高校1年1学期①

 幼い頃からの夢が教員だった。そう言えたら良かったが、明確な夢を持った事はなかった。高校教師になろうと漠然と思いついたのは、明らかに母の影響だ。母は俺が5歳になる年に他界した。高校の英語教員をしていた彼女は、男子生徒と駆け落ちの最中、事故にあったと人伝に聞いた。その噂は近所に広まり、父と追われるように海外へ越すことになった。父は断固として噂を受け入れる事はなかったが、真実は本人達にしか分からず仕舞いだ。残されたのは、母親を喪失した痛みだけ。父はその痛みを埋めるように仕事に没頭し、俺は常に孤独だった。

 覚えている限り、母はとても聡明で面倒見がよく、綺麗な人だった。幼い頃から俺に英語を教え、いつかは海外で活躍するような大人になって欲しいと言われていたのを微かに覚えている。結局5歳から海外で生活する事になったが、それでもこうして母の勤めていた高校へ英語教員として来たのは、運命に導かれたと言うドラマチックなものではなく、大学で教職を取り始めてから意図的にこの高校にしようと決めていたからだ。既に母が勤めていた頃の教員は全て他校へ移動していたが、それでもこの学校に勤める事で、母が何を見て何を感じ、どういう世界をここで経験していたのか、知りたかった。それを知って何がしたいのか迄は自分自身でも分からないが、母の人生をなぞる様に辿り着いたこの高校で、2年目の春を迎える。

 教員になり間もないが、既に理解した事が幾つかある。まず教員は、普通の人間であると言うこと。自分がなれるぐらいだから、他の教員達も恐らく同じような感想を抱いているに違いない。そして、生徒は想像以上に手を焼く存在であると言うこと。16歳から18歳の多感極まりない時期に、将来なりたい自分へなるための一歩を踏み出すサポートをするのが高校教員の仕事だが、勉強以外の相談も仕事も予想以上に多く、辞めたくなる波に襲われる事がある。それでも辞めずにいられるのは、やはり生徒が成長していく姿を日々あらゆる面で見た時、自分のしている事が無駄ではないと感じる充足感と、あれからずっと拭えずにいる孤独感が、生徒たちに無条件で頼られることで、少し埋まるという情けない理由からだ。

 1年間他高校に勤め、翌年この学校に決まり1年間担任を持つことなく教鞭を振ったが、今年初めて入学してくる生徒達を1年から3年まで3年間担当する事が決まり、若干緊張している。


「優月先生、おはようございます。今年から1年の担任ですね。どうですか、緊張してますか?」


「いいえ、楽しみです」


 本心を見抜かれてはいるが、それを誤魔化すように笑顔を向け答えると、教頭は牛乳瓶の底のような眼鏡を持ち上げながら、目じりを下げた。


「今年の1年生は優秀だから、期待してますよ」


 桜が幻想的に舞う、4月の入学式。ネクタイを締め直し教室へ向かった。


 新学期の教室は、春の生暖かい空気と、中学を卒業したばかりで新たな制服に落ち着かない生徒たちの緊張感が漂い、思わず口元が緩んだ。自分自身もこういう時期があったと思うと、妙に自分が大人になったように感じる。実際、24歳の職歴たった3年目の俺は、この高校では一番若い下っ端で、大人とは到底言えない存在だが、生徒達の前に立つと、その立ち位置は一変する。


「おはよう」


 教室に入ると、生徒達が騒めいた。学校恒例、若い教師は大抵生徒達の興味の対象になりやすく、他のベテラン教員達とは明らかに違う反応を必ず示した。良く言えば親しみやすく思ってくれている。悪く言えば完全に舐められている。


「今日から一年間、君たちの担任を務めさせて貰う優月英人です。担当は英語です。宿題山のように出すから1年間、覚悟するように」


 新入生達が騒ぎ出す中、名簿に目を落とす。この1年4組の生徒数は35名。昨今の少子化に伴い、生徒数は減る一方の現状に珍しく、うちの高校は1学年6クラスの各クラス35名と人数は多い。学区がなくなってから、高校の熾烈な優劣争いが始まり、この高校も以前と比べて随分遠くから生徒が通ってくるようになったそうだ。平均偏差値上位の高校とは言え、このクラスには今回の入試で一番高得点を得て、特待生として入学した生徒がいる。

 日和英人ひよりえいと、偏差値77ながら他校を受験することはなく、家が一番近いここを選んだそうだ。俺と漢字も全部同じ名前。苗字が違って良かったと密かに思う。


「日直は来週から名簿順に行いますが、今週は二日しかないので、日和英人、君がやってくれるかな?あんま仕事ないけどな、黒板消しと日誌宜しく頼む。うちは着席号令とかはないから、それはやらないで良い。日和、何処だ?」


 日和を探すと、向かって右側、後方に座っていた。証明写真がいつのものなのかと思える程、髪が伸び、俯き加減ながら幼い顔付きだが大きな瞳はしっかりとこちらを捉えていた。鼻の小ささと同様、小さく窄んだ口は白い肌に映える燃えるような色が目を引いた。


「はい」


 生徒の様子を遠慮なく観察していた俺の視線を感じてか、少し自信なさげに左手を軽く上げると、周りの生徒が再度騒ついた。今日は新入生代表の挨拶をする筈だが、大丈夫かと心配せずには居られない程、声が小さかった。


「じゃー、日直宜しくな。はい、1組から順番に体育館移動するから、静かに皆も廊下に出て下さい」


 静かにと言った言葉を飲み込むように、生徒達はせきを切ったように話し始めた。初日で話したいことも沢山あるだろうと察し目を瞑っていると、日和だけが誰とも話している様子がなかった。大人しそうな雰囲気通り、人見知りのようだ。


             ****


「柔らかな風に包まれ桜の舞ううららかな今日、僕達は桜林高等学校の入学式を迎える事になりました」


 日和は教室での物静かな様子からは豹変したように、式辞をはっきりとした口調で読み切った。教員からの拍手喝采にも負けず、在校生と新入生の大きな拍手と共に、口笛と得体のしれない声援が沸き起こり、校長が壇上に登り生徒を制した。日和はその騒ぎの中、顔色も変えずに席に戻った。

 生徒達を迎え入れる前、担当クラスの生徒全員の成績、家庭の様子などが記載された全ての書類に目を通した。担当したクラスは平均的な家庭が多く、特別な申し送りはなかった。この日和以外。日和は俺とは逆で母子家庭だ。中学で両親が離婚したようだが、その後一時期不登校になっている。成績が下がることは一向になかったが、前担任の申し送りによると、日和が余り愛想がないのはどうもそれが原因ではないらしい。見た目の派手さに反して元々性格が内向的、そして真面目で努力家なのだろう。こういう生徒は、余り教員と関りを持ちたがらない傾向にあるので、無理に関わろうとせず、遠くから見守る程度にした方が良いだろうと予測している。


 入学式が終わり、生徒達が保護者と下校して行く中、体育館の片づけをしていた。片付けられた椅子は殆どしまわれ、後は一人で掃除をしたらお終いだった。全開に開けられた体育館のドアからは、生暖かい風と桜の花びらが舞い込み、少し母を思い出し沈む気持ちも、新しい生徒達の顔を思い浮かべると幾何か救われた。


