高校2年3学期①

 マイアの検診にもう一度付き添うと、お腹の子供はそれなりに人らしい形になっていて驚いた。成長が早過ぎるんじゃないかと騒ぐと、医師に十ヶ月で外で息できる状態まで成長するのだから、このぐらいのスピードで育たないといけないんですよ、と笑われた。マイアと一緒に区役所に母子手帳を貰いに行き、母親の部分に名前を記載した。父親の部分は、まだ空白だ。マイアは俺の提案を、今もまだ考えている。押し付ける事ではないので、すべてマイアの判断に任せると伝えてあるが、マイアは恐らく、まだ何処かで相手の男が戻ってくることを待っている。それを感じる度に、男に対しての怒りが湧き、ジムで何時間も過ごす日も増えた。冬休みの間にジムに行きすぎたのか、新学期が始まるとすぐに生徒たちが大騒ぎをした。


「先生!マッチョ!嘘でしょ??前から筋肉質だったけど、凄くないですか?」


「…ちょっと…運動しすぎた…悪いな、ちょっとあんまり指摘するな。居た堪れないから」


 いい大人がストレス溜まってジムで鍛え過ぎたなど、恥ずかしいことこの上ない。汗をかいていたので腕まくりしていたが、そのシャツをそっと戻して腕を隠すと、生徒が爆笑した。その笑顔を見て、この子達もどれだけ親に望まれて、愛されてここまで育ったのかと思うと、今まで以上に愛しさを覚えた。そして、自分が日和としていた行為への罪悪感も酷くなりはしたが、文化祭以来指一本触れずに携帯の上でのやり取りと、学校で会う時に話す以外距離を保っている自分の判断は、間違ってはいなかったと思えた。


 新学期一発目のテストは、想像以上に結果が良かった。特に英語の補習を真面目に受けた生徒は、点数をかなり伸ばした。その結果から、校長に週に二回、英語の成績が平均以下の生徒を集めて自主的補習をしないかと持ち掛けられてしまった。プライベートでも色々と忙しいので、余り余計な仕事を増やしたくないのは山々だが、生徒の成績が上がると素直に嬉しかったので、それを引き受ける事にした。現在2年でもう一声成績の結果を上げたい生徒を絞り出し、個人的にそれぞれを呼び出し話をすると、皆塾や部活があるからと初めは渋っていたが、翌日全員参加したいという意思のサインをした紙を持参した。今どき受験で塾に行かない生徒はいないので、必要ないと言われた時にはその通りだと思ったが、1日で考えが変わった事に驚いて皆にどうしたのか聞くと、全員親に行けと言われたと嫌々参加だと分かり、笑ってしまった。高校生の内は、まだ親御さんの力が大いに働く。大学に行けば親が関わることは一切なくなるが、高校はこういう部分で生徒達の自立と現実の差が垣間見られ、可愛いと思う。


 部活に顔を出すことが減ると部長に伝え、英語教材室にこもって補習の準備をしていると、ドアがノックされた。


「Yeah, come on in. It's open!(どうぞ、開いてる)」


「…先生」


 ドアから顔を出したのは、青木だった。意外な顔に驚くと、青木はバツが悪そうにドアを背後で閉めてから小声で聞いた。


「あの…ちょっと…良いですか?」


「一時間はないけど、ちょっとならな。何?分からないことでもあった?テストの結果、お前良かったろ?」


「いや…その…ちょっと…」


 あんなに激しく人の胸ぐらを掴むは叫ぶはしていた17歳の熱気溢れる生徒が、子犬のように見えた。可愛いなと思ったが、笑えば自尊心を傷つけてしまうので、笑いを誤魔化すために咳払いをして椅子に腰掛けるように促すと、青木は静かにそこに座った。


「で?」


「…あの…先生は…初めてっていつでしたか?」


「…ん?何?ファーストキスって事?そういう話?」


「uh…yes, but not about kissing... you know, that thing...(そうなんですけど、キスじゃなくて、あれです…)」


「Wow…you're talking 'bout...oh no... I really don't wanna... Aargh...(ワォ…お前それは…うわ…いや…まじか…)」


 13歳だ。でも、生徒にそれは言いたくない。日和には話したが、他の生徒に13歳からやりまくったなどという話はしたくない。だが、青木がこういう質問をしてくるということは、既に大八木とそういう関係を持っているか、持とうとしているかという話なのだろう。生徒間の恋愛に口出す権利はないので、どういう返答が正解なのか考えていると、青木が小声で続けた。


