第2話 英雄になりたかった小麦粉引き②

「英雄になりたいっ」


 それが子供の頃のマルクの夢だった。本で読んだ、世界を再生させたという英雄譚に憧れたこともあったが、麦を喰らうケモノに殺された父親より、強くなりたいという願望もないといえば嘘だった。


 国の害とされるケモノにより、父親が殺されたということで王国から保護を受けていたが、何も苦労がないわけでなかった。

 父なしと笑われることもあったし、父がいないと憐れみを受けたこともあった。

 マルクは強くなりたかった。家に帰れば縫い子の母親の手伝いをしなければならないので、できるだけ遅く帰り、木の棒をふりまわして、少しでも強くなりたいと祈った。父がいないこと、暇さえあれば棒を振り回してることもあって、マルクは学校で浮いていた。


 しかしマルクはへこたれなかったし、浮いている自分がとてもかっこいいと思っていた。


「英雄ははじまりは異端だっていうもんな!」


 完全に英雄譚の影響で、現実がちゃんと見れていなかったかもしれない。独りでありながらも、わりと楽しく生きていたのだが……そんな日常が変わったのはある秋の日のことだった。


「えー、十日ほどでありますが、一緒に勉強になることになります、仲良くしましょう」


 そう、先生が紹介してきたのは、流れの商人の息子だという、ローゼットとの出会いだった。


「よろしくおねがいします。ローゼット=バンデです」


 そう、そいつはあまりに見るからにして、普通じゃなかった。流れの商人の息子にしては、身なりは整っていたし、落ち着きもあった。そう出来すぎてる少年だったのだ。教室の連中は、明らかに自分たちと違う人種と感じ取って引いてたし、マルクも普通とは違う「本物」を見たような気がして、少し面白くなかった。


 教室の異端は、自分だけで良かったのに。

 マルクはふてくされながらも、ローゼットを見つめていた。華のある男の子で、目が離せないところがあった。



「なんかさぁ、すました顔をしておもしろくねーから。松の実でもぶつけてみようぜ」


「そうだな、あのきれいな顔がむかつく……」


「おれ、松の実集めてくるー」


 ローゼットがやってきて二日目でそんな話を耳にした。教室の男の子たちがあつまって、ローゼットをいじめようとしているようだった。マルクはそれを聞いて、一瞬、加担しようとする心がうずいたが、英雄を目指す自分が、人をいじめるのは卑怯だなと思った。


 英雄は弱いものを助けるからこそ英雄なのだ!

 マルクは木の棒を持って、ローゼットのところへ向かった。休み時間になると、ローゼットは校舎の裏で本を読んでることが多いようだった。


 木の棒をズルズルとひっぱりながらやってきたマルクに、さすがのローゼットも少し驚いたようだった。


「どうしたんだい、君」


「おい……にげろ」


「え?」


 きょとんとするローゼットに、マルクは木の棒を向けた。


「お前に松の実を投げようってやつがいるんだっ……痛い思いする前に、逃げろっ」


 パタンとローゼットは本を閉じた。それは奇しくも。マルクの大好きな、世界再生をはたした英雄譚のものだった。


 ローゼットはにっこりと笑った。


「君は私の英雄になってくれるんだね」


「えっ」


 英雄という言葉にどきりとする。思わず頬を赤くなった。ドギマギしていると、ローゼットは自分の指をマルクの口に当てた。


「しっ、一緒に逃げよう。足音が……2、3、5……結構集まっているみたいだから」


 ローゼットはぎゅっとマルクの腕を掴む。きれいな姿に不似合いなほどにしっかりとした力だった。マルクはしっかりと頷く。自分を英雄だと言ってくれた人間を無碍に出来ない。ふたりは、夕焼けに向かうように逃げ出した。とおくからいじめっ子の怒る声が聞こえるが、気にしなかった。むしろ悔しがる声に、喜びを感じる。


 世界再生の英雄も、最初は無力で。それでも仲間と一緒に奴隷農場から逃げたことから、旅がはじまったことを思い出していた。

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