そういう問題じゃ、ないんだけどな。

 七月半ばを少し過ぎた、あと数日で夏休みになるという時節。私達はスタジオ練習終わりに、今後の活動方針についての会議を開いた。

 何か手を打たなきゃまずい、という焦燥は互いにあった。だけど無から有が生まれることがないように、何のアイディアもない状態で顔を突き合わせたところで生まれるのは重苦しい沈黙だけだ。私たちはファミレスのテーブル越しに思案顔を突き合わせながら、不毛な時間が刻々と流れていくのを見送ることしかできなかった。

「……うっわ、最悪。悪口発見しちゃった」

 先程からスマホを弄っていた日向が、露骨に眉間に皺を作った。私は漫然と眺めていた作詞用ノートの上にシャーペンを軽く放ってから、訊ねた。

「それって、『ハーンズは衣装可愛いけど、曲が妙な方向に凝ってるから乗りにくいんだよな。歌詞なんておまけみたいなものなんだから、もっとコールとかがしやすい曲にしてほしい』ってやつ?」

「そうだけど、なんでわかったの?」

「それが一番新しいツイートだから。少なくとも、十五分前に確認した時点では」

 ハーンズに対するネガティブなコメントの大半は、曲の前後の掛け合いや歌詞へのクレームだった。作曲と振り付けは日向が担当しているけれど、作詞と会話劇の台本は全て私が手掛けている。そりゃエゴサくらい何度もするし、同じ投稿を見返しているうちに暗記してしまうこともある。

「……その、ごめんね。私が厨二臭い歌詞書いてるばっかりに、批判されちゃって」

「だから、それでいいんだよ。物議を醸すってことは、それだけ人の目を引いてるってことなんだから。そのうちハーンズの世界観の良さをわかってくれる人も現れるって」

 明る気に言いながら日向が柔和に微笑んだ。私への気遣いのみで形成された、優しさ百パーセントの笑顔。

 こういうとき、私はいつも反応に困ってしまう。相手の優しさを素直に受け取るべきなのか、謙遜するべきなのか。前者を選ぶのは相手の好意に甘えているみたいで嫌だし、だからといって後者を選ぶのは折角の気遣いを無下にするようで憚られる。

 どう反応しようかと逡巡しているうちに、気づけば日向はスマホを弄りだしていた。指先で画面をスイスイとスクロールしながら、淡い光をこぼす液晶をぼんやりと見つめている。今になって言葉を返したところで不自然にしかならない。私は何も言わずに作詞ノートへと目線を落とした。

 日向が小さくため息を漏らした。それは決してわざとらしい嘆息ではなく、当の日向が漏れ出たことに気づいているかどうかも怪しいくらい、さりげないものだった。だけどそのため息はBGMにかき消されることもなく、確かに私の鼓膜を震わせた。

 反射的に顔を上げると、日向の首も連動するように角度を上げた。私も天井を見てみるけれど、何か面白いものがあるわけでもない。のっぺりとしたクリーム色の天井に、若干変色した空調装置と照明が取り付けられているだけだった。

「私の作曲と振り付けなんて、誰からも言及されてない。むしろ、私の方が足を引っ張ってるんじゃないかって気がするよ」

 独りごちるような調子で、日向がボソリと呟いた。

 え、と驚きの声が漏れた。そんなことないよ、と慌てて否定しようとした。だけど日向は私の安い慰めが声になるより先に、「それにしても」と大きめの声で口にして、さっさと話題を変えてしまった。

「歌詞はおまけだなんて、さっきの人もグサッと来ること言ってくれるよね。そこがハーンズの一番の売りなのに」

 むぅ、とわざとらしく口を膨らませる日向。日頃から快活な振る舞いをすることが多い日向だけれど、ここまで子供っぽい仕草を見せることは稀だった。

 心が、ひどくざわついていた。何か言ったほうが良い。何か言わなきゃいけない。そんなことはわかっていた。だけどどんな言葉をかけてもそれはただの嘘にしかならないような気がして、結局は「そうだね」と毒にも薬にもならない相槌を打つことしかできなかった。

 情けなかった。自分で、自分が。

 私が沈んだり思い悩んだりしていると、日向はいつも助けようとしてくれる。私の憂愁を吹き飛ばすような屈託のない笑みを携えて、強引に前を向かせようとしてくれる。なのに私は日向に甘える一方で、一度も助けてあげられたことがない。日向はポジティブな性格をしているけれど、だからといって脳天気な楽天家というわけじゃないのに。