「あの、優月先生…」


 その声に振り返ると、日和が体育館入り口で一人立っていた。


「日和、どうした?もう帰って良いんだぞ?」


 戸惑ったように日和が近づいて来ると、小さな声で自信なさげに聞いた。


「あの、僕今日日誌って、何を書けば良いのかと思って…」


「真面目か!お前ね、入学式の一言と、日付だけ書いとけば良いって。第一、高校になってまで日誌なんてのがある事自体、俺はどうかと思ってんのに」


 日和がくすっと笑った。無表情だと思ってたが、普通に笑った事に少し驚いた。


「あの、優月先生、これから3年間…宜しくお願いします」


 この時は、日和という生徒の性格を全く理解していなかった。


            ******


「はい、来週の実力テストの範囲言うから、ちゃんとメモするよーに」


 入学早々実施される実力テストは、春休みの間に出された課題の中から出題されるが、英語に関しては新たに一冊参考書が追加される。


「フォレスト、キクタンだけじゃなくて、Duoも出るからな~。まぁ、覚えたら良いだけだ。It's a breeze!」


 範囲のページ数を言うと、教室が一気に騒がしくなった。


「先生!来週まで後3日しかないから、俺は無理です!」


 入学して3日目にして既にクラスのムードメーカーとなりつつある青木翔あおきしょうが言うと、クラスの女子達もピッチの高い声で騒ぎ出した。この青木翔は日和と同じ中学から来ていて、同じ部活の同じクラスだったらしいが、余り教室で日和と話している姿を見たことがない。青木は明るく社交的で、短髪のせいか顔の小ささと目と口の大きさが際立つ目立った存在だ。


「お前が無理とか俺には関係ない。とにかく勉強しなさい。Uh, ok, I think that's all. Any questions?」


 教壇を通り過ぎようとすると、大八木香澄おおやぎかすみが手を挙げた。


「Yes, yes! I have a question! 先生、入学してからずっと聞きたかったんですけど、良いですか?」


 教室が急に静まり返ったので、思わず足を止めると大八木は元気に質問をした。


「先生、彼女居ますか?」


 高校生に限らず、生徒というのはこの手の質問が大好物らしい。前年も何度も聞かれたので、いつかとは思っていた。


「Nope.居ません。お前達の世話が忙し過ぎて時間がないんです。皆が課題全部こなして、試験完璧にやってくれたら、俺もそういう時間出来るんだけど。先生の幸せの為に協力してくれる?」


 俺の言葉を最後まで聞くまでもなく、女子達が可愛らしい悲鳴を上げて盛り上がった。高校生は若い教員なら、誰であろうと取り敢えず好感を持ってくれるものだ。ありがたい話だが、一過性の気の迷いである事この上ない挙句に、8つも年下の生徒達にそういう興味を抱く程、変態ではない。


「てかさ、先生ってチェンにそっくりじゃね?」


「Who the heck is that?(誰それ?)」


 そしてこの有名人に例えたがるのも、生徒あるあるだ。誰のことか分からず首を傾げると、女子達が笑い出した。


「先生、知らないの?イケメン俳優。ね~、香澄スマホで見せてあげたら?」


 学校内でのスマホ使用は禁止されているにも関わらず、大八木は堂々とスマホでその男の写真を検索して、皆に見せた。


「この人、顔の作りどころか髭も同じ。先生、寄せてるでしょ?」


 この大八木発言以来、俺は謎の中国人俳優に寄せに掛かる野心的英語教員という汚名を被せられた。どれだけ知らないと説明しても、皆がここまで似ていて知らない訳がないと言い張り、圧倒的多数派意見に一個人の意見などないに等しかった。究極どうでもいい事だが、こういう所も高校生は非常に面倒くさい。


             ****


「今日は部活説明会あるから、興味のある人は行くように」


 部活は強制ではなく、愛好会という名の軽い活動しかしないクラブもあるので、高校に入ると中学とは違う部活を選ぶ者も珍しくはない。今まで部活は英語クラブの補佐をしていたが、今年から写真部の顧問に任命された。理由は、今まで顧問をしていた教員が他校に移動になり、他に担い手がいなかったからだ。写真は殆ど知識はないが、運動部よりはマシだと内心ホッとしている。


「写真部は、デジカメの時代なのでパソコンでフォトショップの使い方もお教えします。もちろん、スマホでの撮影もコツは沢山あります。インスタ女子、男子、是非部活見学に来てください!」


 ハンドアウトに顧問名として名前が記されたものを見ると、何だかインスタは興味なし、携帯で写真を撮ることも余りなく、フォトショップも多少しか使えない自分が責任者で大丈夫なのか一抹の不安は覚えたが、部員達と共に学んでいく姿勢さえあれば何とかなると自分に言い聞かせた。

 写真部の部室は暗室の横にあるが、暗室自体は使う者が殆どいなくなり、薬剤の使用期限があやういものが申し訳なさそうにシンクの下に収めてあった。部室にはラップトップが2台ほどあったが、フォトショップを皆で使う時は情報処理室を借りているそうだ。


「優月先生~、来ますかね?明日。うちの部、インスタ人気にあやかって一時は結構いたんですけど、最近また皆運動部とか鳴り物部に取られて、部員数10名に減っちゃたんですよねぇ」


 写真部に所属しなくても、スマホで幾らでも写真は撮れ、撮影方法もネットで調べれば幾らでも出てくる時代だ。写真部の活動自体は、野外撮影に一週間に一度出る以外、基本パソコンの前で終わる、至って地味なものなので、理解出来なくはなかった。


「ま、10名ぐらい来るだろ?」


 適当に返事をすると、部長の木下は妙に元気づいた。

 高校生はまだ大人ではないが子供でもなく、このバランスが崩れていく微妙な時期にいる。だから、こういう急に子供の様に素直になる時もあれば、急に大人の顔をのぞかせる瞬間もあり、それが見ていて面白い。木下は3年の為、流石に担当クラスの生徒達程、子供の部分が少ないように思うが、素直で良い生徒だ。

 

 翌日の午後、部室で新入部員がやってくるのを待っていると、第一号が教室の扉を開け入室した。


「失礼します」


「おー、日和。お前、オケいかないのか?」


 記憶が正しければ、日和は青木と一緒で中学のオーケストラ部に入っていた。青木の楽器は記憶が不確かだが、日和は確か、ヴァイオリンを弾いていたと読んだ気がする。意外な部活の選択だと思ったが、日和は声のヴォリュームを落とし答えた。


「いえ、オケと写真、掛け持ち出来ないかな、と…。ダメですか?」


 その質問には、部長の木下が間髪入れずに答えた。


「大丈夫、全然オッケーだよ!君、入学式の時式辞読んだ子だよね?俺、三年の木下です。ようこそ、写真部へ!」


 その日見学に来た一年は女子が8名と、男子が2名、俺の適当な予想通り10名だった。


「日和、オケの練習の方が大変だろうから、余り無理するなよ」


 部室を出ていく日和に声を掛けると、日和は嬉しそうにこちらを真っ直ぐ見つめて頷いた。


「優月先生は、写真部毎日来るんですか?」


「あー、一応外の撮影の時とかは来るようにはするけど、毎日じゃないかな」


「じゃ、僕も外の撮影時には来るようにします。さようなら、優月先生」


 暗室の換気のために窓とドアを開けっぱなしにしていたので、現像液の酸っぱい匂いが鼻に着く中、日和からは妙に甘ったるい香りがした。


             *****


「Argh...(疲れた…)」


 大きな独り言を吐きながら、仕事帰りに近所の9時まで営業しているスーパーに寄った。母が居なくなってから、家事はすべて担当していたので作れないものはなかったが、一人分を作ると言うのは労力の無駄遣いの気がして仕方がない。


