高校2年夏休み③

 マイアがアメリカに帰国し、一人の生活に戻ると、夕刻にヒグラシが鳴く声がやけに耳についた。一人の生活が、こんな感じだったかとふと寂しさを覚える。マイアとはあれから毎日連絡を取るようになり、週末などはビデオコールがよく掛かってきた。大抵話す内容は、仕事の事、昔付き合っていた時の事、日和の事、マイアの別れた男の事。


「ねぇ、英人。私、どうもそっちに移動になりそうなの。家が見つかるまで、泊めてくれたりしない?」


「それは無理。もう真里さんと仲直りしたろ?そっち行けよ」


「それが今、両親がそこ泊まってて、私の部屋ないのよ。家賃入れるから」


「…それは検討の余地ありだな」


「お!流石薄給!」


「煩い!ま、はじめに日和に話てからな」


「出た、日和君!本当にそれで付き合ってないとか言えるの?」


「正式にはな。でも、アイツ最近、してくる事がさ笑えるんだよ」


「えー、何、何?」


 家に合鍵を使って来たあの日以来、恋とはどういうものか、というのを俺に分からせる為、日和自身がどうして恋していると分かるか、という内容をレポートにまとめて送って来た。そして、その項目の中にある、好きなら、これをするとどういう反応が出るか、という化学実験的な方程式を俺に実体験させようとする。

 例えば、つい先日は、職員室に来て、俺の机の隣で只管勉強をしていた。別に邪魔にはならないので、そのまま放置していたら、日和がそっと俺の手に触れた。不可解に思い日和を見ると、日和が声を顰めて聞いた。「今、ドキッとしませんでしたか?」日和曰く、普通に一緒の空間に居て意識せずに勉強したりして居た時に、突然肌に触れられたりすると、ビックリして心拍数が上がる。これは、恋している証拠らしい。俺は、ドキッではなく、え?何?と思ったと答えると、日和があからさまに大きな溜息をついて、拗ねた。その顔が可愛かったので、今のは可愛いと思ったと素直に伝えると、赤面してジタバタと暴れた。

 その後も、相合傘の法則なる物を試されたが、日和との身長差で歩き難いと言うと、これも大分拗ねられて終わった。


「アイツの恋ってさ、もう発想が乙女なんだよ。笑えて仕方ない」 


「それを可愛いと思ってるって、もうそれが好きって事なのにね」


「そうかな?俺、好きになってるのか?可愛いと思うのが好きなんだったら、俺、お前のことも好きだったと思うけど」


「え?」


「俺、マイアをずっと可愛いと思ってたし」


           ****


 <明日、家行っても良いですか?>


 日和から夏休みの最終日前に連絡が来た。一応マイアの居候について話そうと思っていたので、良いと返事をした。卒業まで待つ必要がないと平然と口にしたマイアの言葉が、一瞬頭をチラつく。高校教師と生徒の恋は、案外そこらへんに転がっていて、生徒と結婚している教員もざらにいる。ない話ではないと分かっているし、好きになったら仕方がないと言う事も一理あるかもしれない。だが、そんな事を言い訳にして、日和をどうにかしたいとは思えない。初めて、本当に大事にしたいと思っている。その時点で、もしかしたら、本当に好きになっていると言う事なのかも知れない。


 昼間に来ると言うので、昼飯を日和の分も準備して待っていると、不意をついてまた合鍵を使い、家に入って来た。


「失礼します」


「あのさ、俺、家に居るんだから、普通にベル押してくれると有難い。鍵使うのも良いけど」


「すみません。人生初の合鍵だから、使いたくて、つい」


「まぁ、俺も人に家の鍵渡したの初めてだけど、こんな使われるなら渡さなきゃ良かった」


「え!僕が初めてですか?ヤッタ!!」


「いや、後悔してんだけどな…ま、いっか…」


 冷やし中華が食べたいと言う日和の希望通りに作ったものを並べると、日和が小躍りして喜んだ。こういう所も、可愛いと思う。


「頂きます!僕、大学に入ったら料理しっかり勉強しますね!」


「お?じゃあ作ってくれんの?」


「はい!あの、僕大学入ったら一人暮らししようと思ってるんです」


「あ、そうなの?俺は、てっきり俺と一緒に暮らすんだと思ったんだけど?」


「…良いんですか???」


「だって面倒だろ?お互いの家、行ったり来たり。その頃、付き合ってるなら」


「んーーー!!!好きっ!!!」


「…お前の、それ、本当にいつも唐突だよな?」


「だって、先生、好きな人に一緒に暮らそうって言われたら、言いたくなりませんか?」


「I don't know... 言われた事ないから」


「じゃあ僕言いますね。先生、卒業したら僕と一緒に暮らして下さい」


「…俺、先に言っちゃってるからな、それ」


 付き合い出すのと同時に同棲なんて、俺らしくはない。でも、それまでにこの関係が続いて居るならば、それがごく自然な選択肢のように思えた。目の前で今、満面の笑みで冷やし中華を頬張る日和が、そこまで今の気持ちを保ってくれるかどうかなど、保証はないが。