「…色々どうしたらいいのかと思って…その…色々」


「…色々な。あのな…うーん…先生、何処をどう説明したらいいのか全然皆目見当つかないんだけど…取り敢えず、ゴムは忘れないようにな?出来たら相手の子にも避妊はして貰った方がいい」


「え?女子もするんですか?」


 こんな事で良いのか様子見程度に話し出したが、青木はガッツリ食いついた。


「俺の相手は大抵ピル飲んでるか、ペッサリーしてたな。高校生だからピルの方が良いのかもな?」


「…でも、ピルっていかにもで親にバレたりとかしたら…」


「そうか?ピルは生理痛酷い子も米国は普通に飲んでるし、副作用とか合う合わないあるだろうけど、セックスは二人でするものだから、お互い気をつける必要はあるだろ?ま、男が一番気をつけないと行けないから、そこはお前が気をつけてたら大丈夫だけど」


 自分が初めての時は、相手が年上で、ピロートークがそういう話だった。どうやって男が気をつけるか、女も気をつけるかを結構真面目に話してくれたファーストの相手に教わり、そこからセックスをする時にはその点だけはとにかく気を配った。自分が高校生の時など、教員からこんな話を聞くまでもなく全てを知っていたので、青木のピュアな質問に、やはり日本の高校生はピュアだと穏やかな気持ちになった。


「あの…具体的にどのタイミングでその…」


「…待て。先生に性教育の権利があるかちょっと疑問なんだけど、お前は俺から聞きたい?嫌じゃないのか?」


「先生、遊んでたの知ってるから絶対知ってるだろうし」


「…何、それ?先生、遊んでたって」


「中学の時、ひよが女の人と凄いキスしてる先生見て泣いてた。その後も俺、先生が違う女の人と路上でベタベタしてるの見てるし」


「あー……ジョーだけじゃねぇのか…やばいな、昔の俺は…」


「はい、すげぇヤバいです。で、あのどのタイミングで」


 自分の過去は消えないことぐらい知っているが、路上で女に手を出している姿を生徒に実際見られていたと思うと、学校側にそれが露呈していなかったことだけが救いだと思えた。日和にも見られていたのは、取り消すことも出来ないので只管申し訳ない気持ちになる。だが、俺の複雑な心境を察する様子もなく、青木は矢継ぎ早に質問をした。その性に関する質問に、一応全て事細かに答えたが、最後に青木が小声で聞いた。


「あの…どうしてあげるのが良いかとかは…」


「だーーーー!聞け!本人に!女の人もそれぞれ違う体の作りだから、何処が良いのかフォアプレイの時に聞くんだよ。以上!もう先生、限界。無理だ、これ以上答えたら教師の威厳保てる気がしない!」


 専門外で今まで性教育に関して生徒に話をしたこともなければ、して欲しいと言われたこともなかったので、変な汗が一気に出ていた。こういう話をすると、自分がいかにそういう方面における知識が豊富かが露呈し、これ以上ない羞恥心で居た堪れない。顔を真っ赤にして叫ぶと、青木がやっと笑った。


「先生、顔真っ赤!」


「当たり前だろ?!お前、俺に聞くなよ、こういうの!」


「でも、全部知ってたし、全部答えてくれましたし」


「あーーー、マジで。他の先生に聞くとか考えなかった?嫌がらせだろ?」


 思わず本音が漏れると、青木は席を立ってから小さく笑って答えた。


「嫌がらせです。リベンジ。じゃ、失礼しました」


「…お前…生活指導室、いつか送り出してやる…」


 その日の夜、日和からはメッセージが届いていた。


 <翔が色々先生に教えて貰ったって言ってました。何を教えたんですか?>


 <色々です>


 <性教育ですか?>


 <ノーコメント>


 <今度、僕が質問しに行きますね>


 <DON'T EVEN!!!!>


 <笑!好きです、先生>


 <おやすみ>


              ****


 補習授業が週に2度始まり、受験生が校内から消えた2月初旬、静かになった校舎を歩いていると、空のはずの3年の教室から声が聞こえてきた。一応窃盗などがあるといけないので、確認をしに行くと、そこに大八木と青木が居て、そこから少し離れて日和が立っていた。


