従業員に大丈夫か声をかけられたが、子供の性別が判って感動してるだけだと伝えると、「おめでとうございます」と言われた。二人でありがとうと礼を言うと、店を出る時キッチンの奥から女性が出てきて、小さなクッキーを手渡してくれた。it's a boyとアイシングがしてある、可愛いクッキーだった。マイアが泣いて礼を言うと、女性が特別な瞬間にこのカフェに来て頂いたお礼ですと笑顔で答えた。人の出入りが多いカフェは、店主の心が現れているのだと感じ、子供が生まれたらあのカフェに連れて行こうと話をした。


 このニュースは、二人の間に留めて置き、真里さん達には話さないと決めたのだが、姉妹テレパシーとやらで偶然この話をしている最中真里さんに会ってしまい、マイアが大事に手に持っていたクッキーを目ざとく見つけた真里さんが、街中で悲鳴をあげ、結局家族全員にこのニュースは伝わった。マイアが日和には話していいと言っていたので、テストが終わった時間を見計らい、日和に電話をかけた。


「Hey, buddy. How did it go?(よ、試験どうだった?)」


「Don't call me that. Well, I don't know…(それ辞めてください。あの、テストはよく分かりません…)」


「How come? (なんで?)」


「 I don't know...出来たと思うけど、簡単過ぎたというか…何か馬鹿みたいなミスしてる可能性が高い気がして…」


「Wow, too easy, huh? (すげぇ、簡単過ぎたって?)なぁ、お前はお前自身が思ってるよりずっと賢いんだよ。もし簡単だって思ったなら、絶対良く出来てる。Good job, buddy!(頑張ったな、バディ)」


「Stop it! (それ辞めてください!)僕はもっと可愛い感じの呼び名が良いです!」


「Hahaha, sorry, but I like teasing you! Well, are you ready for the interview now?(ははは、悪いな。お前揶揄うの楽しいからつい。で、面接はいけそうか?)」


「I know I'll get nervous, but I'll do my best.(緊張するとは思いますけど、ベストを尽くします。)結局それ以外できる事はないですし。で、今日先生はどうでしたか?」


「Not bad, not bad. Well, actually, it's been a pretty damn good day.(悪くなかった。てか、すげぇ最高に良い日だった)」


「Oh yeah? (そうなんですか?)何かあったんですか?」


「知りたいか?」


「Of course! Well...?(当たり前です!で?)」


「Well, 子供の性別が判った」


「WHAT?? え?!どっちですか?女の子?男の子?」


「当ててみ」


「Uh...男の子かなぁ?」


「...You know what? You're boring. Fucking boooooring.(つかさ、お前マジでつまらん。マージでつまらん!)」


「...It's a boy, isn't it?(…男の子なんですね?)」


「...Yeah, it's a boy. (そう、男の子。)ていうか、男の子なんだよ!!!」


「Congrats! Awww, this is not good... I'm gonna cry...(おめでとうございます!!あ、まずい、泣きそう…)」


「I cried my eyes out today, so go ahead. (今日俺もクソ程泣いたから、どうぞ。)この最高に美しい知らせ喜んでやって!男の子なんだよ!俺達の元に男の子が来るんだよ!最高だろ?」


 日和は、電話越しで声を殺して泣いた。この知らせを一緒に喜んで泣いてくれた。ちゃんと自分のことのように、泣いて喜んでくれた。それが胸に響き、日和の抑えめな泣き声に隠れて、少しだけ一緒に泣いた。


 日和が落ちつきを取り戻し、これからの話をしていると、小さな声で日和がつぶやいた。


「You really sound like a father…(本当、お父さんみたい)」


「父親になるんだよ。なぁ、今自分がこういう状況になって、本当お前に馬鹿なことしなくて良かったって思う。あの、まぁ、そのちょっとフレンチな感じのキスとかアレだけど…ゴホゴホ…でもそれも俺のせいじゃない!お前のエゲツないセックスアピールのせいだからな?俺はクソほど色気のあるモンスターに惑わされただけの純粋ないち教師ってことでお願いします。はい。 Poor me! (哀れな俺!)」


「Hahahahaha, only if I were a little bit sexier, then we could have gone all the way by now?(ははは、もし僕にもうちょっとだけ色気があったら、今頃最後まで行ってたかもしれないですね?)」


「Oh god, don't even say that! You're a cheeky little brat, you know that?(お前な!そういうこと言うなよ!本当、どうしようもないなお前?)」


「Yes, I do and you'll have to deal with it for the rest of your life, you know that?(そうですよ。でも先生はこのどうしようもないのと一生付き合わないといけないって分かってますか?)」


「Yeah, I do... hey, it's late. Go to bed.(知ってる。な、もう寝ろよ)」


「I'm not a kid.(僕は子供じゃありません)」


「I know that、けど、お前今日1日長かったし疲れてるだろ?休んだほうがいい」


「I'm not hanging up the phone. Not yet. (電話まだ切る気はありません。)先生、アメリカのハイスクールの話聞かせてください。興味があるんです」