「What do I feel like today...(何食いたいかな…)」


 ぶつぶつ言いながら必要なものを見つけ、ついでにビールを籠に入れレジに行くと、大きな飴色の眼鏡をかけた日和がレジに立っていた。


「Whoa!日和、また会ったな。何、お前もうバイトしてんの?この時間?まだ入学したばっかなのに」


 何も考えずに口走ったが、その後日和の家庭環境を思い出し、相当後悔した。取り消しのつかない言葉を謝ろうとすると、日和は驚く程嬉々とした表情で答えた。


「はい、昨日から始めました。優月先生、いつもこんな遅いんですか?」


 こちらの言葉など気にもせず、目を輝かせて質問をする日和に、気にし過ぎた事を今度は反省した。普通の会話を、普通にしているだけでいいのに、いちいち「家庭環境」など念頭に置く事自体、相手に対して失礼に値するのかもしれない。自分自身父子家庭だったが、一人で大変ねと言われるのは好きではなかったのを思い出し、肩の力が抜けた。


「今日はたまたまな。日和、お前が優秀なのは分かるけど、明日のテスト勉強もしっかりしろよ?」


「はい…あの、先生の家ってここ近いですよね?」


 レジ袋に直接受け取ったビールを入れて居る手が滑りそうになった。家はこのスーパーから徒歩10分だが、何故それを生徒が知っているのか少し嫌な予感がした。


「…そうだけど、何で?」


「特に、何でもないですけど」


 急に視線を外した日和の頬が、若干赤らむのを確認すると、何となく逃げるようにそのスーパーを立ち去った。



 翌日実力テストが終わると、金曜日から採点が始まり、担当クラス分の解答用紙に目を通すだけでも大分時間を取られた。週末は家を出られないと思ったので、金曜日の夜また同じスーパーに行くと、再度うっかり日和のレジに並んでしまった。


「おー、日和…悪い、学校外でも先生と顔合わせるの、嫌だよな」


 生徒と学校の外、しかも完全教員モードをオフにしている時に会うのは、果てしなく気まずい。しかも24なのだから合法にも関わらず、生徒の前で酒を買うのに酷く抵抗を感じた。


「いいえ、全然。僕はむしろ嬉しいです。このビール、お好きなんですか?」


 日和の意外な返事に驚いていると、日和は飴色の眼鏡の奥で目を細めた。


「優月先生って、料理するんですね。意外です」


「そうか?ま、父子家庭だから、必然的に出来るようになっただけだ」


 生徒相手に自分自身の事を話したのは、日和が俺と同じ片親だというのを知っていたからだろう。それでも、日和と俺では状況が全く異なる。日和の父親は生きている。何もそこに共通点はないのに、分かったような顔でそんな発言をしてしまった自分が恥ずかしくなると、日和が小声で謝罪した。


「すみません、何か余計な事…」


「あー、いや、ごめん。俺こそ。じゃ、バイトもほどほどにな」


 急に発生した小さく重い二人の間の空気に、その場を急いで立ち去ろうとすると、日和が勢い良く俺の腕を掴んだ。


「あの、先生、10分外で待ってて貰えますか?」


「え?いや、もう帰らないと仕事あるし」


「すぐ来ます」


 返事をする間もなく、日和はレジを出て行った。今の不必要な発言で、8つも年下の生徒にまさか同情でもされたのか、それとも同じ境遇だと思ってくれて話がしたくなったのか、どちらにしろ面倒くさい事になる予感しかしない。帰ってしまえば、追いかけてくることはないだろう。だが、教師として生徒の話を聞くのも仕事の内だ。特に不登校経験のある生徒で、大人しいと思ったら部活を掛け持ちする程積極的だったり、今いち掴めない生徒なので、一度話しをする事も必要なのかもしれない。いつもなら聞こえなかったフリで帰宅していたが、外で言われた通り待っていると、普段着に着替えた日和が走って来た。


「すみません、お待たせしました。行きましょうか?」


「何処に?」


「先生の家、近いですよね?」


 やはりこの生徒のこういう所は、全く理解できない。あれ程人見知りの物静かな男子のように見受けられたのに、担任教員の家にいきなり行こうと言い出す。どういう思考回路をしているのだろうか?


「あのさ、話したいことがあるなら外で話ぐらい聞くけど」


 じっと俺を見上げる日和は、少し気落ちした顔をして歩き始めた。


「じゃ、先生の家の方に一緒に歩くだけでも良いです…」


 日和は俺の家の行き方まで熟知しているようにドンドン歩き出した。夜9時の住宅街は案外静かだ。暫く無言で一緒に歩いたが、何かを聞いて欲しくて待っているのかも知れないとふと思い、こちらから話を振った。


「日和、何が話したいんだ?先生が聞ける事なら聞くけど」


 家の近くの小さな公園前で立ち止まると、日和は錆びて青いペンキが剥げたブランコに向かった。ブランコに座る日和に続いて、となりのブランコに座ると、ブランコの椅子の小ささに驚いた。


「特に、話したいことがあった訳じゃないです。ただ、何となく優月先生と居たかっただけで」


「学校で一日中いるだろ?何、腹減ってたとか?今日俺がサーモン買ってるから、食べたくなったのか?」


 しんみりした雰囲気に、無理に明るさを足そうとすると、日和がこちらを切なげな顔で見た。


「食べたいって言っても、家には行けないんですよね?お腹凄い空いてますけど」


 こういう時に、実際生徒に対してどうしたらいいのかは、まだ経験したことがなく分からなかった。女子生徒なら、完全に家に上げることはできない。でも日和は男子で、日和の家もうちからはそう遠くはない。本当は家庭の事やクラスメイトの事を話したいのかもしれないと思うと、今こうして家に来たそうにしている生徒を返すのも、教員としてしてはいけないことのように思えた。暫く自分の中で葛藤が続いたが、覚悟を決めて口を開いた。


「じゃ、お前、家に連絡しろ。もう9時過ぎてるし、今から飯だと帰り10時過ぎる。親御さんが心配するから」


 その言葉に日和は急に花が咲いたような明るい笑顔になり、すぐに家に電話をした。母親は区役所務めで今の時間確実に帰宅しているだろうし、弟もいるから反対されると何処かで期待していたが、あっさりと許可が下りた。


