第3話

 帰りの車の中で 母さんは眉間に皺を寄せていた。教室のガラスの片づけは怪我をする恐れがあるからと、私が生徒指導室で話している間に他の先生が片付けてくれていた。


 帰り際に美術部の顧問の先生も「今度何かあってからじゃ庇えないから、今回だけ」と条件付きで教室を使えることになった。私としては絵を描ける環境であれば一人であろうがなかろうが、集中してしまえば関係ない。集中してしまえば周囲の音が気にならないから。


 罰として本日の夕食づくり手伝うことになった私は家に着いてすぐ、自室に鞄を投げ捨て長い髪を一つにまとめた。料理は嫌いじゃないけど、特別用事がなければ自ら作ることはあまりしない。


 オープンキッチンの理由は両親共に料理好きだったため、子どもが生まれたら一緒に料理を作りたい希望からだったと中学生の頃教えてもらった。そのため、二人でキッチンに立っても十分な広さだった。基本的に料理をしない娘、弟も運動部が忙しく料理をするよりも食べる方が好きでごめんね。


 黙々と野菜を切っていた母さんが不意に私に話しかけてきた。


「学校で浮いてるんじゃないの」


 今日のガラスの件かと思いきや、母さんは違うところを心配しているみたいだった。私は洗っていたジャガイモを眺めていた。


「他にも浮いてる子いるから」


 中学生の時から特別仲の良い友達がいたことが無い。用事があれば最低限会話はするけど、休みの日に外で待ち合わせをして出かけたりする仲の子は居ない。友達が欲しくない訳じゃない。どう仲良くなるべきかが分からない。近くても遠くても上手くいかない距離。絵に対して尋常でない執着を見せている私を同年代の子たちが受け入れてくれない方が普通なのかもしれない。


「そういう問題じゃありません」


 母さんも家に友人を連れてきたり、友人と一緒に遊びに行くことのない私を心配しているのかもしれない。自分で選んで浮いている訳じゃない。浮いていると思ったことは無い。無視されたり何かされたりしている訳ではない。


 もし、私が浮いているのであれば半分以上はおじい様のせい。小学生の頃の、私が好きで描いていた絵を勝手に自分の美術展の中に混ぜて出したのが始まりだ。おじい様からすれば他愛のないことだったのかもしれないけど、それがきっかけで私の人生は変わってしまった。“次”に描く絵を期待され、心のままに書いた絵が否定されることもあった。


 嫌いになれれば楽なのに、嫌いになれなくて今もまだ己の求めるままに筆を動かし続けている。


 おじい様、母さんからすればお父さんはとても不思議な人だったらしい。絵に対することはとても真剣に挑んでいて、それに繋がる行動だと分かると目の色を変えて体験する。数年前に他界してしまったけど、逸話の絶えない人だ。


「心配なのよ。おじいさんはあんな人だったから気にしてなかったけど」


「自分の親に向かってあんな人って」


 野菜を切り終えた母さんは大きめの鍋に油をひき始める。私も洗っていたジャガイモをまな板の上に移し、皮をむき始めた。


「だってそうじゃない。一緒にお祭りに行ったとしても最後置いて行かれちゃうのよ。それだけじゃない。父親らしいことしてもらった覚えはないわ」


「話してるとき楽しそう」


 誰かを想い愛しむことは私にはまだ分からない。不思議な父親として母さんは話すけどいつも嬉しそうにしているのが愛情をもらって育ててもらったという答えにならないだろうか。私自身、優しい家族に囲まれている自覚がある。


 絵に対して並々ならぬ情熱を向けているのをおじい様は嬉しそうにしていた。同じ道に進んで欲しくないというのが私に残された最期の言葉。同じような変態にならないで欲しいというのであれば、私はおじい様の血を少なからず引いているのを否定できない。彼に交換条件を出すことを咄嗟に思いついて自分が恐ろしい。


 誤魔化したところで母さんは真実を私が話すまで問いただすので、誤解を招かないように私は今日の顛末を話し始めた。


「絵のモデルにしたい人が居たの」


 母さんの険しい表情がスゥっと消える。私が本当のことを話しだしたことに安心してくれたのだろう。


「珍しいわね」


 人から発せられるキラキラしたものまで表現できる技術が無いから私は人物画を控えていた。風景画や動物だけで満足すればいいものを私は欲張りだった。高校生になって、彼を見つけてからひっそりと追いかけていた。数か月間見続けていたけど、やっと彼と会話ができたチャンス。上手く利用するしかない。

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