「Okay, 何が聞きたい?」


「Tell me about… (例えば…)」


 日和に聞かれた米国での高校生活について、一時間は話し続けた。学食の引くほど不味いランチのことや、低所得の家庭でそれを食べないといけない生徒と、自宅からまともな食事を持たされてくる生徒の格差の話、それを変えようと動く大人の話、学校内での差別やいじめ、安全面での話、決して良いことだけではない現実を聞かれるだけ全て話した。人間一人が経験できることには限りがある。だが、こうしてシェアすることで、その経験は倍増される。人の人生は一人分だけ。だが人と関わることによって、こうして無限に広がっていく。以前は感じなかったその気持ちを、日和が代わりに話してくれた日本の小学校と中学の話で強く感じた。自分が経験出来なかったそういう話を聞き、自分の知らなかった世界を知れた気がした。やっと日和が電話を切ると、電話を放り投げてベッドに横になった。


 いつかこの時の話を、この特別な日にあった話を、マイアのお腹にいる子供にする日が来るのかも知れない。その時、日和が横にいてくれたら嬉しいと、純粋に思った。


 日和の面接は、そこまで構える必要のない内容になるのは知っていたので、とにかくリラックスして話せるようにと、面接前日にジョーと俺で模擬面接をした。学校はもう新学期の準備で忙しくなっていたが、校長からの辞職プレッシャーは続き、出勤する度に溜息が漏れた。校長がこの学校の評判を守りたいのはよく分かる上に、生徒達の妨げになるような教師は居ない方がいいと思うのは当たり前だ。この学校の進学率と評判に傷が付くことを誰も望んでは居ない。だが、生徒達の方が夏休みの間に大分落ち着いてきたように感じるのに対し、校長の感情は反比例していた。他の教員もそれは気がついているようで、職員会議の雰囲気は余り良くなかった。周りに少しでもこうして迷惑を掛けている事を心苦しく思うが、少なくとも今受け持つクラスが卒業するまでは、この高校で仕事をしたい。自分のそういう欲と、周りへの配慮のバランスを大人として考える必要が来ているのは、流石に感じていた。朝から校長の露骨な圧力を目一杯感じ、日和の待つ教室にジョーと向かうと、ジョーは不思議そうに聞いた。


「What's the problem with having a kid without marriage? (結婚しないで子供設けるのの何が駄目なんだよ?)よくあることだろ?全然理解できない」


「文化の差ってやつだ。I don't blame him, but I'm not gonna give in. I'm not a jerk. (校長が一概に悪い訳じゃないけど、屈するつもりはない。俺はクズではねぇから)」


「Oh hell no! You're not a jerk, but just a sex machine. Hahahaha(勿論、英人はクズなんかじゃなくて、単にセックスマシーンなだけだよ!ダハハ!)」


「...本当こう言う瞬間お前の鼻頭を一発ぶん殴ってやれたらいいのにって思う…。Seriously, dude, how did you find a girlfriend? I don't get it.(マジでよくお前彼女見つけたな?全然理解できない)」


「Hahaha, そりゃ勿論、俺もセックスマシーンだからに決まってんじゃん!」


「Argh, I respect your girlfriend. She must be a goddess or something.(まじ、お前の彼女尊敬する。多分女神かなんかだな)」


 ジョーに諦めの溜息を吐き、日和が一人で待つ教室に到着すると、日和が俺達の下劣な会話が部屋まで聞こえたと笑い、ジョーが調子に乗ってYou Sexy Thingを歌いながら踊り出し、日和に「こう言う大人にだけはなるな」と聞こえよがしに言うと、ジョーはまた「エイト、オナジアナむシーナ」と笑った。日和はそれを聞いて笑っていたが、笑えないと思いながら、模擬面接に話を切り替えた。


 色々な可能性とどういうふうに自己アピールをするかを話し、模擬面接を終えた頃、校長が教室に様子を見に来た。日和は校長を見るなり会釈をしたが、校長は日和に関しての期待値が高いので、こう言う時は俺に対して露骨な態度は取らなかった。


「どうですか、日和君。エッセイも殆ど仕上がってると聞いていますが」


「はい、優月先生とジョー先生が全面的にサポートして下さっているおかげで、余り不安になる事項は残っていないと思います。書類を出して、結果を待つぐらいだと思っています。面接はおまけみたいなものだと思いますので」


「そうですか、それは良かったです。大いに期待してますから、体調管理だけは気をつけて下さいね」


「はい、有難うございます」


 ジョーが校長の後ろで変顔をして俺を笑わせようとするので、そのジョーを睨んでいると、校長が突如振り返り、表情を変えて言った。


「優月先生、ちょっとこの後お時間いいですか?」


「…はい」


 校長に個人的に呼び出されて良いことはないと感じたが、日和に心配を掛けたくないので「お疲れ、忘れ物ないように帰れよ」といつも通りの口調で伝え、ジョーにも普段通りのフィストバンプをして部屋を出た。校長は無言で前を歩き続けたが、校長室に着く頃には小さな鼻歌を歌っていた。


