第十六話 救済

 

「真夜!? このぉっ!」


 闇に取り込まれる真夜を見て、朱音は闇よりも本体であるたたりもっけへと、霊器の槍の穂先を向けて、収束させた炎の塊を放つ。


 真夜に纏わり付く闇よりも、本体にダメージを与えた方が良いと判断したからだ。


 火球となった業火は真夜の十二星霊符の結界を通過して増幅されるとたたりもっけに直撃する。


 しかし明乃の時と同様に、大きなダメージを与えられない。


 朱音を一瞥したたたりもっけは逆に闇を纏わり付かせようとしてきた。


「くっ!?」

「朱音さん!?」

「……舐めんじゃないわよ!」


 纏わり付く闇を朱音は炎を全身に纏い相殺する。浄化に対抗するのと、真夜に力の大半をつぎ込んでいるのか、朱音への呪いはそこまで強力で無かったので焼き尽くすことが出来た。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 それでも朱音は片膝をつき、息が乱れていた。


「大丈夫ですか、朱音さん!?」

「だ、大丈夫よ、渚。それよりもあいつ、かなりヤバいわ。強さは超級クラスでもあの呪いは厄介よ。それに空を飛んでるんじゃ、攻撃手段が限られるし」


 朱音の指摘に渚も同意する。空を飛ぶ相手と言うのはかなり厄介だ。朱音も渚も遠距離攻撃の手段はあるが、決定打を与えるのは難しい。


「それに真夜君も……」

「渚の浄化の霊術でどうにか出来ない?」

「難しいです。真夜君の霊符の強化があればまだ多少は効果があると思いますが、今の私では焼け石に水です。下手をすれば呪詛返しの要領で、こちらがやられます」

「あたしの炎だと真夜まで負傷させる可能性があるし……」


 従来であれば十二星霊符で防御するところを、現在展開できる五枚すべてをたたりもっけの浄化と呪いの拡散を防ぐために使用しているため、真夜自身の防御は手薄だったのが災いした。


「霊符が消えていないので、真夜君は無事だと思いますが」

「あまり時間をかけるとヤバいかもね……」


 渚の言葉に朱音は何かを思案すると、覚悟を決めた表情を浮かべる。


「渚。少しの間、あたしを守ってくれない? 大技を使うわ」

「以前の交流会で使ったアレですか?」

「いいえ。アレとは別。お父様に色々と教わった技の中の一つ。正直、まだ完全に扱い切れてないけどあれなら、あいつでもかなりの手傷を負わせられるはずよ」


 朱音の言葉に渚は驚愕する。真夜の強化込みでならば特級を余裕で倒せることはわかっていたし、その状態ならば超級にも有効打を与えられたかも知れない。


 しかし霊符の強化が無い今、渚には朱音にそこまでの威力の一撃が出せるのかと疑問を抱く。


 朱音も渚の考えがわかるのか苦笑している。


「まあ疑うのは当然よね。正直、後先考えずの一撃だから、放ったら丸一日は霊術どころかまともに動けない反動があるって話でね、切り札中の切り札って言われてるの。それに準備にも時間がかかるから、実戦で使いづらいのよ」


 だがその分、威力は高いと朱音は言う。


「あのフクロウも真夜の霊符の拘束でまともに動けないみたいだし、やるなら今よ」


 先ほどからの明乃や朱音の攻撃や霊符の浄化の影響もあって、たたりもっけは余裕がないようで、追撃などを一切してこない。自分の防御と真夜への呪いを優先している。


 真夜の心配は朱音もしている。だが真夜ならばあんな奴に、すぐにどうにかされるはずがないと言う信頼もある。ならば朱音は自分がすべきことは真夜を助けるのではなく、あの妖魔を倒すこと。ひいてはそれが真夜を助けることに繋がるのだから。


