第13話

「また来てくれたんですね」


 寝ている時間が長かったため、筋肉が少し衰えているからリハビリが必要らしい。僕は意識の戻った小山田の病室に出来る限り足を運ぶことにした。同じクラスの人がお見舞いに来たことは無い。先生も僕に容体を確認したりするくらいだった。


「絵は描かないのか」


 初めの頃は俺にも警戒していたが、「高校の先輩とどうやって仲良くなったのか」という点に本人が一番驚いていた。正直な理由を述べるべきか悩んだが、僕は曖昧に返事をしている。今の小山田だったら脅して仲良くなったと誤解しかねない。


「絵ですか。描きたくても手が上手く動かなくてまだ駄目だって怒られるんです。でも次は人物がに挑戦したいんです」


 その瞳は俺が見慣れている、何か物事の本質を確かめたいときにする表情。僕をモデルとしているときによく目にしていた。恥ずかしさも徐々に慣れていった。彼女が心から絵を描くことが好きなのだと改めさせられる。


「退院したら学校に行かなきゃいけないんですよね」


「学校、嫌か」


 周囲は覚えていてもリセットされている彼女からすれば慣れない場所。学年が違うため常に側にいることは出来ない。彼女の性格からすると特別仲の良い友人と呼べる人は居なかったと記憶している。誰もお見舞いに来ていないのがその証拠だ。


「心配してくれるんですか。クラスに友達がいないこととかはあんまり気にしていないんです。だって中学校の頃の性格考えると元々がそんな性格だから」


 受け入れて前に進もうとしている彼女の姿が眩しくて。


 まっすぐなその瞳を僕に向けていても被写体としか見ていないのがつまらなくて。やっと縮められた距離も開いてしまったけど。


 一歩前に進もうとするのなら、僕もまた君の隣を歩めるように努力すると誓うから。今度は消えないで欲しいと切に思う。


「どうして泣いているんですか」


「泣いてなんか」


 頬に触れる。とめどなくあふれる涙。


 きっと忘れてしまった君の方が辛いはずなのに、俺には泣く理由なんてないはずなのに。

 彼女は優しく僕の頭を撫でて、詳しい理由は何も聞かなかった。




***



 退院が決まった日はとても母さんは楽しそうにしていた。私の気持ちの中ではおじい様は生きていて、でも現実はもう会えないでいる。


 タイムスリップした感覚がぬぐえない。どうして忘れてしまったのかな。


 忘れたいほどに、辛い毎日を送っていたのかな。


 退院の当日はいつも来てくれている“先輩”は家族水入らずでということで後日先輩も交えてお祝いを開こうと母さんが提案していた。


 温かい、母さんがいてくれたからきっと私は忘れても悲観的にならずに済んだんだと思っている。大好きな家族。私はいつも支えられて生きていた。


 家の様子も記憶にあるものよりも古くなっている。家の中に飾られている絵も私の知らないものがいくつか、ある。


「高校生になってからもずっと絵を描いていたのよ」


 母さんは自慢げに私の絵を教えてくれる。どういう経緯で描いていたと言っていたか、学生時代には展覧会には出さないと決めていると。描きたい理由をアヤフヤにしたくなくて答えを探している。おじい様の言いつけを守って学校に行っていること。


「松栄さんも郁香が好きな料理作るんだって言って、買い出し行ってるし。どうしてみんなで病院に行こうとしないのかな」


「でもそれが逆に私の家族らしいんじゃない」


 同じ行動を取らなくても見ている風景は同じだと思う。必ず同じことをしなくても、見えない心を繋がていると思わせてくれる家族。私の勝手を許してくれるのも愛情があるからなのかもしれない。普通の家って言葉は嫌いだけど、私はこの二人が両親だったからこうして自由で居られるのだと思う。


 絵を描くきっかけのおじい様には何も返せていないのに、旅立ってしまったのだけ悔やまれる。お見舞いに何度かおばあ様も来てくれたけど、面と向かってお礼を言っていないから後で家に行ってみよう。


「この絵は」


 リビングに大きく飾られているのは天使の男の子の絵。その周囲には人々が集まって楽しそうに踊っている。


「いつも楽しそうに書いていたじゃない」


 母さんはその絵を暖かな瞳で見ている。私は見ている人に同じく喜んでもらいたくて書いていたのかな。


「病室に来てくれていた人」


 天使をモチーフとしているけど、天使こそが病室に来てくれていた先輩その人だと思う。親しくしていたから私の元に来てくれていたのかもしれないけど、何も覚えていない。


 それなのに、毎日のように来てくれていた。


「そうね」


 母さんが歯切れの悪い返事をする。


「そういえば携帯はちゃんと使えてる」


「問題ない」


 画像フォルダーも誰かと写っているようなものは何も無かった。あるとすれば風景や野良猫の集会の場所などがある。


 その中にはなぜか先輩と一緒に動物園に行っている写真が混ざっていた。二人で写っているものはなく、動物を見ている先輩を隠し撮りしていたのか、カメラ目線のものは一つも無かった。


「郁香には高校生だった自分を嫌いになって欲しくないから先に行っておくけど、先輩のことはとても楽しそうにしていたのよ」


「何言ってるのか分からないよ」


 まるで私が何かいけないことをした画像データでも残っているかの発言。私はそこまで何か悪いことをしていたのかな。


「ただいま、郁香帰ってるのか」


 嬉しそうな父さんの声。直勝の不満そうな声も重なる。


「一気にこんなに買うこと無いじゃんか」


 一気ににぎやかになる暖かな空気だけは記憶にある者と寸分の違いも無かった。

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