第5話
思惑通り、私がガラスを割った話は学校中に知れ渡っていた。元々特別親しい人間を作っていないので、遠巻きに私のこと観察し、コソコソ話をしている子たちが多い。一般常識として考えればやってはいけないこと。小学生でも分かる問題を高校生になって実行したと思われている。同じ中学校出身の子達も私のことを遠巻きに見ている。
倫理が分かっていない訳じゃないが、体験して色が分かることがあるから密かに割ってみたい欲望はないとは言い切れない。本当はボールが割ったので、私には何の達成感も味わえていない。割っても問題なさそうな窓を見つけたら割ってみようかな。
窓際の一番後ろの席だとクラス全体が見渡せてて、倫理を犯した者に対する人の視線を堪能している。全ての体験を生かさなければ折角の限られた時間がとてももったいない。
「ちょっと絵が描けるからって調子に乗ってるよね」
「本当に、ガラス割っても許されるなんて」
正しくは許されていないし、ちゃんと弁償する話になっている。教室には来ているけど合間を縫って反省文も書いているのだが。
絵の評価は本人が思っているよりも曖昧で、相手にどれだけ伝わるかが重要だと考えている。コソコソと話している人の中にも本気で絵を練習すれば認められる人が出てくるかもしれない。本気になっても認められない人もいる。自分の頑張りだけで決まる世界ならプロと呼ばれる人はどれほどの数に上るのだろうか。
私は窓の外を眺めるフリをしながら小さな声にも耳を澄ませる。私の画力が気に入らないのか、それとも羨ましいのか。夢を見ていてもいい時代から大人になることに対する不安からなのか。私はそんな感情すら薄いのかもしれない。
「あの、先輩が呼んでます」
怯えたように私に声を掛けてきたのはクラス委員をしていた子だった気がした。教室の入り口を見てみると昨日の真犯人がそこにいる。居心地の悪そうな表情。確かに違う学年の教室に訪ねてくるのには勇気がいる。まして相手が私だとすれば要らぬ噂が立つかもしれない。
「ありがとう」と声を掛けてくれた子に手短に礼を言いながら私は先輩の元に足を急ぐ。私達に視線を向けながら何やらひっそりと警戒心と興味の視線を向けてくる。不安げな先輩の視線は私が何を言い出すのか心配しているのか。
昨日の騒ぎで注目されている私に朝一番に会いに来るほど慌てている。時計を見るとホームルームまで後五分といったところ。私は先輩の手を取って歩き出す。
「屋上行きましょう」
先輩は反論もせずに後ろから付いてくる。私が一方的に手を引いて歩いているだけなのに注目される。廊下でイチャついている他の生徒に対する反応と全く違う。
学校側は特別扱いをしていないのを皆見ているはずなのに、認めたくないのかもしれない。有名なのは私の祖父であって私じゃない。校則を破れば他の生徒と同じように罰則も受ける。登校しているのにホームルームに出ていない私はまた反省文を書くことになる。文章よりも絵として表現したらどんな絵になるだろうか、今度の題材は反省文で決まりだな。
「本当のこと、言わないのか」
教室棟から段々離れていく私に不安に思ったのか先輩が声を掛けてくる。歳も背も上のはずなのに先輩は子犬のような雰囲気。どこかその姿が愛らしくて今すぐ描き始めたい衝動に駆られるがジッと我慢。
考え抜いた先に得た感情と感性とを混ぜ合わせて書かなければ私が追い求める形には程遠いかもしれない。一時の感情で書きなぐってしまえばその時の感情で生き生きしているかもしれない。深み、奥行きは出ず直ぐに飽きられてしまう作品になる可能性だってある。
私が返事をしないと分かったのか、先輩は黙って私に手を引かれて歩いていく。
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