恥部を晒す

 フェスへの参加依頼が来た。

 レンタルスタジオに入るや否や、日向が興奮冷めやらぬ面持ちでそう叫びながらスマホ片手に飛びついてきた。日向を引き剥がしてからメールボックスを確認してみると、確かにそういう内容のメールがあった。件名に記されているフェスの名前は、私でも知っていた。テレビへの出演経験があるようなアイドルも何組か参加する、そこそこの規模のアイドルフェスだ。

「まさか活動開始から一年で出演のオファーが来るなんて! これも柚葉がユニット組んでくれたおかげだよ。本っ当にありがとう……!」

 私の右手を両手で包み込みながらぶんぶんと振ってくる日向に対し、私はかなりの気まずさを覚えながら「でもこれって、野外フェスだよね」と口にした。

「そうだけど?」

「私、日光浴びたら蒸発して死ぬんだけど」

「あ」

 たっぷり五秒間はフリーズした後、日向は不意に真顔になって、いやでも、と続けた。

「このチャンスを棒に振る手はないでしょ」

「それは同感だけど、だからといって炎天下で歌うわけにもいかなくない?」

「そうだけど……」

 スタジオ練の時間を無駄にするわけにはいかないし、私たちは一旦この問題は保留にして、いつも通りのメニューをこなした。その後、お馴染みのファミレスに立ち寄って、二人でアイディアを出し合った。

「いっそ、私だけオンライン参加にでもする?」

「無理だよ。投影するスクリーンがないもん」

 吸血鬼が夏の野外フェスに出る方法。小学生にも理解できる簡単な問題ではあるけれど、設定的に瑕疵のない解決策を考えるとなると結構な難問だった。雑な理由をつけて乗り切ることも不可能じゃないけど、私たちは緻密な世界観と設定を売りにしてきた。ここを疎かにしたらハーンズがハーンズでなくなってしまう、という予感があった。些細なことではあるけれど、適当に済ますわけにはいかない。

 結局、今回も私たちの窮地を救ったのは、日向の突拍子のない思いつきだった。

「あ、そうだ」

 パン、と手のひらを叩きながらおもむろに席を立つ日向。既にラストオーダーの時間は過ぎていて、他のお客さんは殆ど残っていなかった。

 私が手書きの設定資料集から顔を上げると、日向はもったいぶった口調と顔つきで前置きをし始めた。

「きっと、このフェスはハーンズのさらなる飛躍のための、大きな一歩になってくれると思うの。だから、特別な演出をしてみない?」

「特別って、どんな?」

 私が小首を傾げると、日向は何も言わずに私の前髪に触れてきた。私は当然驚いて、でもすぐに日向の言わんとしていることを察して、表情筋が凍りついた。

 眼帯を縁取るように指先で円を描くと、日向はちょっとだけ気障な声色で宣言した。

「魔眼の力、開放しよう」


 本番があったのは、それから三ヶ月後の八月のことだった。天気は快晴で、頭上には雲一つない爽やかな蒼穹が広がっていた。ギラギラと照りつける日差しは殺人的としか言いようがなく、吸血鬼が浴びればものの一秒で蒸発することは間違いなかった。

 SNSを覗くと現地参戦のファンたちから、『これ、ユーズ死なない?』『大丈夫? 生きてる?』などと私の命を気遣うリプライが飛んできていた。ハーンズのファンだけでなく他のアイドル目当ての参加者の間でも、私がどのように太陽を克服するのか、という問題は話題になっていた。日向はここぞとばかりにオリジナルのハッシュタグを作成し、『ユーズがどうやって太陽の下で歌うのか、予想してみてください! 見事正解した方にはオリジナルのサイン入りチェキをプレゼントしまーす!』などとツイートしていた。相変わらずのプロデュース能力の高さだった。

 本番前にハッシュタグを覗いてみると、日傘を持ったままパフォーマンスをする、大量のスモークを焚いて日光を遮るなど、大喜利じみたものから真面目そうなものまで沢山の説が出揃っていて、ちょっとしたお祭り状態になっていた。

 だけど、正解者はただの一人もいなかった。

 それもそのはず。私は普段と何ら変わりのない装いで仮設ステージの上へと登ったのだから。

 開幕の挨拶を済ませると、私達は早速、日光対策について言及をし始めた。

「でもユーズ、あなた本当に大丈夫なの?」

「大丈夫。日焼け止めを塗ったから」

「日焼け止め」

「最近の日焼け止めって凄いのね。二百年前とは比べ物にならないくらい。これなら、一ステージぶんくらいは問題なく耐えられると思う。本当、人類文明の進歩には感心させられるばかりだわ」