 私が落ち込んでいる間に、日向は横にしたスマホを凝視し始めていた。真剣とも険しいとも取れる強張った顔つきをしている。私は女子にしては身長が高めな方で、日向は普通くらいの高さだ。上から画面を覗き込むのはさして難しいことじゃない。さり気なく覗き見すると、どうやら他のユニットのMVを視聴しているらしかった。

 画面の中では、アイドルたちが打ち上げ花火を見上げている場面が流れている。如何にも理想化された夏って感じの、エモーショナルで現実離れした風景だった。

「あのさ。良かったら、花火でもやらない?」

 気づいたときには、そんな言葉が私の口を衝いていた。

「え? 花火って、今から?」

「う、うん、そう。なんか、夏っぽいことやりたいなって」

 あまりにも唐突な提案だったからか、日向がぽかんとした顔になる。ごく自然な反応だと思う。私だって、日向の立場だったら困惑したに決まってる。だけど私は、日向にあんな顔をさせたままでいることに耐えられなかった。口実なんて何でも良い。日向をどこか別のところへ連れ出したい。ただそれだけの感情が、私を突拍子のなさすぎる行動に走らせた全てだった。

 んー、と戸惑いがちに唸り声を上げていた日向だけれど、程なくして得心が行ったような顔になった。

「確かに、たまにはそういうのも良いかもね。私たちって、二人で遊びに行ったときの写真とかSNSに上げられてないから。日中に外出するのは設定的に無理だけど、夜なら何も問題はないし」

「……そ、そうそう! 折角キャラクター性を全面に押し出してるんだから、私たちの関係性が垣間見られるような活動を、もっと増やしていくべきなんじゃないかと思って」

「よっし! そうと決まれば、善は急げだね。近くのスーパー、確かまだ開いてたよね。この時期なら売り場に出てるだろうし、ちゃちゃっと買ってこようか」

 威勢よく言いながら、日向がおもむろに席を立つ。先程までの思い詰めたような表情は鳴りを潜めて、少年漫画の主人公じみた力強い表情が息を吹き返していた。

 スーパーで手持ち花火と蝋燭、ライターとバケツの花火セット一式を仕入れると、私たちは近場の公園に赴いた。幸いにも他の利用者の姿はなかった。準備が整ったところで早速、袋から花火を取り出して火をつける。色とりどりの光を放つ花火を片手に、SNSに上げるようの写真をパシャパシャと撮っていく。

 花火を持った状態で自撮りするのは意外と難しくて、日向は途中、靴に火の粉を直撃させそうになっていた。火がかかりそうだよと指摘すると、日向は「うわ危な⁉」と叫びながら反射的に足を引っ込めた。それでバランスを崩したらしく、こてんと尻餅をつく日向。その拍子に花火をこっちに向けてきた。私は驚きながらも脇に飛んでどうにか避ける。危うく被弾するところだった。

「ご、ごめん柚葉。大丈夫だった?」

「死ぬかと思った」

 私たちは顔を見合わせると、どちらからともなく吹き出した。

 笑いが収まったところで、尻餅をついたままの日向にスマホを向ける。日向は最初、「こんなところ撮らないでよ」と文句を言ってきたけれど、すぐに手のひらを返してきた。

「二人一緒の自撮り画像だけじゃなくって、相手を撮ったものもアップしたほうが良いか。そっちのほうが、仲睦まじくしてるって雰囲気が出るしね」

「え? ……あー、うん。そうだね」

「私も後で、柚葉のこと隠し撮りしちゃお」

「あんまり変な場面は撮らないでよ」

「大丈夫。ちゃんとアップする前に確認取るから」

「そういう問題じゃ、ないんだけどな」

 私たちの買った花火はそれほど大きなものではなかったけれど、二人きりでやるともなるとそれなりに時間を要した。最後に火をつけたのは定番の線香花火だった。私達は二人並んでしゃがみ込みながら、橙色の火花がパチパチと爆ぜるのをじっと見つめていた。