「翔君、何かあったら責任取るって言ったでしょ?!」


「いや、だってありえないだろ?!絶対嘘だろ?」


「嘘じゃないよ!5日遅れてる!」


 すぐに何を話しているのか分かってしまった。そしてその横で狼狽えている日和が、大八木さんの腕を取り「落ち着いて」と小声で言っているが、声が震えていた。


「信じられない!親になんて話せば良いのよ!」


「…しらねぇよ!そんなの!第一お前が」


「私?ふざけないでよ!」


 ヒートアップする二人の真ん中で真っ青な顔をする日和を見てはいられなかったので、教室の扉をノックした。その瞬間、全員が引き攣った顔で俺を見たが、日和は俺を確認してホッとした様子だった。青木も大八木も完全に頭に血が上っているのが分かり、一歩も動かずにいた。ついこの間青木に性教育をした身で、青木の状況を理解していたので、溜息が漏れた。高校生の情熱は、正しい性教育の元行われない限り、こういう事態を招く。もしかしたら、もう少しこういう話をオープンに学校側もすべきなのではないかと、教員として疑問を感じながら二人の間に立った。二人は動かずにただ足元を見ていた。


「お前ら、17歳だよな?」


「…はい」


 青木が答えると、大八木が「翔君後数ヶ月で18歳だけどね」と付け足した。


「年齢的にはもうそろそろ大人って言えるな?」


「…はい」


 青木のその返事にも、大八木が「翔君は全然大人じゃないけどね」と付け足した。


「あのな、大人になるってどういう事か分かるか?」


「…自分の行動に責任を取るって事です」


 青木よりも大八木よりも先に、日和が答えた。日和は真剣な表情で俺を見上げていた。それに頷くと、まずは青木に話をした。


「先生、前にちゃんと話したと思うけど、お前は自分の責任考えて行動したのか?」


「…したと思います」


 大八木がすぐに言い返しそうになったので、大八木の口の前に人差し指を立てると、今度は大八木に聞いた。


「大八木は?自分の責任考えて行動したか?」


「だって、翔くんが責任取るって!」


「だから、お前が」


 二人が言い争いをまた始めそうになるのを、間髪入れずに質問で抑えた。


「大八木。相手任せにすることは、責任考えての行動とは言えない。分かるか?」


「でも」


「でもじゃない。な、セックスって誰がするんだよ?一人でしてたら自慰行為って名前があるだろ?セックスは相手がいないと成立しないんだよ。お互いが同じ重さで責任について考えられてないなら、セックスなんかすべきじゃない」


 だらしのなかった自分が性教育について講釈を垂れている時点で、自分を大いに嘲笑いたいところだが、教育者として生徒に話さねばならないと感じる今、そこは耐えて話を続けた。


「でも、そこまでお互い考えずにして、今、どういう状況?」


「…でも絶対ないと俺は思う」


「大八木、検査した?」


「…してません」


 その言葉に青木が食いつこうとするので、それを阻止して大八木に伝えた。


「先生が今買ってくるから、ここで待ってなさい。日和、この二人がくだらない口論しないよう、見張ってられる?」


「はい…」


 高校教師になって、初めて妊娠検査薬を買いに近くの薬局に出向いた。こういうことも仕事のうちに入るのだろうか?だが、今放置してこの先、本当に大八木が妊娠していた場合、これは学校内で大ごとになる。折角成績を上げてきた青木の努力も、大八木の努力も、全てが無駄になる。それだけは阻止したい。これから未来のある二人が、こんな所で躓くのをただ傍観しているつもりはない。急いで妊娠検査薬を購入し、ジャケットのポケットの中にそれを仕舞うと、3人の待つ教室に戻った。3人は沈黙の中、それぞれに距離をとって椅子に座っていた。教室の扉を引くと、大八木が席を立ち、すぐに俺のところに走ってきた。


「あの…お金、後で返します」


「先生これぐらい生徒に出せない程困ってもない。良いから、トイレ行って。これ確実に出るやつだから。説明書よく読んでな」


「…はい」


 大八木がトイレに消えてから、30分は経過した。全く戻ってこないので、イライラした青木が机を蹴飛ばすと、日和が青木の頭を軽快に叩いた。


「いって!何だよ!」


「ものに当たるの良くないよ。今、一番不安なの、大八木さんだよね?翔がこんな事する権利、ないよ」


「…なんで出てこないんだよ?先生、あの」


「ん。様子見てくる。お前らここで待ってろ」


 教室から離れたそのトイレの前に行くと、トイレの外扉をノックした。


「大八木、もう出てるだろ?こっち出てこられそう?」


 暫く何も音はしなかったが、大八木が扉を少し開けて真っ赤な目で俺を見上げた。結果がどちらか分からず、「どうだった?」と聞くと、大八木は首を横に振った。体が勝手に反応し、思い切り「Thank goodness!」と言葉を漏らすと、大八木は震えた声で聞いた。


