第11話

 書けば描くほどにどんな色で埋め尽くしていいのか分からなくなっていった。日々成長していく年頃の私たちは書く側も描かれる側もそれぞれ毎日違っている。だから私はきっかけを活かして書いていきたいと思うのに。見ていくうちに更に分からなくなる。どうして一色じゃないの。でもたぶん一色だったら私が先輩に飽きてしまう。描かなくていいって思っちゃうから。


「私を先輩の色でグジャグジャに塗りつぶしてください」


 染まりたい、その色に染まればきっと私の今のモヤモヤ全部拭い去ってくれるだろう。優しい先輩に甘えているのを知っている。あの動画が無ければ近づくことが出来ない位に私は弱虫になっている。だから私はこのまま先輩を手放したくないんだ。


 初めて会った時は先輩はとてもチャラくて、だから脅さないといけないのかなって思ってた。怪我で運動が出来なくなっていて、それでも頼まれれば助っ人に行く優しい人。誰にでも平等な優しさを持っている。


 私にだけ特別に優しいわけじゃない。動物園に誘ってくれたのも早く絵を描き終わらせて私から解放されたいから。交流関係の広い先輩だもの。私にだけ構っては居られない。 


「描き終わらせたくないんです」


 先輩と一緒に居るとどんどん絵のイメージがわいていく。筆が進む。家に居ても描きたいと思う場面が増えていく。優しく聖女の様に微笑む人。そうかと思えば力強く何よりも真っ直ぐに自分の気持ちを伝えられる人。私の持っていない感情を教えてくれた人。


 隣に居て嬉しいと教えてくれた。誰かと親し気に話している姿を見たくないと思った。貴女を真っ直ぐ見つめることを許されたのは私だけであって欲しくて。他の誰も見て欲しくない。


「ごめんなさい」


 捕まえたかった。捕まえたら手放したくなくなった。おじい様が絶対におばあ様の自画像を描こうとしていなかった。大切だから閉じ込めたいと思うからこそ書かないと言っていた。終わらせたくない。描いてしまえばさらに追い求めてしまう。自分ではない誰かを本当の意味で理解しつくすことなんかできないんだから。


「どうして謝るんだ」


「完成させてしまえば先輩ともう会えません」


 一度作り上げてしまえば次をまた追いたくなる。それは人の本質に近いものかもしれない。


「どうして」


 人は成長する。根源は成長しない。時としてもろ刃の剣。そのものを形作る。


 無邪気な先輩でも私はそんな先輩を捕まえて、手放したくなくて。


 自由を奪いたくなる。


 おじい様はどうしておばあ様を結婚という形で捉えるだけで満足できたのだろうか。私ならそれで満足することは出来ない。暴いて暴いて、そしてさらけ出して。貴女を見た私が作る出す貴女を許して欲しいと思う。


「私は絵描きです。先輩はモデル」


 出なければ近づくことは出来なかった。始まりはその無邪気な笑顔を描ければそれでよかったのに。それなのに今は完成させたら全ての関係が終わってしまう。


「モデルじゃなくなったらあっちゃいけないの」


 先輩は私の目の前にかがみこむ。優しく頭にを乗せた。


「だって先輩は私に会う理由なんてないでしょう」


 それ以外に貴女を縛り付ける者は存在しない。分からないの。どうすればいいのか私は何も持っていない。持っているのは描きたいという気持ちだけ。


「君って本当に鈍感」


「先輩」


 頭を撫でる手を止めない。


「俺はずっと前に君を知っていた」


「知っていた」


「入学してくる前に、君の絵をコンクールで見たんだ。それからずっと気になっていた」


 先輩はそっと私の頭から手をどけて隣に座り込んでいる私の手を握る。温かいそのぬくもりは動物園デートで触れたときと同じ温かさ。ぬくもりをずっと感じていたいと思ったその時よりも先輩の瞳には熱を帯びているように思える。今まで描いた絵の中にも一つとない感情をくみ取れる。


「どうして」


 いつも先輩を見ていたけど先輩が私を見ていた感じはしなかった。目は一度もあったことは無く楽しく生きているような気がしていた。


「だから放課後の美術室以外でもあっていい」


「卒業しちゃう」


 学年の壁は越えられない。同じ年に生まれていればもしかしたらもっと早くに仲良くなれたかもしれない。でも離れていたからこそ今の関係を築けたのかもしれない。


「まだ一年ある。それから考えよう」


 もみもみする手を放さない先輩。


「描き上げたら貴女をもしかしたら追いかけなくなるかもしれない」


 捕まえたくなくておじい様はおばあ様を表現しなかった。物理的には結婚という形で捉えたのはどこにも行ってほしくなかったから。


「追いかけてもらうように努力する。昨日の俺と明日の俺は今の俺とも違うだろう。描き切るなんて不可能さ」


 初めて会った時とは違う笑顔。父さんが母さんに向けているものにとても良く似ている。


「先輩は悪趣味ですね」


 自分でも分かるくらいに私は人と少しずれていると思う。取り柄は無く、ただ絵が無ければ自分という形を保つことが出来ない。縋っている。誰かのために何かを描きたいというよりも自分のために描きたくて。評価されるのは少なからず嬉しいけど、筆を執る根本的な理由を忘れたくないからコンクールには出したくない。


「御覧の通り俺は人でなしとあだ名がついているのは知っているよね」


「知ってます」


 部活の助っ人姿を見て先輩に恋心を抱く人が私以外にもいて私もその一人だったから。特別になりたい。貴女だけを見ているのは私で会ってほしくて。


「じゃぁ、そんな僕に騙されたと思って、一緒に居ようじゃないか」


 ギュッと先輩に抱き着いた温度はとても暖かかった。





 それから一週間、彼女は美術室に来ていなかった。

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