「わかりました。朱音さんの準備が整うまで、私が守ります」

「うん。お願いね、渚。真夜も絶対に大丈夫。あたしの勘がそう言ってるもの」


 朱音は力強く断言すると、大技を放つための準備に取りかかるのだった。


 ◆◆◆


 そこに広がるのは過去の記憶。


 落ちこぼれであった時の真夜の感情。


 泣いている自分がいる。祖母や兄に怒り、恨み、憎しみを向ける自分がいる。どうして自分だけがと不条理と理不尽を嘆き、絶望する自分がいる。


 ―――お前も同じだ。今が幸せだからいいのか? お前の受けた苦しみはそれで済ませられるのか?―――


 小さなフクロウが幼い真夜の真上で翼を広げて滞空し、今の真夜の心の闇を呼び起こそうとする。


 真夜は静かに、フクロウ――たたりもっけの言葉に耳を傾け続ける。


 ―――呪え! 恨め! 祟れ!―――


 無数の声が聞こえる。親に殺された子供の声が。いじめに遭い、自殺した子供の声が。自分の殻に閉じこもり、周囲や社会への怒りや悲しみをぶつける声が。


 幼い真夜が成長し、十二歳くらいの姿になる。


 守護霊獣との召喚と契約に失敗し、一番荒んでいた時期の真夜だ。


 かつての真夜が絶望や怒り、恨みや辛みと言った負の感情を内包した瞳で、今の真夜を見る。


 ―――呪ってやる! 恨んでやる! 祟ってやる! 幸せな奴らが憎い! 幸せな奴らが……!―――


 同じようにたたりもっけも叫ぶ。真夜を闇に誘うように。


 だが真夜はどこか同情するような表情を浮かべた。


「ああ、そうだな。俺も同じようにそんな感情を周囲にぶちまけたさ」

 異世界での勇者パーティーの仲間に、真夜もたたりもっけのように自らの身に降りかかった理不尽を呪い、恨み、嘆き八つ当たりをした。


 それを仲間達は受け止めてくれた。


「全部受け止めてやる、って言ってやりたいが、さすがにこれだけの怨念は俺でも受け止めきれない。けどお前らの無念がわからないわけじゃない」


 黒龍神のような身勝手なだけの呪いではない。確かに無関係な相手に呪いをまき散らすという点では同じであり、同情の余地はない。


 しかしそれでも無碍に出来るほど、真夜に関係ない感情ではなかった。


 それにたたりもっけの言葉の節々に、切望と嫉妬が混じっている事に真夜は気づいた。


 自分達が得られなかった者や、幸せ、機会や未来が羨ましい。自分達も欲しいと。


 優しい両親、仲の良い友人、恋人。才能や幸せな未来。


 羨望の裏返し。


(ああ、そうだよな。俺も兄貴や周りにそんな感情を抱いたさ。それにお前らから見た俺は、全部持ってて憎くて仕方のない相手に見えるんだろうな)