「…翔君、私のこと怒るよね?」


「そんな訳ないだろ?何で怒るんだよ?」


「だって、私、絶対妊娠してると思って」


「誰でも勘違いなんてあるし、女の人の体は絶妙に出来てるから、生理が遅れることだってある。お前、冬休みの間勉強頑張ってたし、疲れが溜まってたんだろ?それが理解できないほどお前の彼氏は子供なの?」


「…だって、さっきも凄く怒ってた」


「あれはお前にじゃない。自分自身に対してだろ?な、青木もずっと待ってるし、行こ。先生もついていくから。おいで」


 大八木が俯き加減で手洗いから出てくると、ぐしゃぐしゃにした妊娠検査の箱を手にしていた。それを手から取り、一応中を確認し、大八木に「良かったな」と伝えると、大八木は小さく頷いた。


 教室に戻ると、青木と日和がこっちを緊張した面持ちで凝視した。大八木の泣き晴らした顔を見て、青木の顔色が変わるのが分かったので、大八木の代わりに俺が伝えた。


「妊娠してなかった。良かったな、二人共」


 その一言で、青木は椅子に座り込むと頭を両手で抱え小声で謝罪した。


「ごめん…本当、ごめん…」


「…私も…御免なさい…勘違いして頭に血が上って…」


 大八木が泣きながら謝り始めると、青木はすぐに立ち上がり、そっと大八木を抱き締めて言った。


「ごめん、俺が全部悪い。本当にごめん。ごめん…ごめん…」


 この場に二人を残して行くべきか、それぞれが帰宅するまで側にいるべきか考えたが、17歳。もうすぐ18歳になる二人に、俺と日和はお邪魔虫だと判断し、日和と目を見合わせ、その場を去った。廊下を暫く無言で歩いていると、日和が足を止めた。振り返ると、日和は涙目で頭を下げた。


「すみませんでした、翔と大八木さんのこと、先生巻き込んで。ありがとうございました」


「日和、俺は一応ここの教師だから、あの二人に起こったこと無視するとか出来ない。一人の人間としても、ちゃんと話せて良かったと思う。お前が謝る必要はないし、礼を言う必要もない」


「でも…僕は先生が来てくれなかったら、どうしていいか分からなかったから…」


「じゃ、良かった。丁度良いところに丁度良いタイミングでいられて。先生も時には役に立たないとな?勉強以外のことでもさ」


 教師の仕事は全面的に生徒の将来へ向けての基礎知識を与えることだ。しかしその中に、こう言う性教育も含まれるべきだと再認させられた出来事に、教員としての自覚が少しは強まったように思う。日和に以前迫らせた時には、狼狽えるどころか心が動いて動揺した無様な状況だったが、今、こうして向かい合って立っている状況で、あの時流されそういう関係に陥らなくて良かったと、心の底から思えた。


 日和は俺にこの話は誰にもしないで欲しいと頼まれたが、元からする気はないと話すと、ホッとしている様子だった。友達想いの良い奴だと思うと、別れ際にハグをしたくなった。だが、それも出来ないので、セルフハグではなく少しの接触が欲しくて、日和の前に拳を出した。


「え?」


「これぐらい、許されない?Fist bump. Give me a good one!」


 日和は笑いながら下手なフィストバンプをくれたので、笑いながらやり方を教えると、日和も高校生らしい笑顔で言った。


「先生、本当こういう時、アメリカ育ちなんだなって思います」


「そ?ま、付き合ったらもっとそれ感じるかもな?」


「…楽しみ過ぎて倒れそうです、僕…」


「あはははは!言っとくけど、アメリカ育ちの男は下半身が緩いから気をつけろよ?」


「…更に楽しみです…」


 日和の返事に爆笑すると、日和も大きな声で笑った。平和に解決したその問題は、ここだけの話だと思っていたが、翌週相変わらず閑散とした校内で、一騒ぎが起きた。

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