 途轍もなくふざけた理由だった。でも、普段は緻密な世界観と設定で売っているぶん、その適当さ加減が逆に面白かったらしい。お客さんたちの間でどっと笑いが起こった。白けたらどうしようと気が気ではなかった私は、その反応を見てひとまず胸を撫で下ろした。

 この日に予定していた曲数は三曲だった。普段のライブと長さ自体は変わらないけど、ライブハウスのように空調が効いているわけでもないし、頭上では真昼の太陽が燦然さんぜんと輝いている。パフォーマンス中の体力の消耗度合いは、いつものライブの比ではなかった。しかも私たちは、他のアイドルのように涼し気な格好に身を包むことも叶わなかった。私は長袖かつ黒一色のゴスロリで、日向も相変わらずの和服姿だ。一応、薄手で風通しの良い素材でできた新衣装を着用してはいるのだけれど、そんなものはただの気休めにしかならない。二曲目を歌い終える頃には、私も日向も汗だくになっていた。

 だからこそ、それは決して不自然なハプニングではなかった。

「ち、ちょっと、ユーズ……⁉」

 ラスト一曲に入る寸前、私はステージのど真ん中で倒れた。

 床が黒色じゃなくてよかったと考えながら、駆け寄ってくる日向の足音を聞く。先程までは結構な盛り上がりを見せていた観客たちも、気づけば異様なざわめきを見せていた。

 だけど私は何も、熱中症や体調不良で倒れたわけではない。

「ユーズ、大丈夫⁉ まさか、日焼け止めでどうにかなるっていうのは、嘘だったの……?」

 その台詞で、私が倒れたのも演出のうちだと理解したのだろう。客たちの喧騒が一瞬にして収まった。でも先程までの熱気がすぐに取り戻されることはなく、会場には夏フェスとは思えないほどのシンとした静寂が満ちていた。遠くから聞こえる蝉の鳴き声だけが、古びたラジオの電源を入れたときのような耳障りな音を断続的に響かせていた。

「だって、日向は言っていたでしょう? いつか、武道館に行くのが夢だって。……私のことを気遣うばかりに、フェスの参加を取りやめたら、夢から遠ざかってしまうから」

 日向の腕に抱かれながら、弱々しい声で私は言った。汗でメイクが崩れていないかと気が気ではなかったけれど、これも演出の一環なのだから仕方ない。

「馬鹿なこと言わないで! 武道館に行きたいって夢は、私一人で叶えたいわけじゃない。私はハーンズトークとして、ユーズと二人で夢の舞台に立ちたいの。だから死なないでよ、ユーズ……!」

 私の両肩を掴みながら激しく揺さぶってくる日向。薄く開いた左目でその顔を眺めつつ、相変わらず演技上手いな、なんてどうでもいいことを頭の片隅で考える。

「そうだ。確か貴方の魔眼には、三百年分の魔力が封じ込められていたわよね? それを解放すれば、このステージの間くらいはどうにか耐えられるんじゃ――」

「っ、やめて」眼帯に伸ばされた日向の腕を、私は勢いよく掴んだ。「やめて、それだけは。……知っているでしょう? 私の右目は、普通じゃないの。あんな悍ましいものを人目に晒せば、日向と一緒に積み上げてきたものまで壊してしまう。……それだけは、嫌なの」

「大丈夫。心配しないで。壊れるものなんて、何一つないよ。だから生きて、ユーズ」

「駄目……!」

 私の制止を振り切って、日向が眼帯を取り外す。

 元より眼球のない私の右目だ。それで世界の見え方が変わるわけじゃない。だけど今は、よく晴れた夏の真昼だ。降り注ぐ陽光は視覚ではなく、黒布に覆われていた肌を焼く痛覚として、強引に知覚させられた。

 澄み切った夏の青空を背景に、銀色の短髪が音もなく揺れている。向けられた表情と眼差しは柔らかく、臆病な妹を励ます優しい姉のようでもあった。

「どう? これでどうにか、身体の形は保てそう?」

 日向からの問いかけには答えないまま私はおもむろに立ち上がり、ステージの前方に向かって歩く。が、中々ステージの中央に立てない。足元が無意識のうちに覚束なくなっていることに、そのときになって気がついた。

