初ライブ、厨二病、百合営業。
二人組アイドルユニット「ハーンズトーク」は、いわゆる地下アイドルというジャンルに分類される。ユニットが結成されたのは今から一年と十一ヶ月前。学年でいうと、私と日向が高二に上がったときのことだ。
ちなみにここで言う結成とは、あくまでも初ライブをやった日のことを言う。活動自体はそれより更に一年前から開始していた。私も日向もアイドル経験はなかったし、プロのマネージャーがいるわけでも経験者にコネがあるわけでもなかった。ネットに上がっている情報だけを頼りに、曲に衣装に練習にとステージに上がるための準備を
「前の組の曲、終わったね。……もうすぐ、か」
舞台袖の暗がりに溶け消えそうな声量で、私はぼそりと呟いた。相方の吐露した不安を耳聡く拾った日向は、私の耳元に口を寄せて「緊張してる?」と訊いてきた。
「まあ、それなりには。日向は?」
「ちょっとはね。でも、このくらいの箱で緊張してちゃしょうがないよ。初ライブが大切なのは確かだけど、私達の目標はそのもっと先――」
「武道館」
「そう、武道館」日向は微笑しながら首肯した。「あそこのキャパは一万人超すからね。一クラスにも満たない程度の客数で上がってちゃ、しょうがないよ」
「相変わらず前向きだね、日向は。でも、先ばかり見据えているせいで足元すくわれたりしないでよ? ちょっとだけ心配だな。日向って、変に抜けてるところあったりするから。入場のときに転んだりとかしたら、その時点でゲームオーバーだからね」
「そんなヘマするわけないでしょ。ギャグ漫画じゃないんだから」
不本意だとばかりに唇を尖らせながら、日向が軽く肘打ちしてきた。私は軽く笑いながら、ごめん、と小声で謝った。先程まで感じていた身体の強張りは、既に殆ど溶けていた。
程なくして、スタッフの人から「お願いします」と声がかかった。私達は会話を切り上げると目を合わせながら頷きあって、ゆっくりと舞台へ上がっていった。
胸中の不安に反して、登壇直後の客席からの反応はまずまずだった。十中八九、衣装のおかげだろう。ゴスロリにツインテールに眼帯という洋の出で立ちをした私に対し、和服に銀髪のボブカットという和をベースとした装いの日向。同じユニットのアイドルは基本的に同じ衣装か、そうでなくとも似通ったデザインの衣装を着用するのが原則だけど、私たちはそのセオリーに真っ向から反逆していた。アニメやゲームからそっくり飛び出してきたかのような個性的なヴィジュアルは、一ステージぶんの退屈をどう紛らわそうかと考えていた観客たちの注意を惹きつけるには充分だった。
日向は一瞬だけ私に視線を送り、ニヤリと口角を釣り上げた。狙い通り、と言わんばかりの得意げな笑みだった。私は日向に短い一瞥を返した後に、携えたマイクを口元まで持ち上げて、すぅ、と息を吸い込んだ。
ステージを終えて舞台裏にはけると同時に、首筋を伝う汗を右手の甲で拭った。薄暗い通路から狭苦しい更衣室へと戻る。古びたソファにボスンと腰を下ろすや否や、私は嘆息混じりに言った。
「だから言ったじゃん。初ステージで歌詞の半分以上が会話劇なのは、いくらなんでも攻め過ぎじゃないかって……!」
登場時の好意的な反応とは裏腹に、ステージが始まってからの客席の雰囲気は最悪だった。仄かな期待を帯びた眼差しはあっという間に戸惑いの視線へと変化して、曲が終わる頃には奇異と嫌悪と興醒めがないまぜになった眼差しになっていた。
その結末も無理はない。なんせ私たちのステージは、通常のアイドルのパフォーマンスからはかけ離れたものだったのだから。
だって、私の第一声からしてこれなのだ。
「――私の名はユーズ。ルーマニアにて三百年の封印から蘇り、今、再び生を受けた吸血鬼だ」
この時点で観客の半数以上が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきになっていた。だけど私たちの持ち時間は十五分。滑った途端に即終了、なんてオーディション番組じみた良心的な仕組みはライブには存在しない。
「こらこら、自己紹介の前にグループ名言うのが先でしょ。えっと、皆さんこんばんは。ハーンズトークです。さっき早速ゲロっちゃってましたけど、ユーズは人間じゃありません。吸血鬼の生き残りです。ちなみに私こと日向は純日本人で、雪女の末裔です。以後、お見知りおきを」