「友達の家行くって言ったら、朝までには帰って来いって」


「朝までって。てか、別に俺の名前出しても良かったけど」


「それは、先生にご迷惑お掛けしたくないので」


 夕飯を食べたいと押しかけてくる時点で、大分迷惑を掛けているとは思わないのだろうかとは思ったが、腹の減ったこの生徒をとりあえず家に連れて帰ることにした。


「言っとくけど、俺のカバンには死んでも触るなよ?今日の解答用紙入ってるから」


「はい、優月先生」


 1LDKの小さなアパートは、学校からの距離と家賃のバランスで決めた。教員の給料はたかが知れているので、広いアパートなど贅沢は望めない。


「狭いけど、ま、適当にそこらへん座ってろ。今すぐ飯作るから」


 日和は脱いだ靴を丁寧に揃えてリビングに行くと、俺がいつも座っているクッションに座った。


「優月先生は綺麗好きなんですね。男の一人暮らしって、もっと汚いと思ってました」


「お前の俺のイメージって何なんだよ?料理はしない、部屋は汚いって。まぁ、良いけど」


 時間が無いのでサーモンは照り焼きにし、副菜とみそ汁を手早く作り、ご飯は土鍋で炊いた。


「悪いな、炊飯器持ってないから、ちょっとこれだけ時間掛かるけど」


 いつもある麦茶を出すと、日和は膝を抱えたままお茶を飲んだ。中学を上がったばかり、身長もこれから伸びるのだろう。今は170前後と言ったところだろうか。


「英人、先生の名前。僕と同じなんですよね」


 机の上に置いてあるガス代の請求書を指差し、日和が呟いた。


「だな。苗字違って良かったな?同姓同名になるとややこしいからな」


「英人、変な感じがします。先生を下の名前で呼んでも、僕は自分の事呼んでるみたいで」


「下の名前で呼ぶな。優月先生と呼びなさい」


 日和の頭を軽く小突くと、日和は顔を赤くした。まだまだ子供の部分がある生徒にとっては、大人に見える俺のしかも担任の部屋に来て、それなりに緊張しているのだろう。出来た夕飯を机に並べ食べ始めると、日和は学校では見た事のないような笑顔で、美味しいと何度も唸った。

 どうしてこういう表情が出来るのに、学校だとあんなに無表情なのだろうかと疑問を抱いた。


「日和、お前、青木と同中だよな?何であんま話さないんだよ?」


 その質問に日和はご飯を食べて居る手を止め、誰も居ない寝室を見つめながらゆっくり答えた。


「青木は僕とは性格違うし、それに僕は一人で居た方が性にあってるから」


「俺がとやかく言う事じゃないけど、高校はたった3年間しかない。長い人生のたった三年間。性格の違う人間も、似た人間も関係なく色んな奴と関わって、切磋琢磨して思いっきり楽しんだ方が良い。どんなに後悔しても、この特別な三年は戻ってはこない。卒業してからじゃ、全部遅い。躊躇せずに、思いっきり自分の心に従ってガンガン攻めた三年間送った方が、他人事のようにクールな顔して外野でいるより、楽しいと思うぞ?」


 そんな事言ってる俺自身も、高校の時は外野グループだった。だが、この二年間生徒達を見ていて、主体性をもって楽しむ生徒と、そうでない生徒の輝きに雲泥の差があると感じていた。もし母の事をいつまでも引きずる事なく、生活を楽しむ努力をしていたら、今自分自身も違った人間になっていたかもしれない。


「自分の心に従う、ですか。出来たら、楽しいでしょうね」


 日和は静かに食事を続けた。この成績優秀の生徒が一体どうして俺と居たいと思ったのかは謎だが、やはり俺が片親である事を聞いて親近感を持ってくれた事が小さなきっかけだったのかも知れない。微妙な年頃だ。全てを理解など、たかが担任の俺には不可能だ。ただ、このままの生徒を受け入れるしか、してあげられる事など何もない。


「で、お前の家はどうしてるんだ?日和が飯とか作ってるのか?」


 答えてくれるかどうか分からないが、日和が自ら話せないから、少し踏み込んだことを聞いて何か引き出せたらと思った。飯を食べる手を止めずに返事を待っていると、日和は麦茶を飲んでから静かに答えた。


「時々は。でも、母は公務員なので帰宅は早い方です。父親にも月に2回会ってますし。別に今どき離婚は珍しくないですから」


 表情一つ変えずにそう言う日和は、年齢より大人びて見えた。口ではそう言っても、不登校になるような悩みがあったのだろうと思うと、この次に何を聞いたらいいのか分からなくなってしまった。だが、日和が今度はこちらに質問をした。


「優月先生も、ご両親離婚されてるんですか?」


 こちらが踏み込んだことを先に聞いたのだから、日和が俺に踏み込んできたことを聞くのも仕方がない事だが、詳細を話すつもりはない。


「母は、俺が5歳の時他界した。食べ終わったなら、送ってくけど?」


 先に立ち上がると、日和は俺のパンツのポケットを引っ張った。


「もうちょっとだけ。そしたら帰ります」


「あのね、先生はお仕事溜まってんの。お仕事させて下さいよ。お前の前じゃ出来ない仕事だからさ」


 テストの採点を生徒の前でする訳にいかないし、早く仕事を片付けて来週の授業の準備をしたい。日和を見ると、日和はポケットから手を離して頷いた。


「ごめんなさい。帰ります」


「遅いから、バイクで送る。メットかぶって」


 玄関に掛けてあるヘルメットを一つ渡すと、日和は大事そうに受け取り微笑んだ。バイクのエンジンを掛けると、黙っていた日和が呟いた。


「僕、バイクに乗るの初めてです。凄い緊張する」


「そっか、怖い? 自転車にするか?」


 確かに高校生と二人乗りで事故にでもあったら、問題だ。バイクのエンジンを切り自転車を探しに行こうとすると、日和が上着の裾を引っ張った。


「あの、僕バイクが良いです。その方が早いし、乗ってみたかったので」


「そ?んじゃ、しっかり捕まるように。絶対何があっても手離すなよ?」


 エンジンをふかすと、日和が後ろから回した手により力を入れた。その様子に、初めてバイクに乗った時に異常に緊張したのを思い出し、懐かしく思った。


「先生、安全運転だから心配するな。行くぞー」


 春の夜は空気が優しい。バイクに乗っている間、頬を掠めていく空気が、優しい手で誰かに撫でられているような、そんな錯覚に陥り気持ちが落ち着いた。


「日和、あんま無理すんなよ。バイトに部活二つ掛け持ちに、家の事してたらお前休む時間なくなるだろ?」


 バイクを降りた日和を見ると、メットを片手で抱え、片手で前髪を必死に直していた。


「大丈夫です。僕、見た目よりタフだから。あの、今日すみませんでした。何か、急に…」


 大人に向けて歩き出した青年の、心の揺らぎは純粋で汚れを知らない。大人になれば、俺みたいになってしまうのだろうか?少し残念な気がする。日和の頭に手を置き、顔を覗き込むと日和は急に赤面した。


「本当に面倒掛けやがって。話があるなら今度は学校でな。風邪引くなよ」


 バイクを走らせながら、何故日和が不登校になったのかを考えた。親の離婚に対しては一定の理解を示しているようだが、それもふりなのか、本気なのかは分からない。一教師の自分に、生徒の気持ちを本当の意味で理解する事など、そもそも可能なのだろうか?