「ほら、こっちだよ」

 日向が私の手を取って、ステージの中央まで誘導してくれる。これは台本にはない。気を利かせた日向によるアドリブだった。

 観客たちの眼差しは、いつの間にかアイドルを眺めるときのそれではなくなっていた。良く言えば真剣でシリアスな瞳。悪く言えば、腫れ物を見るような憐憫と当惑に満ちた眼差し。

 原因ははっきりしていた。この舞台に立つ前から。何ならアイドルを始める以前から、とっくのとうに。

 ちょっとした話題になったとはいえ、ハーンズは所詮、ぽっと出の地下アイドルに過ぎない。あてがわれたブースは複数あるステージの中でも比較的小さめのところだし、そもそもの話、このフェス自体がロッキンやサマソニのような大規模なイベントとは違う。普段のライブよりかは客入りは多いけど、客との距離自体はさほど離れているわけではなかった。

 そのおかげで、観客の大部分が理解したのだろう。私の右目に埋め込まれた真紅の眼球はカラコンの産物ではなく、本物の義眼だということに。

 会場を取り巻く空気は、アイドルフェスの最中とは思えないほど重苦しかった。この雰囲気には覚えがある。中一のときの自己紹介。その一連の記憶が脳内を一瞬にして駆け巡り、私は本気でぶっ倒れながら吐瀉物をぶちまけそうになる。

 私が嘔吐するより先に、繋いだ手に日向が力を入れてきた。私は我に返ったように、ゆっくりと手のひらを右目に当てる。全体が赤一色で、虹彩や瞳孔の代わりに黄金色の魔法陣があしらわれた義眼を、目頭の上からそっとなぞった。

「……私は生まれつき、出来損ないの吸血鬼だった。私の一族は代々、両目に魔眼を宿して生まれてくるのが常だった。だけど私には、右目にしか魔力が宿らなかった。左目は何の変哲もない、ただの人間の眼球だった。私と母は、そのせいで皆から疎んじられた。いつも着けている眼帯は、三百年前には左目につけていたものだった。出来損ないの証である左目を、他の吸血鬼から隠すために。だけど、現世に蘇ってアイドル活動をするようになってからは、今度は逆に右目を覆うためのものになった。だって私は、知っているから。人間も吸血鬼も、自分とは違う見た目をした存在を忌み嫌うものなんだって。……だから私は、この瞳を晒したくなんてなかったんだ。化け物の証明でしかない、この瞳を」

「――ううん。そんなことない」

 私の肩に腕を回して、ゆっくりと抱き寄せてくる日向。これも台本にはない。暑苦しいし少しだけ汗の匂いがしたけど、微塵も不快には思わなかった。

「私は、ユーズの赤色の瞳が好き。他の誰がなんと言おうと、私にとってはこの世のどんな宝石よりも綺麗。だから、不安になんかならないで」

「……ありがとう」

 私は短くお礼を言った。これ以上ボサッとしていると台詞が飛んでしまいそうだったから、顔を正面へと戻して台詞を続けた。

「私はずっと、この目を人前で晒すことに恐怖していた。片方の目が少し周りとちがうというだけで、好奇の目を向けられるということを知っていたから。魔術を使えば普通の眼球に擬態することもできたけど、近くで見れば違和感はわかってしまう。眼帯で隠し続けることしか、私にはできなかった。でも……、でも日向は、私の目を綺麗だと言ってくれた。アイドルをやるのならむしろ強みになるって、励ましてくれた。……私はそれを、信じてみることにする」

 日向の右手を力強く握り返しつつ、自分の右手を義眼の上にそっと押し当てる。

「魔眼、開放。しばし、この身に闇夜の加護を授け給え」

 その言葉に呼応するように、晴れ渡っていた青空にどこからか灰色の雲が流されてきた。たちまち太陽が遮られ、会場に薄闇が漂い始める。

 程なくして三曲目――この日のために用意した新曲がスピーカーから流れ始めた。

 正直なところ、曲としてのクオリティは今ひとつだったと思う。私のソロパートはこの曲が一番長いのだけど、いくら何でも独白じみた台詞が多すぎた。

 だけど、曲が終わって頭を下げた直後に鳴り響いた拍手は、今までで最大のものだった。舞台裏へと退場した後も、鼓膜の裏側に張り付いた幻聴か何かのように、拍手の音は鳴り止むことがなかった。


