第6話

 先輩から声を掛けてきたはずなのに、ジッと私の顔を見るだけ。


「話したくて私を呼んだんじゃないんですか」


 普段の元気な先輩のイメージとは違う一面を見れたのは嬉しいが、中々先に進まない。チャイムは既になっていて、先輩がクラスでどんな授業態度を取っているか分からない。サボらないようにしているのであれば悪いことをしたかな、とちょっとだけ心配する。


「昨日のこと、言っていないのか」


「私が犯人ですって言いました」


 放課後に会いに来て欲しいと言ったのに、私が真実を言いふらすのを危惧してていたのかな。


「サッカーやってた連中にも心配されて。何か脅されるんじゃないかって」


「先輩が絵のモデルになってくれれば全てチャラにします」


 私の中の大切な絵としてしまっておきたい先輩の表情。先輩の見せる表情全て描き切れるわけじゃないから、一部だけでも切り取れれば私の目標は達成できる。


 学生らしく楽しむ人の最高の笑顔を知りたくて。明日の心配も何もなくただ輝く今を全力で楽しむ君を心に刻み込みたい。


「モデルなんてなりたい奴沢山いるだろう」


「有名なのは私の祖父です」


 尊敬するおじい様。


祖父がモデルをお願いしている現場に居合わせたことは何度もある。気が散るからとおばあ様には連れてかれそうになった時にがおじい様が気になるなら好きなだけいさせろと言っていた。


お互いに一人の人物を描いたとしても受け取り方に違いがあり、何処か偽物じみた絵としか思えなくて。おじい様は写真を撮るかの如くモデルの見せる表情一つで内面までも鮮やかに切り取っていた。


モデルを頼むのは有名な人たちだけではなく、公園で出会った親子に頼んだりもしていた。私や直勝もモデルをしたが、私の自画像は数枚しか存在しない。おじい様自身の自画像もほとんどなかった。理由は聞かなくても分かるだろうというのが言い分で、その一言で十分に成り立っていた。


「私がモデルにお願いしているのは先輩です。やっていただけませんか」


 キラキラと輝く笑顔。瞳の奥に抱えている感情は純粋な喜びだけなのかな。楽しく毎日を過ごす秘訣を教えて欲しくて。


「何を心配しているのか分かりませんがイメージを大切にしたいんです。安心してください。先輩の身分がバレるような絵を仕上げるつもりはありません」


 私はポケットに忍ばせていた携帯を取り出し、母さんにも見せた録画映像を再生し始める。段々と先輩の顔色は蒼くなっていく。


「脅しているのか」


 穏便に話が進むとは思わなかったから、最後の切り札。先輩には逃げられたくない。最悪の印象のスタートであれば後は上がるだけしかないから、この際落ちるならとことん落ちてやろうじゃないの。


「脅す、と取られてる覚悟はありましたが、自分が不利になる立場で交渉するほど私は無知ではありません」


 母さんも私が不利になることを一番に心配していた。録画を見せるのは最首手段にしなさいと言っていたのは、先輩に誤解されるのを恐れてなのかもしれないけど。誤解されてもいい。だって逃げられたくない、それだけ。


 先輩は携帯をしまった胸ポケットに視線を止めている。


「俺が断れば本当のことを言うのか」


「言う、つもりはありません。私が犯人で騒がれてるから誰も信じてくれないでしょう」


 母さんが本当のことを知っていればそれでいい。他の人にどう思われても私は気にしていない。


「証拠があるのに」


「最初に言わなかったのかと問われても面倒です」


 証拠となることは分かっていてもするつもりはない。今後の部活動生活に支障をきたすかもしれないけど、元々帰宅部になるつもりだったので、自宅で活動を続ければいい。


「言ってることが矛盾してるな」


 先輩は私への警戒を解いたのかいつものような優しい笑顔を向けてくれる。無理に頼み込んだとしてもいい表情を見せてくれるとは思わない。自分の名前に汚名を背負ったとしても私を皆がどう扱うかが気になるから観察してしまう。好奇な目で見られるのは慣れている。おじい様が聞いたら詰めが甘いと説教されてしまいそうだけど、自然な彼を見ていたい。


