第5話

 その日の夕方、知沙はテスト勉強のための問題集を探しに本屋に出かけた。中学生の参考書コーナーでどれがいいか迷っていると後ろから声をかけられた。


「数学の問題集を探してるの?」


 聞き覚えのあるその声は蒼佑その人だった。またしても心臓が暴走を始める。赤くなった頬を見られたくなくて知沙はうつむいた。


「す、数学と英語です。は、初めてだからどれがいいのかよくわからなくて」


 知沙は誰か見ていないかと辺りを見回し、少し距離をとった。そんなことにはお構いなく蒼佑は次々と問題集を開いていく。


「知沙さんはどっちも得意?」


「いや、あの、英語はまあまあですけど数学は……」


「それならね、数学は解説が丁寧なこれがおすすめかな? 基本からきちんと書いてあるから苦手なところからやり直し出来るよ。英語は多分学校の問題集だけでいいと思う。それより英検とか受けてみたら? 受験にも役立つと思うし」


 そう言う蒼佑は、英検準二級のテキストを脇に抱えていた。


「ありがとうございます。じゃあこれにします」


 知沙は蒼佑から数学の問題集を受け取ると「じゃあ」と言ってそそくさとその場を立ち去ろうとしたが、その前に蒼佑に呼び止められた。


「ちょっと待って。こんなとこであれだけど、今日は迷惑かけてごめんね」


「いえ、先輩のせいじゃないですから」


 知沙は蒼佑の方へ半分体を向けてぺこりと頭を下げた。蒼佑とふたりでいる喜びよりも緊張が先立っていたたまれなくなる。それにまた誰かに見られたらと思うと気が気ではない。知沙は一刻も早くこの場から逃れたかった。


「もうちょっとだけ。頼みがあるんだ。今度の日曜寛人の誕生会をするんだけど寛人がどうしてもふたりに来て欲しいって。にいにからのプレゼントはいらないから頼んでくれって言われて……優花さんと一緒にうちに来てもらえないかな」


 知沙は固まって動けなくなってしまった。自分が蒼佑の家に行く?


「無理を言って申し訳ないけど、できれば寛人のために協力してください」


 そう言って蒼佑が頭を下げたので断りきれず、優花に聞いてみるからと連絡先を交換してから店を出た。スマホに蒼佑の連絡先が刻まれたと思うと生きた心地がせず、どこをどう歩いたのか気づけば優花の家の前に立っていた。


 知沙の話を聞いて、優花もまた大興奮だった。


「行こうよ、行こうよ! こんなチャンス二度とないって! 知沙のためなら私何だってするから。ねえ、来年には卒業しちゃうんだよ? その時後悔しても遅いよ?」


 蒼佑の前に出ると自分以上に固まる癖にふたりでいる時はこうも積極的かと半ば呆れながらも、優花の言う通りだという気もしてその場でスマホを開いた。


 


 次の日曜日、ふたりは午前十時に蒼佑の家に着いた。広い庭のある落ち着いた日本家屋だが、中は仕切りのない広々とした間取りになっている。寛人が両親と買い物に出ている間にリビングを飾り付ける手伝いをすることになったのだ。初めは知沙も優花も緊張していたのだが、作業をしていくうちに普通に話ができるようになっていった。それでも高いところの作業を二人で並んでする時など、距離の近さにドキドキが止まらなかった。


 パーティーは知沙たちにとってもとても楽しいものだった。ふたりが来ていることを知らされていなかった寛人はとにかく大はしゃぎで、ふたりがプレゼントに選んだ日本地図の立体パズルを飽きることなく何度も楽しんだ。そしてはしゃぎ過ぎたのか午後二時過ぎには眠ってしまった。


 途端に静かになったところで、知沙と優花は目配せして帰ろうとしたのだが、蒼佑が引き留めた。


「もう使わない参考書や問題集があるから貰ってくれないかな?」


 断る理由もないので、二階にある蒼佑の部屋について行った。八畳程の部屋は綺麗に片付いていて、壁には海外のバスケットボール選手のポスターが何枚も貼られていた。本棚にもバスケ関連の本がたくさん並んでいる。蒼佑は本棚の下の方から十数冊を取り出して机とベッドの上に教科ごとに並べた。


「この中から好きなの選んで持って行って。全部でもいいから」


 ふたりが戸惑っていると、それぞれ一冊ずつ手渡してよこして勝手に解説を始めた。


「これは理科の解説付きの問題集、すごくわかりやすいよ。こっちは国語の文法ね。どれももう使わないから遠慮しないで」


 蒼佑の善意を無にしないようにと、知沙は真剣に選び始めた。次第に勉強の悩みや相談になったが、そのどれにも蒼佑は丁寧に答えてくれたので、意外と時間がかかってしまった。


「ちょっとお手洗い借ります」


 外は日が傾き始めている。知沙はトイレから戻ったらもう帰ろうと思っていた。部屋の手前で開けっ放しのドアの向こうから蒼佑の声が聞こえた。


「優花さんも連絡先教えてもらえないかな」


「でも、私は……」


「寛人が話したいって聞かないんだ。優花さんのこと大好きみたいで。申し訳無いけどお願いします」


「……わかりました」


 知沙は何故か部屋に入って行けなかった。

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