クビシメアイドル

赤崎弥生

殺人犯=私

 相手の目を見る。ハキハキ喋る。話し始めに「あ」って言わない。

 他人と会話するときの三大原則を私に教えてくれたのは、かれこれ三年近くアイドル活動を共にしてきた相方であり、昨夜この手で首を絞めて殺したただ一人の友人だった。

 今から二年以上も昔の、私たちがまだ一介のアイドル志望者でしかなかったときの話だ。私たちはアイドルになるための勉強も兼ねて、月二回くらいの頻度で地下アイドルのライブに訪れていた。帰りには駅前のファミレスに立ち寄るのが習慣になっていて、その日もライブの感想や結成するグループの方針についてドリンクバーとポテトで粘りながら話し合いをしていた。

「前から思ってたんだけど」

 入店から二時間近くが経過してお互いに話すことも尽きてきた頃、不意に日向ひなたが口を開いた。別段、言いづらそうにしていたわけでもない。ふと頭に浮かんだどうでもいいことを口にするだけ、といった感じの声色だった。

 そのおかげで油断した。有り触れた前置きの後に続けられた言葉はどれも対陰キャ特攻がインフレしていて、私の無防備な心臓に容赦なく突き刺さった。

 相手の目を見る? ハキハキ喋る? 話し始めに「あ」って言わない?

 それができたら苦労しないよ、という本音は胸の奥に押し込めて、大人しくシュンとした態度を取った。「あ、ごめん」と言いそうになるところをどうにか堪えて、「ご、ごめん」と謝りながら悄然と項垂うなだれる。「あ」って言わなかったところでどもったら同じことじゃん、なんて考えがすぐさま脳裏をよぎったけれど、これ以上考えたら「あ」または吃りの回数が一回から二回に倍増しそうだったので、思考を一時停止して続きを喋る。

「その、私、コミュ障だから。人と話すのとか、あんまり得意じゃなくて」

「うん。それは知ってるけど」

「……まともに人と話せないのにアイドルなんて、やっぱり無理だよね」

 ちら、と意味ありげな視線を送る私。心の声がダダ漏れなその仕草に、我ながら総毛立つほどの嫌らしさを感じた。なんてあからさまな態度だ。

 私と違って人並みの社交術を身につけている日向は案の定、「そんなことない!」と即座にかぶりを振ってくる。

「一番大事なのは気持ちだよ。アイドルになりたい、ステージの上で輝きたいっていう気持ち。それさえあれば、あとは努力と工夫次第でなんとかなるって」

「そう、なのかな」

「大丈夫。練習なら、いくらでも付き合ってあげるから。それに、アイドルをやる上で最も重要なのはキャラ立ちだからね。コミュ障だけど頑張ってアイドルやってるっていうのも、やりようによっては立派な個性になるし」

 小さい子供を優しく励ますかのように、日向が柔和な笑みを浮かべた。私は「ん」という返事と唸り声の中間のような音を発して、だけどその後に何を言えばいいのかわからなくて、ろくな反応も返せないまま口を閉ざした。

 そうして再び、無言の時間が訪れる。

「それ、癖なの?」

 沈黙を破ったのはまたもや日向の方だった。それ、という代名詞が何を指しているるのかわからなくて、私は小首を傾げた。日向の表情は平然としたものだったけど、対人三原則のときよりかは幾分真剣さが増しているように思えて、ちょっとだけ身構えた。

「癖って、何が?」

「右の前髪、触るやつ。割と頻繁にやってない?」

 ハッとした。確かに私の右手は、片側だけアシンメトリーに伸ばされた前髪を掴んで軽く下に引っ張っている。

 猛烈に惨めな気分になった。隠し通せるはずのない悪戯の痕跡を必死で隠蔽しようとする、卑怯者の子供みたいだ。恥ずかしいとかばつが悪いというよりも、憎かった。私自身が。自分で自分をぶち壊したくてたまらない衝動に駆られるときってあるけど、それが今だ。

 俯きながら下唇を噛みしめて安っぽい自己破壊衝動を発散すると、右手で前髪をつまんだままの状態で問いに答える。

「癖かどうかはわからないけど、無意識に触っちゃってることが多い、かも」

「もしかして、気にしてるの?」

 日向はテーブル越しに手のひらを突き出すと、唐突に私の右手に触れてきた。レースカーテンをずらして窓の外を覗くみたいな所作で、何の躊躇いも遠慮もなしに前髪を横にどけてくる。