 たたりもっけにとって真夜は退魔師であり厄介な敵だから呪いを強めたのではない。真夜はたたりもっけの大元になった魂達が欲したモノを多く持っていたからもあるだろう。


 そんな真夜の言葉や感情が癪に障ったのか、たたりもっけはさらに呪いを強めると、呪いが真夜に浸食しようとする。


 だが……。


 ―――!?―――


 真夜を浸食しようとした闇は浸食できずに滞留する。真夜の背後に何かがいる。ゆらりとそれが姿を現す。


 バサリと三対六枚の羽が広がると、真夜の背後から彼女が姿を現した。


 堕天使ルシファー。ルフの本体が微笑を浮かべ、たたりもっけに微笑む。


「Aaaaaaaaaa!」


 声が放たれ衝撃が走ると、闇が霧散していく。たたりもっけはビリビリと伝わる衝撃に後退し、偽りの真夜も消え去った。


「悪いな。ここが俺の心象世界なら、ルフなら封印状態でも介入できる」


 キィィィィンとどこからともなく音が響くと、真夜の胸元に光が溢れ出す。光は何かを形取っていくと、霊符の姿となった。


 十三番目の霊符。ルフを分霊として召喚するための霊符ではあるが、真夜の霊符であるために、分体を召喚していない状態でならば違う用途にも使用できる。


 霊符が光を放つと、たたりもっけの呪いを浄化し本体にもダメージを与え始める。


「ルフの霊符が使えなかったのは、時間制限もあったが、ルフが霊力を込めてたからか。助かったぜ、ルフ」


 真夜の言葉にルフはどこか嬉しそうに微笑を深めると、たたりもっけの方へと視線を移す。


 ルフもたたりもっけの境遇に同情しているようだった。


 たたりもっけの本質は水子にも似ている。祟りをまき散らす存在とは言え、問答無用で消し飛ばすのはあまりにも忍びない相手だ。


「悪いがこれ以上、お前の呪いを広めるわけにはいかない。終わりにするぞ」


 真夜はそう宣言すると、十三番目の霊符を掴み霊術を発動したのだった。


 ◆◆◆


 朱音を庇うように彼女の前に立ち、防御の結界を展開する渚。全幅の信頼を寄せた朱音は、ただ大技を放つための準備に取りかかる。


 槍を前に構えながら、全霊力を穂先に集中する。収束されていく霊力は圧縮され、霊力の密度を上げていく。


 気を抜けば暴発するほどの力を、朱音は想像を絶するほどの集中力を持って集め圧縮を繰り返す。


 今の朱音は完全に無防備であり、周囲の音も様子も何も入っていない。祝詞を唱え、術の完成と威力の向上に努める。


 祝詞は言霊の効果もあり、威力をさらに上げる事が出来る。


 たたりもっけもその力の巨大さに気がついたのだろう。先ほどの明乃が放った攻撃よりも、さらに強力な、それこそ致命傷を与えるほどの一撃であることを。


 十二星霊符への対抗力は落とせないので、一時的に真夜へと向ける力を弱め、朱音を狙う。


「させません!」


 しかし渚が霊力の結界を強化し、その呪いを防ぐ。完全に防ぎきれないものは、自らの方へと身代わりで引き受ける。


「くうっ……」


 刀の霊器で結界や浄化を強化しているが、それでも超級クラスの呪いは完全に防ぎきることは困難だ。


 もし全力を向けられれば、今の渚と言えども数秒も堪えられないだろう。


 それでも朱音と約束した時間稼ぎは必ず果たすと、渚は後の事を考えずに全霊力を絞り出し、朱音への攻撃をすべて防ぐ。


 だがそんなところへ、別の場所から攻撃が放たれる。


「私がいるのも忘れるな!」


 たたりもっけの頭上より明乃が八咫烏の背から、暗鬼や霊符で攻撃を行う。明乃も朱音が強力な一撃を放つことを察して援護に切り替えた。


 一撃の威力では火野一族は六家最強とも名高い。自身の最大の一撃が致命傷を与えられないのならばと明乃は朱音に賭ける事にした。


 渚と明乃に守られた朱音が祝詞を唱え終えると、霊器が陽炎のように揺らめき、炎となって穂先に集まっていた霊力の光に取り込まれる。


 炎はバスケットボールほどの光り輝く球体となった。朱音はその球体に両手の平を向ける。彼女の顔には汗があふれ、呼吸も荒くなっていたが、強い意志の宿った瞳はたたりもっけを見据えている。


 ―――煉獄火砲(れんごくかほう)―――


 炎の球体が解き放たれると、無数の光束となり、まるで流星群のごとくたたりもっけへと襲いかかると、その身体を貫き焼き尽くしていく。


 渚や明乃でさえも驚愕する威力と、炎の範疇を超える攻撃に思わず目を見開く。


 闇や呪いと言ったモノまで悉く焼き尽くす煉獄の炎は、確かにたたりもっけに致命的なまでの損傷を与えた。


 穴だらけにされ、貫かれ焼かれた箇所からさらに燃え広がっていく。たたりもっけは悲鳴のような鳴き声を上げ続ける。


 直後、朱音は限界を迎え地面へと倒れ込んだ。


「朱音さん!?」


 意識こそ失っていないが、朱音は呼吸は荒く立ち上がることも出来ないほどに消耗していた。


「……、ご、ごめん。仕留め……きれ、なかった」


 かすれた声で謝罪する朱音に、渚はまさかとたたりもっけを見る。


 フクロウの原型を留めていない、黒い怨念の塊のような、醜悪な怨霊のような黒い人の顔のようなモノが浮遊している。怨霊は十二星霊符の結界を突き破ろうとしている。


 最後の力か、火事場の馬鹿力か、それとも消滅は免れないと悟ったのか、残りの力を振り絞り朱音や渚、明乃を道連れにしようとしているのか。


 真夜の結界も妖気に霊力を相殺されたのか、光を失い始めており突破されるのも時間の問題だ。


 渚も朱音ほどでは無いが疲労困憊で、まともに戦う力も残っていない。


「ちっ!」


 明乃は何とか手持ちの霊符をすべて展開して結界を構築し、怨念を逃がさないようにする。しかしそれさえも焼け石に水。


「悪い、待たせたな」


 と、真夜の声がしたかと思うと真夜に纏わり付いていた闇が吹き飛んだ。


「真夜君!」

「心配かけたが、もう大丈夫だ。朱音もよくやってくれた。婆さんも含めて、あとは任せろ!」


 真夜は十三番目の霊符を怨念に向けて投擲する。光を失いかけていた他の霊符もそれに共鳴するかのように再び輝きだした。


 結界が再度変化すると周囲を隔離するように光の幕を作り出し、その中心に十三番目の霊符が収まると魔法陣が出現する。


 中から現れるのはルフの本体であるルシファー。真夜の結界で世界への影響を抑えた状態での出現だ。


「Aaaaaaaaa!!」


 両手と翼を広げると彼女の背後に光の円環が生まれ、後光のように結界内を照らし光で満ちあふれさせる。


 光が満ちると、たたりもっけだった怨霊は、今までの恨みや憎しみが嘘のように消え去っていく。


 暖かい光だった。苦痛は無い。むしろ心地良いとさえも思った。


 ルフはそんな怨霊に近づくとゆっくりと、優しく抱きしめた。


 怨霊の邪気が払われていく。それはまるで母のぬくもりや愛情のようであった。


 子供が親に抱く、無条件の安らぎ。


 たたりもっけが欲しかったモノ。恨みや憎しみを抱き、誰かを祟りたかったわけじゃない。本当に欲しかったモノは……。


「Aaaaaaaa~~~」


 ルフはそんな悲しい怨霊に微笑むと子守歌のような声を出す。泣いている子供をあやすように。安心させるように。寝かしつけるように。


 ―――もう恨むことも憎むこともしなくて良い。だから今はゆっくりおやすみなさい―――


 怨霊の魂は満たされ、浄化されていく。黒かった魂は白くなり、ルフの腕の中で光の粒子に変わり、無数の魂になって天に昇っていく。


 そんな魂達がこれ以上苦しまず、迷わず成仏し彼岸へたどり着けるように、ルフは慈愛を持って送り出すのだった。

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