 食後、日和が食器を片付けた後、冷えた麦茶をコップに注ぎ足すと、日和が座りながらにじり寄ってきた。


「何?」


「少し、スキンシップ、的なのしたいなぁ、と」


「日和、それは駄目。お互い辛くなるだけだから。この距離感保たないと、お前、卒業後の卒業どころか、この夏には立派に脱童貞だからな?」


「…やっぱり、駄目ですか?」


「駄目です」


 額を人差し指で突くと、日和は残念そうな顔をして俺を見た。これを、後一年半我慢するのは、凄く忍耐力がいりそうだ。そう思ったのと同時に携帯が鳴った。メッセージを見ると、マイアだった。来月に日本に来ることが決まったという内容だった。マイアと暫く同居。一度一緒に1週間暮らしているので、また少し一緒に暮らしたところで、別に何も問題はないと思い、日和に気軽に話した。


「で、家賃も入れてくれるって言うし、暫くはルームシェアしようと思って」


「…先生が恋愛出来なかったのって、鈍感だからじゃないですか?」


「どう言う意味だよ、それ?」


「僕がそれに、良いですね、楽しそうですね、とでも言うと思いましたか?」


「まぁ、ちょっとは。お前、ここの合鍵持ってるし、別に心配することもないだろ?」


「ちょっと待って下さい!本当に意味が分からない!以前付き合ってた人ですよね?肉体関係のあった人ですよね?常識的に考えて、そんな人と一緒に暫く暮らしますと言われて、はい、どうぞと言う人は、この世に存在しないと思います!」


「でもマイアは友達だから。困ってる時はお互い様だろ?」


「先生が、そんなに貧乏で家賃も払えないぐらいなら、僕のバイト代で家賃どうにかします。だから、断って下さい」


 日和のスーパーのバイト代。こんな申し出を受ける程、別に金に困ってる訳ではない。ただ、マイアがいた1週間は普通に楽しかったし、友達が家にいるのも悪くはないと思った。日和がそこまで反対する必要性もない筈だ。


「なぁ、日和がどう思ってるか分からないけど、俺はお前を大事にしたいって思ってる。その時点で、俺はお前の事を特別に思ってるって事だと思わない?マイアにそんな感情、抱いた事ない」


「今そんな事言われても、響きません。断って下さい。どんな事情があっても、それだけは嫌です」


「俺、そこまでお前に指示される筋合いないと思うけど」


「あります。絶対に駄目です」


 日和と過酷なにらみ合いが続き、話は平行線を辿った。どうやったらこちらの意向が理解して貰えるか、全然分からない。


「じゃあだ、お前が俺の立場だとする。友達が、例えば、青木?」


「何でそこで翔が出て来るんですか?」


「お前達、仲良しだろ?例えばだ、まぁあれは男だから違うかも知れないけど、お前の家に居候させてくれと言った場合、俺はそれを止めるつもりも無いし、その権利は俺には無いと思ってる。それと同じ。分かる?」


 日和は暫く怯んだ様に見えたが、それでも食い下がってきた。


「僕は、翔と同居はしません!」


「いや、むしろ何故?友達だろ?泊めてやれよ」


「翔は、ちょっと違うから…」


「何が?良いんだって、友達は友達の家に行きたがるものだろ?」


「本当に先生は良いんですか?僕が翔を家に泊めても?」


「駄目な理由が無いからな。それと同じ」


 目をそらさずに日和をやり込めようとすると、日和は溜息をついて呟いた。


「翔は…。泊めません」


「いや、だから何故?泊めてやれって、男同士で騒いだり、楽しいと思うけど、多分な?」


「…僕と翔の事はどうでも良いんです。僕は先生とその先生の元カノの話をしてるんです!」


「ん?今更だけど、何で青木は泊めないんだよ?何、アイツに告られでもした?」


「えっ!!!???」


「…マジで?」


 日和が急に赤面をして俯き、勢いを無くしたのを見ると、確実に二人の間に何かがあったのが分かった。青木が、日和の肩を抱き寄せる場面は一度見てはいたが、日和を本当に好きだとは想像していなかった。てっきり、青木は大八木と付き合っていると思っていた。生徒の色恋沙汰には興味が無いから、目に入った所ですぐ頭から抜けて忘れる程度だったが、日和がこんなに申し訳なさそうな顔をしている所を見ると、急に気になる。

 日和はこちらを見ずに、ボソボソと話し始めた。


「その…でも…ちゃんと毎回断ってるし…」


「毎回??何、一回告られただけじゃ無い訳?」


「え?あ…はい…。中学の時から…その、何度か…」


「何度かって。何度?」


「覚えてません…」


「Wow…マジか?凄いなアイツ。やるなぁ」


「…妬かないんですか?」


「いや、感心する。振られても尚、って事だろ?青木、凄いガッツあるんだな?」


 俺の言葉を聞いて、日和は急に頬を膨らませてこちらを睨んだ。


「こういう時、そういう事言うの、最低です」

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