私に続く日向の台詞は幾分まともではあったけど、吸血鬼だの雪女だのと言っている時点で観客の反応は私のときと大差なかった。
その後、曲に行く前に数回のやり取りを挟んだけれど、私の台詞はその全てが気障で尊大で言い回しが仰々しくて、要はメチャクチャ厨二臭かった。
「前置きはともかくとして、人外の私達がなんでアイドル活動をしているのかと言うとですね」
「知りたいか? ならば語ろう」
日向の語りを遮るように口にして、私は一歩前に出た。白けかけた空気を強引に繋ぎ止めるかのように、スピーカーから単調な音楽が流れ出す。刻まれるリズムのテンポに合わせることだけ意識しながら、必死で覚え込んだ詩句を機械的に垂れ流す。
「三百年前、ルーマニアの森の奥深く。吸血鬼の一族と人間との間で、人知れず戦争が起きた。熾烈な戦いの結果、吸血鬼の一族は滅びた。ただ一人の、幼い少女だけを除いて」
前置きの台詞が終わり、曲が始まる。ここからは本格的に詞をメロディーに乗せて歌い出す。日向とパートを交代する頃には、歌はれっきとした曲の体裁を取り始めていた。だけど今更、観客たちの興味関心が戻ってくることはなかった。
地下アイドルの初ライブとしては、考えうる限り最悪の空気感。そんな中でもどうにかパフォーマンスを続けることが出来たのは、歌い出し以外の歌唱パートが全て日向との掛け合いだったからだ。おかげでその後は、曲が終わるまでただの一度も客席に目を向けずに済んだ。観客のことは努めて意識から締め出して、眼の前の日向に対して言葉を紡ぎ、日向の瞳だけをただひたすらに追いかけていた。
「――私たちようやく気づいたの。スポットライトの光の中が、たった一つの居場所なのだと」
二人一緒に最後のワンフレーズを歌い終え、ようやく視線を客席の方へと戻す。
観客の半分は白けたとか呆れたとか以前に、どう評価したら良いのかわからないといった表情を浮かべていた。喩えるのなら、ハンバーガーを注文したのに牛丼が運ばれてきたとでも言うかのような、困惑と不快が入り混じったような顔つきだ。ちなみに残りの半分は舞台に目を向けることもなく、ぽちぽちとスマホを弄っていた。
そんなわけだから、舞台裏に戻るや否や早歩きで控室に舞い戻り、古臭いソファに座り込んで項垂れるのも無理のないことだった。
「というか、いくらなんでも歌詞と台詞が痛すぎるんだよ。あんなの、厨二病全盛期の十五歳でもドン引きするレベルでしょ。まあ台本書いたのも作詞したのも私なんだけどさぁ……!」
「ちょっとちょっと、なに落ち込んでるの。最初は皆こんなもんだって」
軽く笑いながら、タオルを差し出してくる日向。私はそれを受け取ると、ごめん、と小声で呟いた。
「ごめんって、なんで謝るの。柚葉だけに責任があるわけじゃないでしょ」
「それは……」
「大体、そんなに悪いステージだったわけでもないじゃん。聞こえなかった? ステージからはけるときのお客さんたちの反応」
「そりゃ聞こえたよ。私、地獄耳だから。『何あれ厨二病?』とか、『キャラの立て方が二十年前なんだけど』とか、『今のってブッキングミス?』とか、『衣装は可愛かったね、衣装は』とか――」
「それだけ反応貰えれば、初回にしては上々でしょ。確かに、あまり好意的な目では見られなかったかもだけど、それは承知の上だったじゃん。まずは名前を覚えてもらうことを第一にしようってことで、あのスタイルを貫いたんだから。記憶にさえ残らないパフォーマンスするよりかは、何倍もマシだって」
「……そうかな」
「そうだよ」力強く頷きながら、日向が私の隣に腰を下ろした。「正直、初ステージ後にざわめきさえ起こらないユニットだって沢山いるでしょ。少なくともキャラは立てられたわけだし、今日はそれで良しとしようよ。何回も言ってる通り、このアイドル戦国時代を生き抜くために必要なのは個性だからね」
地獄みたいなステージの後だというのに、日向は相変わらず前向きだった。向けられた真夏の太陽みたいな屈託のない笑みに、少しだけ救われた心地になる。少なくとも日向のことは満足させられたんだ、って。
「それより、ステージ終わったんだしSNS更新しなきゃ。自撮りするから、こっち見て」
ほらほら、と言いながら日向が肩に手を回してくる。公式アカウントは一ヶ月前から運用しているから、こんなふうに自撮りするのは初めてのことではない。だけど他人とベタベタ触れ合うことになれていない私は、どうしても肩が強張ってしまう。
