高校2年2学期①
日和は、マイアの事や青木への俺の発言で完全に拗ね、夏休みの間個人的連絡を一切して来なくなった。こちらから連絡することは元々余り無かったので、日和から連絡が来ないと本当に会う事がなくなる。それに気が付いても尚、自分から連絡を頻繁にすると言うのは、教師という立場からしずらかった。
そうこうしている内に、マイアが日本に来て、結局日和の許可を得ずに、マイアを家に泊めている。何も悪い事などしていないし、普通に寝室を提供して、一緒に食事を取って、夜はダラダラ一緒に過ごしているだけだ。何の違和感もなくそれが出来るのは、以前1週間一緒に暮らしたからか、その前付き合った事があったからか分からない。だがマイアは俺の立場に理解を示し、俺もマイアがその気がないのを知っているので、安心して一緒にいられた。
「バンビーノ、全然来ないわね。別れちゃったの?」
「いや、拗ねてんだよ。その内機嫌直すだろ?」
「17歳を拗ねさせる先生ってどうなの?何したのか知らないけど謝ったら?」
「Yeah well, I'll think about it...(おー…まぁ考えとく)」
マイアにはマイアを泊める事でこうなったとは話していない。どうせ1ヶ月の短期だけ、かつマイアにそんな事で変に気を遣わせたくはなかった。
新学期が始まり、日和はあからさまに俺を避けて居た。見て居て清々しい程に、頬を膨らまして唇を突き出して、子供のように拗ねて居る。提出された練習問題の裏に、Stop sulking!(拗ねるなよ)と書いたら、それを返した時に読んだ日和が、俺を睨んで余計に頬を膨らませた。
あんなに恋について教えてくれると勢いづいて居た癖に、拗ねて接触を断つという子供のような態度を取る日和に、若干のジェネレーションギャップを感じざるを得なかった。そこが可愛い所でもあるが、やはり相手はまだ子供で、高校を卒業したからと言って、いきなり大人になる訳でもない。冷静になる距離が生まれると、急に距離の縮まった俺と日和の現実が妙に目に付き、戸惑った。
<今日、外に飲み行こ?お世話になってるお礼に奢るから。>
マイアから飲みの誘いが来たのは9月中旬、残暑の厳しい日だった。
「Hey babe!奢ってくれるなんて、流石稼いでんなぁ!遠慮なく飲みまくるからな?」
「Hi baby、良いわよ、良いわよ。しがない高校教師より倍は稼いでるから、どんどんいっちゃって!」
マイアと待ち合わせた居酒屋で、久々の外飲みにテンションが上がって居た。高校教師の給料では、独身とは言え、貯蓄を考えるとおちおちそんなに外飲みなどして居られない。しかし家で飲む缶ビールよりも、店の生はやはり喉に染みた。
「あぁぁー…うっま…。最高!お前泊めて正解!」
「うわぁ、タダで飲めるから?」
「いや、それだけじゃない。何だかんだ、楽しいしな」
「それ、誤解生むわよぉ?バンビーノが聞いたら何て言うか」
その言葉に、近頃感じている現実を急に思い出して、一瞬真顔になってしまった。それに気が付いたマイアは笑いながら、俺の肩に腕を乗せて聞いた。
「何ー?何かあったの?相談ぐらい乗るわよ?」
「んあー、何つーか…今更なんだけど、子供だな、と思って」
俺の返事にマイアが涙が出る程笑った。笑われても仕方ない、今更なのだから。マイアがの笑いが落ち着くのを苦笑して待っていると、マイアが噎せ返しながら言った。
「17歳なんて子供よ、そりゃ!それでも、その純粋な部分が良いと思ったんでしょう?年の差なんて、歳をとれば取るほど、多分埋まっていくものよ」
「そんなもんかね?なんか冷静になっちゃうと、俺、何してんだろう?って思えて」
「ははははははは!!英人!今になって?て言うかね、恋愛なんてそんなもんよ。冷静になったら、何であんな人?とか、何であんな事したんだろ?とかそんなのばっかり。でも恋愛してる最中に、それには気が付かないのよ、普通。何で英人はそれに今、気が付いちゃったの?」
「最近、アイツが拗ねてるから。纏わり付かれなくなると、妙に時間が出来て冷静になって」
「ふーん…。で?ジェネレーションギャップに、世紀の恋も冷めた?」
恋をしているのかどうかは別として、日和を可愛いと思う気持ちは変わらない。ただ、これが日和にとって本当に良い事なんだろうか、とごく真っ当な事を再考してしまう。
「いや、アイツの将来、潰したくないな、と…」
卒業したら一緒に暮らすと簡単に提案してしまったが、よくよく考えたら、大学のあの時期、一人暮らしが最高に楽しかった。その経験を、日和から奪うのは、大人としてやはり違う気がした。あの時期にしかない、あの輝かしい時間を、丸ごと日和から奪うような事は、すべきではない。考えなしに、あんな事言わなければ良かったと後悔が募る。
真面目な顔でビアグラスを見詰めていると、マイアが呟いた。