 私の右目が顕になった。

 恥部をまじまじと観察されているような、ひどい汚辱。

 クーラーの冷気で浮き彫りにされた日向の指先の熱量を延々と脳内で反芻し、こみ上げてくる情動から必死で目を背け続けた。そのおかげでこの日に感じた日向の指先の輪郭は、体温は、感触は、ほんの数バイトほどの劣化も変成も経ることなしに海馬に刻みこまれている。日向の指は白くて細くて繊細な形をしているけれど、皮膚の感触は思いのほかザラついていた。爪には丁寧にヤスリがかけられていて、でも伸ばしているわけではないらしく、短く切り揃えられていた。多分、ピアノやシンセサイザーを弄ることが多いからだろう。

 そんなことを考えながら、瘴気じみた何かがポコポコと泡立っている胸の底から、どうにかして意識を逸らす。

 結局、満足した日向が自主的に手を引っ込めるまで、私は一言も声を発さなかった。

「……気にしてるってほどじゃないけど、たまにジロジロ見られたりすることがあって。それはなんとなく嫌、かな」

「なるほどね」

 日向は小さく頷くと、間を作るようにジュースをストローで吸い込んでから、でもさ、と言葉を続けた。

「ジロジロ見られるって、アイドル的にはむしろ得じゃない? あ、そうだ。いっそ普段は眼帯つけて隠しておいて、サビのところで解放するみたいな演出とかどうかな。……うん、悪くない思いつきかも! やっぱり、アイドルをやる上で何よりも重要なのはキャラ立ちだからね。盛れる属性はどんどん盛っていかないと!」

 私の売り方について語っているはずなのに、私の意見そっちのけで話を進めていく日向。声は心做しか上ずって、見開かれた両の眼は爛々と輝いている。その輝きは満点の星空というより、真夏の川面の照り返しを思わせた。静謐な夜空の煌めきではなく、ギラギラと目に痛い真昼の光。

 一メートル先の輝きが眩しくて、私はおもむろに目を伏せた。教わったばかりの対人三原則を早速破ってしまっているけれど、注意が飛んでくることはなかった。

 当然だ。目を見て話せなんて偉そうに言ってはいたけど、当の本人がその原則を守ってなどいないのだから。

 最初から最期まで、日向が私と目を合わせてくれたことなんて、一度もなかった。

 だってあいつは、私に首を絞められているときでさえ、筋違いな微笑みを浮かべているだけだった。


     /


「――本当に、それだけの理由で見峠日向みとうげひなたさんを殺したんですか?」

 回想の海に沈んでいた意識が、その一言で現実に引き戻された。

 今の私の肉体は冷房の効いたファミレスのソファではなく、金属部が錆びて茶色くなったパイプ椅子の上に鎮座していた。部屋は少しだけ肌寒いけどそれは冷房のせいではなくて、背面上方の鉄柵の埋め込まれた小窓から、三月の冷えた外気が絶え間なく流れ込んでくるからだ。

 六面を打ちっぱなしのコンクリートで囲まれたその部屋は薄暗く、そして何よりも手狭だった。私・オン・ザ・パイプ椅子、小学校で担任の先生が使う教卓みたいな事務机、刑事さん・オン・ザ・パイプ椅子の三点セットを配置したら、それだけで一杯になってしまうほどの面積しか有していない。

 目の前に座る担当の刑事さんは若い女の人だった。見た目年齢は二十代後半から三十代前半くらい。その手のドラマとかの影響で取り調べというと中年くらいの年齢の人が担当する印象が強かったから、この人が入室してきたときには少しだけ意外に思った。こんな若い人が回されることもあるんだ、って。

 もしかしたら、私が喋りやすいように気を回してくれたのかもしれない。だとしたら要らぬ気遣いだ。私にとって、この世の人類の分類は家族と日向とそれ以外で完結している。若い女性の刑事だろうが中年のおじさんの刑事だろうが、実質的に同じことだった。

 さて、そんな刑事さんの眉間には今現在、当惑とも怪訝とも不審ともつかない縦皺が刻まれている。それは恐らく、例の対人三原則をばっちり行使した状態で質問に答えたせいだろう。冷静になって考えてみれば、相方殺しの動機を語るにはさっきの私は堂々としすぎていたかもしれない。コミュニケーションの基本の基でも使いどきは考えろ、ということか。