 母は、生徒達の気持ちが分かっていたのだろうか?家を出て行く母の姿を最後に見た春のあの朝、俺は何も知らない子供だった。あれから母の何を理解できるようになったのだろう。今、担当しているクラスの生徒、生きて目の前で日々を送るたった一人の真意すら理解することが出来ないのに、他界した母の事など、同じ道を進んだところで分かりえないのかもしれない。

 帰宅し実力テストの採点を始めると、予想通り日和は満点で、解答用紙の一番下に小さな英文が書き込んであった。


 ーWhat is your favorite color, 8?


 先生と呼ぶよう、もう一度指導しないといけないと思いながら、返事を書いた。


 ーGreen.


              ****


 日和の学校での生活態度には至って問題はなかった。相変わらず余り人と交流していないようだったが、成績も良好で部活動も頑張っている。写真部には週に1度、俺が参加する回には必ず現れた。


「日和君、カメラ持ってたりする?新入生、7名見事にスマホだけでさ。一応写真部だから、デジカメとかあったら嬉しいなと」


 部長の木下が言うと、日和は躊躇いながらカメラをカバンから取り出した。


「デジカメ、一応一眼レフの」


「おーーーーー!!!流石!ブラボー!良かった、良かった!」


 喜ぶ木下を見て、少し照れている様子の日和は、部室の奥に座っている俺を見つけて微笑んだ。


「優月先生はさ、カメラ持ってきてくれたんだけど、フィルムカメラなんだよね。今、フィルム探す方が大変だってのに」


「わーるかったな。先生はレトロが好きなんだよ」


 実際は、ただ一人暮らしをする時に、父のカメラを間違えて荷物に入れて持っていただけだった。父に連絡をしたら、持っていて良いと言うので、ここぞとばかりに持参したが、意外に不評だった。


「フィルムだったら、モノクロならここ現像も自分で出来るし、楽しいだろ?顧問らしく皆に写真現像の楽しさも知って貰おうと言う計らいだって」


 本心ではないが、どうせカメラをするなら現像まで含めてやったほうが楽しいに決まっている。今の時代、フォトショップ使えた方が断然役には立つが、原始的な方法も学ぶ価値はある。


「優月先生、写真撮るより撮られる方がきっと多いですよね?」


 日和の不意の発言に部員が賛同してくれたが、写真を撮られるのは凄く苦手だ。どういう顔をしたら良いのか、全く分からない。


「ないない。日和の方が、確実に撮られる方だろ。お前、可愛い顔してるしな?」


 仕返しのようにそう言うと、日和は突然顔を逸らし、暫く後頭部をこちらに向けて座っていた。高校男子に、可愛いと言う表現はプライドを傷つけたのかも知れない。教員歴3年目の俺には、まだそこら辺のさじ加減が分からない。潔く謝ろうと思い席を立ち、日和の隣の席に座ると、頭に手を軽く置き謝罪した。


「悪い、日和。お前は男だから、可愛いは失礼だったな。怒るなよ」


 右から顔を覗き込むと、日和はまた真っ赤な顔をしていたが、怒っているような表情ではなかった。褒め言葉が恥ずかしかっただけなのだろうか?思春期の子供たちの心情は、やはり予測不可能だ。


「日和のカメラ、貸して」


 茶化したら思春期の男心を傷付けると思い、話題を変える為に有無を言わさずカメラを持ち上げ、ファインダー越しに日和の顔を見た。日和の目はファインダーを越え、ただ真っ直ぐ、視線を逸らす事なく、俺を見ていた。


                ***


「先生、シャオーならー」


 うちのクラスの生徒の間でこの挨拶が流行っていた。大八木の発言から、あの俳優の名前を文字って俺には皆この挨拶をした。高校生になったとは言え、こういう所は本当に子供だ。


「気を付けて帰れよ」


 だがその挨拶は毎回、完全に聞き流していた。いちいち反応したら、生徒達は余計に面白がるに決まっている。クラスで唯一この挨拶をしないのは日和だった。


「優月先生、今日の宿題のプリント、もう昼休みにしたから今出しても良いですか?」


 日和は提出物に関しては忘れた事はなく、提出もいつも一番早い。だらしのなかった自分とは別次元の人間だと感じ、尊敬の念を抱かざるを得ない。


「偉いな、お前は本当。今回のプリント、簡単すぎたか?この次渡す予定のやつ、もう持ってく?」


 毎回クラスがある度に提出用のプリントを渡していたが、提出期限は設けていないので、早く終わった生徒にはドンドン次を渡そうと思い準備をしていた。


「はい!有難うございます」


 日和は普段、授業中や行事の最中様子を見ていると余りハキハキとした様子はないが、俺と話すときは比較的元気が良いように思える。先日一緒に夕飯食べたから、少しは心を許してくれているという事なのだろうか?職員室に戻ると、英語教員は皆出払っており、ALTのジョーが一人いた。


「Yo, working 'til late today?(遅くまでお勤めか?)」


「What the heck are you talkin' bout? It's only 4, man. I'm always here around this time.(何言ってんだよ?まだ4時だぜ?俺はいつもこの時間ここいるだろ?)」


「Get outta here! I've never really seen you here after 3!(マジか?3時以降見た事ねぇけどな?)」


 ジョーを揶揄っていると、日和が俺のシャツの裾を引っ張った。


「先生、プリント…下さい」


「あー、悪い、悪い。待ってろ」


 日和はジョーに一瞥くれてから、目を素早く逸らした。ジョーが日和に学校は楽しいか急にゆっくりした口調で聞くと、日和はゲンナリしたような表情に相変わらずのローテンションな声で、「yeah, it's ok...」とだけ答えた。プリントを渡すと日和が小さい声で言った。


「先生、僕またバイクに乗りたい、です」


 突然の要求に思わず一瞬固まったが、このぐらいの年の男子には、確かにバイクは魅力的に見えるのかもしれない。揶揄うつもりで、交換条件のように日和に「次のテストも満点だったらな」と言うと、日和は上機嫌に「頑張ります!」と答えた。


 日和がプリントを抱え嬉しそうな顔で部屋を出て行くと、ジョーが笑い出した。


「Ahaha, what was that about? Does he hate me or something?(あはは、なんだありゃ?あいつ、俺の事嫌いとか何か?)」


「Huh? Do you think anybody likes you in the first place? (あ?てか、そもそもお前のこと好きなやつでもいると思ってんのか?)」


 揶揄う俺を「STFU」と笑いながら蹴飛ばすジョーと暫くふざけ合った後、日和が提出したプリントに目を落とすと、またプリントの一番下に小さな英文が記入されているのに気がついた。


 ーWhat's your favorite food, 8?