「こういう季節感のあるイベントは、もっと大切にしていかなきゃだよね。ライブでも、何か夏っぽいことができればいいんだけど」

「夏っぽいっていうと、怪談とか?」

「ああ、そういえば怪談も夏の醍醐味の一つだったか。いっそ、歌の代わりに怪談でもやってみる? ライブハウスって薄暗いし、意外と雰囲気出るかもよ」

 日向はクスクスと笑いながら、冗談交じりにそう言った。肩を揺らしたときの振動で、光芒を放っていた橙色の小球がアスファルトの上にぼとりと落ちた。

 だけど日向は次の一本を取りに行くことはせず、消えた花火の先端をじっと見つめ続けていた。その横顔がやけに真剣だったものだから、私はなんだか怪訝に思った。

「日向? どうかした?」

「……そっか。そういう方針もありか。アイドルっぽいかどうかで言うと微妙だけどハーンズの方向性にはあってるし、やってみる価値はあるかも」

 勢いよく立ち上がった日向は、呆気に取られた私に追撃をかけるように、突拍子もないことを言ってきた。

「決めた。私達で怪談のオーディオドラマを録ろう」


     /


「最初に聞いたときは、こいつ正気か? って思いましたね。MVの再生数さえ伸び悩んでる状態なんだから、怪談動画なんか上げたところで誰も見ないでしょ、って」

「とはいえ結局は、実際にアップするに至るわけですよね。三神さんはともかく見峠さんの方には、これは伸びるという確信があったのですか?」

「なかったんじゃないですかね。話題に上がり始めたときには私と一緒に驚いてましたから。確信があったというより、やれることは全部やっておけという気持ちだったんだと思います」

 あの後、私は一日かけてドラマのシナリオを二本作った。一方は私が語り手で、もう一方は日向が語り手となっているものだ。

「正直、あれを書いたときはヤケでした。どうせ誰も見ないんだから、いっそのこと趣味全開で書き殴ってやろうって吹っ切れたんです」

 アニメの特典についてくるドラマCDなどは、キャラクター同士の会話と効果音によって物語を進めていくのが常だ。だけど私のシナリオは、その手のキャラクターもののオーディオドラマとは趣を異にしていた。お互いの過去を相手に語って聞かせるという体なのだけど、通常なら主体となるはずのキャラクター同士の会話パートは冒頭と結びにしか存在しない。本編では語り手となるキャラクターが、他の妖怪との出会いや人間との邂逅などといったエピソードを、一人称で延々と回想していくだけだ。日向用のシナリオを書くときには小泉八雲や柳田国男などを参考にして、私のシナリオのときはブラム・ストーカーやポーなどのゴシック・ホラーを参考にした。文体もさほど軽くはなかったし、その実情はオーディオドラマではなく、ただのオリジナルの怪奇小説、幻想小説でしかなかった。

 次の練習のとき、私は書きたてほやほやのシナリオを持参した。日向からの感想は「個性的だね」というものだった。遠回しに貶されているとしか思えない文面だけど、日向の顔つきがあまりにも満足げだったので褒められてはいるらしかった。

 私達は早速録音をして、完成した動画を動画サイトにアップした。最初の数日は再生数が伸びることはなかったし、宣伝ツイートが拡散されることもなかった。

 だけどアップロードから三日目の夜を境に、動画は思っても見なかった形で脚光を浴びることになる。

 きっかけとなったのは、一人のフォロワーによるリツイートだ。偶然にも、その人は大学で民俗学を専攻している学生だった。実際の民話や怪談、ゴシック小説などを元ネタにしたシナリオは、その人の趣味と絶妙にマッチした。内容があまりにもマニアックすぎる、オーディオドラマとは名ばかりの本格的な伝奇ホラーだ、とリツイート先で大絶賛してくれたのだ。

 類は友を呼ぶということわざにある通り、その人のフォロワーには怪談や民話、ホラー小説を偏愛する者が多くいた。そのリツイートが火種となって、私達のオーディオドラマは怪談好きの若者の間で一躍の話題となった。

 元々、ハーンズの世界観は日本の民話や怪談、海外のゴシックホラーなどの影響を色濃く受けていた。だけどそれは、あくまでもインスパイアされた程度に過ぎない。キャラ設定や作詞の際にはわかりやすさを重視して、一部の人間にしか伝わらないネタを入れるのは避けていた。怪談の朗読なんてろくに見られないと高を括って好き勝手したことが、逆に功を奏したというわけだ。