 だけど日向に、そこまでの応用編を教えてもらった覚えはない。うん、だったら仕方ない。教えられたことが出来ないのは無能の証。教えられてないことが出来るのは有能の証。教えられてないことが出来ないのは、ただの凡人の証明に過ぎない。

 私は無能にはなりたくない。かといって有能になりたいわけでもない。なら、言われてないことが出来ずとも何ら問題はない。

「そうですよ」私はこくんと首を縦に振り、肯定の意を示す。「ええと、刑事さんはご存知ありませんよね、私たちがどういう設定でアイドルをやっていたのか。日向は人里離れた秘境に住まう雪女の末裔まつえいで、私は封印を破って三百年越しに蘇った魔眼持ちの吸血鬼です。それで――」

「ユーズこと三神柚葉みかみゆずはさんが目覚めたときには、吸血鬼の同胞はみな姿を消していた。仲間を求めて東へ東へと旅を続けた三神さんは、極東の地で日向さんと運命的な出会いをする。日向さんは吸血鬼ではなかったものの、雪女の一族のたった一人の生き残りであり、三神さんと境涯を同じくする者だった。互いに寄る辺のない二人は、現世での居場所を作り出すべく地下でアイドル活動を開始した、ですよね」

「え、なんで知ってるんですか。もしかしてファンでした?」

「違います。ホームページを読んだんです」

 仏頂面で首を振る刑事さん。なんとも生真面目でビジネスライクな受け答えだった。対する私は大袈裟に首を竦めながら、「それは残念」と嘯く。

「でもまあ、わかっているなら話は早いです。動機なんて文字通り、一目瞭然ですからね」

 言いながら、私は右の前髪に隠れた眼帯を人差し指で軽く叩いた。ライブのときに使用する黒色の眼帯ではなくて、医療用の一般的な眼帯だ。

「トラックにかれた直後の日向は、全身血まみれだわ四肢がグチャグチャに潰れてるわ肋骨が折れて飛び出してるわで、それは酷い状態でした。スプラッタ映画で見慣れているはずの私でも、うわグロってドン引きするくらいには酸鼻極まりなかったですね。見た目はともかく血の臭気が凄まじくって。グロいのは映画だけで充分だなと痛感した瞬間でした。とはいえ、四肢や胸部の怪我は私としてはどうでもよかった。問題は右目です。どこにどう力がかかったのかは知りませんけど、右目がでろっと眼窩から飛び出して潰れてたんですよね。それを見た瞬間、殺さなきゃって直感しました。私は眼帯キャラ、義眼キャラで売ってますからね。いくら大事な相方といえど、属性がダブるわけにはいかないんですよ」

「真面目に言ってるんですか?」

「はい。至って真面目ですけど」

 私は泰然と首肯する。刑事さんは全体的に鉄仮面じみた無表情を保ちつつも、僅かに眉間に皺を寄せていた。私はピンと人差し指を立て、「いいですか?」と説明口調で話を続ける。

「今のアイドル業界は、無数の新人が世に出ては消えていくアイドル戦国時代です。ライバルがごまんといる中で生き残るには、何よりもキャラ立ちが重要なんです。どれだけ歌やダンスが上手くても、個性的でなければ客は見向きもしてくれませんからね。評価以前の問題になってしまうんです」

 歌も踊りも上手いのに、フォロワー数はハーンズよりも遥かに少ない。そんなグループを目にしたことは、一度や二度では数えきれない。

「私も日向も、アイドルに対する強い憧れがありました。夢は互いに武道館です。事故で右目の潰れた日向は、私にとっては武道館行きを阻む障害以外の何者でもありませんでした。だから殺したんです。既に満身創痍ではありましたけど、万が一ってこともありますからね。血まみれの日向の上に馬乗りになって、両手でぐいっと首を絞めて。構図的には、旧劇の碇シンジと全く同じですね。ええと、私から話せることはこのくらいなんですが、何か質問とかあります?」

 しばし小難しい表情で沈思黙考した後、刑事さんは微かに吐息を漏らしながら言った。

「ひとまず、お二人のハーンズトークとしての活動の経緯をお聞かせ願えますか」

「構いませんけど、ホムペとSNSを見てもらったほうが早いと思いますよ」

「どちらも既に閲覧済みです。事実確認も兼ねていますから、ご協力をお願いします」

 そう言われたら、被疑者の身としては断れない。わかりました、と私は素直に頷いて、一年と十一ヶ月前の記憶へと意識を飛ばした。

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