     /


「デリケートな質問で恐縮ですが、気にしていたのですか? 義眼のことは」

「まあ、コンプレックスではありましたね。アイドルやっておいてこんなこと言うのもなんですが、私って、人から注目されるのが好きなタイプじゃありませんから。中学の頃から不登校だったんですけど、その原因もこれですし」

 言いながら、私は白い眼帯を指差した。刑事さんは特に意外そうにするでもなく、そうなんですね、と返してくるだけだった。相変わらずの反応の薄さだった。

「だけど結局は、義眼を人前で晒すことにしたわけですよね。葛藤はなかったのですか?」

「ありましたよ、勿論。だけど私は、日向の戦略眼に全幅の信頼を寄せてましたから。わかってたんです。武道館という目標に近づくためには、日向の言う通りにするのが一番いいって」

「義眼のことをフェスのときまで隠していたのも、戦略の一つだったのですか?」

「そうですよ。日向はきっと、ここぞというときの切り札だと考えていたんでしょうね。こんな面妖なデザインの義眼を着けているのも、日向の提案があったからですし」

 飄々と語る私を前に、刑事さんはちょっと考え込むような仕草を見せてから、こう訊ねた。

「日向さんに対する、恨みがましい気持ちのようなものは湧かなかったんですか?」

「恨みって、何故です?」

「捉えようによっては、自らのコンプレックスを話題作りに利用されたとも考えられるわけじゃないですか。日向さんを憎む気持ちが湧いたとしても、不思議ではないと思いますけど」

「ああ、そういうことですか」

 もし私が日向に恨みを抱いていたのなら、それは充分犯行の動機になりうる。きな臭い箇所は職務上、見逃すわけにいかないというわけか。

 だけど、その指摘は的外れと言わざるを得なかった。私は首を左右に振りながら、呆れて笑いが漏れてしまったと言わんばかりにふっ、と軽く鼻を鳴らした。

「でも、それはありえませんよ。何度も言っている通り、私たちの夢は武道館ライブですから。そこに近づくためなら、コンプレックスの一つや二ついくらでも利用しますって。実際、あの演出のおかげでハーンズの知名度は跳ね上がったわけですし」

 今思い返しても、あのときの反響の大きさには驚かされるものがある。義眼を晒す場面の動画がSNSでバズって、ハーンズのファンどころか地下ドルに興味のない層にまで拡散されたのだ。リツイートの勢いもリプライの数も、オーディオドラマのときとは比較にならなかった。ネットニュースは勿論のこと、テレビ番組の公式アカウントから取材依頼のDMが飛んできたりもした。

「ですが、反応の一部には攻撃的な文言を含むものもありましたよね」

 それはその通りだ。注目を集めれば集めるほど多種多様な反応を投げつけられることになるのは、インターネットの宿命だから。

 以前からハーンズを知っていた人たちは皆、好意的な反応や励ましの言葉をかけてくれた。だけどあの一件でハーンズのことを初めて知った人の中には、通りかかったコンビニのゴミ箱にお菓子のゴミを放り込むくらいの感覚で、揶揄や批判を投げつけてくる人間もいた。

 目立つとはそういうことだって、覚悟はしていた。それ以前にも批判的なツイートを目にしたことは、両手じゃ数え切れないほどある。だけど、名前も顔も知らない画面越しの誰かから身体のことを一方的にあれこれ言われる経験をするのは、あのときが初めてだった。悪意のある発言や否定的な言葉を目にする度に、心臓に鉛の塊を放り込まれたみたいに胸が重くなったのを覚えている。

「確かに、色々と言われはしましたね。有名になるために障害を利用しているだとか、それで嫌な気持ちになる人間のことを考えろだとか。あのときはもろにダメージ食らっちゃいましたけど、今になっては不愉快以外の何物でもないですね。片目の失明は障害じゃないってことすら知らない連中が、なに偉そうな口利いてるんだって感じだし」

 そこまで言ったところで、少しだけ感情的になっていることに気がついた。一度、意識して息を吸い込んで、気分にリセットをかける。表情をニュートラルなものに戻してから、でも、と話を続ける。

