第4話 英雄になりたかった小麦粉引き④

 大人で武に通じているものであれば、子供の腕をひねるがごとく、簡単に倒せる敵だったかもしれない。しかし子供の二人にとって、子供ほどではあろうサイズの狼でも、明らかなる脅威だっった。

 ホールまで出てきたマルクとローゼットだったが、床に散らばる布に足をとられ、マルクは倒れてしまった。


 息が荒れる。脳を萎縮させるような恐怖が全身をしばりあげる。唸り声は急速に近づいてきた。マルクが確認したときは、三つ目の狼が飛びかかってきたのだ。やられる、ほんとうにそう思った。


 首に噛みつかれ、へし折る未来が本当に見えたのだ。おかしなことに、恐怖や悲しみを感じなかった。そうなる未来になるという衝撃に襲われ、感情が湧かなかった。ああ、俺、死ぬんだ……と思った瞬間、狼とマルクの間に入り込む人物がいた。


 剣をかまえたローゼットだ。狼は鋭い爪でローゼットに襲いかかる。美麗な顔をおそろしいくらい歪ませながら、ローゼットは薙ぎ払う。


「民を傷つけるなっ!!!」


 怒声と共に、ローゼットは駆け出した。そして狼の腹を剣で切り払った。鮮やかすぎるほどの太刀筋、狼の目はみるみる光を失い、倒れ込む。腹からは血が吹き出し、きれいな召し物を着けた、ローゼットを赤く濡らした。


 ローゼットは頬も血で汚れながらも、拭おうとせず、淡々と剣を払った。鞘に納めて、こちら側を向く。


「大丈夫? 怪我はない?」


 そこでようやく人間らしい感情のこもった顔をした。優しい瞳だった。息もほとんど乱れてない。マルクはひれ伏すように顔を下げた。


「ご、ごめん……俺がこんなところに誘わなければ、お前がそんな血に染まるだなんて」


 感謝より申し訳なさより、感じたのは畏怖だった。あきらかにローゼットは普通の育ちではない。流れの商人の息子風情が覚える武術ではない。身分を偽り、自分のところへやってきた異邦人のような存在だと気がついた。それがあまりに恐ろしかった。


 自分を救ってくれたのに、顔が震える。マルクは助かったことによる安堵もあわせて、みるみる顔がぐちゃぐちゃになって泣き崩れた。ローゼットは目を丸くする。


「いいんだ、命を助けられたのだから……私はそれで十分だよ」


「そ、そうか、それはよかった」


 泣き崩れて、涙と鼻水まみれの子供と、血で染まった子供。お互いを顔を見合わせていると、なんだか無性におかしくなって、二人はけらけらと笑い合う。ひどい光景なのに、子どもたちの声は、なにかが弾け飛んだように明るかった。


 マルクはこの時、こう思った。


 自分は英雄になれない。武術も教養もなにもかも足りないが。

一番に、勇気が足りない……ローゼットにかなわない。


 寂しいような悲しいような、諦めを知ってしまった子供は、どうすればいいのかわからなかった。でもローゼットに自分の気づいてしまったことを知られたくなくて、最後まで笑い続けた。


 ローゼットが頼りになる友達だとうっすら思い始めていた。

だからこそ、かっこ悪いところをこれ以上見せたくなかったのだ。

 友達だから隣に立てるようになりたいと。


 

 話し終えたマルクに対して、目をきらきらさせてヨハンが聞いてきた。


「それでお父さん、ローゼットといっぱい遊んで仲良くなったの?」


 マルクは頭を横に振った。寂しい笑みを漏らしてしまった。


「いや、翌日ローゼットは学校に来なくてね、数日後転校したと伝えられたよ。きっとモンスターに襲われたこともあって、なにか、彼の身に起きたんじゃないかなあ」


「そうなんだ、じゃあ、たった一日の友達だったんだね」


 マルクはヨハンの頭を撫でながら頷いた。


「ああ……でも忘れられない友達だよ、きっと今もどこかで、誰かをまもっているかもしれないね」


 彼こそが、マルクにとっての英雄だった。

今はどこにいるかもわからないが、あの時、自分を守ってくれたことは、一生忘れられないだろう。


 ただ、もしまた会えたのなら……。


 そこまで考えて、夢のまた夢だなと、マルクは苦笑してしまった。

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とある都市の一幕~人々の生命が騒ぐ街~ 雪月華月 @hujiiroame

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