 思わず笑ってしまった。他愛もない子供みたいな質問を、何故し続けるのか謎だが、質問にはしっかり答えた。


 ーI like Japanese curry, but not Pakistani. It burns my mouth. (日本のカレー、でもパキスタンカレーは無理だ。口がしこたま痛くなる)


「ほら、昨日のプリント。良く出来てた」


 ホームルームの終わりにプリントを渡すと、日和はすぐにプリントの一番下を確認して、くすっと笑った。

 放課後、写真部に行く予定はなかったが、カメラを折角見つけてモノクロフィルムをセットしたので、校内をカメラを持ってふらついた。途中で、色んな生徒に写真を撮ってとせがまれ、あっという間に後一枚しかフィルムが残って居ない状態になった。高校生のこういうノリは、可愛くて好きだ。

 体育館の横の小ホールからオケの練習音が響いていた。近づくと、小ホール内ではなく、裏からヴァイオリンの音が聞こえた。日和がヴァイオリンを弾いていると聞いたが、一度も弾いているところは見たことがなかったので、もしかしたらと思い音の聞こえる方へ行くと、茂みの横に椅子を置き、日和が一人でヴァイオリンを弾いていた。

 最後のフィルムはこれに使おうと思い、日和に許可を得ようと近づくと、その横には青木が居た。


「な、ひよ。そこ音ちょっと違う」


「あぁ、ごめん翔。譜面もう一回見せて」


 いつもクラスで殆ど話さない二人が、凄く仲良さそうに二人で練習をしていた。青木もヴァイオリンを弾いて居るのを忘れていたので驚いたが、日和に仲の良い友達がいる、それが嬉しかった。でも、何故あの二人は教室では話さないのだろう?その様子を何となく見ていると、青木が俺に気が付いて演奏の手を止めた。


「ひよ、俺先中入る」


「おい、青木!悪い、邪魔する気はなかったから!Go on, don't mind me! (続けて続けて。)日和、良かったな」


 日和の肩を叩いてその場を去ろうとすると、青木が俺の手を掴んだ。


「何だよ、それ。Are you fucking stupid? (お前馬鹿なのか?)」


 16歳の、入学したての生徒に、こんな事を言われたことはなかった。予想外の返事に一瞬頭に血が上りはしたが、青木の手を丁重に解き、冷静に返事をした。


「Look, I'm your homeroom teacher, ain't I? I'm absolutely not your friend. Do you think what you just said was appropriate? To me, it feels like you crossed the line, don't you agree? (なぁ、俺はお前の担任教員だよな?絶対的に友達ではないよな。今お前が言ったこと、行き過ぎた発言だと思わない?)」


 沈黙のまま俺を睨み上げる青木の返事を待つ俺に、日和が慌てて謝罪し始めた。


「We're so sorry... Shou, say sorry! Uh, I'm really sorry, it's my fault...(すみません、翔謝って! あの、本当すみません、僕のせいで…)」


「Why is it even your fault when you didn't say a single word, Hiyori? Listen, Aoki, you gotta be very careful what you say, alright? (いや、日和は一言も発してないのになんでお前のせいになるんだよ?なぁ、青木、言葉の選択にはもっと気をつけろ、な?)」


 いつも明るい青木が、眼光鋭く俺を睨んだまま、返事もせずに走り去った。


 それから青木の俺に対する態度はぎこちなかった。あの時、馬鹿と言われなくてはいけない事をした記憶はない。練習の邪魔をしたことが馬鹿だったのだろうか?それとも二人が実は仲の良い友達と言うことを知ったのがいけなかったのだろうか?どちらにしろ、生徒が教師に馬鹿と言う暴言を吐くのは良い傾向ではない。

 翌日提出された日和のプリントには、また一番下にメッセージが書いてあった。


 ーI'm sorry for what happened yesterday. He didn't mean it.(昨日のこと、すみませんでした。本気で言ったわけではないないんです)


 日和は友達を庇う、優しい生徒だと知った。だが青木は謝罪どころか、俺と目を合わそうともしない。思春期はとことん厄介だ。


 ーI know. I'm happy you guys are good friends.(分かってる。仲良い友達がいて良かったな)


 返却したプリントの返事を見た日和の反応は、何故か微妙だった。


            ****


 日和がバイトしているスーパーには行かないようにしていたが、喉元過ぎすっかり忘れ、また買い物に来てしまった。案の定、レジで日和に出くわした。


「優月先生、最近全然来てなかったですね。お忙しいんですか?」


「あー、まぁ。早く帰れよ。明るくなってきたって言っても、夜は危ないから」


 相変わらずビールを買ってしまった罪悪感を感じ、素早くレジ袋にビールをしまうと、日和がビールの缶を一つ取って袋に入れながら小声で言った。


「今日から母と弟、親族の家に行ってて、僕一人なんです。ご飯、どうしようかな…」


「弁当買えよ」


「ですよね。ははは。すみません」


 笑った割に寂しそうな表情をした日和に、胸が若干痛んだ。そのまま一度店を出て家に向かって歩き始めたが、その表情が引っかかり思わず引き返した。スーパーのレジに戻ると、日和は物凄く驚いた顔をした。


「日和、何時上がり?迎え来るから家で飯食ってけ。言っとくけど、特例だからな?親御さんには言ってもいいけど、クラスの奴には言うなよ?」


 生徒の夕飯の世話をする寮母の気分だが、仕方がない。家に一人でいる生徒など恐らく実際は沢山いるのだろうが、面と向かってあんな事を言われたら、やはり放ってはおけない。


「後、30分で終わります!」


 日和が余りに嬉しそうに笑うので、ついでにデザートを近くのコンビニに買いに行った。生徒が家に来るのは、孫が家に来る時の祖父母気分に似ているかもしれない。30分後スーパーに行くと、俺を見つけた日和が手をぶんぶん振りながら走ってきた。純粋に、生徒と言うのは可愛いものだと、こういう瞬間に思う。


「今日はカレーだぞー」


 バイト先での話を嬉しそうにし続ける日和の話に耳を傾けながら家に共に帰ると、昨日の夜一度煮込んだカレーを冷蔵庫から取り出し、煮込んでから盛り付けて出した。そのカレーを見て、日和は満面の笑みで言った。


「先生の好物ですね。美味しそう!頂きます」


 プリントやテストの度に紙の下に一文質問をするのが恒例事項となっていたが、一体何が面白くてあれこれと聞いてくるのか、意図が全くつかめないまま受け入れていた。だが嬉しそうにカレーを頬張る日和を眺め、ふと本音が漏れた。


「日和って、始め見た時は大人しい奴かと思ったけど、面白いよな。つかみどころがないってか。よく言われない?」


 カレーにフーッと息を掛けながら食べていた日和が、その疑問に口を尖らせた。


「掴みどころがないって、誉め言葉じゃないですよね?そういう先生も、謎が多いです」


 謎めいている、ミステリアス、これらの言葉は昔からよく言われ慣れている。正直、あの事件があってから人に自分をさらけ出したことは一度もない。曝け出したいのかどうかさえも、分からない。分かったとしても、きっと曝け出し方が分からない。人に自分がどう見られるかが怖いのではなく、自分が本当はどういう人間なのかを知るのが怖かった。もし自分自身が母のような人間だと知ってしまったら、自分がどういう行動に出るか予測が出来なくなるから。


「それよく言われる。世間の女はミステリアスな男がセクシーだって言うから、好都合だけどな?」


 冗談めかして返事をすると、日和が持っていたスプーンを置いた。


「先生、ずっと女性に人気あったんでしょうね。モテなかった時なさそう…」


 この手の話題は比較的苦手だ。芸能人が人気を気にするのは仕事だから仕方がないのだろうが、一般人の間でそれは何の意味があるのだろうか?だが、思春期真っ盛りの高校生、そういう部分を気にしない方が無理というものなのだろう。自分が気にしたことがないからと言って、それを気にしたり話題にする高校生を、軽くあしらう程自分も子供ではない。こちらをじっと見つめる日和に、ウィンクをして揶揄うように話題に乗った返事をした。