「相手の将来を考えてあげるなんて、真面目なことも言うのね、英人」
本気で考えてあげていたら、初めから日和の気持ちに応えようとは思わなかった筈だ。きっと相手の将来を考えるより、先に自分の将来を救って欲しくて、子供の日和に縋っただけなのかもしれない。そう思うと、妙に自分が情けない男に見えて笑えた。
「マイア、俺やっぱ大学の時から変わって無いな。自己中で、相手のことをちゃんと考えられない、クズそのもの」
「だーかーら!英人はクズじゃ無いって。本当に、ちゃんと良い男だよ?」
「お情けでも有難い。持つべきものは友だな。マイアが相手だったら、もっと色々単純だったろうな」
「あははは、じゃあまた付き合う?バンビーノ諦めて」
「はははは、無理無理!もしここで俺とマイアが付き合い出したら、日和が人間不信に陥る。日和ともし上手くいかなかったとしても、お前とは無理だな。アイツを傷付けたくは無い」
日和がこんな俺をやっぱり嫌だと言ったとしても、だからと言ってマイアと付き合えば日和は今まで俺の言って来た事が全部嘘だったと思うに違いない。それはこれから日和が人と出会っていく上で、大きな傷になると思うと、そんな事だけはしたくなかった。
俺の返事を聞いたマイアが、大きな伸びをして俺の頭を小突いた。
「私も英人はもう勘弁だわ。友達としては最高だけど、それと付き合うって全くの別問題だしね。一回付き合ったから、良い思い出として覚えておく程度でちょうど良い相手よ」
「経験者は語るか…大変申し訳ない」
「何でよ?良い思い出にお互いなれた仲だから、友達として成立してるんでしょ?私はこの歳でこんな楽に話せる友達居て嬉しいわよ?」
「ま、俺もそうだけど」
「ねぇ、英人を知ってるから言わせて貰うけど、英人がここまで相手の事考えられてるなら、その現実的な年の差とか立場への遠慮は、要らないんじゃない?」
遠慮と言うものなのだろうか?大事にしたいし、傷付けたくもない。でも現実は日和には日和の世界があって、それは17歳の世界で、俺はこのアルコール臭とニコチン臭の世界で、同じ場所で多くの時間を共にしていても、明確な差異がそこにはある。現実には、何もかぶるものがない。
「恋愛って、何だろうな?」
「何、急に?それをあのバンビーノに教わるんでしょ、恋愛童貞!」
「マジ、それ次言ったら家から叩き出すぞ?アイツ、良い教師にはなれねーな。授業、放ったらかしで拗ねやがって」
マイアには、拗ねてるのは俺の方だと即座に指摘された。放置され、拗ねて、冷静に現実見ていじけている子供だと。そして、それがあながち間違ってもいない気がして、更に自分の情けなさを感じた。
金曜日だった事もあり、24時を回った頃にやっと店を出て、マイアと二人でベロベロになりながら家に帰った。
「マイアー、俺今日シャワー無理だから、このまま寝るけど、明日臭いとか言うなよ?」
「言うわよ、絶対。だって臭いでしょ、アルコール臭。ウェェェ…!!」
「Oh, shut the fuck up!!お前だってゼッテーくせーって!」
「…the fcuk did you say?私が臭かった事なんて一度たりとも無いでしょ?」
マイアと顔を見合わせて爆笑しながら、家の前の道を歩いていると、アパートの階段に人影があった。夜中にあんな所に人が居たことは、今まで一度も無い。マイアもそれに気が付いて、笑いながら大声で叫んだ。
「Helloooo??バンビーノー?なんてねー」
「はははは、ないない。アイツ俺の家の鍵しっかり持ってるし。Helloooo??泥棒だったらそのアパート、貧乏人しか居ねーよー!」
マイアの肩を組みながらその影に近づいて行くと、それは日和ではなく、青木だった。
「…え?青木???何??」
「…先生こそ、こんな時間に、女の人と何してんですか?」
「いや、先生、大人だけど?未成年のお前に、何してるとか言われる筋合い無いだろ?お前、何やってんだよ、こんな時間にこんな所で?親御さん心配するから、帰りなさい。タクシーで送るから」
「いりません。自転車で来てるので。でも、そんな酔ってたら話も出来なそうですね」
マイアは状況が把握出来ないながら、俺の背中に手を当てて、小声で言った。
「先帰るわね。余り遅くならないように」
「え?あぁ、悪いな」
マイアは青木に軽く会釈をし、アパートの階段を駆け上がって行った。生徒に、こんな夜中に外で待たれていた事に大分驚いたが、それより何より、酒臭い状態で生徒に会う違和感にこの上なく居心地が悪かった。
「青木、先生今酒飲んで来ちゃったからさ、臭いけど許せよな?」
「…あの人、何ですか?」
「友達。でもお前には関係ない。で、何の用?学校で毎日会えるのに、何でこんな所来た?」
「ひよの事、話したいから」
「あー……」
