高校2年夏休み②

「英人、エロ本クローゼットに山積み、辞めてくれる?」


「あ?それな、俺のじゃない。生徒の没収した奴、教頭が、一番若い優月先生が一番必要でしょうから、ってくれた。捨てるのもなと思って持って帰って来たんだけどさ、見てない。廃品回収でこのエロ本出すの、恥ずかしいだろ?」


「…英人って昔から面倒臭いもの、押し付けられるタイプよね?」


「ん?そうか?マイアいる?男の裸は乗ってねーけど」


「いらないわよ!後で私のファッション雑誌の間に挟んでまとめて置いてあげるから、次の廃品回収でちゃんと出しなさいよ?」


「はいはい」


 マイアは家を空けている間、家の掃除を良くしてくれた。寝室一つにリビングに小さなキッチン。掃除する場所など余りないが、家の事をしなくて良いと言うのが、こんなに楽だとは思わなかった。仕事から帰ると、夕飯を作って待っていてくれる。これも、新鮮だった。


「お帰り、英人。今日はミートボールパスタとミネストローネよ!」


「おー、マイアのミートボールパスタ、すげー懐かしい!良い匂い。最高」


「ちゃんと手、洗いなさいよ?」


「はいはい。な、一口頂戴?」


「摘み食い?英人って本当、いっつも料理すると、それするよね?」


「Oh, come on! Just one bite! 良いじゃん。一口。あー」


「しょうがない。はい、あーん」


 マイアの作るこのパスタは、少し甘めで懐かしい味がする。思わず微笑むと、マイアが笑った。


「平和ね。私達。普通にカップルみたいじゃない?」


「ん?そっか?な、タバスコ切れてなかった?」


「買って置いたわよ」


「おー、気が効く!Thanks, babe!」


「Oh, don't mention it, baby!」


 笑ってマイアの背中を小突くと、マイアが呟いた。


「懐かしいわね、こう言う感じ」


「だな。ま、俺とお前、会話は100%英語だったしな、あの頃。ま、今もやっぱ混ざるけど、大分日本語浸透したよな?」


「本当よね。あの頃は日本に馴染めてない者同士、若干お互いが逃げ道になってる部分もあったしね」


「あははは、そうだったな。不思議だな、今は日本社会で日本語で仕事までしてる」


「そうね。英人もやっとここに根を張り始めた証拠じゃない?」


「マイアは、まだ英語の方が楽?今もアメリカ居るし」


「分からないわ。自然に出てくるのはやっぱりどうしても英語だけど、今付き合ってると言うか、付き合っていた、よね。あの人とはありがとうさえ、英語で言った事ないの。日本語が、とても綺麗な人だったのよ…」


「そっか…よし、食うか?」


「そうね」


 その晩、マイアとバイクで適当に東京を走り回った。


 マイアが来て、3日目の朝、週末で学校が休みだたったのでダラダラ寝て居ると、マイアに尻を蹴られた。


「…おい、居候。良い度胸してるじゃねーか」


「だって、英人がそこで寝てると、私朝ご飯も食べられないのよ?」


「もうちょっとだけ寝かせて」


「じゃあベッドで寝てくれる?」


「俺の匂い付くけど、文句言わない?」


「居候だから、そこまで図々しくないわ」


「寝てる俺を蹴飛ばして、よく言えんな、そんな事」


 起き上がりながら携帯を見ると、日和からメッセージが来ていた。


 <これから会えませんか?>


 今日は特に用もないが、マイアが居る間はマイアに付き合おうと決めていた。


 <ごめん。来週末なら。>


 既読になったメッセージに返信はなかった。そのままベッドにダイブして眠りに落ちると、暫くしてまたマイアに起こされた。


「マジ、お前は住人をそっとしておくとか出来ない訳?」


「だって、英人のお客さんよ?上げて暫くそこで正座して待ってるけど、起きないから」


「は?誰?」


「バンビーノ」


 慌てて起き上がると、リビングから緊張した顔をした日和が、気まずそうに俺を見ていた。寝起きで髪が酷いことになって居るし、下半身は見せられた状況ではないし、慌ててシーツを頭からかぶると、マイアが笑った。


「Hahahaha! Now you're acting like a teenager, baby!(はははは、ティーンみたいな反応!)」


「Shut up! Why the fuck did you let him in??(うっせ!てか、なんで普通に上げてんだよ?)」


「He came in here using a duplicate key that SOMEONE gave him. (誰かさんが彼に渡した合鍵使って入って来たのよ)」