 予想外の反響を受け、私たちは大急ぎで新作の制作に着手した。怪談のアイディアにはまだまだストックがあったから、第二弾は一週間と経たずに完成した。アップするや否や、再生数はこれまでにない勢いで増加した。私たちは間髪入れずに新曲の作成も行った。日向が私の創作怪談をイメージして作った曲に、私が改めて詞をつけた。オタクの喜びそうな小ネタも大量に仕込んだ。既に夏休みに入っていたこともあり、MVの完成までには一ヶ月とかからなかった。

 その曲は狙い通り、受けた。コメント欄では歌詞の考察や解説が活発に行われた。オーディオドラマ経由でハーンズのことを知ってくれた人たちの中には、アイドルとしてのハーンズに興味を持ってくれる人も少なくなかった。新曲やオーディオドラマに牽引される形で、伸び悩んでいた既存の曲のMVもじわじわと再生数を伸ばしていった。SNSのフォロワー数も気づけば四桁目に突入していた。

 新規のフォロワーの全員が怪談オタクだけだったわけではない。人間というのは、なんだかんだで可視化された評価に引きずられるものだ。急速に増え始めた再生数やフォロワー数に目を引かれる形で、既存の地下ドルファンからの注目度も急上昇した。八月末のライブでは前列に押し寄せる観客の数が明らかに増加した。普段は退屈そうにしていたり、次のアイドルのステージまでの繋ぎ程度にしか感じていなさそうだった観客も、その日は見込みのある新参者を見守る古参ファンといった面持ちで私達のステージに目を向けていた。

 ライブの後、私たちは初めてギャラで打ち上げをした。打ち上げといってもいつものファミレスで駄弁っていただけだから、特別なことは何一つしていない。だけど、会計のときに貰った封筒からお札を出すのが妙に嬉しくて、二人して変にニヤけてしまったのを覚えている。今まではろくにノルマを消費することもできなくて、打ち上げ代を出すどころか赤字を垂れ流す始末だったから。

 その翌月には物販で、ライブ会場限定のオーディオドラマと小説をセット販売した。初心者でも手に取りやすいように、元ネタの怪談や民話を解説したペーパーを特典に付けた。売れ行きは想像以上だった。先月の売上を元手に衣装を新調したこともあって、チェキも結構な枚数が捌けた。

「この時期の伸びは本当に凄かったですね。ライブの度に、売上が右肩上がりで増えていきましたから。フォロワー数も鰻上りとしか言いようがないくらいで、逆に恐ろしかったです。人生でこんなにも多くの人間に注目されたことなんて、一度もありませんでしたから」

 考えてみれば、ハーンズの活動方針はこのSNS社会において効果的なものだったのだろう。和服とゴスロリのツーショットは爆速で流れるタイムラインにあっても目を引くし、独特の世界観と考察しがいのある歌詞はファンたちを飽きさせることがない。運に助けられた部分が大きいとはいえ、没個性的なスタイルや過剰なファンサに走らず個性的な世界観を売りにするという方針は、間違ってなかったというわけだ。

「三月には、地下アイドル専門のウェブマガジンから取材を受けていますよね。メディアからコンタクトがあったのは、このときが初めてですか?」

「ええ、初めてです。あのときは緊張しましたよ。オンラインでの取材だったんですけど、インタビュー中にどの程度キャラを保てば良いのかわかりませんでしたから。結局は取材中も終始、吸血鬼と雪女として受け答えすることにしたんですけど、あれ、メチャクチャ恥ずかしかったなぁ。記者の人も『こいつらマジかよ』って顔してましたし。まあ、日向は平然と受け答えしてましたけどね」

 今の発言は笑いどころのつもりだった。だけど刑事さんはクスリともしないまま、「そうですか」とだけ言って流した。流石のプロ意識だった。

「この記事が関係者の目に留まったおかげで、八月の野外フェスへの参加が決まったんですよね」

「そうですよ。あれは思っても見ない幸運でした」

「ステージ上での寸劇の脚本などは、全て三神さんが手掛けていたんですよね。ということは、例の演出も三神さんのアイディアだったんですか?」

 例の演出。その代名詞が指している対象を、会話文中から抜き出すことはできない。だけど私の脳は即座に、対応する記憶を海馬の中から導き出していた。頼んでもいなければ、望んでもいないのに。

 気づいたときには、普段使い用の眼帯を指先で撫でている自分がいた。半分演技、半分本心のため息を吐いてから、私はゆっくりと首を振る。

「違います。台本を書いたのは私ですが、アイディアを出したのは日向です」

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