第9話
動物園には電車で五駅ほどであった。
休日はアトリエに行くか家に籠るか、気分転換にふらりと外に出かけたとしても近所を散策する程度。アンテナは大きく持っていても引きこもり気質の私は手を伸ばせる範囲を大切にするしか精一杯だ。
約束をしたことにより、必然的に先輩と連絡先を交換することになった。携帯を持って初めて家族以外の連絡先が携帯にあるというのが、ムズムズする。
最寄りの駅から一緒に行くことになり、私はどんな服装で先輩が来てくれるか聞いておけばよかったと後悔した。集合時間よりは二十分位は早く着いた。目印の中央入り口に居ると先輩が慌てて私に駆け寄ってきた。
「集合時間間違えてた」
息を切らせて走って来た先輩。その姿が可愛いと感じてしまった。
「すみません私が早く来きただけです」
久しぶりに休日に出掛けるからと支度をしていたら母さんに見つかってしまった。一人で出掛けるのか聞かれて、モデルを頼んでいる先輩と行くと言ってしまい、追及を免れるために急いで家を出た。
制服とも体操服とも違う先輩。
「ワンピースとか着るだな」
顔を上げた先輩が私の頭から足元までを見て、口元を抑えた。家を出るとき何も言われなかったから変な服装にはなってないはずだけど。
「一枚でトータルコーディネートできる服です。考えた人グッジョブですよ」
母さんに任せていればいろんな服を買いにつれて行ってくれるけど、どの洋服も同じように見えてきてしまい最終的に自分で決められない。流行にも疎いため、マネキンの来ている服を一式買うこともある。
いざクローゼットを開けても何を着ていいのか分からなくなってしまう。ワンピースはその心配が一切ない。
先輩はジーンズに黒のカーディガン。中には赤いTシャツを着ていた。どうして真っ赤な服を着てきたのかな。その服を着ているなら牛とバトルをして欲しくなるのは私だけかな。
「男性は女性よりも色々難しいですよね」
私は隣を歩きながら周囲の人たちにも目を向ける。男性は髪を伸ばしてはいけない風潮がある。女性は腰まで長くとも許されるのに男性は長いと不潔に見えてしまう。絵の中では許される美しさも現実に引き出して見ると何かがズレている。
「小山田は変わっているな」
「変わってないです。突き詰めて考えて、答えが無くて嘆いてるんです」
目指すところは分からない。描きたい気持ちが無くならないまで描き続けているだけ。洋服に興味を持てばデザイナーを目指すかもしれない。出尽くしているアイディアをどう組み合わせオリジナリティを出していくか。普遍的なものほど長く人気がある。
「素直に楽しんでくれたら嬉しい。そのために誘ったんだ」
先輩の手が私の手に自然に伸びてくる。
「ほら、行こう」
先輩は人垣をよけながら進んでいく。私の歩くペースに合わせながら。
電車に乗るだけなのにはしゃいでいる先輩。先輩は電車好きだったのかな。楽しもうとしていない訳じゃないのに、誤解されてしまった。難しく考えている訳でもないのに。
握られた手が温かくて、異性と手を繋いで歩くのが直勝を覗けば小学校以来だ。どんな表情を居ているのか先輩を覗いてみると、いつもとは違うキラキラした笑顔。
開園時間をずらしての集合にしたためか、電車は思いのほか空いていた。私は座り、先輩は私の前に立っていた。隣が空いているから座ればいいのに、吊革に手をかけながら私を見下ろしている。
「どうして動物園なんですか」
いきなり誘われてよく考えないまま行くことになってしまった気が拭えない。貴重な休日を私と過ごすことになってしまってよかったのかな。
「絵の基本で描かないのか」
電車の中のため、小さめの声。自然と距離が近くなる。
「描きますけど、人が多い中でキャンパス広げられませんからね」
動物の骨格も人とは違うもののため、勉強になる。人に興味を示さない動物もいれば、檻越しに興味を示してくれるときもあって。呼びかけても耳を動かすだけの時はとても可愛い。
「野良猫で練習していました」
学業を疎かにすることをおじい様は許してくれなかった。別に良い点を取れとは言わない。ただ学べと。
今を全身で感じろと。
「貴重な休日を私に使っていいんですか」
一番気になる点。女遊びが忙しいはずの先輩が私に時間をかける必要が分からない。放課後の時間を奪う形になっているので、休日こそ遊ぶべきなのでは。
「モデルになれって強制的に言ってきて今更ですか」
脅したつもりはない。交換条件を出しただけ。屋上での会話の録音のことは話していない。モデルをすることと、今回動物園に行くことの繋がり画分からないまま、私は先輩の質問に答えていた。
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