第3話

 月曜の朝、知沙はいつも通り優花とふたりで学校への道を歩いていた。不意に優花が立ち止まり知沙の後ろに半ば隠れた。


「あ、あれ…」


 その指差す先に、自転車にまたがりきょろきょろとあたりを見渡す蒼佑の姿があった。蒼佑はふたりに気づくと自転車を押してすたすたと近づいて来た。


「この間はありがとう」


「いえ、どういたしまして」


 優花が隠れているので、知沙は仕方なくぎこちない返事をした。


「で、これなんだけど、次の日曜日、もし時間があったらこれ使ってくれないかな。時間指定あるから難しいかもしれないけど」


 そう言って蒼佑は二枚のチケットを知沙の前に差し出した。後ろで優花が小さく叫んだ。それは優花が以前から行きたがっていたサーカスのチケットだったのだ。


「でも、高いんじゃ……」


「親父が仕事の関係で貰ったものだからただなんだ。余りもので申し訳ないけど嫌じゃなかったら、どうぞ」


 その時、遠くから同じ中学の女子生徒がこちらを指差しているのが見えた。


「ありがとうございます。いただきますっ!」


 知沙はひったくるようにチケットを受け取ると、優花の手を引いて近くの路地へ逃げ込んだ。そっと通りを覗くと蒼佑が自転車に乗って立ち去るところだった。蒼佑の家は知沙たちとは学校を挟んで反対側のはずだから、わざわざこのために自転車で来たのだろう。知沙はチケットと優花の顔を交互に見た。


「どうする?」


「どうしよう」


 そう言いつつ優花は嬉しそうだった。弟妹のいる優花の家はそれなりに物入りで、優花が自由に使えるお金はそう多くないことを知沙は知っていた。


「せっかくだから一緒に行こう」


 知沙がそう言うと、優花の顔がぱあっと明るくなった。



 日曜の午後、知沙と優花はサーカスのテントの中にいた。既にほぼ席は埋まっていて熱気に溢れている。優花の顔も上気していた。


 開演五分前に空いていた優花の隣の席に見覚えのある少年が座った。そして驚いたことにその隣に蒼佑が座ったのだ。優花が金魚のように口をパクパクさせて知沙に救いを求めた。そんなことはお構いなしに蒼佑が話しかけてくる。


「こんにちは。来てくれてありがとう。さあ、寛人、お姉さんたちにちゃんとお礼を言って」


 そう促された寛人が頭をぺこんと下げて「ありがとう」と言った。途端に優花の顔がほころぶ。


「ちゃんとお礼が言えて偉いね」


 そう言われた寛人は満面の笑みで蒼佑を振り返った。蒼佑も満足そうだ。すぐさまファンファーレが鳴って馬とピエロが飛び出してきた。それからの二時間はあっという間だった。


 外に出ると日が傾きかけていた。寛人は優花にすっかり懐いて手を繋いでいる。その手を離して、優花が寛人に「バイバイ」と言うと、途端に寛人の目に涙が浮かんだ。


「ごめん、もうちょっとだけ付き合ってもらってもいいかな?」


 申し訳なさそうに言う蒼佑に従って隣の公園へと移動すると、泣いたことなどすっかり忘れて寛人が駆け出した。その後を優花が追いかける。少し離れたところから蒼佑は目を細めてその様子を見ていた。


 こんな顔するんだ。


 ただのかっこいいお兄さんくらいの認識で憧れていた蒼佑が、弟思いの優しい心の持ち主と知って、知沙はますます惹かれていくのを感じていた。


「うちさ、共働きで忙しくて、あんまり寛人のこと構ってやれないんだよ。だから今日はほんとに楽しかったと思う。ありがとう」


 そう言うと、蒼佑は神々しいとまで思える笑顔を知沙に向けた。知沙の心臓は爆発寸前だ。


「寛人、帰るぞ」


「えー、やだよ。もっと遊ぶ」


「そんなわがまま言ってると、もうお姉さんたち遊んでくれないぞ」


「わかったよ。優花ちゃん、ありがと。知沙ちゃんまたね!」


 いつの間にかちゃん付けになっていることに面食らいながら、公園を出ていく蒼佑たちを手を振って見送った。ふたりが見えなくなると知沙と優花は手を取り合って小躍りした。


「知沙、今日も目の保養できたねえ。ますます好きになっちゃったでしょ」


「かっこいいだけじゃなくて性格も最高だなんてあり得ないよね!」


「ほんとそれ! 天は与え過ぎだね」


「ほんとほんと!」


 その様子を陰から見ている者がいることに、ふたりは気づいていなかった。

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