「どうだろうな?ま、日和の方がモテるだろ。お前、可愛いし」


 その言葉にまた日和がそっぽ向いた。以前も可愛いと言って同じ態度を取られたことを思い出し、慌てて謝罪した。


「悪い、そうじゃなくて、カッコいい!男前!な、先生おっさんだから、ついお前たちぐらいの年の子供は皆可愛いって言っちゃうんだよ。許せよ」


 謝罪をしたのだが、何故か可愛いと言ってしまった時より不機嫌そうな表情で、日和が強めに答えた。


「先生、僕は子供じゃない。後二年したら合法的に結婚だって出来る年です。それに先生はおっさんじゃない。僕と8つしか違いません」


 しか、という言葉がここで使われるのが正しいかは不明だが、有り難く受け取る事にした。


「日和、ありがとうな。良い奴だな、お前は。8歳差、Eightだな?」


 それで突然自分の名前の由来を思い出し、思い出し笑いをしてしまった。日和は突然笑い出した俺を見て戸惑っていたので、笑った理由を説明した。


「悪い、何かEightで自分の名前の由来思い出して、笑えて」


「先生の名前の由来って何ですか?僕と同じだから、一緒かな?」


 英人、色々な意味合いが込められると思うが、俺と一緒の人間はいないと思う。


「日和のはどういう意味なの?」


「僕の名前は、英が美しいで、美しい人って意味だと母が言ってました。男子につける名前にしては意味がずれてると思いましたけど」


 美しい人、見た目だけではなく、きっと内面から美しい人になって欲しいと言う、親心を感じられる良い名前だと思った。


「愛情がある名前だな。同じ名前なのにな。俺は、ただ俺が1988年8月8日生まれだからだ。それだけの理由だって、父が言ってた。笑えるだろ?」


 小学生の時に補習校で名前の由来を聞いてくると言う宿題が出て、この理由を発表して散々クラスメイトに笑われたのを思い出した。意味はない、ただの数字だ。


「良い名前だと思います。誕生日まで絶対一生忘れられない、皆に覚えて貰える良い名前ですね」


 笑うと思ったのが、褒められた事に少し驚いていると、日和は妙に慈悲に溢れた表情をし続けた。


「先生は、そうやってどうしていつも先周りするんですか?人が入る隙を作らないように、先回りしてバリアを作って。疲れませんか?」


 16歳の生徒に、自分の本心を少しだけ突かれた気がして動揺した。今の話の流れから、どうしてそういう発想になったのか、何かまずい事言ったのか自分の言った言葉を頭の中で復唱したが、落ち度が何か思いつかずに焦った。


「僕は、先生の事もっと色々知りたいです」


「…色々って、何?」


「…例えば、先生の好きなものとか、普段何を考えているかとか…どうして時々辛そうな表情で屋上へ行くのか…とか?」


 急に頭から血の気が引いていくのを感じた。いつも誰も居ないのを確認していたのに、どうして日和は知っているのだろうか?時々湧き出てくる言いようのないやるせ無さに、耐えられなくなり屋上へ気分を落ち着ける為行っていた自分の姿は、誰にも見られたくはなかった。大抵は母親の事をふと思い出し、そこから自分の歩んできた後悔だらけの人生に、なんとなく押し潰されそうになると、外の空気が吸いたくなる。自分や父、家族よりも大事な何かとは何だったのだろうかと、母を理解出来ずに苦しみ辛くなる。だが、その事を誰かに悟られたくもなければ、話したくもないのに、日和は俺から視線を逸らさずに返事を待っていた。この生徒は、想像しているような大人しく可愛い子供ではなさそうだ。


「日和、もうお前帰れ。家まで送る」


 完全に相手の質問をシャットアウトしたその返事に、日和はそれ以上は何も聞かずメットを黙って受け取った。


 それから日和の働くスーパーへは行かなくなった。元々教師と生徒が学校外で会うのは良くないので、少し遠いスーパーまでバイクで買い物をしに行った。面倒ではあったが、日和に学校以外で会うのが怖くなった。生徒に自分の核心を突かれるのだけは耐えられない。こちらがこれから続いていく未来に生徒達を導いていく立場なのに、俺は誰にも何も見られたくない挙句に、見せたくもない。


                  ***


「優月先生、写真の現像今日教えて下さい」


 週に一度部活に顔を出したその日、部長と撮影会の話をしていると、日和が来るなり急に言い出した。部長はフィルムがないと狼狽えたが、俺のカメラにはフィルムが一本入っていた。


「俺、この前撮ったやつある。あ、あと一枚残ってたんだ。どうしよ」


「あー、じゃ、部長の俺が撮ってあげます。先生、そこ立って下さい」


 木下には悪いが、写真を撮られるのは本当に苦手なので断った。


「いや、先生は写真撮るほうがいい。じゃ、俺が木下撮ろうか?」


「ダメです。先生の方が絵になるから。あ、日和君も一緒にどう?そこの椅子にちょっと座って。あ、やっぱ先生が座って、先生背が高いから。それで、日和君が先生を後ろからこうギュッとして」


 ギュッとって、と思うと躊躇することなく日和が頬が付きそうな距離まで顔を寄せて後ろから抱きしめてきた。驚いて日和を見ると、日和の頬から小さな熱が伝わり何故か緊張した。しかしこちらの緊張に気づきもしない木下は、大声で言った。


「あーーー、いーーですねーー!イケメンズ、はい、1、2、3!はい、頂きました!」


 日和はすぐに俺から離れ、そのままトレイに行くと消えた。


 日和が退室してすぐに、使い切ったフィルムを使い、暗室の準備をする事になった。取り敢えず暗室に準備していたダークバッグとタンクにリールを用意すると、木下が感心した様子で聞いた。


「先生、やった事あるんですか?」


 経験はないが、顧問として知識入れておこうと先日しっかり本を買い勉強していた成果が既に現れてるようで、調子に乗って気分を良くしていると、日和が戻って来て隣の席に座り、じっと俺の様子を眺めていた。


「日和やってみる?先生が隣で指導して差し上げよう」


 少し無理をしてふざけると、日和が無理しなくて良いよとでも言いたげな表情で俺を見た。日和のこういう所は、とことん苦手だ。


「木下、やっぱちょっと変わって。先生、やり忘れの仕事思い出した」


 現像の仕方をまとめた資料をカバンから出し木下に手渡すと、日和を見ずに急いで部室を出た。一人の生徒に脅されている教師、情けない。だが人に見透かされたような目で見られるのは、この上なく心地が悪く、逃げ出したくなる。

 日和に言われてから屋上へも行けなくなっていた。抱え切れなくなる感情の波に溺れないよう、屋上に上がってはその波を落ち着けていた。それを一生徒に見られていたことが、堪らなく鬱陶しかった。



「優月先生、何で昨日戻ってこなかったんですか?」


 翌日ホームルームが終わると日和が教壇まで駆け寄り聞いた。お前が居たからだとは言えずに、仕事が終わらなかったからだと嘘をついた。子供のように下手な言い訳をする自分に、苦笑するしかなかった。

 その日のプリントには、日和からの質問内容に心臓が一瞬痛んだ。


 ーDid I hurt your feelings, 8?