「……ちょっと。距離、近くない?」
「いいのいいの。こういうのはベタついてるくらいがちょうどいいんだよ」
百合営業ってやつだよ、と冗談めかして言う日向。私としては、汗の匂いとかメイクの崩れとかが気になるからあまり近寄ってほしくはなかったのだけど、そう言われては断れない。
無事にSNSを更新すると、さてと、と言いながら日向が席を立った。
「それじゃ、物販行こうか。衣装の反応はまずまずだったし、数人くらいはチェキ買ってくれるんじゃないかな」
私達はその後も、一月に一回のペースで同じ箱でのライブを続けた。キャラ付けの濃い新人ユニットということで名前を把握して貰うことは出来たけど、ステージの盛り上がりやフォロワー数の伸びは微妙としか言いようがなかった。唯一の強みとも言える衣装だって、何度も着用していれば目新しさは消え失せる。だからといって新衣装が用意できるほど、物販の売れ行きが良いわけでもなかった。
武道館どころか、活動の継続が危ぶまれるレベルでハーンズトークの人気は伸び悩んでいた。
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「ネットの記事を見た限りでは出世街道を駆け上がった気鋭のアイドルという印象が強かったですが、何も最初から人気を博していたわけではないのですね」
「そりゃあね。深みのある世界観と言えば聞こえは良いですけど、普通の地下ドルを推してる人間からしてみれば色物でしかありませんから」
歌も踊りも特別光るものがあるわけじゃなかったし、取り立ててファンサが良いわけでもない。他のアイドルに勝ってるところと言ったら、精々が若さだけ。これで人気になれって方が無理な話だと思う。
実際にはその無理は本当になるわけだけど、それは日向の慧眼と運の良さがあったゆえのイレギュラーだ。セオリーに則って考えれば、一年ちょっとで人知れずフェードアウトするのが妥当な結末といったところだ。
「その頃、お二人の間で解散の話が出たことは?」
「それはありませんでしたね。日向がどう考えていたかは知りませんけど、少なくとも私は解散を考えたことはないです」
「ですが、ハーンズとしての活動に限界を感じ始めていたのでは?」
「それは否定しませんけど……、ここまで濃いキャラ付けをしてしまった以上、他にユニット組んでくれる人なんていませんからね。ハーンズとしてデビューした時点で、日向と一緒にアイドルをやり続けるしか選択肢はなかったんですよ。一蓮托生ってやつです。ああいや、死なば諸共と言ったほうが正鵠を射ていますかね、私たちの場合は」
あのときのハーンズは、沈むことがわかり切っている泥舟のようなものだった。言葉にこそ出さなかったけど、このままじゃ一年と経たずに活動を休止する羽目になるという予感はあった。ライブハウス側だって、うだつの上がらない新人をいつまでもステージに上げておけるほど懐が深いわけじゃない。
刑事さんが僅かに顔をしかめているのがわかった。私はさも今気がついたと言わんばかりに、ああ、と口元を歪めてみせた。
「おかしいですか? 死なば諸共なんて言っておきながら、私一人が生き残ってしまってるのが。その言葉が本当なら後追い自殺して然るべきだろ、とか考えてます?」
「いえ、そのようなことは思っていません。ただ――」
私からの悪趣味な切り返しにもさして動揺することなしに、刑事さんは淡々と否定の言葉を述べる。だけど最後の一言を発したところで、口を中途半端に開けた状態で固まってしまった。瞳の奥底を覗き込もうとするかのような意味ありげな眼差しを向けてきたものの、特にそれらしい発言をするわけでもなく、すぐに目線を外してきた。
「いえ、なんでもありません」
単調な声で言い、何事もなかったように次の質問へと移行する刑事さん。結局、途切れた言葉の続きが語られることはなかった。
「ユニットを解散するつもりがなかった、ということはわかりました。ですが、アイドル活動自体をやめるという発想はなかったのですか?」
「あるわけないじゃないですか」
私はにこやかな笑みを浮かべながら、ふるふるとかぶりを振った。
「そこで諦める程度の夢なら、相方の首を絞めたりなんかしてませんって」
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