 合鍵を渡したことを忘れていた。そして実際にそれを使われるとは思っていなかった。ベッドの上で胡座をかきシーツを被ったままの俺を、日和はじっと見ていた。マイアはエプロンを外し、カバンを持つと、玄関に向かった。


「ごめんね、日和君。私、今日は夜まで帰らないから、ごゆっくり。Eight, behave well, okay? 」


 マイアが玄関の扉を閉めた途端、日和がベッドまで来て、俺をいきなり押し倒して言った。


「やっぱり、我慢とか無理です」


 日和は勢いよくキスをして来たかと思うと、自然の摂理で朝の状態のそれをそっと触った。俺はその手首を掴んで、力を込めて体から引き離した。一度この線を超えたら、もう絶対に引き戻せなくなる。俺の力に怯んだ日和が、口を離して俺を見た。


「Nooooo way!! Stop it! 日和、落ち着け!マジでダメだから!」


「でも、先生はあの人とだったらするんですよね?どうして僕だとダメなんですか?」


 泣きそうな顔をした日和を見て、自分にも言い聞かせるように答えた。


「前にも言ったけど、お前はまだ未成年で、高校生で、俺は大人で、お前の学校の教師だから」


「でも先生があの人と同じ部屋で寝泊まりしてると思うと、やっぱり耐えられないんです。だから、こういう関係になったら、少しはこの不安から解放される気がするんです」


 肉体関係を持って得られる安心など、きっと大したものではない。本当に安心できる関係というのは、体のつながり以上に、きっと心が繋がって居る事が大事だから。そして、俺と日和は、そこもまだあやふやだった。待つと言ったのに、この不安から解放して上げられない自分の覚悟のなさも、情けないと思った。


 震える日和の両手を取り、その手を見つめながら言った。


「ごめん。でも、出来ない。この線を超えるのは簡単だけど、超えた時に何になる?俺とお前は、やっぱり教師と生徒である事には変わりない。お前が今不安なのは、俺とセックスしてないからじゃない。俺が、はっきりしてないからだろ?」


「先生は、僕の事多分好きって言ったけど、どのぐらいの多分ですか?限りなく好きだと断言できる方ですか?それとも」


「分からない。ごめん、日和。今まで人を好きになった事がないから」


「え?」


 26歳の男が、好きの意味が分からないなど、17歳の日和には全く理解不能に違いない。今まで散々女と付き合って来たのに、好きだったかもよく分からなかったと言えば、軽蔑するだろう。だが、もし本当に日和が卒業後、俺と付き合いたいと思ってるなら、いつかは話さないといけない事だと感じた。どれだけ俺が節操なく今までいろんな女と寝てきて、どれだけ底辺を彷徨って来たか。日和には、知る権利がある。諦めの溜息をつき、口を開きかけると日和が俺の口に手を当てた。


「先生、それは言わなくて良いです」


「日和、聞きたくないのは知ってるけど、お前がもし本気で俺と将来付き合いたいと思ってるなら、俺は話しておきたい。聞く覚悟、あるか?」


「…はい」


 以前、日和を脅すつもりで、感情のない体の関係しか持てないと言ったことは、ほぼ事実だ。それを何処からどう説明するか考えて、中学の初体験から話す事にした。


「お前ももう17歳だし、友達から初体験の話とかよく聞くだろうけど、俺は13で経験した」


「え!!!!中1??!!!」


「引いただろ?相手の名前も覚えてない。同級生の家にいた年上の女」


 クラスメイトの家に泊まりに行き、そこにいたお姉さんの友達に誘われて、その誘いに乗ってした。気持ちが良い、それ以外の感想は無かった。それから、その友達の家に行くと、その女が居る時は自然とそういう流れになった。外で会ったことはない。ただ、会えば寝る。それだけの関係。

 日和は俯いたまま話を聞いていた。引いているのがよく分かった。


「次はサマーキャンプで会った女。14の時、一夏その女と寝た。名前も覚えてない。次は近所にいた6つ上の女。時々うちにシッターと称して、父親が出張の時来てた。だから出張の度、その女と寝た。次が多分、友達のパーティー行った時、ワンナイトだった。それから、」


「もう良いです。もう本当、良いです」


「嫌になっただろ?」


 アメリカでの生活は悲惨だった。これが俺の実情だ。日和の純粋な人生と、俺の人生は両極端だ。日和はシーツを握り締めて、俯いたままだった。溜息が漏れた。本当に心が繋がる為には、全てを恐らく曝け出さないとならない。勝手なイメージを相手に抱かせたままの状態で、いつか隠していた事が明るみに出たら、俺以上に日和が傷付く。でも、ここを通ったら日和は俺から離れると何処かで理解していたので、今まで話題にも上げずに来てしまった。この重い沈黙に、もう結果が想像通りだと察しベッドから出ようとすると、日和は俺の腕を掴んだ。