近くの公園のブランコに、缶コーヒーを酔い冷ましに飲みながら向かった。青木が日和に気があるというのは、日和に聞いて知っていたが、だからと言って、どうとは思わなかった。日和が断っていると言っていたし、それでもああして部活では仲良く出来るだけの関係を築いているのは、良い事なのでは無いかと思っていた。
だが青木が俺の所に来て、日和の事について話したいというのは、確実に日和から俺と日和の関係について聞かされているという事だと思うと、教師としてどんな顔をしたら良いのか分からず狼狽えた。
日和に約束したことに関して誰にも言うなと口止めをした事はない。それは暗黙の了解だと思っていので、お互い学校内の人には言わないものだと、俺が勝手に思い込んでいたに過ぎない。俺も現に、マイアに話している訳で、日和が友達に話していても、それを責める事も出来ない。
ブランコに腰を掛けると、青木も横のブランコに座り思いっきり漕ぎ始めた。
深夜の公園に、キーキーと錆びたブランコの高音が響き渡る。街灯には大きな蛾がバサバサと集まっていた。
「先生、単刀直入に聞きますが、ひよとは本当に付き合ってるんですか?」
「え?」
「ひよの事、好きなんですか?」
「…ちょっとその前に聞いても良い?」
「どうぞ」
「日和は何て言ってんの?」
「何も。ただ、先生を好きだってのは中学の時から知ってるので。この高校来たのも先生が居るからだし。幾ら諦めろって言っても、好きだからの一点張りで。けど正直言えば、先生みたいなおっさんより、俺の方が絶対にひよは幸せに出来ると思います」
ジェネレーションギャップ。恋のライバルに正々堂々とこんな宣言をするあたり、青臭さと思春期独特の熱を感じる。思わず自分の置かれた立場に苦笑いをしながら答えた。
「そうだな。先生、おっさんだよな。笑えるな。17歳ってさ、やっぱ若いな。良いな、お前ら。青春!」
「バカにしてますか?」
「いやいや、単純に未来があるって良いなと思って。で?俺になんて言って欲しい訳?」
「付き合ってるなら、別れて欲しい。最近ひよ機嫌悪いし、どうせうまくいってないなら、早く別れて欲しい。ただそれだけです」
別れてくれと言われても、まだ正式に付き合ってる訳でもないから無理だ。コーヒーを一気飲みすると、青木を見て一言だけ返事した。
「無理だな」
付き合ってはいないから別れるのも無理。本当はそれをフルで答えるべきだったのだが、大人気ない事に少し青木を困らせたくなった。青木の反応を待って居ると、青木はブランコから勢いよく飛び降りて、振り返りもせずに言った。
「そうですか。じゃ、奪うしかないですね。言っておきますけど、俺の方が立場上有利ですから。油断しない方がいいですよ?先生」
「Good luck!」
「Just wait and see.(その内分かりますよ。)」
「Go easy on me, kid(お手柔らかに)」
青木は確実に、この瞬間、俺が教師であることを忘れて自転車にまたがってこちらに一瞥くれると、右手の中指を勢いよく突き上げた。
「Hey!!! お前、目上にやんじゃねーよ、そんな事!」
俺の言葉を無視して、青木は颯爽とその場を去って行った。ブランコから立ち上がり怒って居る自分の存在が、その平和な真夜中の公園に似つかわしくなく、一人で笑いながら家に戻った。
玄関をこっそり開けると、風呂から出たばかりのマイアがリビングで水を飲んでいた。
「おかえり、英人。誰だったの、さっきの子?バンビーノの元彼とか?」
「いや、ライバルらしい。てかさ、生徒に中指立てられた」
「あはははは、何それ???あの子達、意味分かってないんじゃないの??」
「いや、確実に俺に喧嘩売ってやった。マジで切れるかと思った。17歳のガキに喧嘩売られるって、俺落ち過ぎだろ?笑いが止まらない」
マイアに青木に言われた事を全て話すと、マイアも一緒になって声を殺して笑った。
「すっごい青春じゃない??流石17歳。凄いわね?」
「だろ?俺、太刀打ち出来る気がし無い。これ程日和が遠く感じた事無いかもしれない。マジで来られたら、負けるかもなぁ」
「頑張んなさいよ、おっさんの名誉の為に」
「おい、言っておくけどな、俺がおっさんならマイアもババアだかんな?あ、Old maidか!ぶはは!」
「…それもう一回言ったら、殺すわよ、英人?」
「目がマジだって、マイア…。怖…」
マイアと暫くふざけてから布団に入り思った。17歳の実情を、若干侮っていたのかも知れない。あの熱量で日和が俺のことを想っていたとしたら、あの拗ね方はちゃんと話さない限りこのまま卒業まで続く気がした。そして、それだけの熱情のある相手に自分が釣り合ってるとは、やはり思わなかった。
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