 直接的な質問。俺は、お前が苦手だ。だが、傷付けられた訳ではない。ただ、怖いだけだ。そんな事は言えないので、返事は一言事実だけを伝えた。


 ーNo, you didn't.


 梅雨が続く6月は、写真部も外に撮影に行く事はなく、日和と個人的な会話をする回数も減っていった。それでも、相変わらずプリントと小テストにはしっかりと例の質問が当然のように書き記されていた。


 ーWhat did you do last weekend, 8?(週末何しましたか?)

 ーNothing special.(特になにも)


 ーWhat's your favorite movie, 8?(好きな映画は?)

 ーHigh Fidelity(ハイ・フィデリティ)


 ーWhat's your favorite genre of music, 8?(好きな音楽は?)

 ーRock. BTW, I've wanted to tell you this for a while, but you are 8 as well. (ロック。てか前から言いたかったけど、お前も8だ。)


 最後のプリントを渡すと、日和は久しぶりに16歳らしく笑った。


 期末試験が始まる直前の、久々に晴れて蒸し暑い朝だった。大人の俺が、いつまでも大事な生徒の一人を避けて通るのは良くないと、自分に言い聞かせた。青木の態度はあの練習を邪魔してしまった時から余り変わらなかったが、元々生徒同士の交友関係に波風を立てる気はなく、そこまで子供達の世界に入り込む気もなかった。色々タイミングが悪かったり、俺の未熟な対応のせいであると反省し、青木にも至って普通に接するように心がけた。


「じゃー皆、勉強しっかりして来いよ。明日からテスト三昧だからな。以上、今日は寄り道せずに帰るように」


 ホームルームが終わって教壇を通り過ぎると、日和が走り寄ってきた。


「優月先生、質問があるので良いですか?I won't keep you long, so...(お時間取らせませんので…)」


「Sure, fire away.(勿論、どうぞ)」


「Uh, can we go somewhere else?(ここじゃなくて、何処かで)」


 英語の質問なら職員室と言いたいが、今は期末前だから生徒を部屋に入れる訳にはいかない。暫く考え、部室を思い出した。


「Ok, then…what about the clubroom?(分かった、じゃ、部室は?)」


 


「So…?(で?)」


 写真部の部室には期末前で誰も居なかった。部屋には以前木下が撮った俺と日和のポートレートが引き延ばされて、貼ってあった。よく見ていなかったが、ちゃんと見ると日和はカメラではなく俺を見ている。この写真の違和感は、それだったのかと何かスッキリした気分になった。


「優月先生、期末で英語満点取ったら、また本当にバイク乗せてくれますか?」


 質問ではなかった。もう16歳で原付免許が取れる年だから、バイクに興味があるのは理解出来るし、担当教科で満点を取ってくれるのもの大変嬉しいが、だったら夏休みに友達と免許でも取りに行けばいいだけだ。俺が乗せる必要はない。


「なぁ日和、バイク好きなら夏休み合宿とかで免許取って来たら?16歳から原付取れるんだし。俺の後ろ乗るより自分で運転した方が楽しいだろ?」


 日和は少し困った顔をしてから、ぼそぼそと答えた。


「いや、僕自分で乗るのは怖いって言うか。だから、先生は運転が上手いし、安全だから、その気分だけでも…的な感じです」


 バイクに乗るのが怖いと言ったのが恥ずかしいのか、赤面する日和を見ると、ただ俺の作った夕飯を美味しいと言って食べた素直な子供に見えた。安堵を覚え、日和の髪をぐしゃぐしゃにしながら答えた。


「しょうがないなぁ…。でも他の奴らに絶対言うなよ?It's a little secret between you and me, got it? (俺とお前の秘密な、分かった?)」


 日和が聞こえない程の声で「Yes!」と返事をし、胸に手を当て後ずさったと思ったら、そのままスキップするような走り方で部室を出て行った。スキップを踏む程、バイクに乗りたいようだと見受けられ、おかしくて笑ってしまった。

 自分自身も丁度16で免許を取った。アメリカの高校で荒れていて、余り家に帰りたくないから一人で遠出が出来るように、現実逃避の為に取った。日和も想像が及ばないような所で、何かに悩んでいるのかもしれない。日和が男子で良かったと心底思った。女子だったら完全アウトだが、男同士なら大した問題はない。兄弟が居ないので、少し年の離れた弟でも出来たような気分で、以前感じていた日和への警戒心は薄れた。

 日和と話した後、久々に屋上へ上がった。ここへ来る理由、後悔もやるせない気持ちも消えるわけではないが、空を見ると何かに包まれ許される気がして気持ちが落ち着いた。そんなことを生徒に話したら、きっと笑われるに違いない。


              ****


「はい、解答用紙後ろから回して。この後掃除サボるなよ」


 英語の試験が終わり、解答用紙を回収し始めると生徒達が大きな伸びをしたり、放課後に何を食べに行くか話し始めた。今日は期末試験の最終日。解放された生徒とは逆に、教員はこれから忙しくなる。この大量の解答用紙のチェックを週末中に終わらせなくてはいけない。教員になってから常々疑問に思うのは、こんなにも忙しいのに、何故給料が悲しい感じなのだろうと言う事だ。大学の奴らに勧められた通り、外資の会社に勤めていたら、今の3倍以上は稼げていただろうと思うと、我ながら選択を誤ったかと思わずには居られない時がある。それでも今受け持つ生徒達を可愛いと思う気持ちと、無事に全員が高校を卒業するまでは少なくともこの高校に居たいという気持ちが、俺とこの職を繋ぎ止めてくれていた。


「優月先生、今日は部活行きますか?」


 教室を出ると、廊下を走ってきた日和が聞いた。


「Nope! 今日は無理だな。先生はお仕事で手一杯です。ま、顧問も仕事の内なんだけどな」


 木下には今日はいけないと伝えてあった。ただ、多忙な時期ではあったが、来週は高3の木下はもう部活を引退するので、高2の部長決めがあり出席しないといけない。


「来週は行かないとな。あ、そうだ。テスト手ごたえあったか?」


 日和は少し考えた素振りをしていたが、口元が笑っているので、これは余裕だとすぐに分かった。


「ま、一先ずお疲れ。掃除ちゃんとしてから部活いけよ」


 解答用紙の束で日和の頭を軽く叩き、職員室に向かった。熱風が廊下の窓から抜けて体をすり抜けていく。初めて担任を受け持ち、三か月。クラスの生徒達の様子が少しづつまだ分かり始めただけだ。うちのクラスは大体皆適度に仲が良く、ノリもよく、特にこれといって問題はない平和なクラスだ。その点では恵まれている。同じ大学の奴で一人、高校教師をしている奴がいるが、高校生にもなっていじめとかあり得ないと最近愚痴のメールを送ってきた。幸いな事に、この高校に赴任してから、いまだにイジメ問題に遭遇したことがない。今回もその様子は見受けられない。日和のクラスでの異常な大人しさはやはり気にはなったが、個人的に付き合うと意外に明るく笑う生徒で、大人数が苦手というだけなのだろう。教員とは余り関わりたくないタイプだと踏んだが、その真逆のようだし、そこまで心配する必要もなさそうだ。

 校庭から響き渡る生徒達の声が、無性に炭酸飲料を飲みたい衝動を掻き立てた。

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