「先生がして来たのは、その、エッチであって、恋では無かったと言う事ですよね?」


「え?あ、うーん、多分、そうなんだろうな」


「じゃ、良いです。それは、それで」


「は?」


「先生は僕の先生だけど、恋愛をした事がないなら、僕が先生に教えてあげます」


「…お前、俺がどれだけ汚れた人間か、今聞いてただろ?それに、俺はお前の年にはもう酒もタバコも腐るほどやってた」


「だから?関係ない。僕は先生が好きだし、その気持ちは変わらないです。もう一度言いますね。僕が、先生に教えてあげます。人を好きになるって、どう言う事か」


 人にそんな事教えるなど、恐らく中間テストで赤点の生徒に、次の期末で満点を取らせる以上に不可能な話だ。なのに、日和は自信満々の笑顔で言い切った。目を丸くしていると、日和は俺の手を取って言った。


「僕はそういう先生が経験してきたような経験は皆無ですが、恋愛は先生より経験があるって事だと思うので」


 一瞬言われた事を考えたが、俺がファーストキスの相手ならば、確かに経験などなくて当然だと思い、不可抗力で笑いそうになりながら口走った。


「…童貞か…」


「その言葉、本当好きじゃないけど、その通りです。でも、先生も紛れもない恋愛童貞ですよね?」


「I don't like the sound of it, dude...(嫌な響きだな、それ…)」


「お互い様です。ここは持ちつ持たれつで、僕の卒業までにそれ、恋愛童貞は卒業させてあげます。それで、僕が高校を卒業したら先生の得意な方で、僕を卒業させてくれたら良い。どうですか?」


 余りに凄い提案に吹き出し大声で笑うと、日和もつられて笑い出した。


              ****


 マイアが夕飯をテイクアウトして来ると言うので、飲み物だけ準備して待っていると、聞き慣れたヒールの音が階段を上がって来たので、家の前に着くより先に玄関を開けたら、マイアが満面の笑みで聞いた。


「どうだった?理性、保てた?」


「ギリな。危うかった…」


 マイアが持って帰って来た、インドカレーとナンを食べながら、日和と何があったかを話すと、マイアは爆笑した。


「あははははは!!最高!凄いわねー、バンビーノ!あんな大人しそうな顔して、そんな事言うの??」


「俺もビビった。この年で、童貞呼ばわりされると思わなかった」


「でも、まぁ事実よね。英人、恋したことないでしょ?」


「お前、俺と付き合ってたのに、よくそんな事平気で言えるな?」


「付き合ってたから言えるのよ。私の事、英人別に好きじゃ無かったでしょ?」


「嫌いじゃ無かった。相性は良かったと思う」


「体の相性の話?」


「…ま、色々」


 バターの効いた柔らかなナンにカレーを絡ませていると、マイアがビールをグラスに注ぎ足し続けた。


「英人は、そのぐらい押しの強い子が合ってるわ。でも、その子が貴方に本気なら、貴方も相当覚悟して向き合わないと、お互い傷つけ合って終わるわよ?」


「分かってる。今日、あんな事言われて、もう逃げられないなって若干思った」


「分かってるなら良いけど。それと、後一年半も体の関係なしって、出来るの?」


「あー…出来るかどうかよりはそうせざるを得ないだろ?まず相手は未成年で、俺は教師な訳だし」


「そうかな?別にしても大丈夫だと思うけど?」


 口に入れていたカレーが鼻に入り、噎せまくる俺の背中を摩りながらマイアが笑った。


「バレなきゃ良いのよ。学校にも誰にも」


「お前、それ言ったら元も子もないと思うけど?」


「だって、好きになったら相手に触れたいと思う気持ち、止められないでしょ?どうしてそれそんなに我慢しないといけないの?」


「俺が大人で挙句に教師だから」


「その間、溜まったのどうするの?」


「溜まるとか言うな、女が。まぁ、そこは自己処理班の活躍でどうにか」


「英人がそれだけで我慢出来る?」


 こう言わせるだけの事を、過去に散々して来ているから言い返すことも出来ないが、面と向かって言われるのは癪に触る。少し眉間にしわを寄せてマイアを睨むと、堂々と宣言をした。


「出来る。俺は、日和が卒業するまで完全な禁欲に耐えてみせる」


「ね、英人。そう言ってる時点で、もう恋、始まってると思わない?」



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