 応接のソファーに座るよう促され、恐る恐るそれに従い座ると、校長は満更でもない様子で切り出した。


「優月先生は米国育ちですから、米国にお帰りになりたいと思うことはありますか?」


「いいえ、日本生まれの日本人ですから」


「そうは言っても、日本よりも米国の方が祖国という気はするんじゃないですか?」


「…一応、幼少期から大学でこちらに戻ってくるまでアメリカで育っていますので、多少は自分の一部であるという意識はありますが、何処で育っていても日本人ですし、日本が好きですし、何よりこの仕事を気に入ってます。今の所、戻るつもりはありません」


 校長が米国にでも帰れと促しに掛かっているのかと思い、若干強めに日本がいいと主張すると、校長は意味深に話を始めた。


「いやね…先日以前ここで校長を勤めていらした大先輩に、偶然会う機会がありましてね」


「…はぁ」


「彼は今ハワイで老後を過ごされてるそうなんですよ。いい所だと言ってました。優月先生は、行かれたことありますか?」


「…いいえ。一度も。殆どミネソタから出たことすらありませんけど」


「そうですか。いやぁ、実に羨ましい限りですよ。ハワイで老後、夢がありますね」


 校長の世間話を聞くなら、色々したいことがあったので苛立ち始めると、校長はご機嫌に話を続けた。


「まぁ、その悠々自適の元校長に色々この学校の歴史について話を伺いましてね」


「…はぁ。あの、僕補習がこの後あるのですが」


「あぁ、そうでしたね。ははは、あのですね、優月先生。貴方のお母様の話を偶然耳にしたんですよ」


 人生には多くの事が起こり得る。いつか、こういう話をされる日も来るのは、この学校に来た時点で覚悟していた。だが、今、この時期にされる事が、どれだけ自分にとってまずい状況かぐらいは察しがついた。校長の言葉に返事をせずにいると、校長は不敵な笑みを浮かべて言った。


「優月先生も、余りことを大事にしたくはないと思いますし、こういう話が何処かで漏れて、また学校内で騒ぎが起きたら生徒達の心が乱れるとは思いませんか?まぁ、少なくとも先生のお相手は生徒ではなくて良かったと思いますが、先生はご結婚されませんし、そうなるとこちらとしても不安は拭えないんですよ。生徒の間で、優月先生が結婚しないのは、他にお付き合いされている人がいるという噂も流れていますし、お母様の話が露呈したら、その相手が生徒ではと騒ぎが起きて、これから一番大事な時期に生徒達が無駄な労力を使うことになりかねませんよね?私が言っていることは、分かりますか?」


 母親のことが露呈することに関しては、正直そこまで自分が責められる要素にはならない筈だと思うところはあった。だが、生徒である日和とのことが今何かの形で明るみに出ることだけは、全力で避けなくてはならない。自分の仕事のためではなく、日和の将来に傷が付くことだけは、何がなんでも避けないといけない。そう思った瞬間に、体の力が抜けるのを感じた。これ以上、ここで粘ることで多くのことが空回りし、不必要に傷つく人間だけが増えていく状況になりかねない事実を、このまま無視してここに居座り続ける訳にはいかない。校長の顔を見ると、校長は穏やかな笑顔でとどめを刺した。


「急なことだと生徒達も大変だと思うので、始業式の時にでも挨拶をして頂いて、後任の教員とバトンタッチが時期的には丁度いいかと思いますが、優月先生はどうお考えですか?」


「…9月始めの実力テスト、そこまでは居させて貰えませんか?生徒達が夏の間にどれだけ頑張ったか、見届けてからではダメですか?その間に、後任の先生に引き継ぎする時間取れますし、始業式だとその直後のテストに響く可能性もあるので、責めて中間まで時間のある9月2週目まで。我が儘言って申し訳ありませんが、ご検討頂けると助かります」


 頭を下げると、校長は満足げに答えた。


「分かりました。先生の次の赴任先に関しましては、また追ってお話しさせて頂きます」


 校長室を後にした途端、身体の感覚が遠のくのを感じた。今受け持つ生徒達の卒業まで、ここで教員をしたいという希望は、やはり一人の生徒と生徒と教師という関係を超えた時点で、諦めるべきだったのかもしれない。いくら此方が何かを主張しても、日和との事は一旦明るみに出れば、取り返しがつかない。卒業まで半年強。ここまで残れただけでも、本当は感謝しなくてはならない状況なのだろう。欲張りな自分の行動で、これ以上生徒の心を乱すことだけはしたくない。その後の補習で最後にしたテストは、各生徒高得点をマークし、この夏にいかに各々が自己に向き合い努力してきたかが伺えた。新学期が始まり、実力テストで全体像を確認してからと思っていたが、今の時点で生徒達の成長が感じられ、気持ちが軽くなった。

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