「分かった。俺が元々は悪い。一緒にサッカーやってたやつには適当に誤魔化しておく。モデルでも何でもやってやるよ」


「ありがとうございます」


 今も録音しているのは先輩には内緒にしておこう。切り札は最後まで残しておかなければならない。基本的に先輩を追いかけられる正当な理由を付けたかった。


「では先輩、放課後美術室で待ってますね」


 期限を付けてモデルを頼んでいないのを先輩はいつ頃気が付くか楽しみだ。気が付かず、モデルをやる事になれてもらえれば私が満足するまで眺めていられるのに。


「窓ガラス割れたままじゃ?」


 昨日の放課後割れたので修理が完成している訳じゃない。学校の設備なので早いうちに直るはずだけど、大きな窓のため一週間くらいはかかるかな。先生も美術室を使用禁止にはしていないので使う気満々である。


「ブルーシートが貼ってあります。ヌードモデルを頼むわけじゃないし、今日は今後の予定と動かない練習をしてもらえれば」


 私が満足いくまでは追いかけるつもりだ。先輩が卒業するまでに終わればそれでいい。


 モデルを頼む、と言ってもどんなものを頼まれるか話していないのに了承をしてくれた先輩。爪が甘いな。私がヌードモデルと呟いた時に目を見開いた。頼むつもりはないけど。付け足すように私は言葉を続ける。


「自然な姿も描きたいので放課後部活動行くときは教えてください」


「ついてくるのか」


 美術部特権、写生の時間で時折見られているのを知らないのかな。浸透しているのであれば私にとっては都合がいい以外にないのだけど。


「人物デッサンを目的とするなら美術室で足りますけど、私は表現していくだけです。芸術の学校に通っている訳でもない、素人です」


 おじい様の悪戯から始まった私の美術の道。先のことは分からないから、今を全力で生き抜きたい。おじい様が引いた道とは違う道を進むかもしれない。


「ただの高校生が録画で先輩脅したりしないと思うけど」


 呆れたように先輩は言うけど、元々は先輩がガラスを割って動き始めた縁。出会うべきして出会えたのであれば私は嬉しい。


「表現者は表現しないと呼吸しないのと一緒。誰かに見せて同じ気持ちの人たちに安心感を与えたり希望をもたらしたり。独りで悩んでいる人を支えていることもあるんだよっておじい様も言ってました」


 勝手に美術展に出された時のことを覚えている。おじい様との家族旅行で湖に行ったときに、私は絵を描きに出るおじい様の後を追った。完成した絵は私の中では最高の出来栄えだったけど、時間が経って見れば幼さ丸出し。


おじい様の孫というだけで展覧会の人たちも一か所分け与えてくれただけ。未熟な私の絵を見て天才だとはやし立てる声よりもおじい様は喜んで帰っていく人たちのことをいっぱい話してくれた。「絵から元気をもらえた」「自分の感じるものをそのまま表していいんだって」そう話している人。


「変わってるね」


 先輩の嬉しそうな表情に私もつられて口元がほころぶ。


「つまらないと言われるよりはいいですよ。表現者ですから」


 きっと死ぬまで私は表現者で、この世に表現者じゃない人は誰も居ない。感じた心があってそれを伝えたい言葉を紡ぐ。言葉よりも絵でしか自分の心を表せないのが私。


 先輩と話すよりも先輩を見て感じたものを閉じ込めていきたい。


「自分の心を飾らずに言葉にできる人たちが羨ましいです」


 私のことを全部分かってもらえなくても、少しでいいから、気づいて欲しくて。叫ぶ言葉を知らない。知っていたら友人も出来たのかな。


「先輩は先輩のままでいてください」


 偽らない姿にきっと私は惹かれている。


「もっと変な注文されるかと思ったけど」


 先輩からする変な注文とは何だろう。寧ろ変な注文してもよかったのかな。ヌードモデル頼まないつもりだと言ったけど、頼んでも良かったのかな。


「先輩が卒業するまでに完成させたいです」


 ニッコリと、全神経を集中させて作り笑いに見えないように気を付けて私は言う。


「えっ」


 先輩の表情は戸惑いそのもので、家族を困らせたことはあってもそれほどまでじゃないんだなって改めてしまった。

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