「それは日向のせいじゃありませんから。単にそういう発言をしてくる連中がいて、そいつらのことが気に食わないってだけの話です。日向を恨む理由なんてどこにもないし、むしろ感謝してるくらいですよ。あの後、日向は私のことを気遣って、慰めてくれましたから」

 フェスから撤収した後、私達は二十四時間営業のカラオケに籠もった。SNSで結構な数のリプライが飛んできていたから、その対応に追われていたのだ。

 リプライを返す過程では必然、悪意ある投稿を目にしてしまうこともある。見ず知らずの人間がこぼした無責任な言葉を真に受けて、その度に嫌な気持ちになった。あのときの私はいつも以上に感傷的で、正直メチャクチャ扱いづらかったと思う。だけど日向はそんな私を放置することもなければ、面倒臭そうな顔をすることもなかった。カラオケの個室の安っぽいソファの上で、膝を抱えてエゴサしながらボソボソと愚痴をこぼす私に、一晩中付き合ってくれた。時折、背中をポンポンと軽く叩いてくれることもあった。普段なら子供扱いしないでと唇を尖らせていたところだろうけど、その日に限っては照れ隠しをする気概もなくて、ただただ日向のくれる優しさに甘えていた。

 私にとっては、そのときの記憶だけが全てだった。

「……日向には、本当に感謝しています。ただのコンプレックスでしかなかったこの目を、アイドルとしての個性に変えてくれたんですから」

 心から救われたような笑みを顔面に貼り付けて、努めて神妙な声音で言った。

 刑事さんはちょっと面食らったような表情で「そうなんですね」と答えると、私と目を合わせたままの状態で一切の動作を停止した。次の話題に移行するなり視線を外すなりしても良いはずなのに、私の顔面をじっと見据えたまま動かない。

 見透かされている。そう感じてしまうのは、ただの自意識過剰だろうか。

 私は笑顔のグレードを数段階下げてから、とにかく、と話を戻した。

「そこからはトントン拍子でしたね。九月にはレーベルから声がかかって、一月にはファーストアルバムがリリースされました。売れ行きが好調だったおかげで、二月にはワンマンライブの開催も決定しました。流石に武道館まではまだ距離がありましたけど、着実に近づいているという実感はありました。……まあ、それも今となってはおじゃんですけどね。日向が死んだ以上、私一人でハーンズを続けることはできませんし」

 私が嘆息混じりに言うと、刑事さんは若干の間を置いた後、会話を仕切り直すように「お二人の活動の概要はわかりました」と口にした。

「あ、じゃあもう取り調べは終了ですか? 良かった。いい加減、口が疲れてきたところだったんですよね」

「いえ、他にも確認したいことがいくつか。もうしばらくお付き合い願います」

「あ、はい。わかりました」中途半端に浮き上がった腰を、パイプ椅子の上へと戻す。「まあ、複数日に渡って取り調べされるくらいなら、今纏めてやってもらったほうが楽ですからね。けど、他に話すこととかあります?」

「さしあたっては、学業や私生活のことについて聞かせていただければと」

「私生活って言うと、卒業後の進路とかについてですか?」

「そうですね。それについてもお聞かせ願いたいです」

 別に隠し立てするようなことでもないし、良いですよ、と素直に要求に応じる。

「私は大学に行くつもりはありませんでした。アイドルに専念したいというのもあったし、ここ最近は小説やライターとしての仕事もぼちぼち入ってましたから。バイトしながら文筆業をこなして、残りの時間でアイドル活動をして行ければいいかなと考えてました」

「では、日向さんの方は?」

「大学に進学する予定でしたよ。実際、一ヶ月くらい前に第一志望の大学の経営学部に受かってますし」

「つまり、お二人は別々の進路を選んだわけですね。そのことについて、話し合ったりしたことは?」

「いえ、特には。そういうのは、他人が口出しすることでもありませんからね」

 そもそも、私たちの間で学校や私生活についての話題が上がることは殆どなかった。話といえばいつだってアイドルに関係することばかりで、私は日向がどうして経営学部を志したのかも、学校での成績がどれくらいだったのかも知らない。

「そうだ。進路と言えば、あの日のことはまだ話してなかったですね。大切なことなのに、危うく言い忘れるところでしたよ」

「あの日、ですか?」

 訊き返してくる刑事さんに、私はもったいぶった調子で答えた。

「ええ。私が日向の首を締めるのを決定づけた、あの夜の話です」

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